志のある人生

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志のある人生」(2012/04/20 (金) 16:22:31) の最新版変更点

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志のない人が自分中心な考えを持っているということは、志のある人は社会のため、人のためという考えを持っているということなのだろうと考えました。あと一人しか乗れないボートに…という例えがありましたが、志のある人が選ばれ乗せてもらえる理由はその人が社会に貢献し、人のことを考えて生きてきたから選んでもらえたということなのかなと私は思いました。   私はまだ、自分の真の役割に目覚めていません。今のところ費命人生です。社会にとって値打ちのある命だとか、重大な目標だとか、次元が大きくて考えがよくまとまりません。でも、大きな目標があればそれに向かって努力するし、そうすることでいきいきとした人生がおくれるということは分かりました。捉え方は甘いですが、前に考えた「これを達成したら死んでもいい」と思える目標や、デザイナーになりたいという目標など、天命とまでは呼べないのかもしれないのですが、これらの思いを軸に、自分の命を無駄にしないように生きていきたいと思いました。 本を読んで志のある人とない人の人生は相当違うことが分かりました。文中でたとえられていたあと一人しか乗れないボートに志のある人とない人が同時に泳ぎつき力尽きたらどちらが選ばれて乗せてもらえるかというところを読んでやっぱりそれは志のある人ですよね。社会にでてもそれは同じことだと思いました。私は志を持ってそれをやり遂げられるような人生にしたいです。 志をもつということ=自分の真の役割に目覚めることであり、使命を果たす人生になるということ。使う命になるのか、費やす命になるのか。食べて、働いて、寝て、また食べてということをただ繰り返している生物としての人生というのは、何の使命もなく生物的な欲求に追い立てられて、 生きたことは生きたのだけれど命を費やしただけ、という言葉に重みを感じました。重大な目標に向かっている人がそうでない目標に向かってる人、あるいは目標のない人と比べて、ずっとイキイキしているというのは確かにそうだなと思いました。ただ、本文では「重大な目標」「つまらない目標」と比較されていましたが、目標の重大さや価値等は人それぞれなのでは、と思いました。 個々人の個性に応じた、真の役割みたいなものを見つけられれば自分自身の真の志に出会えるのかなと思いました。また、志を持った人はいろんな意味で強いと感じました。まず、社会では優先的に大切にされ、あらゆる岐路で迷わず、運・不運にとらわれず、そして、強い絆の同志が現れる、といったようにさらに志をもつことが良いことかわかった気がしました。 志を持っている人は自分というのは「何か」のための存在だという基本的な認識をもっていて、その中に人生の目的・志を求めた答えが入っていると書いてありました。私はそういうことは考えたときはなかったのでまず、何のための人生か良く考えようと思います。 志とは、人生をうまく行かせるために持っていた方が良いもの。この話を読んでいて私はそう感じました。強い志を持っていれば、生きる目標が出来て前向きに生きていけるということでしょうか…。でも、あと一人しか乗れないボートの例えは、私はあんまり好ましく思えません。「確かにそうかも。」と共感する部分もありますがなんだか志がないって言うだけで値打ちのない命と言われるのはどうかと思います。志がない人が助けを求めているなら、志を持ってもらえるように志のある人が手を差し伸べるのも一つの方法ではないかと私は思います。 目標も持たずに怠惰に生きるのが「費命」だということがわかりました。ただ、「使命人生」というほど大きな生きる目的、使命を見つけるのは難しいように感じました。何か一つの使命のために自分の命を活かそう、と言う考えに至るほど 大切な使命が自分にも見つかると良いなと思いました。志のない人間は自分に甘く、自分のために役に立つものを欲しがる、それ以外はいらないというふうに扱う、とありました。使命を持つ人にとってはこの文章の「自分」が「使命」に変わるのだろうと思いましたが、自分のために役に立つ ものを欲しがってはいけないのか?と疑問です。この本ではよくないように書いてありましたが、私はそうは思いませんでした。