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**&color(red){海賊たち} Assassin's Creed Ⅳ Black Flagは、史実にもとづく歴史時代劇として構成されており、主要登場人物の大半が実在の人物である。海賊たちにおいても、エドワードとアドウェールを除き、全て実在の人物である。 #hr() ***&color(red){<Edward James Kenway(エドワード・ジェームズ・ケンウェイ)>} &br() |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1032/Ac4_Edward_Kenway_BF_small.png,blank,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1693年~1735年&br()&br()今作の主人公。&br() エドワード・ケンウェイはアサシン教団の一員でありながら海賊でもある。&br()ウェールズ出身の不敵な若者で、父親がイングランド人、母親がウェールズ人。&br()エドワードはカリブ海で名声を得ようと発起し、野心に燃えて祖国を離れ海賊となった。&br()&br()“ジャック・ドー号(The Jack Daw)”と名付けられた船と部下の乗組員を従えている&br()また、エドワードはアサシンクリードIIIにて登場するヘイザム・ケンウェイの父、コナー(ラドンハゲードン)の祖父であり、現代の末裔である「デズモンド・マイルズ(被検体17号)」の祖先でもある。&br()&br()さらに詳しい情報は[[エドワード・ケンウェイ]]のページにて。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Adéwalé(アドウェール)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1033/ACRG_Adewale_render_small.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1692年〜1758年&br()&br()トリニダード出身の黒人奴隷で、10代の時にサトウキビ農園を襲撃した海賊(バッカニーア)たちと共に脱走し、海賊の流儀を学ぶ。その後スペイン財宝艦隊の一団に拿捕され同じく捕まっていたエドワード・ケンウェイとともに脱出しエドワードの旗艦「ジャック・ドー号」の副官を勤めるようになる。&br()&br()海賊として富と名声を追い求める彼だったが、船長エドワードのとどまる所を知らない欲望と堕落を尻目に、一人の男としてより重要な大義があるのではないかと思い始める。導師アー・タバイの元を訪れ、そこでアサシンの教義とテンプル騎士の野望、奴隷解放組織マルーンの存在を教わった後に受け入れ、アサシン教団に加わることになる。&br()&br()戦闘能力はエドワード並に高く、時にエドワードをなだめるほど、落ち着いた人物。&br()護送船から共に脱出し船を奪い取って以来主人公エドワード・ケンウェイの副官であり舵手を務めることもある。架空の人物だが、彼のような逃亡奴隷をはじめとした黒人海賊自体は珍しい存在ではなく、たとえば1718年当時の黒髭海賊団の約6割が黒人だった。&br()&br()[[Sequence11]]にてエドワードがロバーツと共に観測所に向かっているのを待っている間、ロバーツの手下に襲われジャックドー号に乗ったまま逃走せざるを得なくなり、結果エドワードを置き去りにしてしまう。その後アー・タバイの元を訪れ色々と話を聞いた結果、かねてからこのまま海賊として生きていくことに疑問を持っていたこともありアサシンとして生きていくことを決める。それでもエドワードのことは放っておかず、再会後にはジャックドー号もしっかり返還しアサシン教団の導師アー・タバイの元へ来るように促した。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Edward Thatch/Blackbeard(エドワード・サッチ / 黒髭)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1034/AC4_Edward_Thatch.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1680年〜1718年&br()&br()イギリスのブリストル出身で、戦争中に私掠船の甲板員としてジャマイカに渡り、ベンジャミン・ホーニゴールドのブリガンティン「レンジャー号」の乗組員として本格的に海賊キャリアをスタートさせた。(ちなみにブリガンティンとは、スクーナーとブリッグの特徴を併せ持つ船種で、エドワードの「ジャック・ドー(Jack Daw)号」もブリガンティンである。)&br()&br()名前はティーチ、タッシュ、サッチなど12回も変わった(結婚する度に(と言っても最後のものを除けばどれも宗教上正式なものではなかったが)変えていた。ゲームでは、最後に名乗ったサッチを採用)。&br()&br()船乗りとなってすぐにその有能ぶりをベンジャミン・ホーニゴールドに見いだされ、レンジャー号の僚船(砲6門搭載のスループ船)と70名の手下を与えられて船長となる。&br()&br()やがてセント・ヴィンセント沖で砲40門を搭載したフランスのフリゲート艦を拿捕。ティーチは、奴隷船だったこのオランダ製ガレオンに「アン女王の復讐(Queen Anne's Revenge)号」と命名して自分の船団の旗艦とした。やがて自ら黒髭と名乗るようになるが、その容姿と理由はゲーム中に出てくる通りである(つまりハッタリ)。&br()&br()ある時、砲手のイズリアル・ハンズ(スティーヴンスンの「宝島」に出てくる同名の人物のモデル)と飲んでいた黒髭は、いきなりピストルを抜いてぶっぱなし、ハンズの膝を打ち抜いた。理由を問われた黒髭は「時々こういうことをしなきゃあ、おめえらは俺がどういう男か忘れちまうだろうが!」と言い放ったという。&br()&br()1718年11月22日、黒髭は18名の手下と共にノース・カロライナのオクラコーク湾に停泊中のスループ船「アドベンチャー号」の中にいた。当時黒髭は、バス近くの16歳の農園主の娘に入れあげており、そのためにこの港にも拠点を造ろうとしていたのである。スポッツウッド総督によって派遣されたロバート・メイナード中尉率いる王立アフリカン・パール(ゲームではフリゲートだが実際はスループ)他1隻は、前日の夕方に黒髭の船を発見、夜が明けるのを待って攻撃を開始した。戦闘は海賊優位で推移したが、最終的に勝利したのは王立海軍だった。黒髭は絶命するまでに銃弾5発と20ヶ所以上の刀傷を負って血を吹き出しながら闘い、メイナードとの一騎打ちに勝ったと思われた瞬間、別の水兵に咽喉を斬られて倒れた。