スキビコの持っている煙管の話。




――晴彦、じいちゃんが死んだらな、あの煙管を頼むぞ。

――きせる?あの木の箱に入ってる長いやつ?

――そうだ、あれはな、昔の友人に渡すものなんだ。いつ来るかは分からんが、
あいつは必ず訪ねてくるハズだ。そいつにあれを渡してくれ。

――うん、分かったよ、じいちゃん。


あぁ、またこの夢。
じいちゃんが死ぬちょっと前の光景。忘れた頃に見る不思議な夢だ。
目覚まし時計が鳴るよりも幾分か早く目覚めてしまった。二度寝をするほどの時間は無い。
潔く布団から出て、鞄の中にある教科書や筆記用具など、忘れ物が無いかをチェックする。

俺のじいちゃんは俺が小学生の頃に死んだ。
じいちゃんは死ぬ間際、俺に煙管の話をよくしてくれた。
銀色と黒色の、細長い煙管。当時はそんなものは知らなかったから、物珍しくてかっけぇ、と思ってた。
あの頃はじいちゃんが度々箱から出して使っていたから見る機会は多かったけれど、
死んでからあの煙管を見た記憶は無い。

元々は昔の友人である「あいつ」に譲る予定だったものだそうだ。
何やら恩があったらしく「あいつ」がそれならその煙管を譲ってくれ、と言ったらしい。
あぁ、それなら今渡すよ、とじいちゃんが言うと「あいつ」は

『今じゃなくていい。お前が死ぬ間際でいいさ』

と言ってのけたらしい。なんて気の長くなるような約束だろう。

俺は「あいつ」の名前を知らない。じいちゃんはいつも「あいつ」と言っていて、名前を呼ぶことは無かった。
悪友だったんだ、とニカッと笑いながら話すじいちゃんの顔は今も記憶にハッキリと残っている。

『けど、戦争で離ればなれになっちまってな、それっきりだ。俺はあいつの家を知らなくてなぁ。
あいつと俺は殆ど賭博場か近くの居酒屋で会ってたから』

若い頃のじいちゃんは割と破天荒な性格だったらしく、貯めたお金を持ってよく賭博場へ行ってたらしい。
そこで「あいつ」に会ったんだと、楽しそうに話していた。

『強い奴でな、じいちゃんは未だに勝ててないんだよ。1回くらい勝ちたかったんだがな、もう無理かな』

よっぽどの手練れだったんだろうな、その「あいつ」って。


結局じいちゃんが死ぬまで、いや、死んでからも「あいつ」が訪ねてくることは無かった。
無理もないだろう。戦争でじいちゃんの住んでた家は焼けてしまって、全く違う場所に家を建て直したのだから。
おまけに「あいつ」の家を知らないから手紙なんて出しようがないし。
煙管は結局「あいつ」に渡されることは無く、今も押入れの段ボール達の何処かにしまわれたままだ。
俺もどの段ボールに入っていたかは覚えていない。薄情だと言われるかもしれないが、
子供の頃の記憶をすんなり思い出せるほど俺の脳は上手く出来ていないのだ。

さっさと着替え、一階へ降りて朝食をとり、学校へ行く。
いつも通りの代わり映えしない毎日だ。
けれど、今日は違っていた。度胆を抜くような出来事が起きるなんて、この時の俺は知る由も無かった。


帰宅部の俺は放課後になるとさっさと家に帰る。
たまに友人たちに誘われて寄り道をする事もあるが、今日は特に用事も無かったので、真っ直ぐ家に足を進める。
真冬だから日が出ている時間は短く、あっという間に夕焼けが空に広がっていく。
マフラーに顔を半分ほど埋めながら体を縮め、速足で道を進む。
やがて角を曲がると自宅が見えてくる。両親は共働きで、夜にならないと帰ってこない。家の鍵を開けるのは俺の役目だ。
鞄の中に手を入れ鍵を探しつつ、歩を進めたのだが……

自宅の前に男性が立っていた。和装に身を包んだ男性が。
今どき珍しいってレベルじゃない、和装。濃灰色の帽子と黒い和服、それに黒い手袋に黒い鞄。
マフラーの色だけが白く、なんだか喪服みたいな感じのカラーリングだな、と思ってしまった。
俺が近づいたのに気付いた男性が、ちらりとこちらを見た。
真っ黒な髪の毛と真っ赤な目、蝋みたいに白い顔。髪は癖が強いみたいで、ぴょんぴょん跳ねている。

…やべぇ、結構怖い。幽霊じゃないよな?

