故郷にいた頃のスキ宮さんが悪鬼を退治する話。


華文化地域某所。
その晩の月は半月だった。
その月の下で、一つの人影が痩せこけた土を踏み締め、歩いていく。
菅笠を被ったその人物は、赤い着物と紺の袴を身に纏い、腰に刀を差し、赤茶けた小さな箱をぶら下げていた。

「さて、と……」

人影は辺りを見渡す。
体格からして、どうやら男らしい。
と、男の目にある物が留まった。
建築物の群衆だ。
東洋式家屋を乱雑に積み上げたような、不規則的でありながら均整を保つそれは、”九竜城”と呼ばれていた。
少し上げた菅笠と頭の隙間から、鬼の証である、白く小さな角が除き込む。
男――朱鬼宮の口元に笑みが浮かんだ。

「……あそこで宿を探すか」


九竜城に立ち入った朱鬼宮は、家屋の塔と塔の間の道を進んでいく。
角は騒がれては困るため、一応隠してある。
漢字で書かれた看板の群れを眺めながら歩いていると、『宿所』と記された看板を見つけた。
朱鬼宮は早速、そこへ宿を求めに入った。

「いらっしゃいまし」

出迎えたのは、年端の行かぬ男児だった。
黒髪を結い上げ、深緑の簡素な着物を着付けている。
左手首には、小さな鈴のついた、紐で出来た飾り物。

「お前さんは、ここの者かい?」
「はい。お客さんは、お泊まりに?」
「ああ、二日ほど」
「かしこまりやした。では、こちらに」

と、お辞儀をした後、先頭に立って朱鬼宮を空き部屋に案内する。
親のしつけの賜物か、幼いながらも礼儀と言葉遣いがしっかりしていることに、朱鬼宮は感心を覚えた。
二十数歩歩いたところで空き部屋に辿り着いた。

「こちらでございます」
「ありがとよ。あ、えーと……」
「祝儀は、いりません」
「おや、そうかい?」
「貰ったところで、役に立ちませんから」
「…?」

男児の言葉に疑問を抱くが、それは彼によってかき消された。

「私めの名前は、ハイシャオ(海绍)と申します」
「ハイシャオ、か。俺は朱鬼宮だよ」
「朱鬼宮様、ですね。お膳立て致しますので、暫しお待ちください」

と、三つ指を床につけ御辞儀をすると、ハイシャオは部屋の襖を閉めて出ていった。
ハイシャオの姿を見届けると、朱鬼宮は窓の障子戸を開けた。

「…中々の景色だねえ」

金色に光る月と濃鼠の空を背に、巨木のように点々と聳え立つ九竜城達。
静寂で、どこか摩訶不思議さのある風景。
その中で、朱鬼宮は確かに感じ取っていた。
微かな、しかし明瞭とした狂気的な――”悪鬼”の気を。


「ん……」
ここに来てから一日が経った。
目覚めてちょうど、ハイシャオが部屋に訪れた。

「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ああ、お蔭様で」
「左様でございますか」

朱鬼宮の答えに安心したのか、ほっとしたような笑みを浮かべる。

「では朝餉をお持ち致しますね」
「あ、ちょいと」
「はい?」
「気になっていたんだが、親は?」
「……亡くなりました」
「おや。そいつは……すまなかった」
「いえ、お気になさらず」
「てことは、お前さん一人でここを切り盛りしているのかい?」
「ええ」
「ほう」

幼いのに、大したものだ――朱鬼宮は感心せざるを得なかった。

「しかし、一人では大変じゃあないのかい?」
「いえ。あまり、大きな宿では無いので、私一人で大丈夫なんです」
「なるほど。ところで、今日の朝餉は?」
「あ、はい。米と、味噌汁と、出汁巻きと、魚の煮付けと、後茄子の漬け物です」
「おお、漬け物! しかも茄子ときたか。俺は漬け物が好きなんだ。特に茄子と胡瓜が。嬉しいねえ」
「そうなんですか」
「まあ、それ抜きにしても、ここの飯は美味だと思うよ」
「ほ、本当ですか! あ、ありがとうございます!」

