ザメンホフ(いとうかんじ)


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ドイツの田舎の小さな町の神父さんだったシュライエルは、平和な生活をつづけていた。
あまりにも平和なので、彼は『シオンのたて琴』という宗教雑誌をだしていた。
それでもまだヒマがありすぎたのか、いろいろな言葉をおぼえた。
むかしの信徒たちは勉強しなくても、
その場になれば勝手にそこの人たちの言葉が口をついてでたので伝道には一向に苦労しなかったそうだが、
それは草創期のちょっとごてごてしたいそがしい時代でのことだった。
今はなにしろ平和で、勉強くらいしか楽しみもないという時代だった。
彼はずいぶん熱心に勉強をし、とうとう四十あまりの国の言葉をおぼえこんでしまった。

これで彼は四十以上の国の人たちにたいして神様のおことばをつたえる実力を手にいれたわけだった。
なかなか大したことだったといわねばなるまい。
神様ご自身も彼のこんなよみされたのだとおもう。
そんな彼にある夜、天啓があった。
神様おんみずからおいでになったのか、あるいは代理の精霊なり天使なりがあらわれたのか、そのあたりの事情はちょっとつまびらかにしがたくて残念だが、
とにかく天からのひらめきが彼にくだって、世界にみちあふれている子羊たちをいっそう幸福にみちびくための手だてを示したもうた。

四十の言葉をおぼえたところで、それは四十の相手にしかつうじるものでしかない。
それよりも『世界語』をつかうがよい。
世界中のものがこれをおぼえさえすれば、世界中の人たちは神のみ心を知ることができ、すくわれるのだ。
さすがに産業時代になっただけに、カトリックの神様もアジなことを考えつかれた次第だった。

シュライエルは、さっそくペンをとった。
その夜。次の日。そうして、もう一夜。
彼は一睡もせずに彼の頭にひらめいたものをすべて紙のうえにかきつけた。彼はそのものにボラピュクという名前をあたえる。
世界が語るというほどの意味で、まさに世界語ズバリという名称だった。
彼はシオンの竪琴にそれを発表する。
神さまはご自身の意志を広めるために、彼に豊かな財政をあたえられる。
あるいは彼の信者のうちの金持たちの心にもひろめられて、ボラピュクの普及のために力をかそうという崇高な気持ちをおこさせる。
まずはこんな次第で、シュライエルはその出発点からかなり手際のよい宣伝をやることができた。
そうしてかなりの賛同者を集めることができた。
ドイツ、オーストリア、ハンガリー、オランダ、スウェーデンなどにこれをならう人ができ、やがてはフランスやアメリカや、日本にまで紹介された。
もう少し先のほうまでいっておけば、数年後にはこの言語の機関誌を発行し、この言語の大会をひらき、パリーというあたらしいもの好きな町ではいくつかの学校でこの言葉の講座がひらかれた。
十九世紀のマスコミが二十世紀のそれ以上に信用できるかどうかはべつとして、だいたいこんな具合にかなり快調のすべり出しをしていた様子だった。
ロシアにもボラピュクの信者があらわれた。
人々は期待に胸をはずませた。これで人類ののろいはとかれた。


「いろいろとおはなしをきかせていただき、ありがとうございました。
とりわけ今しがたうかがいましたご意見などは、かなり新奇なものといわしてもらってもいいようにおもいます。
でもほんとうのところはボラピュクのあとからでたエスペラントは、かえってそのためにひどいめにあったんですよ。」
やがて立ちあがったルドビコはにこやかにはじめた。
「世界語を実現したいとおもっていた理想家たちはもう全部ボラピュキストになっていて、
あたらしい世界語エスペラントは自分の味方になってくれるひとをさがしにいった先々で、かならず敵にぶつかるというハメになりました。
もっとも、これはなにもエスペラントだけにかぎったはなしではありません。
ボラピュクのあとからでたすべての世界語の案にたいしておなじことが起こったのです。
そのひとたちは、一つの世界に一つの言葉をという理想のために、あたらしいこころみときけばまっこうから反対をし、それをぶっつぶすことばかり考えました。
一方、実務家たちは、ボラピュクにもそのほかのこころみにも、ひとしく注意をはらいませんでした。」