斬り落とされた黒髭の首はパール号のバウスプリット(槍出し)に吊るされて運ばれ、最終的にハンプトン河の河口の杭に吊るされた。生き残った手下15名のうち13名は絞首刑となった。&br()&br()[[Sequence8]]では黒髭の壮絶な最期が描かれており、エピソードにフィクションを交えた意図的な齟齬や大きな改変がみられるものの、ゲームとしての雰囲気は良く出ているのではないだろうか。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Benjamin Hornigold(ベンジャミン・ホーニゴールド)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1035/Benjamin_Hornigold.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1680年〜1719年?&br()&br()自らニュー・プロヴィデンス総督を名乗り、トマス・バロウと共にナッソーにおいて海賊共和国樹立を宣言した人物。チャールズ・ヴェイン、トマス・バージェス、キャリコ・ジャック・ラカム、黒髭ら有力海賊たちがこれに加わった。&br()&br()独自の掟に従っており、イギリス籍の船には手を出さなかった。&br()&br()だが、ナッソーが夢の楽園だったのは最初のうちだけで、やがて怠惰と病気が蔓延。1718年7月、ウッズ・ロジャーズがイギリス国王ジョージⅠ世の委任状と恩赦(同年9月5日までに海賊稼業から足を洗うことを宣誓した者が対象)を携えてナッソーに上陸した際、これを受け入れて海賊共和国は崩壊。その後はパナマ総督の元、旧友を捕えるパイレーツ・ハンターとなった。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Stede Bonnet(スティード・ボネット)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1036/AC4_Stede_Bonnet_render.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1688年〜1718年12月10日&br()&br()バルバドスのイギリス人士族の良家に生まれたが、妻子を捨て、航海術も知らぬまま海賊に転身したという変わり種。スペイン軍に攻撃を受けて負傷したところを黒髭に助けられている。&br()&br()陸軍(階級は少佐)を辞めた後、大きなサトウキビ農場を経営していたが、砲10門を備えたスループ船「リベンジ号」(スループは、快速と喫水の浅さを買われてカリブの海賊たちが実際に最も多く使用した船で、多くはカッター(ゲームではNPC小砲艦が該当)として艤装された。(余談だが、カッターの船種名は現在でも米沿岸警備隊が巡視船に使用)ゲームの中では「一般市民」のNPC船が典型的なスループだが、全部があんなに小さいわけではない)を仕立てて海賊に転身、イギリス社交界を驚かせた。&br()&br()その容姿はゲームに出てくる通り。黒髭と意気投合し、見限られるまで行動を共にした。&br()&br()1718年、チャールストン封鎖においてウィリアム・レット大佐に捕えられ、賄賂を使って一度は出獄したものの、結局は再び捕えられ、裁判にかけられた。&br()&br()ボネットは「自分が船を拿捕したのはキャプテン・サッチに同行していた時だけで、サッチの命令に従っただけ」と主張したが認められず、同年12月10日、28名の部下と共にホワイト・ポイントで絞首刑に処された。黒髭が倒された約1ヶ月後のことだった。&br()&br()ゲームでは、海賊の世界に足を踏み入れることになる直接の原因はエドワードということになっているが・・・。そのエドワードとの別れのシーンが、ちょっとした感動的場面になっている。&br()&br()&italic(){「エドワード! …ありがとう! …あんたが背中を押してくれた…砂糖やラムなんて目じゃない…あんたと出会えたことが、俺の最大の宝だ!」}&br()&br()}| |>|&font(15){&color(red){<豆知識>}&br()Wikipediaの「帆船」の項目を見ると、スループとカッターが併記され「よく似ているが船体に対するマストの位置が異なる」と説明されているが、厳密にはこれは誤り。解り易いようクルマに例えるなら、セダン、クーペ…というカテゴライズと、ファミリーカー、スポーツカー…というカテゴライズは異なるということ。帆船でいえば、スループ、スクーナー、ブリッグ、ブリガンティン…と、カッター、コルベット、フリゲート、戦列艦…は別の種類のカテゴライズなのです。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Woodes Rogers(ウッズ・ロジャーズ)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1037/AC4-Rogers_small.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1679年〜1732年7月16日&br()&br()イギリス出身の私掠船の船長として、海賊狩りやスペイン軍との戦いに明け暮れた人物。ゲームではテンプル騎士メンバーの一人として描かれる。&br()&br()ロジャーズは、ダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」のモデルとなったアレグザンダー・セルカークを4年間の漂流生活から救出したことでも知られるが、キャプテンとして歴史の表舞台に登場してくるのは、1708年8月2日、若干26歳という若さで世界一周航海の探検隊(マゼランやコロンブスの探検隊同様、実質的には私掠船団。&br()&br()ちなみにこの探検隊には「新世界周航記」(1697年初版)の著者として有名な、そしてこれが彼自身3度目の世界一周航海となったウィリアム・ダンピアが航海士として加わっていた)の指揮官としてブリストルを出帆した時だろう。デューク号(320トン、砲30門搭載)とダッチェス号(260トン、砲26門搭載)の2隻を率いて、まずはアイルランドを経由してカナリア諸島に向かい、そこで初めての獲物(スペイン商船)をものにした。&br()&br()2隻目の獲物はペルー沖で拿捕した16トンの小さな船だったが、ロジャーズはこれをロボス島に回航し、旋回砲4門を搭載させてビギニング号と命名し、船隊に加えた。&br()&br()その後はエクアドルのグアヤキル港を襲う(1709年4月)などしながら再び太平洋に向かったが、ガラパゴス諸島に到着した頃には乗組員の半数が熱病などにかかっていたため、休息と船の修繕を兼ねて一旦ゴルゴナ島に戻った。