背中につぅ…と冷や汗が垂れる感覚がした。
何か御用ですか、と口を開こうとしたら、向こうが先に口を開いた。

「雨助氏の家はここかな」

雨助(うすけ)、それはじいちゃんの名前だ。
産まれた時に大雨が降っていて、それで雨助って名前になったらしい。
ちなみに父さんの名前は雷蔵(らいぞう)。そして俺が晴彦(はるひこ)。
父さんと俺の名前はともかく、じいちゃんの名前はかなり珍しいと思う。
そのじいちゃんの名前を知っているって、一体何者なんだろう。

「そうですけど、貴方は?」
「…煙管、と言えば分かってもらえるかと」

煙管!ということは…

「…もしかして、じいちゃんの言ってた友達の…?」
「あぁ、私は彼の孫で、ビコという者だよ」

なるほど!「あいつ」のお孫さんだったのか!じいちゃんの名前を知っていたのもこれでつじつまが合う。
妙な感動を覚えつつ、すぐに家の鍵を開け「あいつ」のお孫さんを家に招く。
とりあえずリビングのソファに座ってもらって、お茶っ葉を急須に入れてポットのお湯を注ぐ。
戸棚から二人分の湯のみを出して急須と一緒にお盆に乗せ、机に置いた。
そろそろいいか、と思いつつお茶を注ぐ。

…お、茶柱。

茶柱が立った方の湯のみをお孫さんに渡す。

「どうも」

ずず、とお茶を啜れば、冷えた体が途端に暖かくなっていく。
それにしても、和服のせいだろうか、なんか時代から浮いてるというかなんというか。
若い人の中にも職業柄や家柄で普段の格好も和服って人は居るっちゃ居るんだろうけど、俺は初めて見た。
珍しくてついついお孫さんをガン見してしまっていたようだ。

「…なにか?」

やべぇ気づかれた!!

「あ、いや、若くて和服の人ってなんか珍しいなと思って…」
「あぁ、私は除霊師をやっているから、この格好が普通なんだよ」
「ジョレイシ?」
「悪霊を退治したり、成仏させたりする仕事」

…なんか怪しいな。

「…今、怪しいと思っただろう」
「うぇ!?思ってないっすよ!?」
「いや、怪しいと思って当然だよ。別に気にしてないから気に病む必要は無いよ」
「…なんかすんません」

やべぇ気まずい。超気まずい。
いやだってテレビの心霊特集とか見るけど大体怪しい感じだし…
でも目の前のお孫さんはなんか本物っぽい。なんとなくだけど。

「…ところで、雨助氏は?」
「えっ、あ、じいちゃんは俺が小学生、えぇと…10歳の時に死にました」
「……。」
「……。」
「…7年前、か…」
「…ハイ…」
「もう少し早く来るべきだったかな、こちらも忙しくて、気づけば半世紀以上が過ぎててね。家の場所は変わってたし」
「あ、戦争でじいちゃんの実家が焼けて違うとこに建てたって…」
「戦争が終わって暫くしてから雨助氏の家があった場所に行ってみたけれど、そこは空き地になっていた」
「はい」

お互い無念だったろうな。じいちゃんは「あいつ」が来るのを待ってたけど「あいつ」は来れなくて。
じいちゃんはじいちゃんで「あいつ」の家を知らないから探しようが無かったし。