自分のため・というのは甘さではなく今、何が必要かをきちんとと考え、取捨選択をしていくのも大事なことだと思うからです。 この感想を書くにあたり、本当に悩みました。ありのままの感想を書けば批判になってしまい、もう一度考えてみてと言われるだろうしだからと言って思ってもないことを感想として書くのは何か違う気がしました。悩んでいてはいつまでも提出できないので、私は私の感じたことを書きます。正しいとか間違いだとかは、とりあえず気にせず書きます。志のある人生 を読んで思ったことは要するに、志があれば人生がうまくいくんだなということです。志があれば、命を無駄なく活かすことができ、迷うこともなくなり、人に流されることもない。社会からの信頼も高まり、必要とされ、自分の人生を全うできるんだろう。逆を言えば、志がない人間は、堕落していくということですよね。そうならないように志を持ち、無駄のない人生を送ろう。ということを言いたいのだと思います。それは納得しましたがどうしても納得できない部分がありました。あと一人しか乗れないボートに、志のある人とない人が同時に泳ぎ着いて力尽きたら…というところです。社会にとって値打ちのある命=志のある人が乗せてもらえて自分が執着しているだけで人にはどうでもいい命=志のない人は乗せてもらえないと…値打ちのある命って何?どうでもいい命って何?言いたいことはわかるけれど、こういう例えはあんまりだと感じてしまいました。正直、今の自分には志がありません。これから先、志を持てるという確信もありません。この本すらも、私にはただの綺麗事や理想論としか思えない部分が多々あります。でも、母に言われました。「お母さんの歳になると、この本の言いたいことがよくわかるよ」と。母は今までずっと、志というようなものを持たずに生きてきたそうでそれを今になって後悔していると言っていました。将来後悔しないように、今この年齢でこの本を読んでいるのか…と思いました。もう少し歳を重ねてからもう一度この本を読んだら、また違う感想が書けるかもしれません。話がまとまらず、長々と書いてしまいました。すいません。 まず最初に志を持つためには何のために生きているのかという事を考える事が大切だと私は思います。ただただ仕事に行って言われた事をしたり、毎日学校があるからただなんとなく行く・・・・・こういった考え方で日々生きていくとなんとなくで人生を終わられる気がします。こういった風にならないためにも日々何の為に生きているのか、行動しているのかを認識しなくてはならない。社会の為に自分はどのように貢献できるのか?と考えるだけで目の前の世界が一変して見える気がします。一つの考え方を少し変えるだけで言葉の意味や見え方が変わると思います。 志のある人生(使命人生)とは、自分というのは「何か」のための存在だという認識を持った人生で、その「何か」の中には人生の目的・志を求めた答えが入っている。そして、志がある人の命は、本人だけのものでなく、人類・社会にとっても価値の高い命になる…ということがわかりました。一方、志のない人生(費命人生)とは、食べて、働いて、寝て、また食べてということをただ繰り返している生物としての人生で、何の使命もなく生物的な欲求に追い立てられて、生きたことは生きたのだけれど命を費やしただけである…ということがわかりました。1人しか乗れないボートに乗せてもらえるのは志のある人で、志のない人は乗せてもらえないというのはリアルな話だなあと思いました。人類全体にとって必要なのは志のある人ですからね…。あと、志のある人は付き合っていて面白い人なんじゃないか?と思いました。「何か」のための存在だという人には、その「何か」の話を振ればいいので、会話が続きやすいと思うんですよ。 本当の志が立つと使命人生、大義貢献、沈着果断、大事大奮、全欲善用、障害超越、快労欣死、一体不滅という8項目に分けられると今回は書かれていました。私は最初の「使命人生」について一番「ああ、なるほど」と思いました。志のない人は一番自分が大切と書かれてあり、それではせっかくの人生が勿体ないのではないかと考えました。大事な命を無駄なく活かす。私は納得のいく人生になるように全力で生きてみたいと思いました。 自分が共感したところは、使命人生と費命人生との比較です。使命果たす人生は、自分でしっかり考えて人生を生きていると思いました。費命人生とは目標や志などを持たないで、ただ毎日を過ごしているように感じました。