君のとなり

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全てを救うなどということは夢想にしか過ぎない。 どうしても救われぬもの、取りこぼされるものは出てきてしまう。 それが人間界に来てからシャドームーンが目の当たりにした人間たちの生きる現実だった。 救われぬまま不幸の中死に絶えることなど、なんら珍しいことではない。 故に人は神に縋る。仏に縋る。 生きているうちは苦しくともせめて死んだあとは天国に、極楽に行けるよう願うのだ。 それが唯一彼らにとっての救いであり、死んだものを救う方法だ。 けれど。 人は奇跡を信じない。 誰しもが神を信じているわけではない。 あるものは神の存在を否定し、あるものは救われる価値がないと自分に見切りをつけ、あるものにいたってはそもそも救われるという考えさえ抱けない。 それでもまだ死そのものが彼らにとっての救いならばいい。 死ぬことで救われる。死んでやっと救われる。 あまりにも悲しい救いだが、それでも、死を選んだ、死を望んだ、死を受け入れた彼らにだってそれぞれの想いがある。 死を彼らが救いと思うなら、それがいかな死に方であろうとも彼らにとっては紛れも無く救いなのだ。 誰が否定しようとも社会に否定されようとも、彼らが彼らの主観で救われることに変わりはない。 救いはある。 そこにある。 彼らはまだマシなのだ。死が救いである者達は死ぬことで救われるのだからまだ幸せだ。 救われぬものではない。 真に救われぬものとは誰か。 それは救いなき人生を送り、そしてその果てでさえ救いのない者だ。 死すら救いでない者達だ。 彼らは死ぬ。 救われぬまま死に果てる。 救われぬまま死んで、そして、そのまま救われることがない。 死んだ以上何も成せない。死んだ以上何もできない。死んだ以上何も変わらない。 永久に、彼らは絶対救われない。 死人を助けたいと思う者だって同じだ。 死んでしまった人間を助ける手立てはない。 宗教は確かに人を死から救う。 ただ救われるのは宗教を信じていたその人自身をだけであり、死んでしまった誰か他人を救うことなど出来はしない。 死者たちが救われますようにと祈りを捧げ、念仏を唱えても、救われるのは死んだ人間ではなく、死者のために何かをなせたと思いたい生者だけだ。 祈りは死者を救わない。救われるのは生きた人間だけなのだ。 それでも、それでも死者を救いたいと願うなら。 人はオカルトに手を染めるしかない。 神に救ってもらうことができないのなら、悪魔の手を借り手でもこの手で救うしかない。 絶対的なものに祈り任せる宗教とは違い、オカルトは超常の力を自らの手で行使する傾向にある。 どうしようもない現実を変えうるには幻想に縋るしかないのだ。 だが、デジタルといえど人間にとっては幻想の側であるシャドームーンには幻想に溺れることすらできない。 進化という数多の可能性を持つデジモンであっても死んだ人間を救う力がある存在など聞いたこともなかった。 せいぜい死んだデジモンを蘇らせ下僕にする力止まり。 シャドームーンが望む力には程遠い。 ならばせめてとシャドームーンは求め続けた。 救われちゃいけないと天国を望めなかったロザリーを救うために。 影を照らす月であってほしいとシャドームーンに願った彼女を照らすために。 本当は誰かに手を伸ばしてもらいたかった彼女を、救われぬまま終わらせないために。 せめて、ロザリーが向かった地獄と呼ばれる世界が本当にありますように、と。 救われますようにでは救えない。誰かに祈っても救えない。 だったらこの手で、いつかこの手でロザリーを救いたいから。 シャドームーンは地獄を求めた。 