「……あっ!あの、俺、煙管探してきます!!多分押入れにあったと思うんで!!」

なんとなく重苦しい空気に耐えられなくて、強制的に話を変えてみた。

「あぁ、是非」

そう言うとお孫さんは再び湯呑みに口をつけ、お茶を啜り始めた。
俺は一階和室…じいちゃんの部屋だったところの押し入れを漁る。
いくつかの段ボールがピッタリとしまわれていて、どれにどんなものが入っているのかは正直、分からない。

…とりあえず総当たりで開けていくか。

手前の段ボールを開け、中身をざっと見通してみる。
木の箱はいくつかあったのだが、いざ開けてみると中身は陶芸品だったりよく分からないものだったりで
肝心の煙管は見つからなかった。じいちゃん、結構色んなモン持ってたんだな…。
出来ればもう少し見ていたかったが、今すべきことはそれじゃない。
煙管を見つけて、お孫さんに渡して、それからすればいい事だ。
気持ちを切り替えて次の段ボールを開けてみる。
中には数冊の本と、紫色の風呂敷に包まれた…

「あった!!」

風呂敷を解くと見覚えのある細長い木の箱。箱には特に目立つ傷も見られなかった。
そうっと箱を開けてみた。中から出てきたのは、じいちゃんが大事にしていた黒色と銀色の煙管。
じいちゃんが死んでから手入れされていなかった煙管だが、一切の劣化は見られず、思わず安堵の溜息が漏れた。

「あぁ、それだね」
「ひぇっ!!?」

いきなり後ろから声をかけられて肩が大きく跳ねてしまう。
振り返るとお孫さんが後ろから覗き込むように立っていた。
あの、ぶっちゃけ逆光でものすげー怖いです。というか気配薄すぎだろ!マジでビビったわ!!

「驚かすつもりは無かったんだけど」
「いや、俺の方こそ時間かかっちゃってすいませんでした。これで合ってますよね?」

詫びを入れつつ煙管の箱を見せる。
お孫さんはそれを受け取って、煙管を手に取った。
色んな角度から煙管を眺め、お孫さんは微かに笑った。

…お、初めて笑った。

お孫さんは煙管を再び丁寧に箱に戻すと風呂敷に包み直した。
俺は1つだけ聞こうと思っていた事を聞いてみることにする。

「じゃあ、約束通りこれは貰っていくよ」
「はい、どうぞ。…ところで、1ついいっすか?」
「何かな」
「その煙管ってどういう経緯で渡すことになったんですか?」

とりあえず、気になっていたこと。
どうしてじいちゃんは「あいつ」に煙管を渡すことになったのか。
恩がある、とは言っていたけれど、それはどういう恩なのか。

「あぁ、それはね」

笑いを堪えたような様子でお孫さんは理由を話し出す。

「雨助氏が賭博好きだったって事はご存知かな」
「あ、はい。よくじいちゃんが笑いながら言ってました」
「なら話は早いね。簡単に言うと、雨助氏がイカサマを仕掛けられてね、そこを気まぐれで助けたんだよ」
「え、えぇー……」

なんかちょっとガッカリだよ…じいちゃん、何やってんだよ…。

「結構危ない相手だったからね。下手したら身ぐるみ剥がされてたんじゃないかな」
「恩がある、とは言ってたけどそんな理由とは思ってなかったっす…」
「まぁ、そういう流れでこの煙管はお礼にこちらへ譲る、って約束になっていたわけ。分かってくれたかな」
「あぁ、はい…もう痛いくらい分かりました…」

この瞬間、俺は将来大人になっても絶対賭博だけには手を出さない事を誓った。

「じゃあ、私はこの辺で」
「え、もう帰っちゃうんすか?」
「まぁ、長居する理由も無いからね」
「…そっすか。…あの…」
「煙管は大事にするから心配することは無いよ」

おお、見透かされてる。いや、俺が分かりやすいだけか?
お孫さんは鞄と風呂敷を携え、玄関扉を開けて出て行った。恐らくもう二度と会うことは無いのだろう。
なんとなく、なんとなくだけどそんな予感がした。もうここに来る理由は無いし、約束は果たされたから。