使命人生か費命人生を選ぶのは自分だと思うので、費命人生にならないようにしたいと思います。 この章では、志が立つとどうなるか8つの項目が出てきていましたが私はまだまだ志が立っていないのだと痛感しました。とくに私は運・不運をどうしても意識してしまいがちなので考え方を変えなければいけないと思いました。個々人の個性に応じた役割を見つければ本当の志に出会える、というようなことが書いてありました。蜂や蟻とは違い、私たちには自由や知性があります。せっかくの人生なのだから、ただ食べて働いて寝てを繰り返すだけの人生にはしたくないなと思いました。 志ですから自分優先ではなく相手を思うのが大切と思います。社会から見ても志がない自分勝手な人はみんなから慕われなくなるし仕事が上手く手に付けないと思いました。私も雇う側でしたら人の為にと志がある方がいいです。それと読んでいると志がある人は失敗を恐れないでどんなに大きな壁があっても前向きに貫いていけるんだと思いました。私はまだ、上手くいくように悪くならないようにと心配してしまうので志がないんだなと思います。恐れないで前に進んでいける人生を辿りたいと思いました。 「志のある人生」は、本当に大切だと思います。志がある人とないひとでは、目の輝きが違うと思います。なにより志を持っている人は、いきいきしているのです。志とは、いわゆる信念みたいなものだから、信念を一生かけて貫くことが、私たちの使命だと思います。何があっても信じれる心があれば、この先どんな困難にぶつかっても、迷いなく最良の道へと進めるのだと思います。そう考えると、志は人にとってなくてはならない必要不可欠な存在でしょう。人それぞれ「自分にとっての志とは何か?」、探し出す人生も悪くないかもしれません。 “何かのために自分の命を活かす”という最初の一行を読んで昨日のサッカーの北朝鮮戦を思いだしました。朝鮮の人は国のために自分の命を犠牲にする、それは他の軍隊でも変わらないのかもしれませんが、そういう人達はきっと国のために自分の命を費やすことで国や救えたら本望という志を抱いて戦っているのだと思います。昔の日本と違い、ある程度自由が利く中で生きてきた私にはその異常なまでの忠誠心を見ていると彼らがとても恐ろしく感じます。 志のある人はただ自分の目標に向かって努力するだけではなく、周りの人や社会の人にも影響を与える人だと思います。志は自分本位ではなく、相手のためになにかしようという意識の方が強いと思うので、志のある人生とは、自分の目標をしっかり持った人がさらに周りの人や社会に対してどうしたらいいのかまで意識することではないだろうか、と思いました。自分のことだけではなく周りの人にも気を配っている人は、やはり他の人にもそのことが伝わりますし、自然と周りに人も集まってきます。私もそういう色んな人に好かれるような人になりたいです。毎日生活していくなかで、自分の個性や役割をしっかり理解して、自分に合った本当の志を見つけたいと思います。 志があるのと志がないのでは大違いである。志を持つことができるというのは人間にしかできないことである。志を見つけるためには自分の役割を理解することが第一なんだ。志を持って生きている人は意志がしっかりとしているだろうから社会的にも恵まれているのだろうかと考えた。自分の憶測にすぎないので、「きっと」としか言えないが・・・。志を持つことで人生や社会を変える可能性がある。私にはこれといった志がないので、これから見つけていこうと思う。 志のある人はなにがあってもポジティブな人だと思います。欲から志へと似ているので同じような感想になってしまいそうです。しかし、まるで小さい志ではいけないように感じでしまいました。私には大きい志はないです・・・・。志は見つけようと意識して見つけるものではないと思うので、小さな志や目標を積み重ねて、この目標と達成したら次、次というふうに人生を送って、そのうちに大きな志が持てたらいいなと思います。 本を読んで志のある人とない人の人生は相当違うことが分かりました。文中でたとえられていたあと一人しか乗れないボートに志のある人とない人が同時に泳ぎつき力尽きたらどちらが選ばれて乗せてもらえるかというところを読んでやっぱりそれは志のある人ですよね。社会にでてもそれは同じことだと思いました。私は志を持ってそれをやり遂げられるような人生にしたいです。