明るい表情で礼を述べるハイシャオ。
それを見て朱鬼宮は微笑を浮かべた。
ひとしきりの会話が終わり、では、と、ハイシャオは部屋を去っていった。
朝餉を待っている間、朱鬼宮は外から騒がしい声が聞こえるのに気づいた。
気になって障子戸を開けると、捲くし立てるように叫び、行進する大勢の人間の姿が。

『今こそ我々に、自由と権利を!!!』
『自由と権利を!!!』
『そして、人間らしき生を取り戻せ!!!』
『人間らしき生を取り戻せ!!!』

「……?」
「お待たせしました。朝餉を持って参りました」
「ん、ああ。すまないね」

首をかしげて眺めていると、ハイシャオが膳を持って入ってきた。

「ハイシャオ、と言ったか」
「はい」
「あの騒ぎは、一体全体?」

と、外を指差す。

「ああ」と、少し表情を曇らせ、ハイシャオは問いに答えた。

「革命運動らしいですよ」
「革命運動?」
「はい。この辺りは、徴収される税が高く、身分制度も厳しいんです。勿論、この町も例外ではありません」
「なるほど……」

それに納得できない者が、欲するものを得るために抵抗している、という事か――朱鬼宮はそう結論付けた。

「……ただ、『あれ』に反対の色を示す人も、そう少なくありません」
「というと?」
「……最初は、平和的に進められていたんです。しかし、いつしか狂信者の過激派集団へと成り果ててしまっていました」

ハイシャオは膝に置いた拳を握り締めて続けた。

「運動に参加、或いは同意しない者は殺されていくんです。……領主の犬だと見なされて」
「なんだい、それは。身勝手にも程があるじゃないか」
「僕……いえ、私も、そう思います。けどもう、引き返せないところまで、来てしまったのです。もう戻ることはありません」
「……人間てのは、集まると厄介な方へ行きがちだからな」
「そう、ですね。……外へ出られる時は、くれぐれもお気をつけて」
「ん、そうするよ」
「あの人達が通るところは、いつも順路が決まっているんです。先程見た道は、この時間帯に通るので、そこを避ければ大丈夫でしょう」
「そうかい。分かった、ありがとよ」
「いえ」

朝餉を食べ終えた朱鬼宮は、散歩がてらにと、町に出てみた。
勿論、面倒なことにならないよう、先ほどの集団に遭わない道を選ぶ。
今歩いているところは、どうやら商い通りらしく、土産物屋、乾物屋、呉服屋、茶店と、様々な店が並んでいた。
ふと、目に留まった土産物屋に、朱鬼宮は立ち寄ってみた。
もてなしてくれたのは、顔に少し皺が刻まれた、中年の女店主だった。

「おや、いらっしゃい」
「どうも」
「お客さん、見ない顔だねえ……外からの人かい?」
「ああ」
「これは、これは。珍しいねえ」
「俺みたいな旅人は、あまり来ないのかい?」
「まあねえ。昔はもっと来てたんだけど」
はにかむような笑みで言う女店主。
「ということは、あの宿に泊まっているんだろう?」
「ハイシャオのかい?」
「そうそう。あの子は本当に、随分と大した子でねえ」
「聞いたよ。一人で商っているんだってね」
「そうなんだよお客さん。最初はあたしらも手伝おうとしたけど、『私一人でやります』って。親があいつらに殺された時は、どうなることかと思って心配でならなかったけど……」
「あいつら?」

当人から親は亡くなったことは聞いていたが、詳しいことまでは語られていない。
女店主は先程よりも声を潜めて言った。

「お客さんも、さっき自由だの権利だの叫ぶ声聞こえたろう? あの子の親を馬鹿達が殺っちまったんだよ」
「運動に参加、同意をしなかったから……かい?」
「そうさ。ハイシャオだけは部屋の押し入れに隠れるよう言われたらしいから、助かったんだけど……全く。あれじゃあ、ただの暴徒の集まりだよ」
「あんたも、参加も同意もしてないんだろう? 大丈夫なのかい?」
「ああ。口だけで何とか殺されずに済んでるよ。大半はそうやってるんだ。一時しのぎだろうけどね……あ、念の為に言うけど、この事は口外しちゃあ駄目だからね」
「元よりそのつもりだよ。心配しなさんな」
「そうかい、それは安心したよ」