この世にいなくなってしまったロザリーがいるあの世を、ロザリーが堕ちた地獄を求めた。 ロザリーを救いに行けるよう、デジモンにとっては当たり前な死後の世界が人間にもありますようにと求め続けた。 ▼ シャドームーンの一生は死とともにあった。 力なき幼少の頃、彼は死に追われ、死から逃げるために人間界の門を潜り、死に憑かれたパートナーと出逢った。 パートナーを失ってからは彼女のもとへと行くために死を迎えるその日まで罪を重ね続けることを選んだ。 本当は、本当は。 ロザリーを喪ったあの時にすぐにでも彼女の元へと行きたかった。 けれど、そうするわけにはいかなかった。 ロザリーに助けられた命を無碍にもしたくなかったし、自ら死ぬのは不治の病に侵されて尚必死に生き続けた彼女への冒涜だと感じた。 ほかならぬ彼女にいつかを願われた。この名に込められた祈りに背くことを躊躇したからでもある。 何よりあの時死を選んでいたとしても地獄にはいけないことがシャドームーンは分かっていた。 デジモンは寿命をまっとうして死を迎えると自らを構成するデータを卵に残して再び生まれ変わる。 しかし寿命を全うできず戦闘での死亡などで死を迎えた場合はダークエリアと呼ばれる場所に送られる。 ダークエリアはデジモンたちにとっての地獄でありそこでアヌビモンによって生前の行いを裁かれる。 悪いデータと認識されれば永遠に存在を葬られ、良いデータと認識されればまたデジタマとして生まれ変わる事ができるのだ。 ――それまでの全ての記憶を代償に。 それだけはできない。それだけは耐えられない。 君を忘れたくない。君を忘れたら、君を助けられなくなる。 救いたい、ロザリーを。いつか、この手で。 だからこそシャドームーンが地獄に、ロザリーのもとに行くには罪を犯し戦いの中で死ぬしかなかった。 その選択に未練はない。 救われるのは自分ではなくロザリーだ。 今や彼はデジモンですら無い存在へと変質しかけているがそれでもいい。 デジモンであろうとデジモンでなかろうとも、彼女がくれた名前だけは忘れるものか。 この身はただの力として、それでいてどこまでもシャドームーンとして彼女を救いにいけばいい。 そのためにも――シャドームーンはここでアリスを越えていかねばならない。 ロザリーを苦しめ、追い詰め、救いを求めさせたのは死だ。 彼女を救うというのなら死と戦って勝てなければ話にならない。 全く皮肉な話だ。 死を求めているのにその死を打ち破らねばならぬとは。 駆け抜け踏み込むこちらの足音に対して、翼を羽ばたかせるまでもなく浮遊するアリスは禍々しい刃の駆動音で答える。 穿たれる刃をスカートを揺らしてふわりふわりと避けチェーンソーを振るうアリスだが、戦闘技術ではシャドームーンの方が上だ。 「キャッ!」 カウンターの切り払いでチェーンソーをいなす。 お気に入りの玩具を取りこぼすまいとしチェーンソーに引っ張られバランスを崩しがら空きになったその胴に、スパイクを打ち付ける。 さくり、とあまりに呆気無く少女の胸を杭が穿つ。 その手応えはあまりにもあまりにも軽い……。 それはおおよそ人の姿をしたものを刺した感触ではなかった。 肉の感触はせず血の一滴も流れない。 まるで骨と皮以外はがらんどうのような、そんな、そんな……。 「……そうか。お前はからっぽなんだな」 得心が行く。 この少女は空っぽなのだ。 なにもないからこそ誰よりも貪欲に空っぽの自分を満たそうと何もかもを求め続ける。 それは宝石、それは友だち、それは生命。 飢餓たる空虚に向けて杭を打ち込んだ側のはずのシャドームーンから生命力が漏れだしていく。 エナジードレインだ。 全身を襲う虚脱感にまずいと踏んで距離を置こうとするがもう遅い。 「? おかしなことを言うのね、虫さん。