志のない人が自分中心な考えを持っているということは、志のある人は社会のため、人のためという考えを持っているということなのだろうと考えました。あと一人しか乗れないボートに…という例えがありましたが、志のある人が選ばれ乗せてもらえる理由はその人が社会に貢献し、人のことを考えて生きてきたから選んでもらえたということなのかなと私は思いました。   私はまだ、自分の真の役割に目覚めていません。今のところ費命人生です。社会にとって値打ちのある命だとか、重大な目標だとか、次元が大きくて考えがよくまとまりません。でも、大きな目標があればそれに向かって努力するし、そうすることでいきいきとした人生がおくれるということは分かりました。捉え方は甘いですが、前に考えた「これを達成したら死んでもいい」と思える目標や、デザイナーになりたいという目標など、天命とまでは呼べないのかもしれないのですが、これらの思いを軸に、自分の命を無駄にしないように生きていきたいと思いました。 本を読んで志のある人とない人の人生は相当違うことが分かりました。文中でたとえられていたあと一人しか乗れないボートに志のある人とない人が同時に泳ぎつき力尽きたらどちらが選ばれて乗せてもらえるかというところを読んでやっぱりそれは志のある人ですよね。社会にでてもそれは同じことだと思いました。私は志を持ってそれをやり遂げられるような人生にしたいです。 志をもつということ=自分の真の役割に目覚めることであり、使命を果たす人生になるということ。使う命になるのか、費やす命になるのか。食べて、働いて、寝て、また食べてということをただ繰り返している生物としての人生というのは、何の使命もなく生物的な欲求に追い立てられて、 生きたことは生きたのだけれど命を費やしただけ、という言葉に重みを感じました。重大な目標に向かっている人がそうでない目標に向かってる人、あるいは目標のない人と比べて、ずっとイキイキしているというのは確かにそうだなと思いました。ただ、本文では「重大な目標」「つまらない目標」と比較されていましたが、目標の重大さや価値等は人それぞれなのでは、と思いました。 個々人の個性に応じた、真の役割みたいなものを見つけられれば自分自身の真の志に出会えるのかなと思いました。また、志を持った人はいろんな意味で強いと感じました。まず、社会では優先的に大切にされ、あらゆる岐路で迷わず、運・不運にとらわれず、そして、強い絆の同志が現れる、といったようにさらに志をもつことが良いことかわかった気がしました。 志を持っている人は自分というのは「何か」のための存在だという基本的な認識をもっていて、その中に人生の目的・志を求めた答えが入っていると書いてありました。私はそういうことは考えたときはなかったのでまず、何のための人生か良く考えようと思います。 志とは、人生をうまく行かせるために持っていた方が良いもの。この話を読んでいて私はそう感じました。強い志を持っていれば、生きる目標が出来て前向きに生きていけるということでしょうか…。でも、あと一人しか乗れないボートの例えは、私はあんまり好ましく思えません。「確かにそうかも。」と共感する部分もありますがなんだか志がないって言うだけで値打ちのない命と言われるのはどうかと思います。志がない人が助けを求めているなら、志を持ってもらえるように志のある人が手を差し伸べるのも一つの方法ではないかと私は思います。 目標も持たずに怠惰に生きるのが「費命」だということがわかりました。ただ、「使命人生」というほど大きな生きる目的、使命を見つけるのは難しいように感じました。何か一つの使命のために自分の命を活かそう、と言う考えに至るほど 大切な使命が自分にも見つかると良いなと思いました。志のない人間は自分に甘く、自分のために役に立つものを欲しがる、それ以外はいらないというふうに扱う、とありました。使命を持つ人にとってはこの文章の「自分」が「使命」に変わるのだろうと思いましたが、自分のために役に立つ ものを欲しがってはいけないのか?と疑問です。この本ではよくないように書いてありましたが、私はそうは思いませんでした。自分のため・というのは甘さではなく今、何が必要かをきちんとと考え、取捨選択をしていくのも大事なことだと思うからです。 この感想を書くにあたり、本当に悩みました。ありのままの感想を書けば批判になってしまい、もう一度考えてみてと言われるだろうしだからと言って思ってもないことを感想として書くのは何か違う気がしました。悩んでいてはいつまでも提出できないので、私は私の感じたことを書きます。正しいとか間違いだとかは、とりあえず気にせず書きます。