女店主に別れを告げ、朱鬼宮が次に向かった先は、あの集団が通った跡。
周りを見渡し、跪いて地面に触れる。
無数の足跡――それだけならまだ『普通』だった。
が、指が足跡に触れた途端。

べちゃあ……

「!」

全身に、ぞわりとした感覚が走った。
地面から指を離すと、黒い、少し粘り気のある水が、糸を引くように滴り落ちる。
足跡には、何も無い。
それがかえって、おぞましさを引き立てた。

「……やはり、か」

黒髪の奥に隠れた金の目が、きゅっと締まる。

「だが、これだけではまだ足りないね」

立ち上がると口元に指を当て、思案する。
と、袂から数枚の紙を取り出す。

「これを、使うか」


晩。
風呂から上がった朱鬼宮は、外から流れ込む風で涼んでいた。
暫くして、ハイシャオが膳を持って部屋に訪れた。

「朱鬼宮様、夕餉をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」

床に膳を置き、ハイシャオが部屋を出ようとした時、朱鬼宮は彼を呼び止めた。

「ハイシャオ」
「はい?」
「お前さんは……ここを出ようと思わないのかい?」
「え……」
「この町は、死と隣り合わせにある。口先で逃れても、殺されない保証は無い。それに…………いや。とにかく、逃げるべきだと、俺は思うが」
「…………」

「そのつもりは、無いです」

「……」
「ぼ……私は、ここを離れる訳にはいかないんです」
「何故、そこまで」
「……お世話になった方を置いて、逃げたくありません」
「……そう、かい」
「……明日も、町に出られるので?」
「ん? ああ」
「でしたら、この町で一番高い九竜城を見ていかれては? 他のと多少、変わっているんです」
「ほう。じゃあ、そうしようか」


町に来てから二日目。
朱鬼宮は再び町を歩いていた。
煙管を吹かし、からからと下駄を鳴らして。
目的は昨日と同じ、集団が通った道。
そしてハイシャオが観光にと勧めた、最も高い九竜城。

「確か、この辺りだったか」

家屋の壁に触れる、と、一つの漢字を囲んだ、紋様のような物が浮かび上がった。
そして覆い尽くすように、じわじわと煤けた色が現れ、やがてそれは札へと変貌した。
朱鬼宮はそれを剥がし、眺める。
札はほとんど灰色で、紋様はまるで血のように赤く、何ともいえない臭いがした。
記された漢字は――『集』。

「集……『集い』『集合体』……」

刹那。

「!」

殺意を感じた。
背後から、棍棒を持った男が襲い掛かった。
朱鬼宮は咄嗟に横に避ける。
振り返り、男を見た。
質素な着物に少々乱れた髪。
どこも別段、化物染みた所は無く、人間と変わりない。
――狂気に歪んだ、深紅の目を除いては。

「何を、して、いる」

途切れ途切れに男は問う。

「……少し、空を眺めていただけだよ」
「嘘を、つくな。何を、して、いる」
「……」
「さては、さては。お前も領主に味方する犬っころか!!! 死ね!!!!!」

突如、流暢な話し方に変わり、そして再び棍棒を振り上げた。
小さく溜息をつくと、朱鬼宮は札を一枚取り出し、男に向かって飛ばした。
札が男の額に張り付いた、その瞬間を見計らい、刀印を結んで、二言、三言、呟くと――、

「――爆」

大きな爆発音と共に、男……否、男を成していた人ならざる『モノ』は霧散した。

「……ふぅ」

先程剥がした札を眺め、朱鬼宮は一息吐く。
早々にそこを離れ、目的の九竜城が見える場所へ向かう。
辿り着き、目を向けたその先に、見下ろすように立つ家屋の塔の姿が。

「ふむ……見たところ、高いところ以外は、他のと大差無いが……」

ハイシャオの言葉と、目の前の物に矛盾を感じる朱鬼宮。

「変わっている……」

――貰ったところで、役に立ちませんから

――両親は、亡くなりました

――運動に参加、或いは同意しない者は殺されていくんです

――『私一人でやります』って

――口だけで何とか殺されずに済んでるよ。大半はそうやってるんだ。一時しのぎだろうけどね

――私は、ここを離れる訳にはいかないんです

――お世話になった方を……親を置いて、逃げたくありません

(!)