アリスの街も、おもちゃ箱もいっぱいよ。  たとえばほら――虫めがね~」 略奪した生命力で傷を塞いだアリスが五指を合わせ可愛らしく円を作る。 そうして、人間の子どもたちが捕まえた虫にそうするように、無邪気にその円をシャドームーンに掲げて、アリスは。 魔人の少女は。 ――トリスアギオン 陽の光の力を借りることもなくシャドームーンを焼き払った。 ▼ 火は虫と草に強い。 それはどこの世界でも変わらない普遍の理だ。 自然の性質を持つスティングモンでは桁外れの魔力を誇る魔人による極大火炎魔法を前にして耐えられるはずがなかった。 だがここにいるのはただのスティングモンではない。 ロザリーから名をもらい彼女を救うために地獄を目指すシャドームーンだ。 地獄の業火ごときではその歩みは止まらない、止められない。 カシャ カシャ カシャ カシャ カシャ ぱちぱちと爆ぜる火花の音に混じって金属質な足音が響く。 炎に照らされた紅蓮の世界の奥に黒い影が映る。 おもちゃ箱に放り込んだはずのおもちゃが上手く入らなずこぼれ出たことに気づき、ぷくーっと頬を膨らませるアリス。 その表情が打って変わって喜色に包まれたのは炎をかき分け現れた姿が少女好みの宝石に彩られていたからだ。 「そっかー、虫さんならだっぴできてとうぜんだよね!  ねぇねぇ、虫さん。そのきれいな“ルビー”わたしにちょうだい?」 ルビー。 そうアリスが見て取ったのも無理は無い。 炎より出でし影――新生したシャドームーンは赤い宝玉の鎧に身を包んでいたからだ。 シャドームーンにはその宝石が宝石などではなく、赤い血の涙にしか思えなかった。 病に苦しむロザリーが流していた赤い涙に。 今も彼に助けを求めて泣いている彼女の涙に。 「貴様にやるものなどない。この身は血の一滴まで全てロザリーのものだ」 「うぇーん、ひどいよひどいよー。わたしのいうこと、きいてくれないんだー」 アリスが何か喚いているが、聞く間も惜しいとシャドームーンは翼を震わせ高速で飛翔する。 進化に伴い新たに生えた白い長髪が風に靡き荒れ狂う。 シャドームーンが進化したジェルビーモンはより人間に近づいたその容姿からは想像できないほどのパワーを秘めていた。 本来なら玉虫色の装甲と宝石を銀と真紅に染め上げ影の月が天へと昇る。 本物の月を背にシャドームーンは手にしたメタルキングのヤリを光速で振るう! 「スパイクバスター!」 比喩や喩えではない、文字通りその一閃は光の速度に達していたのだ。 それだけの速度で振るわれた槍だ。槍自身の射程を無視して爆発的な衝撃波がアリスへと襲い来る。 光とは時間だ。光速での衝撃波ともなれば槍が振るわれた瞬間にそれは既にアリスへと命中している! 悲鳴をあげる間もなく魔人が吹き飛ぶ。 爆撃もかくやという衝撃波を受け原型をとどめているのは驚愕に値するがもとよりこの程度で仕留めれるとは思っていない。 シャドームーンは“右”の槍を振り切った勢いのまま宙で回転し、“左”の槍で追撃する。 元から所持していたメタルキングのヤリに加えて、進化したことで得たジェルビーモン自身の槍を併用しているのだ! 槍が二本で威力も二倍! 最も本来なら両腕を用いて放たれる斬撃を片手で撃っている以上威力が落ちるのが妥当だが、進化の秘法で得た筋力は常識をも覆す。 加えて槍の名手として名高いクーフーリンをロードした今のシャドームーンには二本の槍を扱うなど造作も無い事だった。 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」 ロザリーから教わったカラテの掛け声で気合を入れ、空中でコマのごとく回転しながら衝撃波を撃ち続ける。 