&br()&br()2ヶ月後、再び出帆し、スペインの財宝船を探して太平洋をうろつきまわり、グアムでようやくスペインのガレオンを発見、攻撃した。この戦闘でロジャーズは顎を射抜かれて負傷したが、ガレオンの捕獲には成功。このガレオン(400トン、側砲20門、旋回砲20門搭載)は「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・エンカルナシオン・デセンガーニョ」という長たらしい名前だったが、ロジャーズは船をカリフォルニアのセグーラ港に回航後「バチェラー」という簡素な名前に改名して船隊に加えた。&br()&br()この船には193名が乗り組んでいたが、ロジャーズは彼らから「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ベゴーニャ」(900トン、側砲40門、旋回砲40門搭載、乗組員450名)という僚船の存在を聞いた。そこでこのガレオンを拿捕すべく出航、数日後、捕捉に成功した。だが、マニラのスペイン海軍総督が指揮官の、この戦列艦は余りにも手強すぎた。7時間にも及ぶ戦闘の末、ロジャーズらは大きなダメージを負って敗退、ロジャーズ自身も足を撃ち抜かれて負傷した。&br()&br()船団はこの後、喜望峰経由で帰途につき、1711年10月14日、無事ブリストルに帰り着いた。記録によるとロジャーズらはこの航海で、当時の金額にして80万ポンド相当の略奪財宝を入手、航海は成功を収めた。&br()&br()それから20年後、ベンジャミン・ホーニゴールドらを使ってナッソーから海賊を一掃したロジャーズは、ナッソーの総督となった。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Charles Vane(チャールズ・ヴェイン)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1038/AC4_Charles_Vane_render.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1680年〜1720年3月29日&br()&br()イギリスやフランスの船を狙って海賊行為を続けた人物で、ゲームの序盤ではケンウェイや黒髭らと行動する。残虐で狂気混じりなキャラクター。&br()&br()ちなみに[[Sequence7]]で描かれる一連の出来事は基本的に全て史実で、焼き討ち船で封鎖を突破した後の3年間は、1715年にフロリダ沖でハリケーンのために沈んだスペインの財宝船団(12隻のガレオン船に1,400万ペソ相当の財宝が積まれていた)からレアル銀貨を漁るなどして過ごした。洋上で黒髭と遭遇した際には再会を祝してどんちゃん騒ぎを繰りひろげたという。&br()&br()その後難破した際にイギリス船に拾われたものの素性がばれ、ポート・ロイヤルで絞首刑に処せられた。ゲームでは、[[Sequence11]]でメアリ・リードが亡くなるエピソードの際まだ生存しているが、史実ではその1ヵ月前に処刑されており、逆に生存しているはずのジャック・ラカムが処刑済みになっていて、史実との齟齬がみられる。&br()この齟齬が意図的なものか考証ミスによるものかは不明。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Anne Bonny(アン・ボニー)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1039/AC4_Anne_Bonny_render.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1700年3月8日?〜1782年4月22日?&br()&br()アイルランド系の女海賊。&br()&br()コーク州で弁護士をしていたウィリアム・コーマックが美人女中に産ませた私生児で、一家でチャールストンに移住後、父親のコーマックは農場主・実業家として成功を収めた。&br()&br()幼い時分から短気で粗暴な性格だったらしく、13歳の時に、食事の際に怒って女中の腹をナイフで突き刺したというエピソードが残っている。&br()&br()性格はともかく、美貌と、父親が資産家だったため求婚者は多かったが、後にウッズ・ロジャーズのスパイとして働くことになるジェイムズ・ボニーと駆け落ちしてニュー・プロヴィデンスに渡り、そこでジョン・ラカムと出逢って恋仲になる。&br()&br()アンは、ラカムと共にナッソーで12トンのスループ船を盗み、乗組員を募って海賊稼業に乗り出した。そしてあるオランダ船を拿捕して幾人かを強制的に仲間にした際、その中の一人の少年に一目惚れしてしまう。それが男装していたメアリ・リードで、この秘密は当初ラカムを含めた3人の間だけで共有された。&br()&br()1720年10月、ジャマイカ総督から海賊討伐を委任されていたジョナサン・バーネット率いる私掠船団によって捕えられたが、バーネットによれば最後まで勇敢に闘ったのがアン(とメアリ)で、ラカムをはじめ男たちが隠れていた船倉に向かってピストルをぶっ放し「上がってきて男らしく戦え!」と叫んでいたという。&br()&br()ゲームでは、裁判の際、メアリと共に身籠っていることを明かして処刑を逃れるシーンがあるが、これは史実。(実際に2人とも妊娠していた。)獄中でメアリが病死し、アンのみ脱獄に成功するというのも史実(ゲームではアサシン教団の導師アー・タバイ(とエドワード)によって救出されるが、実際にはおそらく父親が手を回したのだろうと言われている)。&br()&br()ラカムが処刑される際に、ラカムに向かってこう言い放ったといわれる。「あんたがあの時、男らしく戦っていれば、犬みたいに吊るされずに済んだんだよ。」&br()&br()その後の彼女に関する記録はないが、ゲームでは[[Sequence11]]にてアドウェールに代わりエドワードの副官となる。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Mary Read(メアリ・リード)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1040/AC4_Mary_Read.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1685年頃?〜1721年4月&br()&br()メアリはロンドンで生まれたが、母親からは有名な海賊「キャプテン・キッド」が父親だと言われて育った(真偽不明)。成長すると小間使いとして奉公に出たものの、やがて刺激と冒険を求めて出奔し、男装して軍艦に潜り込んだ。&br()&br()スペインの王位継承を巡って争われた戦争に参加した後、一度は結婚したもののすぐに未亡人となり、再び男装して今度は西インド諸島に向かうオランダ船に乗り込んだ。