何のための人生でありたいか?

私は最後にもうなんの悔いもないと思えるような人生を送りたいと思います。何の目的もなくだらだら過ごしていくのではなく目的を持って生きていきたいです。なのでやりたい、やってみたいと思うことはなんでもやってみたりして、死ぬときにああ、こんなことをやりたっかった、やっておけばよかったと後悔しないようにしたいです。

私を必要としてくれる人のため。と言いたいですが、結局はやはり自分のためです。悔いは残したくないし、できることはやりきりたいという欲があります。
今回の心の自立の感想と被ってしまうのですが、苦労は進んで買って、天命というものに出会い、中身の濃い人生を送りたいです。でも、自分のための人生だからといって、周りの人たちとの関係は無駄にはしません。変わらずに、むしろ今以上に大切にしていきます。



このことを考えた時、やっぱり自分のための人生にしたいと思いました。いろんな経験をしていろんなことを学んでいろんなことをしていけるような人生がいいなと思いました。そういう人生にするためには周りの人たちの力も必要です。こういうことを考える機会がなかなかないので周りの人達の大切さが改めて分かりました。なので周りのひとたちに感謝の気持ちも忘れないでいきたいなともおもいました。そうすれば一度きりの人生を楽しめる気が私はしました。

記入してみて分かったことは、自分から興味をもって行動するというより、周りの人・物からの影響を大きく受けているということです。普段から「人に影響されやすいなぁ」とは感じていたのですが、これをやってみて再確認しました。小学生のころから今に至るまでになりたいと思った職業には「絵や映像関係」という共通点がありました。仕事をするなら好きなことをやりたいというのが本音です。自分で「デザイナーが天職だ」と胸を張って言えるほど自信はないし、グラフィックデザインの仕事をしたい!雑誌編集の仕事に就きたい!というような具体的な部分もまだ不安定ですが、やはり私は絵に関係のある仕事がしたいと思いました。



今現在、わたしはやっぱり自分のための人生でありたいと思います。最近は学校(の課題)や好きなアイドル、アニメなどでいっぱいいっぱいで、誰かのための人生なんて思ってる余裕は正直あまりないです。でも、これから少しずつ自分に余裕が出来たら、「誰か」のための人生と思えるようになれたらいいなと思います、それは社会であったり、親や友人、もしくは恋人だったり。また、後悔しないような人生を送りたいと思います。あの時ああしておけばよかった、と後悔したことが今まででもたくさんあります。もしも後悔するとしても自分の最善を尽くして、それからダメだったらダメって思うようにしたいです。これから先あまり後悔しないように、少しでもその事に怯まず挑んでいきたいです。


私は親孝行をするための人生なのかなと思いました。生まれてから今まで育ててもらっているので、それを返すためなんだと思います。また、そのために自分が成長していくための人生なんだろうか、とも考えました。そうやって考えていくと自分のために生きているんだという結論に至りました。今は自分のことで精一杯ですが、人のこともしっかり考えられるような余裕のある人間になっていきたいです。

悔いが残らない人生にしたいです。そのためには、自分のしたいことを我慢しない人生でありたいです。親孝行もしたいです。今まで苦労かけてたし、学校を卒業したら就職していろいろやってあげたいです。



私は自分があまり好きではありません…。低血圧で、嫉妬心みたいな自分勝手な感情であふれる自分の気持ちが本当に嫌で仕方ないのです。こんな自分を簡単には治せないかもしれないけれど、もし、こんな自分を少しでも変えられるならもっと広い心を持って周りの人たちに接していけるようになりたいです。何が言いたいのかというと、つまりはこんな私でも誰か他人のために何かできることがあるのなら、今学習しているデザイナーとしての学力を使って役に立てたらと考えています。今、東日本大震災で苦しんでいたり、困っている人たちがたくさんいます。東日本大震災の影響は幅広く、福島原発の放射線問題や、外国から見た日本の印象もだいぶ変わってきてしまったものもあると思います。風評被害の影響で受け入れてもらえなくなってしまった農家の野菜も数多くあると思います。そんな困った方々のために少しでも私の力が役に立つなら、その人たちのために全力で力を注いで行きたいと思っています。まだまだ勉強することは多いけれど、これからあと2年間、デザイナーとしてしっかりやっていけるように頑張りたいと思います。

