手をつなごう

あれから、数年の月日が流れました。
人間たちの手で開かれたモンスターたちによる殺し合い。
悲鳴や、怒号や、魂の咆哮に彩られていた喧騒の日々も今は昔。
私は――グレイシアは。
あの日願ったように、争いのない人里から遠く離れた場所で静かに生きています。



           クロスオーバー・モンスター闘技場

               ~epilogue~



ここ数年ですっかりと慣れ親しんだ潮風が頬を撫でる中、荷造りを終えた私は最後にお世話になった場所を目に焼き付けていました。
人ひとりいない最果ての孤島。
長い永い放浪の旅の末に私がここへ辿り着いたのはきっと偶然ではなかったのでしょう。
だってこの島には“彼女”がいますから。
私は島を後にする前に彼女へと挨拶をしに行きました。

「お世話になりました、ミュウ」

ふわふわと浮きながら大自然と戯れていた彼女は、私に気付くとくるりと宙を舞うように移動してこちらへと向かってきます。
彼女……幻のポケモンであるミュウには本来性別がありません。
それでも私がミュウのことを彼女と呼ぶのは、他ならぬミュウ自身がこう言ったからです。
『ボクはね、お母さんなんだよ』と。
その真意は今でもグレイシアには分からない。
彼女が人間たちに噂されているように、私たちのご先祖だからか、或いはそれ以外の意味があるのか。
ただ、誰よりも自由なはずのポケモンは、私という来訪者を全てを知っているかのように優しく迎え入れてくれました。

『そっか、もう帰っちゃうんだね。寂しくなるね』

こつん、と、私の額に自らの額を当てたミュウが念話で喋りかけてきます。
彼女ほどの存在なら特に肉体的な接触もなく念を飛ばせるのでしょうが。
どうも、本人の言う通り、ずっと一匹で過ごしてきた寂しさからか、触れ合うことを好んでいるようです。

「はい。多分、そろそろだと思いますので」

そんな寂しがりな彼女を一人置いていくことに気が引けないわけではありません。
私の一生において、二番目に長い時を共に過ごした彼女。
勝手気ままにふらふらと旅に出て、でも、帰ってくる度にお土産を持ってきてくれて私に抱きついてくる彼女。
このままこの地で静かに余生を送り、彼女とともに骨を埋めるのもきっと悪くはないのでしょう。
……けれど。
またいつか、と約束しました。
その約束を私は叶えに行きたいのです。

『……うん、分かってるよ。ボクは大丈夫』
「ありがとうございます、ミュウ。
 あなたとの日々は穏やかで楽しいものでした。
 ……ミュウはこれからもこの島で?」

置いていく身でありながら、私はミュウの今後が気にかかり、これからのことを訪ねます。
すると彼女は私からおでこを離すと、小さな手で腕組みらしきポーズをしてうんうん唸ったあとに、照れたように笑って答えてくれました。

『そうだね、ボクは待つよ。
 ボクと遊んでくれる誰かがまた現れる日を。
 キミが今から会いに行く人のような、ボクにとってのたった一人を』

その答えは“希望”でした。
恐らくは誰よりも人間の醜さを知っているポケモンの彼女が、それでいて尚“いつか”を求める。
叶う日が来て欲しいと私は心の底から願いました。

「会えると、いいですね。あなたの帰りたい場所になってくれる、そんな人と」

そうして私は慣れ親しんだ島から一歩を踏み出しました。
波乗りは使えぬ身なれど、それなら海を凍らせて歩けばよいまでのこと。
海一面を凍らせるなんて芸当は私にはできませんが、歩みに合わせて足場を作るくらいならお手の物です。

「それでは、お元気で」
『……キミも、よい旅を』

最後に、一度だけ振り返って別れを交わし、私は島を後にしました。
振り向きはしませんでしたが、きっと、ミュウは私が見えなくなるまで見守ってくれていたんだと思います。
だって彼女は、お母さんなのだから――。







