黄金バットの誕生は昭和5年(1930年)の初冬。
当時、紙芝居スタイルの物語第2作目『黒バット』という作品を行なっていた。
この物語の作者は田中次郎と後藤時蔵という青年だった。
黒バットは白面黒マントの骸骨姿という出で立ちの悪の巨魁であった。
この物語を演じているうちに、客である子供たちが「終わりはどうなる」と、どの場所でも聞くようになった。
話の進むうちにデタラメに強くなった黒バットをどうやって退治するか、
田中、後藤と画家の永松武雄少年が相談しているところに、鈴木平太郎という紙芝居屋が助言した。
「黒バットより強いのをだして、黒バットを殺してしまえば終わりになるよ。黒バットが悪の巨魁だから、正義の味方にしたらいいだろう。
黒バットの白骸骨黒マントに対して、金骸骨に赤マントというのはどうだろう。
名前はタバコからとって、黄金バットとでもしようか。」
とのことで、「黒バット解決編」のラスト3コマにいきなり黄金バットが登場することになった。
「突如として現れた正義の味方黄金バット、ウハハハハ」とやると、子供たちは大喜びした。
「黄金バット、ウハハハハ」と真似をして散っていく子供たちをみて、
(これは当たる。これからは黄金バットシリーズを作ろう)ということになった。
鈴木平太郎は、鈴木一郎というペンネームで台本をかき、絵は永松武雄が描くことになった。
空想科学冒険活劇「黄金バット」の誕生であった。
昭和7年(1932年)、加太こうじ(本名加太一松・カブトカズマツ)は、
雇われていた紙芝居製作所が潰れて、黄金バットを出している「話の日本社」へやってきた。
ちょうど、永松がネクタイの図案屋さんになるので、人材を探しているところだった。
「永松よりヘタだが、若いから見込みがある」とのことで、黄金バットを描くようになった。
彼は戦後、GHQに認められた「黄金バットの製作者」になり、
1967年のアニメ版の監修を務めることになる。
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