近づけば生命力を吸われ、回復し続けられる以上、あの魔人を仕留めるには距離をとって一方的に殴り続けるか或いは―― 「!?」 数秒にも満たない爆撃により抉られ、幾つものクレーターを穿たれた元森林で月に照らされ何かが光ったのをシャドームーンは見逃さなかった。 その色は、銀。 シャドームーンが右手に握る槍と同じ色。 「ダメだよ、虫さん。はなびはね、おせんこうよりうちあげるほうが素敵なんだから」 瞬時の判断で今にも放とうとしていた衝撃波をアリスではなく空中に放ち、その反動で無理やり身体を横へと飛ばす。 直後シャドームーンの白髪を紅蓮の炎がかすめる。 間一髪回避に成功したシャドームーンだが、直後今の一撃が囮だったことに気づく。 炎の眩さに目を焼かれたシャドームーンが視界を取り戻した時、彼の目に飛び込んできたのは地上より飛来する銀の弾丸だった。 少女とともに歩むことを選んだエアドラモンが少女を魔銀で包み守り抜いたのだ。 「今度は、アリスの番だね♪」 金属化した十二の翼で身体を包み込み自身を弾丸と化したアリスがシャドームーンに激突する。 秘法の力で進化を重ねた悪魔を断罪するかのように激痛を伴って銀の弾丸はシャドームーンの胴を貫き両断する。 閉じられていた翼をこじ開け、アリスは引きちぎった落ちゆくシャドームーンの下半身へと手を伸ばす。 「アハハハハハハハハハハハハハハッ! わーい、わーい、宝石だ―」 その手が宝石を掴むことはなかった。 「え?」 あと僅かで手が届くというところでアリスを追い抜いた熱光線が宝石を消し炭にしたのだ。 誰のしわざかは言うまでもない。 アリスがそうであったように、シャドームーンもまたティラノモンのデータからヌークリアレーザーを再現し触覚から放出したのだ。 「言ったはずだ。貴様にやるものなどない、と。この身は血の一滴まで、全てロザリーのものだ、と」 この身が彼女以外のものになるなど死んでもゴメンだ。 背中を晒した相手を撃てる機会を逃してまで、不要になった下半身を焼いたのはそんなくだらない想い故だった。 これ以上にない想い故だった。 半身だけで飛行していたシャドームーンの腰から下にかけてが再生していく。 ごぼりごぼりと不気味な音を立てて、一際強く、大きく、太い脚へと生え変わる。 「虫さんは手品師さん? すごいすごーい! それじゃ虫さんの宝石がなくなるまで。アリスがぜんぶとりほうだいしてあげる!」 自然に背いた進化を前にしても、自然の輪から外れた少女の様子が変わることはなかった。 自らもまた常軌を逸した蟲毒の魔物を取り込み、変異を遂げ、それでも尚、何一つ変わることのなかった少女。 それが死だというように死の先を歩む少女がここにいる。 死後を求めたシャドームーンを否定し、生きるために殺し続けたロザリーを嘲笑うかのように。 死んだままこの世に存在し続け、死んだまま殺し続ける少女がここにいる。 ▼ 暗き闇に覆われた空で、満月だけが輝いていた。 眼下で行われる戦いを見守るように、嘲笑うように。 優しく、妖しく、光を放つ。 空に舞台を移した戦いは完全にシャドームーンが押されていた。 完全体に進化した今のシャドームーンなら魔人アリスとなら接戦には持ち込めたかもしれない。 けれど今のアリスは魔人ではなく死導だ。 九の翼から生じる風と光と闇にシャドームーンは阻まれ、よしんば弾幕を潜り抜け傷つけたとしても残る三翼が少女を癒やす。 自らが一刻む間に翼と合わせて二を刻む異界の住民にシャドームーンは力も手数も圧倒的に足りなかった。 このままで足りぬというのなら『進化』するしかない。 けれども、どうやって? 多くの命を取り込んでようやく完全体へと行き着いたのだ。 ティラノモンを殺して以降、誰一匹ロードしていない今、究極体への道は閉ざされたままだ。 