「…あの、さよなら」
「さよなら」


お孫さんが帰ったあと、俺は散らかしてしまったダンボールの中身を整理するために腰を下ろした。
さっきは煙管の箱を探すのに集中していて他の物を見ている余裕は無かったけれど、
よくよく見れば他の箱に混じって二冊の書物があるのに気が付いた。
どうやら片方はアルバム、もう片方は日記のようで、日記の方は表紙にじいちゃんの名前が書かれていた。
まずはアルバムを開いてみる。茶色くなった紙と茶色くなったセロテープ、そして白黒、セピア色の写真。

"雨助 誕生。両親と"
"雨助 七五三。両親、祖父母と"

写真の下には丁寧に写っている人物名、状況が書かれていた。鉛筆で書いた為か、
ところどころ掠れた箇所はあるものの、読めない事は無い。
ページをめくるごとに赤ん坊だったじいちゃんが成長していく。若いころのじいちゃん、イケメンだな。
アルバムの写真はじいちゃんが成人したところで終わっていた。恐らく戦争が始まり、
写真を撮っている暇が無くなったからだろう。

アルバムを早々に閉じ、次は日記に手を伸ばす。こちらも当然、紙は茶色く変色し、古書独特の香りがした。
日記はじいちゃんが丁度やんちゃ盛りで賭博場に足を運び始める少し前から書かれたもののようだった。
日によって数行以上書かれていたり、何も無かったであろう日は一行で終わっている日もあった。
そして特にとりとめの無い内容が続く中、ついに賭博場に関する記述を見つけた。


"×月○日 良い賭博場を見つけた。何より場内の雰囲気が好みだ。"

"×月△日 驚く程強い奴を見つけた。5戦ほどやってみたが全敗した。次は勝つ。"

"×月□日 あいつは強い。今日も勝てず。如何様を働いている様子は無い。"

"×月×日 あいつは賭博に関してはとんだ悪童だが、実際話してみると筋の通った奴だった。面白い、気に行った。"

"×月●日 賭博場の近くにある居酒屋であいつと酒を酌み交わした。あいつは意外と冗談好き。"


この「あいつ」についてだが、名前は書かれておらず全て「あいつ」と書かれていた。
妙だとは思ったが、じいちゃんの楽しそうな文体に意識を引っ張られ、特に意識することも無く読み進めていく。
読み進めるごとに「友人になった」「酒を酌み交わした」など親しくなっていく様子が見てとれる。
イカサマに引っかかった事は一切書かれてなかったけど。そりゃそうだよな、恥ずかしいし。

そして次のページにあったのは、日付の無い文章。

"戦争が 始まった"

「あいつ」と別れてしまうきっかけになった出来事、戦争。
その文章以降、日記は途切れていた。次のページに書かれてはいないのか、と紙をめくってみた。

そこにあった、のは。





セロテープで四隅を貼りつけられた男性の写真。それを見た瞬間、さぁっと血の気が引いた。

「……うそ、だろ?」

何故なら、そこに写っていたのは。

先程訪れたお孫さんと瓜二つの男性だったから。いや、瓜二つってレベルじゃない。
いくら血縁の者だと言ってもここまでそっくり、いや、むしろ同じ顔だなんて。
おまけに着ている服、帽子、マフラー、髪の毛の癖まで同じ。ここまで似ているだなんて、正直有り得ない。

…一体、あの人は。

もう一度よくよくそのページを見てみると、ほとんど掠れてはいたがとある二文字が見てとれた。
写真の下部分、例によって鉛筆で書かれたその文字は。



"尾狐"



『私は彼の孫で、ビコという者だよ』



お孫さんが名乗った名前と同じ名前……
お孫さんと「あいつ」は一体何者なんだ………?
ぐるぐるとした思考は一向に纏まってくれず、俺の意識は完璧にその1枚の写真に呑まれたままだった。


日が沈んでから帰宅した両親がじいちゃんの部屋で段ボールの中身を散らかして
日記を開いたまま固まっている俺を発見し、何散らかしてんの!と母さんに叱られて、
お、またえらく懐かしいものを引っ張り出してきたな、と父さんに笑われて。
そこでようやく意識が明瞭になった。まるで夢から覚めた後のような、ぼんやりとした感じ。