この船がジャック・ラカムによって拿捕された際、アン・ボニーの薦めによりラカム配下の海賊となった。1720年にアン、ラカムと共に捕えられた際、妊娠を理由に一時的に処刑を免れたが、感染症か何かにかかり、赤ん坊を生む前に獄中で死亡した。&br()&br()ゲームではエドワードと会った時にはジェームズ・キッドという偽名を使っていた。またアサシン教団の構成員というオリジナル設定が追加されている。定説とは違いエドワードとアンの会話から子供も産んでから死亡した模様。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Calico Jack = John Rackam(キャリコ・ジャック = ジョン・ラカム)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1041/Jack_Rackham.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1682年12月21日〜1720年11月18日&br()&br()ラカムはかつてチャールズ・ヴェインの下で操舵手を務めていた海賊で、アン・ボニーと出逢ってからは、1720年に捕えられるまで彼女と行動を共にした。&br()&br()キャリコ・ジャックの通り名は、彼が洒落者で更紗模様のズボンを好んで履き、トレードマークになっていたことに由来する。&br()&br()ゲームでは、[[Sequence11]]でアンが脱獄する際、既に処刑済み(白骨死体)となっている。ガイコツと2本の剣で海賊旗をあしらった最初の人物であるとされている。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Bartholomew Roberts(バーソロミュー・ロバーツ)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1042/AC4_Bartholomew_Roberts.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1682年〜1722年2月10日&br()&br()ゲームでは海賊であると同時に「賢者」として描かれるロバーツだが、史実ではパイレーツ・オブ・カリビアンズ黄金期における最後の大物海賊として知られる。&br()&br()1682年ウェールズのペンブルックシア生まれ、浅黒い肌にハンサムな顔立ち、優雅な衣装を好み「ブラック・バート」と呼ばれたこの人物は、1719年にロンドンからギニアに向けて出帆した奴隷船「プリンセス号」(ゲーム中にも登場)に2等航海士として乗船した際、西アフリカ沖でキャプテン・ハウエル・デイヴィスに拿捕されたのを機にデイヴィスの下で海賊キャリアをスタートさせた。&br()&br()2人が出会って1ヶ月半後、プリシンペで待ち伏せに会いデイヴィスが殺害されるとロバーツは演説をぶち、乗組員たちはロバーツを後任の船長に選んだ。(この辺の件はゲーム中にも描かれている。)&br()&br()デイヴィスを殺害したポルトガルに復讐するため、プリシンペのポルトガル居留地を襲った後、ブラジルのバイアに向かい、リスボンに向けて出帆を準備していたポルトガル船団を襲い、8万ポンド相当の金貨4万枚、金の延べ棒、ダイヤなどの装飾品、砂糖、煙草、皮革などの戦利品多数を奪った(この中にはポルトガル王の胸を飾る予定だったダイヤをちりばめて作られた十字架が含まれていた。今でもこの時のお宝がリトル・ケイマンのとある洞窟の奥深くに埋められているという埋蔵伝説が残る)。&br()&br()36歳で船長となったロバーツは、部下に賭け事禁止・神への祈りを奨励し、自らは酒を飲まなかった。&br()&br()1720年6月、ニューファンドランドのトリパッシー湾に停泊中の船を襲った際、「ついで」に拿捕したフランスのブリガンティンに「ロイヤル・フォーチュン」と名付けて自らの旗艦とした。丸2年間の間、ロバーツ海賊団(身代金と引き換えに発行した彼らの領収書には「俺たち資産家」とあった)はカリブ海を所狭しと暴れまわり、数々の伝説を残した。だが連戦連勝を続けていたロバーツ海賊団にも終焉の時がやってきた。&br()&br()1722年2月、砲50門を備えたイギリス王立海軍の戦列艦「スワロー号」と「ウェイマス号」は、半年に及ぶ追跡劇の末、ギニアはロペズ岬沖のパロット島の島影に潜んでいた海賊団を発見、フランスの商船を装って(ロバーツらはポルトガルの商船と思い込んだ)、まずはブリガンティン「グレート・レンジャー号」をおびき出し、葡萄砲弾の一斉射撃を浴びせて制圧した後、5日後の朝、再びパロット島に引き返し、今度は旗艦ロイヤル・フォーチュンに襲い掛かった。ロバーツは初め逃走しようとした…というのも、彼自身は前述のとおり酒を飲まなかったため素面だったが、大部分の手下は戦利品のラムで酔いつぶれており、まともに戦える状況にはないと判断したためだ。だがどうしたわけか途中で気が変わり、スワロー号に立ち向かっていった。結果、側砲の一斉射撃を浴びてロイヤル・フォーチュンのミズンマストは折れ、ロバーツは葡萄弾に喉を切り裂かれて死亡した。&br()&br()手下たちはロバーツの亡骸を海賊団の「掟」が書かれた書類と共に海に投げ入れて海賊式の埋葬をした後、なおも戦い続けたが、30分後の午後2時、ついに降伏した。こうして4年余りの間に延べ400隻以上の船を略奪したデイヴィス/ロバーツ海賊団は討伐され、この功績によりスワロー号のチャロナー・オウグル艦長はナイトに叙せられ、最終的には海軍提督にまでなった。ロイヤル・フォーチュンの生き残り152名とグレート・レンジャーの生き残りを合わせた264名のうち、最終的に165名が裁判にかけられ、海事裁判所のキャプテン・ハードマンによって54名に死刑判決が下された。執行猶予を受けた2名を除く52名は、1722年4月、2週間にわたって順次絞首刑に処せられ、内18名の遺体は、見せしめのために金属の輪をはめられ防腐のタールを塗られて港を見晴らす山上に吊るされた。&br()&br()楽士など74名は無罪を言い渡され(有罪は91名)、17名がロンドンのマーシャルシー監獄に送られ、残り20名がゴールド・コーストにある王立アフリカ会社の鉱山で7年間の重労働の刑に処せられたが、刑期を終える前に全員が死亡した。&br()&br()ゲーム中には、ロバーツが残した有名な言葉「人生は太く短く、それが俺のモットーだ」をロバーツがエドワードに向かって喋るくだりがある。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() *コメント欄 #pcomment(,reply,enableurl,5) #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr()