水の上を歩けるとは言え、私の歩みは決して早くはなく。
野生のポケモンとの戦いを避けたり、捕まえようとしてくる人間から逃げるために何度も迂回したこともあり、陸地へと辿り着くだけでも一苦労でした。
勿論、出逢ったのは敵対的なポケモンや人間たちばかりではなく。
時に友好的なポケモンや人間たちと楽しい時間を過ごすこともありました。
ええ、ええ。それはもう素敵なひとときで。土産話が沢山、沢山増えました。
そうそう、土産話と言えば。
旅の最中不思議な出来事がありました。
……それは海を歩いて数週間経った日のこと。
疲れてきたため、いつものようにどこか休める浮島や孤島がないかと探していた時のこと。
ちょうどよさげな島を見つけた私は早速上陸してみたのですが、そこには“予想外の物”がありました。
“予想外の物”――それは宙に浮かぶ不思議な輪っかでした。

「なんなのでしょうか、これは?」

正直、興味が湧かなかったと言えば嘘になります。
私はコンテストやポケスロン用のポケモンではありませんでしたが。
こう本能的にというか、輪っかとはくぐってみたくなるものなのです。
ただ……黄金のリングの中心――本来空洞があるべき場所は穴の代わりに何かが渦巻いていました。
流石にそんな何だかよく分からない物に顔を突っ込むような軽はずみなことはしませんでした。
それでも何故だか目を離すことはできなくて。
すると渦巻いていたはずの穴は、いつしか凪いで水鏡のようになりました。

目を見開いた私でしたが、驚くのはそこからでした。
黄金の水鏡は幾つものここではないどこかの誰かを映し出していきました。
例えばそれはいかにもお金にがめつそうな女の人だったり。
闘技場を盛り上げる男の人だったり。
爆心地で俺達の勝ちだと言わんばかりに拳を突き上げる漢だったり。
星の海を泳ぐ巨大な龍の姿だったり。
色んな人が、いろんな景色が、映し出されては切り替わっていきました。
中でも私の印象に強く残っているシーンがあります。

一つはある小さなログハウスの光景でした。
中では一人の人間がせっせと料理をしていました。
スポンジを焼いてクリームを載せ、果物で飾って。
そこまで見れば何を作っているのかは一目瞭然。
それはケーキ作りでした。
きっと大切な誰かを祝うためのものでしょう。
だってそこには人間には意味が無いはずの、黄金の輝きがトッピングされていたのですから。
人間がケーキの仕上げに溶けたチョコで文字を刻むのに合わせて、私も祝いの言葉を捧げました。
誕生日、おめでとう、と。

もう一つは打って変わって戦いの一場面でした。
胸から人間の首を生やした超巨大なモンスター。
いかにも邪悪なそのモンスターは暴れ回り街を火の海に変えていました。
トラウマを刺激するその光景に、思わず目を逸らしかけましたが、しかしふと気付いたのです。
炎に撒かれているはずの街の人々は絶望に沈んではいませんでした。
何故なら巨悪に抗うように、何体もの“人型”のモンスターが立ち上がったからです。
特にその中の一体。
美しい髪を靡かせ、巫女の装束を纏ったモンスターは人々の祈りや声援を一心に受けていました。
その背に、多くの子どもたち守っていたから。
人の子を、モンスターの幼体も守っていたから。
なら。そのモンスターが負けるはずがありません。
ご武運を。私はただ一言祈りを捧げました。
応えるように巫女は黄金の戦士へと姿を変え、そして……。

…………。
………。
……。
…。

気づけば不思議な輪っかは無くなっていました。
まるで初めから存在していなかったように消え去っていました。
私は幻でも見ていたのでしょうか?
なんて考える方が無理がありますよね。
正直私には理解できない光景も沢山ありましたが。
見たもの全てに意味があるのだと信じることができました。