この写真の人と同じ人が来たよ、と両親に伝えようとしたのだが、やめた。どうせ信じて貰えないだろうから。
その代わり、じいちゃんの昔の友人のお孫さんが来て煙管を渡しておいたよ、とだけ伝えておいた。
それを聞いた母さんは

「まぁ、ようやく約束が果たされたのね。お義父さん、その煙管をとても大事にしていたから」

と安堵し、父さんは

「そうか、それは良かった。でもお孫さん、よくこの場所を見つけたなー」

と驚き半分、嬉しさ半分と言った感じで話していた。
その後は散らかしてしまった物たちを段ボールにきちんとしまって、押入れに再び押し込んで、
晩御飯を食べて、お風呂に入って、それから自室に戻り、パソコンを開いてとあるキーワードを検索してみた。

「尾狐」

と。

すると出てきたのは「九尾の狐」の項目。
九尾の狐くらい俺だって知ってる。色んな作品に出ている有名な大妖怪。
でも、まさかそんな。幽霊よりも信じられない話だ。妖怪が実在するだなんて。
そこで俺は、お孫さんの言葉をふいに思い出した。

『もう少し早く来るべきだったかな、こちらも忙しくて、気づけば半世紀以上が過ぎててね。家の場所は変わってたし』
『戦争が終わって暫くしてから雨助氏の家があった場所に行ってみたけれど、そこは空き地になっていた』
『なら話は早いね。簡単に言うと、雨助氏がイカサマを仕掛けられてね、そこを気まぐれで助けたんだよ』

あれはてっきり彼の祖父、つまり「あいつ」が言っていた事を聞かされていたのだと思っていた。
けれど、彼が言った事をよくよく考えれば、まるで自分が体験したような言い方だった。
お孫さんは、まぎれもなく「あいつ」自身だったのだ。
「あいつ」は九尾の狐。永遠とも言える長寿の妖怪。だから見た目も当時から一切変わっていなかった。
じいちゃんは彼が妖怪だったって事に気づいていたのだろうか。

いや、人間だろうが妖怪だろうがどうでもいい。彼は悪い人じゃあない。
何せじいちゃんの大切な友達だったんだから。それだけ分かっていれば十分だ。
煙管も大事にすると言ってくれていたし。

なんだか今でも信じられないけれど、これは紛れもなく実際に起こったことで、
これから先、多分死ぬまで忘れられない出来事になるだろう。

じいちゃん、約束は守ったけどすげえ爆弾置いてってくれたな。
頭の中に、あのニカッとした笑顔が浮かんだ。
週末になったら墓まで行って愚痴ってやるから覚悟しとけよ。

俺はそう独りごちて、パソコンの電源を切り、ベッドに入った。
多分、これからはあの夢も見ないだろう。目を閉じると、溶けるように意識は闇の中へと落ちて行った。






――ここは、数えきれないくらい程そびえ立った鳥居の先にある大屋敷。

丑の刻が少し過ぎた頃、月明かりを浴びながら縁側に一人座る男が居た。
黒い和装に身を包み、頭には獣の耳、そしてふんわりと伸びる九本の尻尾。
千年を生きた、天狐と呼ばれる大妖怪。妖狐の頂点に立つ存在。
彼の名前はスキビコ。ちなみに本名では無く、真名は別にある。
そんな彼の手元には1本の煙管。今日、受け取ったものだ。

数十年前、気まぐれに賭博場へ顔を出した時に出会った1人の人間とその煙管を巡る約束をした。
自分にいくら負かされても必死で食らいついてきたその若造が何とも可笑しくて、興味を持った。
そんなある日、彼がイカサマ賭博に引っかかり、身包みを剥がされそうになっていた。
普段なら躊躇なく見捨てるところなのだが、気まぐれで彼の肩を持った。
当然、矛先はこちらにも向いてきたが、それなら賭けで決めないか、と提案した。
あちらは当然乗ってくる。如何様には如何様で返せばいい。
自分に金を全て毟り取られた輩たちが逃げるように店を出て行ったのは、数十分後。