**&color(red){海賊たち} Assassin's Creed Ⅳ Black Flagは、史実にもとづく歴史時代劇として構成されており、主要登場人物の大半が実在の人物である。海賊たちにおいても、エドワードとアドウェールを除き、全て実在の人物である。 #hr() ***&color(red){<Edward James Kenway(エドワード・ジェームズ・ケンウェイ)>} &br() |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1032/Ac4_Edward_Kenway_BF_small.png,blank,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1693年~1735年&br()&br()今作の主人公。&br() エドワード・ケンウェイはアサシン教団の一員でありながら海賊でもある。&br()ウェールズ出身の不敵な若者で、父親がイングランド人、母親がウェールズ人。&br()エドワードはカリブ海で名声を得ようと発起し、野心に燃えて祖国を離れ海賊となった。&br()&br()“ジャック・ドー号(The Jack Daw)”と名付けられた船と部下の乗組員を従えている&br()また、エドワードはアサシンクリードIIIにて登場するヘイザム・ケンウェイの父、コナー(ラドンハゲードン)の祖父であり、現代の末裔である「デズモンド・マイルズ(被検体17号)」の祖先でもある。&br()&br()さらに詳しい情報は[[エドワード・ケンウェイ]]のページにて。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Adéwalé(アドウェール)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1033/ACRG_Adewale_render_small.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1692年〜1758年&br()&br()トリニダード出身の黒人奴隷で、10代の時にサトウキビ農園を襲撃した海賊(バッカニーア)たちと共に脱走し、海賊の流儀を学ぶ。その後スペイン財宝艦隊の一団に拿捕され同じく捕まっていたエドワード・ケンウェイとともに脱出しエドワードの旗艦「ジャック・ドー号」の副官を勤めるようになる。&br()&br()海賊として富と名声を追い求める彼だったが、船長エドワードのとどまる所を知らない欲望と堕落を尻目に、一人の男としてより重要な大義があるのではないかと思い始める。導師アー・タバイの元を訪れ、そこでアサシンの教義とテンプル騎士の野望、奴隷解放組織マルーンの存在を教わった後に受け入れ、アサシン教団に加わることになる。&br()&br()戦闘能力はエドワード並に高く、時にエドワードをなだめるほど、落ち着いた人物。&br()護送船から共に脱出し船を奪い取って以来主人公エドワード・ケンウェイの副官であり舵手を務めることもある。架空の人物だが、彼のような逃亡奴隷をはじめとした黒人海賊自体は珍しい存在ではなく、たとえば1718年当時の黒髭海賊団の約6割が黒人だった。&br()&br()[[Sequence11]]にてエドワードがロバーツと共に観測所に向かっているのを待っている間、ロバーツの手下に襲われジャックドー号に乗ったまま逃走せざるを得なくなり、結果エドワードを置き去りにしてしまう。その後アー・タバイの元を訪れ色々と話を聞いた結果、かねてからこのまま海賊として生きていくことに疑問を持っていたこともありアサシンとして生きていくことを決める。それでもエドワードのことは放っておかず、再会後にはジャックドー号もしっかり返還しアサシン教団の導師アー・タバイの元へ来るように促した。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Edward Thatch/Blackbeard(エドワード・サッチ / 黒髭)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1034/AC4_Edward_Thatch.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1680年〜1718年&br()&br()イギリスのブリストル出身で、戦争中に私掠船の甲板員としてジャマイカに渡り、ベンジャミン・ホーニゴールドのブリガンティン「レンジャー号」の乗組員として本格的に海賊キャリアをスタートさせた。(ちなみにブリガンティンとは、スクーナーとブリッグの特徴を併せ持つ船種で、エドワードの「ジャック・ドー(Jack Daw)号」もブリガンティンである。)&br()&br()名前はティーチ、タッシュ、サッチなど12回も変わった(結婚する度に(と言っても最後のものを除けばどれも宗教上正式なものではなかったが)変えていた。ゲームでは、最後に名乗ったサッチを採用)。&br()&br()船乗りとなってすぐにその有能ぶりをベンジャミン・ホーニゴールドに見いだされ、レンジャー号の僚船(砲6門搭載のスループ船)と70名の手下を与えられて船長となる。&br()&br()やがてセント・ヴィンセント沖で砲40門を搭載したフランスのフリゲート艦を拿捕。ティーチは、奴隷船だったこのオランダ製ガレオンに「アン女王の復讐(Queen Anne's Revenge)号」と命名して自分の船団の旗艦とした。やがて自ら黒髭と名乗るようになるが、その容姿と理由はゲーム中に出てくる通りである(つまりハッタリ)。&br()&br()ある時、砲手のイズリアル・ハンズ(スティーヴンスンの「宝島」に出てくる同名の人物のモデル)と飲んでいた黒髭は、いきなりピストルを抜いてぶっぱなし、ハンズの膝を打ち抜いた。理由を問われた黒髭は「時々こういうことをしなきゃあ、おめえらは俺がどういう男か忘れちまうだろうが!」と言い放ったという。&br()&br()1718年11月22日、黒髭は18名の手下と共にノース・カロライナのオクラコーク湾に停泊中のスループ船「アドベンチャー号」の中にいた。当時黒髭は、バス近くの農園主の16歳の娘に入れあげており、そのためにこの港にも拠点を造ろうとしていたのである。スポッツウッド総督によって派遣されたロバート・メイナード中尉率いる王立アフリカン・パール(ゲームではフリゲートだが実際はスループ)他1隻は、前日の夕方に黒髭の船を発見、夜が明けるのを待って攻撃を開始した。戦闘は海賊優位で推移したが、最終的に勝利したのは王立海軍だった。黒髭は絶命するまでに銃弾5発と20ヶ所以上の刀傷を負って血を吹き出しながら闘い、メイナードとの一騎打ちに勝ったと思われた瞬間、別の水兵に咽喉を斬られて倒れた。