ならば進化の秘法の力に頼るか? 確かにそれが確実だろう。 しかし、秘宝による進化が滞っていることにシャドームーンは気付いていた。 蘇れば蘇るほど強靭な肉体へと進化していたのもさっきまでのこと。 今や腕が吹き飛ぼうが、脚が消し去られようが、単に再生するだけだ。 秘宝による進化は止まっていた。 今の進化の秘法には二つ、大事なものが欠けている不完全なものだからだ。 一つは闇の力を増幅する黄金の腕輪。 もう一つは憎しみの感情だ。 前者はシャドームーンが知る由のないことだが、後者はプチヒーローの話から薄々だが察していた。 かつてある魔王が、憎しみの果てに自分を無くしたという。 然るに憎しみさえすれば、進化の先に、さらに先に、突き進めるのではないか。 憎悪にて心身を塗り替え、身も心も全て醜悪なる化け物へと挿げ替えさえすれば……無理だ。 シャドームーンを満たしているロザリーへの感情は憎しみとは対極にあるものだ。 進化を阻害しはすれども、促すものではない。 ならばアリスはどうか。この少女を憎めばよいのではないか。 アリス。 ALICE。 死の先を行く“元人間”。 デジモンとしての本能からだろう。 エアドラモンがそうであったように、シャドームーンもまたアリスに“人間”を垣間見た。 人の姿をしているからなどというレベルではない。人の姿をしたデジモンなど何匹かは存在している。 そうではない、そうではないのだ。 アリスは人間だ。元人間だ。人間だったものだ。 そう強く断言できるのは本能によるものだけではない。冷たくなったロザリーにずっと沿い続けていたからだ。 シャドームーンは知っている。人間の死体を知っている。 ロザリーを弔ってくれる人間はいなかった。 暗殺者として生きた彼女は戸籍上とうの昔に亡くなったことにされており、国が弔ってくれることも期待できなかった。 弔うならばシャドームーンがする他なかったというのに、ワームモンには彼女を埋葬するための腕がなく死体が朽ちていくのをずっと見ているしかなかった。 いっそ燃やしてしまえばよかったのかもしれない。 埋めることはできずとも火をつけることくらいはワームモンの非力な身体でも不可能ではなかった。 だというのにシャドームーンは自らの手でロザリーの身体を燃やすことができなかった。 魂無き身体とはいえロザリーを傷つけることを躊躇してしまったというのももちろんある。 でもそれ以上に、シャドームーンは願ってしまったの。 いつものように彼女が目覚め、シャドームーンの名を呼んでくれることを。 だって、そこに身体があったから。ロザリーの身体があったから。 度し難い考えだと人間は嘲るかもしれない。それを否定するつもりはない。 ただかつてのシャドームーンがありえぬ希望に縋ってしまったのも仕方のないことではあった。 シャドームーンが死体に触れたのはその時が初めてだったから。 死はワームモンの日常だった。 Xプログラムに侵されて消えゆく生まれを同じくしたデジモンたち。 わずかに残った仲間たちもX抗体の奪い合いの犠牲になり、ロイヤルナイツに駆逐された。 Xプログラムに侵されておらず外敵も存在しない人間界に逃げ延びたあの日まで、数え切れぬ死をワームモンは目にしてきた。 だからこそかえってデジタルワールド/情報世界での死に慣れ親しんだシャドームーンには、人間世界/物質世界の死は受け入れられなかった。 デジモンは死体を遺さない。 死とはすなわち消滅であり、デジタマに戻るにせよ、ダークエリアに送られるにせよ、屍を晒すことなどない。 スカルグレイモンのような例外はいるが、彼らはあくまでもアンデッド型のれっきとしたデジモンだ。 魂の核たるデジコアが消失したわけではないのだ。 肉体が残っている以上ロザリーももしかしたら……。 