志のある人生 を読んで思ったことは要するに、志があれば人生がうまくいくんだなということです。志があれば、命を無駄なく活かすことができ、迷うこともなくなり、人に流されることもない。社会からの信頼も高まり、必要とされ、自分の人生を全うできるんだろう。逆を言えば、志がない人間は、堕落していくということですよね。そうならないように志を持ち、無駄のない人生を送ろう。ということを言いたいのだと思います。それは納得しましたがどうしても納得できない部分がありました。あと一人しか乗れないボートに、志のある人とない人が同時に泳ぎ着いて力尽きたら…というところです。社会にとって値打ちのある命=志のある人が乗せてもらえて自分が執着しているだけで人にはどうでもいい命=志のない人は乗せてもらえないと…値打ちのある命って何?どうでもいい命って何?言いたいことはわかるけれど、こういう例えはあんまりだと感じてしまいました。正直、今の自分には志がありません。これから先、志を持てるという確信もありません。この本すらも、私にはただの綺麗事や理想論としか思えない部分が多々あります。でも、母に言われました。「お母さんの歳になると、この本の言いたいことがよくわかるよ」と。母は今までずっと、志というようなものを持たずに生きてきたそうでそれを今になって後悔していると言っていました。将来後悔しないように、今この年齢でこの本を読んでいるのか…と思いました。もう少し歳を重ねてからもう一度この本を読んだら、また違う感想が書けるかもしれません。話がまとまらず、長々と書いてしまいました。すいません。 まず最初に志を持つためには何のために生きているのかという事を考える事が大切だと私は思います。ただただ仕事に行って言われた事をしたり、毎日学校があるからただなんとなく行く・・・・・こういった考え方で日々生きていくとなんとなくで人生を終わられる気がします。こういった風にならないためにも日々何の為に生きているのか、行動しているのかを認識しなくてはならない。社会の為に自分はどのように貢献できるのか?と考えるだけで目の前の世界が一変して見える気がします。一つの考え方を少し変えるだけで言葉の意味や見え方が変わると思います。 志のある人生(使命人生)とは、自分というのは「何か」のための存在だという認識を持った人生で、その「何か」の中には人生の目的・志を求めた答えが入っている。そして、志がある人の命は、本人だけのものでなく、人類・社会にとっても価値の高い命になる…ということがわかりました。一方、志のない人生(費命人生)とは、食べて、働いて、寝て、また食べてということをただ繰り返している生物としての人生で、何の使命もなく生物的な欲求に追い立てられて、生きたことは生きたのだけれど命を費やしただけである…ということがわかりました。1人しか乗れないボートに乗せてもらえるのは志のある人で、志のない人は乗せてもらえないというのはリアルな話だなあと思いました。人類全体にとって必要なのは志のある人ですからね…。あと、志のある人は付き合っていて面白い人なんじゃないか?と思いました。「何か」のための存在だという人には、その「何か」の話を振ればいいので、会話が続きやすいと思うんですよ。 本当の志が立つと使命人生、大義貢献、沈着果断、大事大奮、全欲善用、障害超越、快労欣死、一体不滅という8項目に分けられると今回は書かれていました。私は最初の「使命人生」について一番「ああ、なるほど」と思いました。志のない人は一番自分が大切と書かれてあり、それではせっかくの人生が勿体ないのではないかと考えました。大事な命を無駄なく活かす。私は納得のいく人生になるように全力で生きてみたいと思いました。 自分が共感したところは、使命人生と費命人生との比較です。使命果たす人生は、自分でしっかり考えて人生を生きていると思いました。費命人生とは目標や志などを持たないで、ただ毎日を過ごしているように感じました。使命人生か費命人生を選ぶのは自分だと思うので、費命人生にならないようにしたいと思います。 この章では、志が立つとどうなるか8つの項目が出てきていましたが私はまだまだ志が立っていないのだと痛感しました。とくに私は運・不運をどうしても意識してしまいがちなので考え方を変えなければいけないと思いました。個々人の個性に応じた役割を見つければ本当の志に出会える、というようなことが書いてありました。蜂や蟻とは違い、私たちには自由や知性があります。