「ありがとうございました」

いつかを、どこかを、誰かを見せてくださった姿なき存在にお礼を言って、また旅を続けました。






そして、私は……。
今、懐かしい場所で、懐かしいポケモンと再会しました。

「久しぶりだな」

まるで私がここに来ることが分かっていたかのように、彼は夕焼けを背に落ち着いた様子で声をかけてきました。
対する私はまさかの再会に心臓が止まりそうなほどびっくりしました。

「貴方は……お久しぶりです。ですが何故ここに」

小さな町の小さなポケモンセンターの壁にもたれかかっている小さな彼。
その服装から一見人間のように見える彼は、間違いなくポケモンで。
しかも今や準伝説として語られている程の有名人ならぬ有名ポケモンで。
何よりも私にとっては大切な戦友で。
そんな彼と、今、この場所で再開するとは思ってもいませんでした。

「何、この町までの護衛を頼まれてな。
 護衛対象を送り届けた後しばらく滞在させてもらっていたまでだ」

こうして話している間にも、通り過ぎていくポケモンや人間たちが彼に軽く会釈をしたり、挨拶をしていきます。
彼は彼で無言ながらも無視すること無く、頷き返していました。
どうやらすっかり顔なじみのようです。

「そうですか。そんな偶然もあるのですね」
「……偶然、か。或いは俺は導かれたのかもしれないな」
「? どういうことですか?」
「すぐに分かるさ」

そう言って彼は笑いました。
モリーと戦っていた時の鬼気迫る形相とは違う、穏やかな笑み。
かつて、戦いの後に私たちと語らった時と同じように彼は静かに笑って。

「行くんだろ? 俺ももう行く。だからお別れだ。仲間に会えて、嬉しかった」

私に、別れを告げました。
その言葉に込められた響きに。万感の想いに。
私は全てを察しました。
どうしてだかは分かりませんが。彼はなんのために私がここに来たのか知っているのだと。
私に会うために待っていてくれたのだと。

「私もです。会えて、嬉しかったです。……またいつか」

だから私も、別れを告げる彼に、敢えて次を望む言葉を口にしました。
そのいつかが彼には来ないかもしれないことも知っています。
でも、彼ともまた会いたいという思いのままに私は願ったのです。

「……ああ。俺にいつかが来るのかは分からない。お前たちと同じ場所に行けるのかも分からない。けれど」

彼は空を見上げました。
赤い赤い夕暮れに照らされた空には幾つもの星々が顔を出していて。

「もし、もしもまたお前たちと出会えたならその時は」

私たちを見守ってくれているようで。

「同じ夢の話をしよう」

そんな星々に微笑むように、彼はそう言ってくれました。
人間を憎んでいた彼が。帰る場所を探し続けていた彼が。
人間を想い続け、今、この場所に帰ってきた私に。

「はい。その時を楽しみにしていますね」

ならきっと、彼はもう大丈夫。
彼は夢見た世界をなくさない。
そんな世界を彼の仲間たちだって待っているから。

私も笑みを返して、次の冒険に旅立つ彼を見送りました。
その小さな背に町のポケモンたちや人間たちも手を振り、別れを惜しんでいました。






旧友との別れを終えた足で、私はもう一つの再会へと向かいました。
今や一児の母となったかつての少女は私のことを暖かく迎えてくれました。
彼女から大切な人を奪っておきながら、何も償わずに一人勝手に姿を消したというのに。
美しく成長した少女は、私の顔を見るや涙を流しながら抱きしめてくれました。
心配したんだからね、と、懐かしいあの日々のように、私は叱られてしまいました。
少女の腕の温もりと頬を濡らす涙に、もう少しだけこのままでいたいと思ってしまいましたが、残念ながら残された時間はあと僅かで。
私は少女の頬に前足を伸ばし涙を拭うと、ぴょんっとその腕の中から降り立ちました。
あ……と手を伸ばしかける少女でしたが、大人になった彼女は――昔から私たちよりもよほど大人だった少女は、私を困らせまいと腕を下ろしました。
そして彼女は、私が何かを言うまでもなく、これを取りに来たんだよね、と“それ”を差し出してくれました。
“それ”は私の忘れ物でした。彼女の元を去った時に置いていった家族の証でした。
一目見ただけで分かります。
中身のない“それ”を、無用の長物だったはずのものを、彼女がどれだけ大切にとっていてくれたのかを。
綺麗に磨かれた“それ”に手を伸ばし、私は彼女に頭を下げました。
“それ”が残っていた以上、彼女は無理やり私をここに留めることだってできたのです。
でも、彼女はそうすることなく、“それ”を私に託して、行ってらっしゃいと送り出してくれました。