と、そこで朱鬼宮の頭の中で、一つの仮説が成り立った。

「そうか。……てことは、つまり……」

腰の桐箱から、万華鏡を取り出す。
覗き込むと、色取り取りの蜻蛉玉が、華やかな模様を成している。
が、九竜城の方へ向けた途端、蜻蛉玉は漆黒の色を映し、不気味な目玉模様へと変わった。

「ようやく、見つけた」

口元が緩い弧を描く。

「そろそろ、か」


宿で過ごす最後の晩。
朱鬼宮は身支度を整え、寝る前に今日の収穫を眺めていた。
一つは、あの男に襲われる前に剥がした札を含む、複数の札。
そして残りの内の一つ、煙のような妖怪の式神・煙羅煙羅(えんらえんら)からの情報。
そしてもう一つは、九竜城を覗いた時に見えた、万華鏡の目玉模様。

「これだけあれば、もう充分だ」

外に視線を移す。
変わらぬ静観な景色、それでも朱鬼宮は分かっていた。
先日より、悪鬼達の気がより禍々しくなっている。
昼間、あの悪鬼を滅したことで気付かれたのだろう。
そう思った朱鬼宮は困ったように、

「こりゃあ、慌しくなるねえ」

と、言うのだった。
翌日、町を出る日。
宿所の周りを、大勢の人影が取り囲んでいた。
その手には、棍棒、竹槍、包丁、鎌、などのあらゆる凶器。
人のものとは思えない叫び声を挙げながら、宿所の戸を蹴破り、中に足を踏み入れる。
番頭台、台所、浴場、一階の客室と、騒々しく、荒らすように次々と見渡していった。
二階の客室に差し掛かった。
一つ目、二つ目、三つ目、四つ目、そして――階段から約五十歩歩いた先にある客室。
殺気立った人間達は戸を開けた、が。
誰も、いない。
人影一つすら、なかった。


「かつて、この町はどこにでもあるような町だった」

「上の人間によって、飢餓と不自由と不平等に苦しむ、そんなありがちな町」

「そんな現実を変えようと、彼らは立ち上がった」

「純粋に、幸福を求めて」

「しかし、人間の心は決して強くなく、その癖数が集うと、それはやがてとり憑かれたように、求めるその先しか見えなくなる」

「そしてその正義は犠牲を生み出し始めた」

「それからも、己らの肉体が朽ちて尚、魂は刻まれた記憶、虚無の使命感にしがみつき、腐れ果てた希望論を繰り返し続けた」

「無関係で、平穏に暮らしていた人間達の魂すらも、縛り付けて」

「そうだろう?」


「ハイシャオ」


「……はい」

場所は、どの塔よりも高く生えた、あの九竜城付近。
ハイシャオとして生きていた少年の霊は、頷いて返した。
この町は、とっくの昔に終わっていた。
反逆者の町として、住民は全て上の人間に始末されていたのだ。
その陰で、彼らにとっての「反逆者」の烙印を押され、殺された哀れな一部の住民達がいた。
ハイシャオもその一人。
彼は両親が殺されて数日後、存在が明るみになってしまい、助けを請う暇すら与えられることなく、その小さな命を落としたのである。


「……以前にも、旅人は来ていたのかい?」
「はい……多くありませんが」
「そいつらも」
「『あいつら』の一部に、されました」
「やはりか。……いつから、俺が人じゃないと?」
「初めから。だから私は、あなたをここまで導いたのです。……朱鬼宮様……いえ、朱鬼宮さん。お願いだ。皆を、助けて」