斬り落とされた黒髭の首はパール号のバウスプリットに吊るされて運ばれ、最終的にハンプトン河の河口の杭に吊るされた。生き残った手下15名のうち13名は絞首刑となった。&br()&br()[[Sequence8]]では黒髭の壮絶な最期が描かれており、エピソードにフィクションを交えた意図的な齟齬や大きな改変がみられるものの、ゲームとしての雰囲気は良く出ているのではないだろうか。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Benjamin Hornigold(ベンジャミン・ホーニゴールド)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1035/Benjamin_Hornigold.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1680年〜1719年?&br()&br()自らニュー・プロヴィデンス総督を名乗り、トマス・バロウと共にナッソーにおいて海賊共和国樹立を宣言した人物。チャールズ・ヴェイン、トマス・バージェス、キャリコ・ジャック・ラカム、黒髭ら有力海賊たちがこれに加わった。&br()&br()独自の掟に従っており、イギリス籍の船には手を出さなかった。&br()&br()だが、ナッソーが夢の楽園だったのは最初のうちだけで、やがて怠惰と病気が蔓延。1718年7月、ウッズ・ロジャーズがイギリス国王ジョージⅠ世の委任状と恩赦(同年9月5日までに海賊稼業から足を洗うことを宣誓した者が対象)を携えてナッソーに上陸した際、これを受け入れて海賊共和国は崩壊。その後はパナマ総督の元、旧友を捕えるパイレーツ・ハンターとなった。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Stede Bonnet(スティード・ボネット)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1036/AC4_Stede_Bonnet_render.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1688年〜1718年12月10日&br()&br()バルバドスのイギリス人士族の良家に生まれたが、妻子を捨て、航海術も知らぬまま海賊に転身したという変わり種。スペイン軍に攻撃を受けて負傷したところを黒髭に助けられている。&br()&br()陸軍(階級は少佐)を辞めた後、大きなサトウキビ農場を経営していたが、砲10門を備えたスループ船「リベンジ号」(スループは、快速と喫水の浅さを買われてカリブの海賊たちが実際に最も多く使用した船で、多くはカッター(ゲームではNPC小砲艦が該当)として艤装された(余談だが、カッターの船種名は現在でも米沿岸警備隊が巡視船に使用)。ゲーム中では「一般市民」のNPC船が典型的なスループだが、全部があんなに小さいわけではない)を仕立てて海賊に転身、イギリス社交界を驚かせた。&br()&br()その容姿はゲームに出てくる通り。黒髭と意気投合し、見限られるまで行動を共にした。&br()&br()1718年、チャールストン封鎖においてウィリアム・レット大佐に捕えられ、賄賂を使って一度は出獄したものの、結局は再び捕えられ、裁判にかけられた。&br()&br()ボネットは「自分が船を拿捕したのはキャプテン・サッチに同行していた時だけで、サッチの命令に従っただけ」と主張したが認められず、同年12月10日、28名の部下と共にホワイト・ポイントで絞首刑に処された。黒髭が倒された約1ヶ月後のことだった。&br()&br()ゲームでは、海賊の世界に足を踏み入れることになる直接の原因はエドワードということになっているが・・・。そのエドワードとの別れのシーンが、ちょっとした感動的場面になっている。&br()&br()&italic(){「エドワード! …ありがとう! …あんたが背中を押してくれた…砂糖やラムなんて目じゃない…あんたと出会えたことが、俺の最大の宝だ!」}&br()&br()}| |>|&font(15){&color(red){<豆知識>}&br()Wikipediaの「帆船」の項目を見ると、スループとカッターが併記され「よく似ているが船体に対するマストの位置が異なる」と説明されているが、厳密にはこれは誤り。解り易いようクルマに例えるなら、セダン、クーペ…というカテゴライズと、ファミリーカー、スポーツカー…というカテゴライズは異なるということ。帆船でいえば、スループ、スクーナー、ブリッグ、ブリガンティン…と、カッター、コルベット、フリゲート、戦列艦…は別の種類のカテゴライズなのです。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Woodes Rogers(ウッズ・ロジャーズ)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1037/AC4-Rogers_small.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1679年〜1732年7月16日&br()&br()イギリス出身の私掠船の船長として、海賊狩りやスペイン軍との戦いに明け暮れた人物。ゲームではテンプル騎士メンバーの一人として描かれる。&br()&br()ロジャーズは、ダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」のモデルとなったアレグザンダー・セルカークを4年間の漂流生活から救出したことでも知られるが、キャプテンとして歴史の表舞台に登場してくるのは、1708年8月2日、若干26歳という若さで世界一周航海の探検隊(マゼランやコロンブスの探検隊同様、実質的には私掠船団。ちなみにこの探検隊には「新世界周航記」(1697年初版)の著者として有名な、そしてこれが彼自身3度目の世界一周航海となったウィリアム・ダンピアが航海士として加わっていた)の指揮官としてブリストルを出帆した時だろう。&br()&br()デューク号(320トン、砲30門搭載)とダッチェス号(260トン、砲26門搭載)の2隻を率いて、まずはアイルランドを経由してカナリア諸島に向かい、そこで初めての獲物(スペイン商船)をものにした。2隻目の獲物はペルー沖で拿捕した16トンの小さな船だったが、ロジャーズはこれをロボス島に回航し、旋回砲4門を搭載させてビギニング号と命名し、船隊に加えた。&br()&br()その後はエクアドルのグアヤキル港を襲う(1709年4月)などしながら再び太平洋に向かったが、ガラパゴス諸島に到着した頃には乗組員の半数が熱病などにかかっていたため、休息と船の修繕を兼ねて一旦ゴルゴナ島に戻った。&br()&br()2ヶ月後、再び出帆し、スペインの財宝船を探して太平洋をうろつきまわり、グアムでようやくスペインのガレオンを発見、攻撃した。