「・・・んふふー、美味しいです~♪」
「・・・ホント、幸せそうに食べるのね」
とある喫茶店の奥まった席に、二人の少女の姿があった。
いくつも並べられたケーキをかわるがわる頬張り、そのたび幸せそうな吐息を漏らす少女は、海老原菜帆。
その向かいに座り、菜帆が幸せそうに食べる姿を見て微笑んでいるのが、速水奏。
『菜帆ちゃん菜帆ちゃん、次はこっちなんかどうですか~?』
「相性ばっちりみたいね。安心したわ、ベル」
『えぇ、ばっちりですよ~。アスモちゃんもひとくち、どうですか~?』
片や、『暴食』を司る悪魔『ベルゼブブ』とその依り代。片や、『色欲』を司る悪魔『アスモデウス』。
それが、一見普通の高校生に見える少女たちの正体である
基本的に他の悪魔との接触を嫌うアスモデウスだが、今代のベルゼブブとは妙にウマが合った。
『強欲』のマンモンと『傲慢』のルシファーは、どこまで行っても自分本位で、他者に興味が無い。他を惹きつけてこその『色欲』とは反りが合うはずもない。
『怠惰』のベルフェゴールも、己を磨くことに興味がない者にこちらが興味を持てようはずもない。
『嫉妬』のレヴィアタンに至っては、向こうからして敵愾心を隠そうともしないのだ。もう何年も顔すら見ていない。
そして『憤怒』のサタン。衝動を抑えて生きるなど、何が楽しいというのか。気に入る気に入らない以前に、『そもそも考え方が理解できない』。
その考えに則れば『暴食』と『色欲』は最悪の相性ではないのか、と思うのが普通だろう。
しかし、よく食べるということは『豊穣の証』と捉えることもできる。豊かであればこそ、生物はより多くの子を成すことができ、それによって繁栄していく。
そうした『多産の象徴』としては、ふくよかな女性が頭に浮かぶことが多いだろう。すなわち、『色欲』と『暴食』は、程度さえ考えれば決して相性が悪くはないのだ。
お互いをベル、アスモちゃん、と呼びあい、たまにこうして顔を合わせてお茶をする。そんな関係が何年も前から続いていた。
「魔界の食べ物に飽きたから出てくる、って聞いたときはちょっと驚いたけど。菜帆さん、だったかしら?ずいぶん好相性な人間がいたものね」
『あ~、アスモちゃんちょっと意地悪な目してる。だめですよ~、菜帆ちゃんは私のですっ。あげませんよ~』
「心配しなくても取らないわよ。ただちょっと残念なだけ」
依り代の少女、菜帆から漂う17歳とは思えない色気に、もう少し早く見つけていれば、とアスモデウスが悔しさを感じるのも無理はないだろう。
きっと彼女とも相性は悪くない。『力を与えるのに調度いい相手』だったろう。
『それにしても、やっぱりアスモちゃんは大変ですね~。ぜんぶ自分自身で動かなきゃいけないなんて』
・・・そう、決して『依り代』としてではない。
「仕方ないわよ、『そういう力』なんですもの。私自身に『相手を惹きつける』のだから、自分が前にでるのは当然でしょ?」
考え方の他に、他の大罪の悪魔とアスモデウスとの大きな違いは、ここにあった。
憑依することができない訳ではないが、色欲の権化たるアスモデウス自身でなければ、発揮される『魅力』はどうしても本人よりも数段劣ってしまう。
そのため、人間界に居る六柱の中で、彼女だけは『悪魔の本体』がこちら側に居ることになる。
『ベルフェちゃんが追い払ったらしいけど、死神さんがいつ戻ってくるかはわからないしね~』
「気づかれたら、真っ先に私が狙われるでしょうね。一切手加減する必要がないんだもの、全力で」
それでも、彼女には負けるつもりは無かった。
視線を自分に釘づけにして、あらゆる攻撃を一点に惹き寄せて、その攻撃はカースでも盾にしてやりすごせば良い。
「自由に動き回れない戦いって、面倒らしいわよ?」
『怖い話ですね~』
視界が動かせないだけでも、十分な枷になる。『色欲』と相対するとは、そういうことなのだ。
「・・・さて、私はそろそろ行くわ。ベルの元気そうな姿も見れたことだし」
『え~、もう行っちゃうんですか~?』
「そうですよ~、ケーキひとつも食べてないじゃないですか~。美味しいですよ~?」
二人がかりで引きとめられるが、やんわり手をあげて断る。
「しばらく前に『分けてあげた』子、すっかり浄化されちゃってね。新しい子を探しに行きたいの」
『むむむ、そういうことなら引きとめるのも悪いですね~。行ってらっしゃ~い』
「がんばってくださいね~」
「・・・ふふっ、あなたにもそう言ってもらえるなんて嬉しいわ。それじゃ、また会いましょう」
コーヒーの代金をテーブルに置いて、今度こそアスモデウスはその場を立ち去る。
(・・・まだ完全に同化はしていない、か。試す価値はありそうね)
店を出て、大通りへと歩きだしながら、彼女は『菜帆』を改めて品定めする。
(『暴食』と一体化しながら、『色欲』の欠片を注ぎ込まれる。ふたつの『罪』を背負った人間は、一体どうなるのかしら?)
完全な一体化に至る前ならば、恐らくそれは成功するだろう。しかしアスモデウスは、その結果世界がどうなるのかには、やはり全く興味が無い。
(・・・ふふっ、お気に入りの子を取られたとき、ベルはどんな顔をしてくれるのかしら・・・うふふっ)
築き上げられた信頼関係から、相手を奪い去る。そうして訪れるだろう絶望に歪んだ『友』が浮かべる表情を思うと、ゾクゾクとした感覚に愉悦が止まらない。
色欲の悪魔の思う『友情』は、やはりどこまでも歪んだものなのだった。