全く、愚かな願いを抱いたものだ。 死んだ人間は蘇らない。蘇った時点で、人間ではない何かだ。 生じた痛みに現実に引き戻されたシャドームーンにアリスへの憎しみはなく、己を自嘲するだけだった。 かつての自分は一体何を願っていたというのか。 こんなものに、こんな怪物にロザリーがなって欲しかったというのか。 こんな、こんな、こんな、シャドームーンの身体が再生する端から満面の笑みで引きちぎりにくる怪物に。 無色のエネルギーを迸らせ、シャドームーンを痛め、弱体化させながらなぶり殺す怪物に。 纏わりつく笑顔を跳ね除けようと槍を振るうも、少女が何かするまでもなく、鋼の翼に弾かれる。 二の槍を振るうも結果は同じだ。 少女の魔翼は主が惨殺に興じる間も邪魔はさせないと健気に尽くす。 その献身も少女になんら変化をもたらさない。 己が翼に見向きもくれず、アリスは新しいおもちゃに夢中で、新しい友だちを欲し続ける。 「『ウィリアム父さんおとしをめして』とおわかい人がいいました」 血の通わぬ華奢な手が伸ばされそっとシャドームーンの胸部を撫でる。 それだけで銀の装甲は輝きを失い崩れ去りゆく。 「『かみもとっくにまっ白だ。なのにがんこにさか立ちざんまい――そんなおとしでだいじょうぶ?』」 進化の秘法がただちに再生を促すも少女に触れられ続けている限り、再生の力はそのまま片っ端から吸い取られていく。 こうなってしまえば二槍で穿とうとも即座に傷を癒され意味がない。 「ウィリアム父さん、息子にこたえ、『わかいころにはさかだちすると、のうみそはかいがこわかった。 こわれるのうなどないとわかったいまは、なんどもなんどもやらいでか!』」 距離を取ろうにも少女は既に積めるだけラスタキャンディを積んでいた。 今のアリスはジ・ハードに晒され弱体化したシャドームーンより圧倒的に強く、硬く、速い。 「『ウィリアム父さんおとしをめして』とおわかい人、『あごも弱ってあぶらみしかかめぬなのにガチョウを骨、くちばしまでペロリ、いったいどうすりゃそんなこと?』」 虐殺が始まる。 無邪気な笑みを浮かべたままアリスは朽ちたシャドームーンの装甲から宝石を無理やり抉り出していく。 データの飛沫が舞い、シャドームーンが激痛に呻き藻掻こうとも少女は止まらない。 「父さんがいうことにゃ『わかいころにはほうりつまなびすべてをにょうぼうとこうろんざんまい、それであごに筋肉ついて、それが一生たもったのよ』」 全ての宝石を抉り取っても満足せず、そのままアリスを引き剥がそうとしたシャドームーンの右手へと手を伸ばし引きちぎる。 左腕を引きちぎる。右足を引きちぎる。左脚を白髪を四枚羽をちぎってちぎってちぎってちぎって切り刻む。 『ウィリアム父さんおとしをめして』とおわかい人、『目だって前より弱ったはずだ。  なのに鼻のてっぺんにウナギをたてる――いったいなぜにそんなに器用?』」 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ 『しつもん三つこたえたら、もうたくさん』とお父さん。『なにをきどってやがるんだ!   日がなそんなのきいてられっか! 失せろ、さもなきゃかいだんからけり落とす!』」 過ちの歌が終わる頃にはシャドームーンは退化するまでもなく芋虫に逆戻り。 羽をもがれた虫けらは天に座すること叶わず落ちゆくのみ。 月にどれだけ手を伸ばそうとも、その手は何も、掴めない。 ▼ 超高々度から岩盤に覆われた山肌に墜落しながらもシャドームーンは生きていた。 呆れた頑丈さだ、進化の秘法のおかげだろう。 だがアリスから離れたにも関わらず、身体は再生する気配を見せなかった。 