年相応の口調に戻り、ハイシャオは悲痛な声を上げる。

「皆、もうずっとずっと、ここにいるんだ。成仏出来ないまま。僕だけ何故か、ここを離れられるんだけど……でも、僕は置いていけない。皆を、両親を。何もしてあげられないけど、お願い。皆をここから放して」
「言われずとも、そのつもりだよ」
「え……」
「大丈夫だ。これでもう、哀れな住民は、あんたは、ここにしがみつく必要は無い。……黄泉へ行っても、いいんだ」
「朱鬼宮さん……」

と、何かが蠢くような、地響き。
魂だけと化しながらも有り続けた暴徒達が、本来の姿、悪鬼の姿に戻り、二人の前に現れた。

「おいでなすったか」
「……こうやって集まるとき、皆も無理矢理、中に入れられるんだ」

悪鬼達は九竜城へ次々と集まり、それと合体していく。

『人間ラシキ生ヲ……』
『人間ラシキ生……我ラニ……』

過去をなぞるように、そんな言葉を発しながら。
悪鬼「烏合鬼(うごうき)」は、ついに本性を現した。
城から漏れ出す黒い霞が、目玉が、腕が、足が、口が。
二人に明らかな殺意と敵意を放っていた。

『裏切リ……反逆者……』
『ヨクモ、ヨクモ……』

恐らくハイシャオのことを言っているのだろう。
朱鬼宮がこの町の”秘密”に気付くよう、さりげなく誘導していた彼を「反逆者」と。
それを聞いた朱鬼宮は、

「反逆者? そりゃあ無いぜあんたら。この子は町の為に、住民の為に動いた。反逆者は、要らぬ犠牲を生み、町を崩壊させた、他ならないあんたらだ」

と吐き捨てた。
すると烏合鬼は怒りの声を上げた。

『反逆者! 反逆者!』
『人間ラシキ生ヲ奪ウ者ヨ!!』
『反逆者ニハ死ヲ!!』

黒い霞の体が牙を向いた。
ハイシャオは思わず目を瞑り、身構えたが――。

「甘い」

バチィッ!

『!?』
「あ、そうそう。予め結界を張らせてもらったよ」

と、言い終わると同時に、朱鬼宮とハイシャオの間に、赤い光の線が走る。
線は朱鬼宮と烏合鬼を取り囲み、ぐるりと円を描くと、天に向かって壁を作り上げた。

「朱鬼宮さん!」
「安心しな。こんな奴にやられるほど、俺はやわじゃない」

不適な笑みを浮かべる。
偶然吹いた風が前髪を揺らし、金色の目が一瞬覗いた。
烏合鬼に向き直る朱鬼宮。

「悪鬼に成り下がったというのに、それでも人間でありたいと願うか」

再び烏合鬼が攻撃を仕掛ける。
朱鬼宮の左手は、腰の刀に。

「全く、本当に愚かで、馬鹿馬鹿しくて――」



「――哀れな、御霊よ」



妖刀・漆神楽(うるしかぐら)の封印は、解かれた。


荒々しい衝突音と砂埃。
ハイシャオは思わず身を乗り出しかけたが、烏合鬼の腕は朱鬼宮を捕らえていない。
辺りを見回すが、どこにもいない。
と、上から声が響いた。

「うぉおおおおおおおおお!!!!!」

猛々しい彷徨と共に、一閃の斬撃が烏合鬼に降りかかった。
体の一部を斬られた烏合鬼は、悲痛の叫び声を上げる。
ハイシャオは視界に映る人影を凝視した。
白いざんばら髪、赤く伸びた角、血塗られたかのような白目と黒い瞳孔、尖った耳、異様に白い肌。
これが、朱鬼宮の鬼としての姿だった。

「それで、俺を殺せると思ったか」

目玉が一斉に朱鬼宮を睨む。
今度は体を這い出してきた。
突進を避け、朱鬼宮は札を取り出すとそれを烏合鬼に放った。

「撃!」

札を当てられた箇所が潰れた。
しかしそれに構わず、別の腕が朱鬼宮を叩きつける。
咄嗟に札の障壁で受け止め、難なく着地する。
と、また別の方から別の腕。
朱鬼宮は火行の陰陽術で攻撃を阻止する。
前から、上から、右から、左から。
烏合鬼はあらゆる方向から猛攻を続けた。