この戦闘でロジャーズは顎を射抜かれて負傷したが、ガレオンの捕獲には成功。このガレオン(400トン、側砲20門、旋回砲20門搭載)は「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・エンカルナシオン・デセンガーニョ」という長たらしい名前だったが、ロジャーズは船をカリフォルニアのセグーラ港に回航後「バチェラー」という簡素な名前に改名して船隊に加えた。&br()&br()この船には193名が乗り組んでいたが、ロジャーズは彼らから「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ベゴーニャ」(900トン、側砲40門、旋回砲40門搭載、乗組員450名)という僚船の存在を聞いた。そこでこのガレオンを拿捕すべく出航、数日後、捕捉に成功した。だが、マニラのスペイン海軍総督が指揮官の、この戦列艦は余りにも手強すぎた。7時間にも及ぶ戦闘の末、ロジャーズらは大きなダメージを負って敗退、ロジャーズ自身も足を撃ち抜かれて負傷した。&br()&br()船団はこの後、喜望峰経由で帰途につき、1711年10月14日、無事ブリストルに帰り着いた。記録によるとロジャーズらはこの航海で、当時の金額にして80万ポンド相当の略奪財宝を入手、航海は成功を収めた。&br()&br()それから20年後、ベンジャミン・ホーニゴールドらを使ってナッソーから海賊を一掃したロジャーズは、ナッソーの総督となった。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Charles Vane(チャールズ・ヴェイン)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1038/AC4_Charles_Vane_render.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1680年〜1720年3月29日&br()&br()イギリスやフランスの船を狙って海賊行為を続けた人物で、ゲームの序盤ではケンウェイや黒髭らと行動する。残虐で狂気混じりなキャラクター。&br()&br()ちなみに[[Sequence7]]で描かれる一連の出来事は基本的に全て史実で、焼き討ち船で封鎖を突破した後の3年間は、1715年にフロリダ沖でハリケーンのために沈んだスペインの財宝船団(12隻のガレオン船に1,400万ペソ相当の財宝が積まれていた)からレアル銀貨を漁るなどして過ごした。洋上で黒髭と遭遇した際には再会を祝してどんちゃん騒ぎを繰りひろげたという。&br()&br()その後難破した際にイギリス船に拾われたものの素性がばれ、ポート・ロイヤルで絞首刑に処せられた。ゲームでは、[[Sequence11]]でメアリ・リードが亡くなるエピソードの際まだ生存しているが、史実ではその1ヵ月前に処刑されており、逆に生存しているはずのジャック・ラカムが処刑済みになっていて、史実との齟齬がみられる。&br()この齟齬が意図的なものか考証ミスによるものかは不明。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Anne Bonny(アン・ボニー)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1039/AC4_Anne_Bonny_render.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1700年3月8日?〜1782年4月22日?&br()&br()アイルランド系の女海賊。&br()&br()コーク州で弁護士をしていたウィリアム・コーマックが美人女中に産ませた私生児で、一家でチャールストンに移住後、父親のコーマックは農場主・実業家として成功を収めた。&br()&br()幼い時分から短気で粗暴な性格だったらしく、13歳の時に、食事の際に怒って女中の腹をナイフで突き刺したというエピソードが残っている。&br()&br()性格はともかく、美貌と、父親が資産家だったため求婚者は多かったが、後にウッズ・ロジャーズのスパイとして働くことになるジェイムズ・ボニーと駆け落ちしてニュー・プロヴィデンスに渡り、そこでジョン・ラカムと出逢って恋仲になる。&br()&br()アンは、ラカムと共にナッソーで12トンのスループ船を盗み、乗組員を募って海賊稼業に乗り出した。そしてあるオランダ船を拿捕して幾人かを強制的に仲間にした際、その中の一人の少年に一目惚れしてしまう。それが男装していたメアリ・リードで、この秘密は当初ラカムを含めた3人の間だけで共有された。&br()&br()1720年10月、ジャマイカ総督から海賊討伐を委任されていたジョナサン・バーネット率いる私掠船団によって捕えられたが、バーネットによれば最後まで勇敢に闘ったのがアン(とメアリ)で、ラカムをはじめ男たちが隠れていた船倉に向かってピストルをぶっ放し「上がってきて男らしく戦え!」と叫んでいたという。&br()&br()ゲームでは、裁判の際、メアリと共に身籠っていることを明かして処刑を逃れるシーンがあるが、これは史実。(実際に2人とも妊娠していた。)獄中でメアリが病死し、アンのみ脱獄に成功するというのも史実(ゲームではアサシン教団の導師アー・タバイ(とエドワード)によって救出されるが、実際にはおそらく父親が手を回したのだろうと言われている)。&br()&br()ラカムが処刑される際に、ラカムに向かってこう言い放ったといわれる。「あんたがあの時、男らしく戦っていれば、犬みたいに吊るされずに済んだんだよ。」&br()&br()その後の彼女に関する記録はないが、ゲームでは[[Sequence11]]にてアドウェールに代わりエドワードの副官となる。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Mary Read(メアリ・リード)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1040/AC4_Mary_Read.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1685年頃?〜1721年4月&br()&br()メアリはロンドンで生まれたが、母親からは有名な海賊「キャプテン・キッド」が父親だと言われて育った(真偽不明)。成長すると小間使いとして奉公に出たものの、やがて刺激と冒険を求めて出奔し、男装して軍艦に潜り込んだ。&br()&br()スペインの王位継承を巡って争われた戦争に参加した後、一度は結婚したもののすぐに未亡人となり、再び男装して今度は西インド諸島に向かうオランダ船に乗り込んだ。この船がジャック・ラカムによって拿捕された際、アン・ボニーの薦めによりラカム配下の海賊となった。