命を繋ぎ止めるので精一杯なのか、それともシャドームーンの進化はもう限界なのか。 この程度で。死に敗れるたったこの程度の力で。 悔しさに握りしめる拳すらないシャドームーンは身動ぎ一つできず、ただ空を見上げるしかなかった。 暗き闇に覆われた空で、満月だけが輝いている。 夜闇を照らしてくれる月だが、その光が届くことはない。 頭上に、影が落ちる。 十二の翼を従えた夜空を裂く少女の影が。 「ねえ虫さん、わたし、『えらい小さなハチさん』のおうたをあんしょうしようとしていつもまちがえてしまうの。  『ウィリアム父さんお歳をめして』だってうたえないわ。まちがいだらけなの。なんでかな」 きっとそれは少女の存在そのもの自体が間違いだから。 死んでもなお存在し続けようとしているのが間違いだから。 リビングデッドなどと言われようと死体は死体だ。 命なき存在。ただそこにあるだけのモノ。 どれだけ“お友達”を増やそうとも、少女の心は止まったままで。 神に全てを奪われ、幼くして一人寂しく死を迎えたあの時のまま。 屍鬼として蘇ろうと、魔人と化そうと、天使に死導に変異しようと少女がアリスである限り満たされることはない。 満たされないからこそ少女は、生者を見つけ、殺し、死者へと変えるというプロセスを永遠に繰り返し続ける。 「……哀れだな」 笑みを浮かべ続ける少女を、そして自分自身を嗤い返す。 死んだら終わり。 そんな当たり前過ぎる事実を少女の有り様はこれ程までもなく示していた。 死んでしまった者は変わらない。 死んでしまったら変えられない。 死者は救われることなく、死んでしまえば誰かを救うこともできなくなる。 分かっている、分かっていたさ。 所詮自分が抱いた願いは、叶うことのない絵空事なのだと。 ロザリーを救えたとしたらそれは生きているうちだけだった。 最後の機会があったとすれば彼女が手を伸ばしたあの時だけだった。 その機会を逃してしまった以上、今更腕を手に入れたところで何になる? どうにもならない、無意味なのだ。 全てはあの時、終わってしまっていたのだから。 ロザリーも、彼女を救いたかったシャドームーンも終わってしまっていたのだから。 結局自分もこの少女と同じ。 決して満たされない願いを抱いて永遠に飢え続ける生きた死人に過ぎなかったのだ。 「哀れって、なあに? アリスは幸せよ。黒おじさんも赤おじさんいてくれて、遊んでくれるお友達もいっぱいいっぱいつくったわ。  でもね、まだまだ足りないの。いっぱいっぱいアリスはお友達が欲しいの。だからね、そろそろ虫さんも」 だからもう、いいのではないか。 あの日願ったように、ロザリーの後を追ってもいいのではないか。 「 死 ん で く れ る ?」 呪殺の剣が世界を覆う。 未だ羽も手足も再生できていない以上、避けるすべはない。 死んでしまえば進化の秘法で蘇ることもできない。 これで終わりだ、終わればいい。 どうせあの時、既にシャドームーンの全ては終わっていたのだから。 なのに。 なのに何故、私は降り注ぐ呪いに抗うようにありもしない手を伸ばしているのか。 なのに何故、私は今も、ロザリーを救いたいと願っているのか。 ああ、そうだ、あの時もそうだった。 ワームモンの私には芋虫には彼女を握る手が無くて。 それでも、それでもと、手を伸ばそうとした。 あるかないかではなく、そうせずにはいられなかった。 今も同じだ。 そうせずにはいられないのだ。 この手を伸ばさずにはいられない。 ロザリーの手を掴まずにはいられない。 彼女を救いにいかずにはいられない。 僕は、僕は。 君と共に、いたいんだ。 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」 吠える。 死に抗うように吠える。 