もう、最後まで勝手なんだから。本当に、誰に似たんだか。

泣きながらに笑う少女に、今度はちゃんと行ってきますと告げて、私は出かけました。
外はもうすっかり夜で、星々は一層輝いていて。
傍らでよく聞いた歌をふと思い出し、口ずさみながら、重い足を引きずって、その場所へと辿り着きました。
私の旅の始まりであり、終わり。
町を見下ろす丘の上に建てられた小さな墓標。
私が愛し、私を愛してくれた人が眠る場所。
……。いいえ。あの人だけでは、ありませんでした。
そこには、“みんな”がいました。

「みんな気持ちは同じだったのですね。
 私だけじゃない、私たちの帰る場所はアナタだった」

小さな墓標に供えられた幾つもの花と共に並ぶ、五つの墓標。
私が手にしている“それ”と同じ、モンスターボール。
それら色とりどりのボールの組み合わせを忘れるはずがありません。
私と肩を並べ、笑い合い、共にトレーナーのために戦ったポケモンたち。
彼を愛し、彼に愛された同胞たちのものに他なりませんでした。

「薄情ですね、私は。自分のことばかりで。あの後みなさんがどうしていたかなんて考えたこともありませんでした」

勇者や少女が全てを理解していたのは何ということはない、既に先達がいたからだと得心がいきました。
あの悲劇から散り散りになった六匹。
去った者も、残り少女を庇護していた者も、帰る場所をここだと定め、護衛を頼んでまでみんな戻ってきていたのです。

「全く、エースが一番最後だなんて、みなさんに笑われてしまいますね。
 いいえ、それとも、お前は切り札なんだからそれでいいんだよといつものように言ってもらえるのでしょうか」

どうやら自分は思っていた以上にのんびりと回り道をしていたみたいで。
けど、そのおかげでみんなが揃った光景を見ることができて。
それは貴女のおかげなのですねと黄昏色の思い出に感謝して。

私も、私のボールをみんなの隣に並べました。

すると気が抜けたからでしょうか。身体から力が抜け、私は地に伏せました。
死ぬに死ねなかった一生。
生きてと願われた一生。
もう少しのんびりと生きてみようと思えた一生。
その終わりが、すぐそこまで来ていました。
私は最後の力を振り絞り、身体の向きを変え、仰向けになりました。

「なんて、綺麗……」

そこには雲一つない、満天の星空が広がっていました。
澄んだ空気に映し出された空はキラキラと輝いていて色に満ちたものでした。
ああ、ずるい。
こんな、こんな空を見てしまったら、本当に、死んだアナタたちがずっと見守っていてくれて。
アナタのところに帰ってきた私のことを迎えに来てくれたんだって、そう思わずにはいらなくて。

私は、涙を流しました。
涙にかすみ、ぼやけていく世界に。それでもきらめく美しい世界に。
私は祈りを捧げました。
どうか、どうか。













――夜空に、星に、届け、愛よ。みなさんの願いが繋がってゆきますように












【グレイシア@ポケットモンスターシリーズ 天寿全う】


No.95:描き出す未来図 時系列順 fin
No.95:描き出す未来図 投下順 fin
No.93:クロス・ソングス レナモン 未来へ
No.92:だけど、生きていく ハムライガー 未来へ
No.92:描き出す未来図 ルカリオ 未来へ
No.92:延長戦 グレイシア またいつか

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最終更新:2017年11月19日 00:17