思い返してみて、良い人生だったと思えるような人生でありたいと思っています。後悔もなく、何かをやり遂げ、大きな目標に向かって生きる、そんな良い人生がおくれるか?と言われたら自信がありません。けれど、有意義な毎日の積み重ねが良い人生につながっていくと思っています。一日一日を大切にしたいです。


人だったり社会に影響を与えられるような生き方をしたいです。デザインを通して思いだったりなにかを伝えることができたら素晴らしいと思うし、それが志になるのではないかと思います。しかし、結局のところ僕の人生なので自分のための人生になってしまうと思います。でも自分のためになると同時にデザインで誰かの気持ちだったり、誰かの考えだったりを変えることができたのなら、それはもう自分のためだけの人生ではなくなると思います。きっと、これから成長していく中で「何のため」は変わっていくのかなぁと思います。

一度きりしかない人生ですから損をする人生は誰だって嫌だと思います。なんのための人生でありたいか、それは生きていく上での課題だと思うし、これからも問われ続けられると思います。答えるならやはり私は後悔しない良い人生を歩みたいです。そのためには努力や苦労は必要だと思いました。そして前の質問の大きく持った志も必要ですね。今こうして少しずつ積み重ねていけばきっと楽しい人生が未来で待っているんだと思いました。

今まで仕事をしてきての人生を振り返らず今の気持ちを言うのであれば何かを社会的に残せるような生き方をしたい。今までは形ある物を設計図・作り方などが分かるものを作成・制作していたが
これからは自分自身のアイデア・考えで物を創っていくと思います。自分自身もう一度周りを見直し何が必要か?何が必要じゃないか?見極めながらもう一度人生を構築していきたい。又、一番に親に迷惑をたくさんかけたため自分の子供が親の自慢になれるようにもなりたいです。

私は最初この文を読んで「自分のための人生」と思いました。きっと一度は誰でもそう思うのではないでしょうか。「誰かのための人生」「何かのための人生」でも良いのかもしれませんが、自分を犠牲にしてまで誰かのために生きなくてもいいんじゃないかと、突拍子もないですが、そう思いました。自分を大切に出来なければ、誰も大切に出来ないと思います。だから、私は誰かのための人生とは言えないけれど私を支えてくれる人たちを大切にしながら生きていきたいと、そういう人生でありたいと思いました。

突然ですが、「自分で望んで生まれてきたわけではない」ということは誰しも同じことだと思います。でもせっかく生まれてきてしまったのだからまずは自分のための人生でありたいと私は思います。ですが、自分がやりたいことをすることが出来るのは自分の家族や、友達という周りの人たちの支えがあってこそだと思います。わたしは自分のことだけ考えて生きていきたくはないので周りの人に感謝し、恩返していける人生でありたいと思います。

私は「何のための人生でありたいか?」ということを考えて、「自分」のためにプラスになることを行なうための人生でありたいとも考え、「自分以外の人」にとってなにかプラスになることを行うための人生でありたいとも考えた。しかし、「自分」のためにプラスになることを行なう人生についてはきっと将来こうなりたいからこういう事をしておこう。など「自分」にとってプラスになるか分からないし、正解かどうか分からないが「自分」のためにプラスになることを行なう人生について考えることができる。しかし、「自分以外の人」のためにプラスなることを行うための人生については「自分以外」の人のためにプラスになることがどういうことか今も将来も考えることが出来ないかもしれない。が、今は「自分」のために将来プラスになることかもしれないことを見つけながら過ごし、途中から「自分以外」の人のためにプラスになることを行なうための人生でありたいと思う。

今回の課題は、「何のための人生でいたいか?」です。余談ですが、「何のため」というフレーズを聞いてると、アンパンマンのオープニングの歌詞を思い出しますね。「何のために生まれて、何をして生きるのか」。大人になってから聴くと結構深い意味ですね。ある本の主人公は、「私は人に出会うために生まれた」とセリフで言ってました。感動しました。そういう風に私も見習って考えてみたいですね。「何のための人生でいたいか?」と、いきなり聞かれてもすぐには答えられないですね。悩んでしまいます。軸から行動が重要だと言っていました。自分がどういう人間なのか、まず長い長い自分探しの旅に出て、やりたいことが見つかれば、それを実現させるために行動に移せ、ということでしょうか。いわば計画遂行ですね。有言実行でもありです。絶対に何年かかっても成し遂げるという強い意志があれば、夢の実現は可能だと思います。