『はっは!あんた、やっぱ強ぇなあ!いやぁ、本当に助かった!ありがとうな!!』
『ほんの気まぐれだよ、暇つぶしさ』
『いや、それでも俺はあんたに恩を返さなきゃ気が済まねえんだ、何か礼は出来ねぇかな』
『…なら、その煙管が欲しい』

賭博場で見かける度に使っていたその煙管。この男の一番大切なもの。流石にそれを譲るとは言い出すまい。

『これか?いいぜ!親父から貰ったモンだけどな、大事にしてくれるんならあんたにやるよ』
『…本気で言ってるのか?』
『当たり前だろ!それともなんだよ、やっぱり金の方がいいのか?』
『…いや、その煙管がいい。だが今じゃなくていい。お前が死ぬ間際でいいさ』
『おいおい、不吉な事言うなよ!でも分かった。俺が死ぬ間際になったらお前にこれをやる。約束だ』

驚いた。まさか宝物のように扱っている物をあっさりと差し出すとは。
大抵の人間は自分の一番大切なものを中々手放そうとはしないのだが、この男は違った。
からからと笑う彼は竹を割ったような性格と言えばいいのか、はたまた無鉄砲なのか。
だが腹に黒いものを抱えていない彼の人柄が気に行った。
それから先、何度か会ううちに酒を酌み交わすようになり、友人と呼べる間柄になった。
賭博に対する姿勢から、彼は自分を「悪童」と呼び、自分は彼を「うつけ」と呼んだ。
無鉄砲で向こう見ず、負けても笑っている。「雨助」という名前に掛けて、そう呼んだ。

『はは、今日も勝てなかったか。流石悪童だ、容赦も糞もねぇ!』
『賭博で容赦なんてする方が馬鹿だろう、相変わらずのうつけっぷりだな』
『ちげぇねえ!!けれどお前、本当に強いよな!何かコツでもあるのか?』
『お前が分かりやすいだけだよ、表情に出てるんだよお前は』
『そうなのか!?なら今度は面でもつけてやってみるか!』 

数十年前に交わした会話だ。結局彼が自分に勝つことは無かった。
けれど、確かにお互い楽しんでいたのだ。
暫くして戦争が始まり、娯楽は禁止され、賭博場は当然の如く閉鎖した。
彼は戦争へ行き、自分はこの屋敷に戻り。
戦争が終わってから暫くして彼の家があった場所へ行ってみたが、傷痕は想像以上に酷く、そこには家自体、無かった。

無駄に長く生きて数々の戦を見てきたが、人間というものはよく分からないものだ。
自分達が作り出した技術で傷つけあい、自らの首を絞めていく。
だが、一方でその技術を良い方向に活用する者が沢山居るのも事実。

…正直、自分は人間が割と好きな部類なのかもしれない。
妖狐は基本的に人間に対しては否定的な考えを持つ者が多い。
人間の嫁を娶る、もしくは人間の元へ嫁入りする、などと言えば親族、酷い時には種族中が騒然としたものだ。
現代となっては人間と婚姻を結ぶものもちらほら増え、昔のような否定的な考えを持つ者も減ってはいるが。

どうも静かな夜になると感傷的になってしまっていけないな。

除霊師としての仕事や半ば無理矢理に弟子入りしてくる妖狐達の統率をしていたら、思っていた以上に時が過ぎていた。
気付けばあれから半世紀以上が経過しており、ようやく見つけた彼の家へ行けば、彼は7年前に死んでいた。
だが、彼は自分との思い出を思った以上に大切にしていたようだ。
この煙管も、劣化せず当時のまま、輝きを保っている。