「朱鬼宮さん……!」

不安げな表情を浮かべるハイシャオ。
だが朱鬼宮の顔には、笑みが浮かんでいた。

「俺はやわじゃないと、言ったろう」

結界を蹴って跳躍する。
舞い上がった朱鬼宮に向かって、一斉に全ての腕が襲いかかる。
それを見た朱鬼宮は、

「かかった」

にやりと、笑い、そして。

「縛!!!」

呪言と共に、地から蛇の頭を持つしめ縄が現れ、烏合鬼を縛りつけた。
抜け出そうともがくが、縄は頑丈に出来ており、締め付けも半端な強さではない。
蛇の頭が威嚇の声を上げた。

「貴様らは気付かなかったようだな。先程の攻撃の際、札を貼っていたことを」

朱鬼宮の目が九竜城を捉えた。
無念の内に死んだ、御霊達の根付く根源を。

『ヤメロ!! ヤメロ!!! ヤメロ!!!! ヤメロォオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!』
『我々ニ自由ト権利ヲ!!!!』
『幸福ノ為ニ戦エ!!!!!』
『人間ラシキ生ヲ取リ戻セ!!!!!!』

何度も何度も繰り返してきた言葉を、烏合鬼は叫ぶ。
その時。

「やめてほしいのはこっちの方だよ!!!!」

ハイシャオが叫んだ。

「町の為に始めたんだろ!? 幸せになりたくて始めたんだろ!? なのに何も悪くない皆を殺して、死んだ後も巻き込んで……そんなの無いじゃないか!! そんな革命で得た幸せなんか、僕はいらない!!!」
「ハイシャオ……」
「……もう、いいじゃないか。もう……過去にすがりつくのは、やめよう。僕らはもう、いないんだよ。……死んだんだよ、僕らは」

ハイシャオの目から涙が零れ落ちる。
これが幼くして死んだ少年の、思いの全てだった。

「……聞いたろう、今の言葉。貴様らの生は、とうの昔に終わった。受け入れ、黄泉に還れ。そして、また新しい生を得るんだ」

妖刀を構える朱鬼宮。
刀の切っ先に見えるは、町の住民と共に生きた証の九竜城。
見定め、駆け出し、跳躍。
そして――。

「滅」

魔を退かせる一閃が、九竜城を薙いだ。


「……ここが、処刑場になった、ということか」
「みたい、ですね」

崩壊した九竜城。
その中には、数多の骸が散らばっていた。
領主に反逆者と見なされた彼らは、ここに逃げ隠れた末に見つかり、そのまま惨殺されたのだろう。

「……朱鬼宮さん、ありがとう」
「なあに。悪鬼退治は生業みたいなものだからね」
「珍しいね、鬼なのに」
「そうでもないさ。悪鬼は、妖怪の害にもなりうるからね」
「そうなんだ」

暫しの静寂が流れる。

「……そろそろ、行くんだな」
「うん」

ハイシャオの足が、消えかけていた。
淡い光の粒となって。

「朱鬼宮さんに会えて、良かった」
「俺もだよ、ハイシャオ。……あの漬け物が食べれなくなるのは、ちょいと残念だが」
「えへへ。気に入ってくれて、ありがとう」
「……今度は、幸せに生きられるといいな」
「うん」

ハイシャオの体は、もうほとんど薄れている。
もうすぐ黄泉へ行くのだ。

「さよなら、朱鬼宮さん」

別れの言葉を言うと、ハイシャオは光となって消えた。
そこにあるのは、一つの小さな鈴のみ。
ハイシャオが手首につけていた、飾りの鈴だ。

「そういや、言っていなかったな」

鈴を拾い、朱鬼宮は呟いた。

「お前さんがいつでも成仏出来るのは、お前さんの両親が、そう願っていたからだ。自分達のようにならぬよう……親として、お前さんを思っていたんだ。その願いが」

ちりんと、揺らした鈴が小さく鳴る。

「……この鈴に、乗り移ったんだ」

鈴を桐箱に仕舞い、菅笠を被る。
吹かした煙管の先から、煙が立ち上る。

「さて、次はどこに、行こうか」





-終幕-