&br()&br()1720年にアン、ラカムと共に捕えられた際、妊娠を理由に一時的に処刑を免れたが、感染症か何かにかかり、赤ん坊を生む前に獄中で死亡した。&br()&br()ゲーム中では「ジェームズ・キッド」を名乗り、アサシン教団の構成員というオリジナル設定が追加されている。また史実とは異なり、死亡する前に子供を産んだことになっている。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Calico Jack = John Rackam(キャリコ・ジャック = ジョン・ラカム)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1041/Jack_Rackham.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1682年12月21日〜1720年11月18日&br()&br()ラカムはかつてチャールズ・ヴェインの下で操舵手を務めていた海賊で、アン・ボニーと出逢ってからは、1720年に捕えられるまで彼女と行動を共にした。&br()&br()キャリコ・ジャックの通り名は、彼が洒落者で更紗模様のズボンを好んで履き、トレードマークになっていたことに由来する。&br()&br()ゲームでは、[[Sequence11]]でアンが脱獄する際、既に処刑済み(白骨死体)となっている。ガイコツと2本の剣で海賊旗をあしらった最初の人物であるとされている。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() ***&color(red){<Bartholomew Roberts(バーソロミュー・ロバーツ)>} |&ref(https://img.atwikiimg.com/www57.atwiki.jp/asakuriseries/attach/63/1042/AC4_Bartholomew_Roberts.png,,,width=200)|TOP:&font(15){生没年:1682年〜1722年2月10日&br()&br()ゲームでは海賊であると同時に「賢者」として描かれるロバーツだが、史実ではパイレーツ・オブ・カリビアンズ黄金期における最後の大物海賊として知られる。&br()&br()1682年ウェールズのペンブルックシア生まれ、浅黒い肌にハンサムな顔立ち、優雅な衣装を好み「ブラック・バート」と呼ばれたこの人物は、1719年にロンドンからギニアに向けて出帆した奴隷船「プリンセス号」(ゲーム中にも登場)に2等航海士として乗船した際、西アフリカ沖でキャプテン・ハウエル・デイヴィスに拿捕されたのを機にデイヴィスの下で海賊キャリアをスタートさせた。&br()&br()2人が出会って1ヶ月半後、プリシンペで待ち伏せに会いデイヴィスが殺害されるとロバーツは演説をぶち、乗組員たちはロバーツを後任の船長に選んだ。(この辺の件はゲーム中にも描かれている。)&br()&br()デイヴィスを殺害したポルトガルに復讐するため、プリシンペのポルトガル居留地を襲った後、ブラジルのバイアに向かい、リスボンに向けて出帆を準備していたポルトガル船団を襲い、8万ポンド相当の金貨4万枚、金の延べ棒、ダイヤなどの装飾品、砂糖、煙草、皮革などの戦利品多数を奪った(この中にはポルトガル王の胸を飾る予定だったダイヤをちりばめて作られた十字架が含まれていた。今でもこの時のお宝がリトル・ケイマンのとある洞窟の奥深くに埋められているという埋蔵伝説が残る)。&br()&br()36歳で船長となったロバーツは、部下に賭け事禁止・神への祈りを奨励し、自らは酒を飲まなかった。&br()&br()1720年6月、ニューファンドランドのトリパッシー湾に停泊中の船を襲った際、「ついで」に拿捕したフランスのブリガンティンに「ロイヤル・フォーチュン」と名付けて自らの旗艦とした。丸2年間の間、ロバーツ海賊団(身代金と引き換えに発行した彼らの領収書には「俺たち資産家」と署名した)はカリブ海を所狭しと暴れまわり、数々の伝説を残した。だが連戦連勝を続けていたロバーツ海賊団にも終焉の時がやってきた。&br()&br()1722年2月、砲50門を備えたイギリス王立海軍の戦列艦「スワロー号」と「ウェイマス号」は、半年に及ぶ追跡劇の末、ギニアはロペズ岬沖のパロット島の島影に潜んでいた海賊団を発見、フランスの商船を装って(ロバーツらはポルトガルの商船と思い込んだ)、まずはブリガンティン「グレート・レンジャー号」をおびき出し、葡萄砲弾の一斉射撃を浴びせて制圧した後、5日後の朝、再びパロット島に引き返し、今度は旗艦ロイヤル・フォーチュンに襲い掛かった。ロバーツは初め逃走しようとした…というのも、彼自身は前述のとおり酒を飲まなかったため素面だったが、大部分の手下は戦利品のラムで酔いつぶれており、まともに戦える状況にはないと判断したためだ。だがどうしたわけか途中で気が変わり、スワロー号に立ち向かっていった。結果、側砲の一斉射撃を浴びてロイヤル・フォーチュンのミズンマストは折れ、ロバーツは葡萄弾に喉を切り裂かれて死亡した。&br()&br()手下たちはロバーツの亡骸を海賊団の「掟」が書かれた書類と共に海に投げ入れて海賊式の埋葬をした後、なおも戦い続けたが、30分後の午後2時、ついに降伏した。こうして4年余りの間に延べ400隻以上の船を略奪したデイヴィス / ロバーツ海賊団は討伐され、この功績によりスワロー号のチャロナー・オウグル艦長はナイトに叙せられ、最終的には海軍提督にまでなった。ロイヤル・フォーチュンの生き残り152名とグレート・レンジャーの生き残りを合わせた264名のうち、最終的に165名が裁判にかけられ、海事裁判所のキャプテン・ハードマンによって54名に死刑判決が下された。執行猶予を受けた2名を除く52名は、1722年4月、2週間にわたって順次絞首刑に処せられ、内18名の遺体は、見せしめのために金属の輪をはめられ防腐のタールを塗られて港を見晴らす山上に吊るされた。&br()&br()楽士など74名は無罪を言い渡され(有罪は91名)、17名がロンドンのマーシャルシー監獄に送られ、残り20名がゴールド・コーストにある王立アフリカ会社の鉱山で7年間の重労働の刑に処せられたが、刑期を終える前に全員が死亡した。&br()&br()ゲーム中には、ロバーツが残した有名な言葉「人生は太く短く、それが俺のモットーだ」をロバーツがエドワードに向かって喋るくだりがある。}| #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr() *コメント欄 #pcomment(,reply,enableurl,5) #right(){&link_up(▲Page Top)} #hr()

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