せっかくの人生なのだから、ただ食べて働いて寝てを繰り返すだけの人生にはしたくないなと思いました。 志ですから自分優先ではなく相手を思うのが大切と思います。社会から見ても志がない自分勝手な人はみんなから慕われなくなるし仕事が上手く手に付けないと思いました。私も雇う側でしたら人の為にと志がある方がいいです。それと読んでいると志がある人は失敗を恐れないでどんなに大きな壁があっても前向きに貫いていけるんだと思いました。私はまだ、上手くいくように悪くならないようにと心配してしまうので志がないんだなと思います。恐れないで前に進んでいける人生を辿りたいと思いました。 「志のある人生」は、本当に大切だと思います。志がある人とないひとでは、目の輝きが違うと思います。なにより志を持っている人は、いきいきしているのです。志とは、いわゆる信念みたいなものだから、信念を一生かけて貫くことが、私たちの使命だと思います。何があっても信じれる心があれば、この先どんな困難にぶつかっても、迷いなく最良の道へと進めるのだと思います。そう考えると、志は人にとってなくてはならない必要不可欠な存在でしょう。人それぞれ「自分にとっての志とは何か?」、探し出す人生も悪くないかもしれません。 “何かのために自分の命を活かす”という最初の一行を読んで昨日のサッカーの北朝鮮戦を思いだしました。朝鮮の人は国のために自分の命を犠牲にする、それは他の軍隊でも変わらないのかもしれませんが、そういう人達はきっと国のために自分の命を費やすことで国や救えたら本望という志を抱いて戦っているのだと思います。昔の日本と違い、ある程度自由が利く中で生きてきた私にはその異常なまでの忠誠心を見ていると彼らがとても恐ろしく感じます。 志のある人はただ自分の目標に向かって努力するだけではなく、周りの人や社会の人にも影響を与える人だと思います。志は自分本位ではなく、相手のためになにかしようという意識の方が強いと思うので、志のある人生とは、自分の目標をしっかり持った人がさらに周りの人や社会に対してどうしたらいいのかまで意識することではないだろうか、と思いました。自分のことだけではなく周りの人にも気を配っている人は、やはり他の人にもそのことが伝わりますし、自然と周りに人も集まってきます。私もそういう色んな人に好かれるような人になりたいです。毎日生活していくなかで、自分の個性や役割をしっかり理解して、自分に合った本当の志を見つけたいと思います。 志があるのと志がないのでは大違いである。志を持つことができるというのは人間にしかできないことである。志を見つけるためには自分の役割を理解することが第一なんだ。志を持って生きている人は意志がしっかりとしているだろうから社会的にも恵まれているのだろうかと考えた。自分の憶測にすぎないので、「きっと」としか言えないが・・・。志を持つことで人生や社会を変える可能性がある。私にはこれといった志がないので、これから見つけていこうと思う。 志のある人はなにがあってもポジティブな人だと思います。欲から志へと似ているので同じような感想になってしまいそうです。しかし、まるで小さい志ではいけないように感じでしまいました。私には大きい志はないです・・・・。志は見つけようと意識して見つけるものではないと思うので、小さな志や目標を積み重ねて、この目標と達成したら次、次というふうに人生を送って、そのうちに大きな志が持てたらいいなと思います。 本を読んで志のある人とない人の人生は相当違うことが分かりました。文中でたとえられていたあと一人しか乗れないボートに志のある人とない人が同時に泳ぎつき力尽きたらどちらが選ばれて乗せてもらえるかというところを読んでやっぱりそれは志のある人ですよね。社会にでてもそれは同じことだと思いました。私は志を持ってそれをやり遂げられるような人生にしたいです。 自分が志のある人生を読んで思ったことは、自分の生まれ持った使命を見つけることが、志のある人生に繋がるということです。自分が何のために生まれたのか、それはまだ分かりません。ただ、人には皆、何かをやり遂げるという使命があり、そのために生まれてくるのだと思います。それを見つけ、達成することが、幸せな人生を生きるということなのだと思いました。自分はまだ見つけてはいませんが、何かをやり遂げて、幸せな人生を送りたいと思いました。

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