あらかじめ用意しておいた刻み煙草を丸め、雁首に入れて火を点ける。
ゆっくりと煙を吸えば、あの賭博場の香りが漂ってくる。
あぁ、この香りだ。


―ひた、ひた。


ふと、鳥居の方から足音がする。
月明かりの光だけが照らしている先に見えるのは。


悪童!
うつけ。


半世紀以上前に出会い、そして別れ、7年前に死んだ、彼だ。

「…来たのか」
『お前の家、こんなでけぇ屋敷だったのかよ!すごすぎだろ!!』

無鉄砲で向こう見ず、竹を割ったような性格の、うつけもの。
死ぬ間際の姿では無く、出会った当時の姿で。

『というかお前、妖怪だったのかよ!しかも九尾ときたもんだ!!』
「今更か、遅いんだよ」
『なんだよ、気づいてほしかったのか?』
「いや、別に。仮名ではあるがわざわざ名前まで伝えていたのに怪しむ事もしなかったのか、と思っただけだ」
『あ?尾狐って名前か?そこまで気にしてなかったし、別にお前が妖怪でも良かったし』
「お前のそういう変に真っ直ぐなところは好ましいよ」
『だろ?…で、その煙管、晴彦はちゃんと渡してくれたんだな』
「あぁ、お前の孫か。まぁ良くも悪くも今の時代の子供、という印象かな」
『俺に似て二枚目だったろ?』
「……」
『いやそこは反応しろよ、悪童さんよ』
「強いて言えばお前に似て考えている事がすぐ顔に出るところが面白かったな」
『そこかよ!』

久方ぶりに会話を交わす。月明かりの下、九尾と幽霊が。

「…にしても、よくここが分かったな。普通の霊ならまず通れないところだが」
『あぁ、晴彦がお前に煙管を渡した気配を感じて気合いで来た』
「…分かりやすい説明で助かるよ」
『なんやかんやで息子と孫まで巻き込んじまった約束だからな。せめて結果は知りたいって思うだろ?』
「まぁ、分からなくは無いよ」
『つーか、久々に会えたのに反応薄すぎだろ!もうちょっと喜んでくれよ!』
「…お前、私が満面の笑みで再会を喜んでいる様子が見たいのか」
『……すまん、気味悪いわ』
「だろうな」

そう告げると、廊下の角から童が熱燗の乗った盆を乗せて歩いてくる。
三本の尾を持つその童は、弟子入りしてきた妖狐のうちの1匹だ。
無理矢理弟子入りしてきた者たちは、なんやかんやで自主的に屋敷内の管理や掃除をこなしている。
役に立つのでそのまま放置しているような状態だが、最近は数が増え、スキ代には

「なんか任侠映画みたいですね~!弟子っていうか舎弟っていうか!」

とよく分からない感想を告げられた。解せぬ。

『お、気がきく奴だな!酒なんて久しぶりだよ』
「だろうな」

童は盆を置くと頭を下げ、元来た廊下を戻って行った。

『流石は天下の大妖怪様、ってか?』
「今すぐ消滅させてやろうか?」
『やめろ!成仏って言わねぇあたりがお前らしいわ』

冬の夜ともあり、空気は冷え、星がよく綺麗に見える。
熱燗の暖かさがじんわりと体に滲み渡っていく。

『っっかぁー!!うめえ!!』

賭博の後に立ち寄った居酒屋で呑んだ時と同じ反応。
あぁ、懐かしい。

『この酒うめえな!死ぬ前に呑みたかったよ』
「相変わらずの酒好きだな。死因はそれ絡みか?」
『いや、心臓発作』
「へぇ」
『まぁ楽に死ねたから良かったさ』
「確かにな」

呑んで、無くなったら注いで、そして呑む、の繰り返し。

『ところでよ、その煙管だが』
「何だ」
『いいモンだろ。ちゃんと手入れも欠かさなかったんだぜ』
「見れば分かる」
『なんだよ反応薄いな。でも俺が死んでからは雷蔵も晴彦も手入れなんてしねぇから少し焦ったんだぜ』
「それは仕方がないだろう、煙管なんて今時吸っている人間も少ないからな」
『いいモンなのにな。勿体ねぇ話だよ』
「これからは私が使うんだ、そう邪険には扱わないさ」
『おっ、言ったな!なら約束だ、一生大事にしてくれよ!』
「当然だろう。半世紀以上も待ったのだから」
『はは、ホントすまねぇな、待たせすぎちまったな』
「いや、待つのも楽しかったさ」