今までの私の人生は常に受け身よりで、自分から攻めていくということがあまりありませんでした。それは自分に自信がないからで、昔の自分は何に対しても積極的だったのに歳を重ねるに連れて周りの人に比べ自分は劣っているのだと塞ぎこむようになりました。私は本当はどうせ一度きりしかない人生なら常に前を向いてガンガン攻め続ける体制でいたいし今の下ばっかり向いている自分が本当に嫌いで嫌いで仕方がないです。なので常に前を向いて歩けるような人生を送れるようにそれ相応の努力をしていかなければならないなと思いました。

何のための人生…「人の役に立つための人生でありたい」なんて、純粋に思えたらいいのだけれど今現在では「自分のための人生でありたい」と思っているのが正直なところです。たった一度きりの人生、いろんな人と出会い、いろんな経験を重ね、自分の好きなことを十分に楽しんで死ぬときに「幸せな人生だったな。思い残すことはなにもないな。」と思えるような人生にしたいですね。すごく都合のいい考えかもしれないけれど、自分の好きなことが相手の役に立ったらいいなとは思ったりします。私は私のやりたいことをやっているだけだけれど、それが相手にとっても幸せだったり。お互いが楽しい人生、みんなが楽しい人生、それが出来たら、こんな世の中にはなっていないんだろうなあ

「人生は一度きり」とよく言うように、できるだけ損をしないように自分のやりたいことをやり、自分に正直な人生を歩んでいきたいと思っています。その中で、相手に親切をしたり、新しいアイデアを出したり、仕事で実績を残したりして、色んな人の記憶に少しでも残るような、また、誰かに少しでも影響できるような人生でありたいと思います。

誰かの役に立つ人生であったら一番いいと思います。でも、わたしは不器用だし要領も悪いため、自分のことで精いっぱいな毎日です。自分のための人生で、自分が死ぬときに幸せだったなあ、と思えるような人生を送りたいと思ってしまいました。でもその過程できっとたくさんの人に出会うと思うし、出会ったたくさんの人たちに何かを残せるような人生を送りたいと思いました。 

せっかく生きているのだから、たった一度きりの人生なのだから、と考えてしまうと、誰のためにと問われればやはり、どうせなら自分のために生きたいです。でもその自分がここに在るのは両親家族の支えあってのことなので、悔いが残らないよう親孝行していきたいと思っています。周りに迷惑をかけずに、自分のやりたいことをし尽くして、最期にはいい人生だったと思えるような人生でありたいと思いました。でもやりたいことをすべてし尽くすためにはきっといろんな人の手助けが必要なこともあるだろうし、100%迷惑かけないで生きることはできないと考えたで、いろんな人たちに何よりも感謝を忘れないで、感謝し続けて生きていきたいと思いました。


自分の人生は何のためでありたいか考えた時、漠然と「人のため」でありたいと思いました。人のためになる前には、自分自身をしっかりもたなければなりません。私は今まで基本的に受け手な生き方で自分からあまり発信的ではありませんでした。自分に自信がなく、周りと比べ、どうせ自分はと諦めることもあります。ですが今回このお題について考えてみて、人のために自分をつっくていきたいと考えています。



ほとんどの人がそうだと思いますが幸せな人生を送りたいです。最後死ぬときに、生まれたことに感謝しながら笑って死ねる。そういう人生でありたいです。しかし、何のための人生かと問われると、言葉に詰まってしまいます。自分のため?社会のため?あるいは大切な誰かのため?考えても、これだという答えが見つかりません。なので「自分が想う全てのもの」のための人生でありたいと言っておきます。意外とこれが適当な答えなのかもしれません。



私は、他の人にとっても「プラス」となるような人生を送れればいいと思います。他人のために役立つことをしてその人にプラスになる。そんなじんせいがいいと感じました。

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最終更新:2012年04月20日 16:14
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