半世紀程度など、今まで生きてきた時間を考えれば一瞬のようなものだ。自分にとっては。
今まで色々な事があった。それこそ数えきれないほど沢山の事が。
あと何年ほど生きれば、この男との思い出は底に埋もれてしまうのだろう。

「…ところで、久々にやるか」
『お?』

そう彼に告げて、袖から出したのは株札の入った箱。
賭博場で行った遊戯の中でも彼が好きだったのは「おいちょかぶ」。
現代では花札やトランプで代用する場合が多いが、ここはやはり株札だろう。

『おぉ、いいねぇ!今度こそ1勝くらいもぎ取りたいもんだな』
「お前には無理だろう」
『言ってくれるな!とりあえずやろうぜ!』
「あぁ」


数十年ぶりの遊戯。
空に雲はあらず、月の光が明るいため、照明を用意せずともよく見える。
そして相変わらず表情に出やすい彼の戦い方。
誰を相手にしても、どんな遊戯でも、勝っても負けてもからからと笑う。
だから言っただろう、お前はうつけだと。

数十年ぶりの遊戯。
空に雲はあらず、月の光が明るいから、照明が無くてもよく見える。
そして相変わらず鉄仮面ぷりで一切読めないこいつの戦い方。
誰を相手にしても、どんな遊戯でも完膚無きまでに叩き潰す。
だから言っただろう、お前は悪童だと。


かなりの時間が経過し、寅の刻が過ぎた頃。

『結局勝てなかったな、あークソ、本気で悔しい』
「お前が本気で悔しがるとは珍しいな」
『そりゃ悔しいさ。結局最後まで勝てなかったんだからよ』
「金を賭けてなくて良かったな」
『はは、全くだ!!』

悔しいと言いつつ豪快に笑う彼はやはり全く変わっていない。
うつけもうつけ。大うつけだ。
だが、そんな彼だから面白いのだ。こうでなくてはここまで親しい仲にはならなかっただろう。
最近珍しい、腹に何も抱えていない人間。
だが、そんな彼との関わりももう終わりだ。終わりが、来る。

『お前と居るとやっぱ楽しいわ。でもそろそろ行かねぇと』
「あぁ、さっさと行け」
『なんだよ冷てぇな。もうちょっと寂しがってくれよ』
「これでも寂しいとは思っているんだよ、お前が表に感情を出し過ぎなんだ」
『へーへー、お前は相変わらずの鉄仮面ぷりだな』
「長く生きてると誰だってそうなるさ」
『そういうモンか?』
「そういうモンだ」
『ふーん…』
「なんだよ」
『いや、まぁ最後にお前に会えて良かったよ』
「私もだよ」
『ホントか?』
「こればかりは本音だよ」
『なら、ちゃんと約束守ってくれよ!』
「あぁ、分かってるさ」
『じゃあな!また会えたら会おうな!』

また会えたら、か。

「私はずっとここに居るから、入口を見つけられたら会いに来い。上等な酒くらい用意してやるから」
『はは、じゃあ今日みたいに気合い入れて見つけ出さないとな!』

そう言って彼は再び鳥居へと歩いて行く。死者である彼が進むあの先にあるのは、冥土だ。
また会えたら、とは言ったが、もう二度と会う事は無い。
彼との関係は、ここで終わりなのだ。

一夜限りの再会と別れ。
再び煙管に葉を詰めて、火を点ける。煙は空に透けて呆気なく消えていく。
まるで、彼の存在のように。






やがて日が昇る。此処に残るのは、空になった徳利と盃、そして散らばったままの株札。
冬の朝独特の、澄んだ空気。太陽に照らされた鳥居には、もう何の気配も無い。



『おっ、言ったな!なら約束だ、一生大事にしてくれよ!』



おい、うつけ。お前が驚くほど長く使ってやるからな。覚悟しておけよ。





添付ファイル