吠えて、吠えて、吠え猛る。 死んでしまった者は救われない? それでも、それでも救うのだ。 私が願われたのはなんだ。 私の名に込められた想いは何だ。 救われぬ人をこそ救って欲しい、そう願われたのではなかったのか。 何よりも、ロザリーが、ではない。 ほかならぬシャドームーンが願っている。 ロザリーを救いたいと願っている。 ずっとずっとずっと、シャドームーンはロザリーを救える力を求め続けてきた。 ロザリーを握りしめられる手は得た。ロザリーの元に歩いて行ける脚も得た。 ロザリーを救う力はそれだけで十分だ。 シャドームーンはロザリーに永遠など求めていないのだから。 足りないのはあと一つ。 力以前の大前提。 その存在をシャドームーンはずっとずっと渇望し続けていた。 力を手に入れてもそれがなければロザリーを救いに行けないと嘆き続けた。 けれどもそれは結局願っていただけだ。 願うだけで何もしなかった。 世界がそうあって欲しいと願うだけで、自分にはどうにでもできないとどこか諦めていた。 ならばもし、それが存在しなかったら。 シャドームーンはロザリーを救うことを諦られると? そんなわけない。諦められなどするものか。 だから、どうか ――この手に、“地獄”を          ――Xevolution―― 人間界に逃れて以来休眠していたX抗体が目を覚まし、宿主を蝕む死の呪いをデジコアへと取り込んでいく。 強大な闇の力を得たことで進化の秘法が活動を再開する。 術者を蝕む二つの進化の力がシャドームーンを更なる位階へと押し上げていく。 手足と翼の再生などという生ぬるいものではない。 爪が伸び、尾を生やし、第三の目が見開かれ、シャドームーンの身体が丸ごと作り変えられていく。 完全を突き破りし究極の姿へと、進化の秘法とX抗体、二つの禁忌に手を染めしものに相応しい姿へとシャドームーンが変貌していく。 「あれ、赤おじさん? アリスを追ってきてくれたの?」 その姿にアリスが魔王ベリアルを重ねたのも無理は無い。 かのものもまた魔王。 叶わぬ願いをそれでもと求め続ける暴食の魔王。 這う虫の王――ベルゼブモンX抗体。 否。 果たして今のシャドームーンを赤と銀にそまったこのベルゼブモンをデジモンと言えるのだろうか? X進化からして従来のデジモンの枠を大きく逸脱したものだというのに、更にはその身に数多のイレギュラーを宿している。 本来交わることのなかった世界のデータを読み込み、進化の秘法という異界の手段で進化を果たした。 デジタルワールドに戻りでもすれば、Xデジモンだとかそれ以前の問題でイグドラシルとロイヤルナイツに裁かれることは間違いない。 シャドームーンを構成するあらゆるデータはそれほどまでにデジモンとは別のものへと変異してしまっているのだ。 「ううん、似てるけど違う。お兄さんはだーれ?」 「私か。私はシャドームーン。ロザリーのパートナー、シャドームーンだ」 ロザリーに名前をもらっていなかったら、名乗り返す自我さえも失っていただろう。 今のシャドームーンの内側には死が満ちている。 アリスの呪いは、進化の秘法は、刻一刻とX抗体を喰らい尽くしシャドームーンを死の淵へと近づけていく。 単に死ねたのならまだマシだ。 最悪、存在することへの本能が生み出したX抗体は、シャドームーンが死滅しても尚存在し続けようと進化を重ねる。 肉体が朽ち、理性が無くなろうと本能的に他者のデジコアを喰らい続け、死に続け、存在し続ける死のX進化。 死んでもなお存在し続けようとする進化――デクスリューション。 その果てがどうなるかなど今更語るまでもない。 アリスだ。 シャドームーンはアリスになる。 それだけはロザリーのパートナーとして受け入れられない。 生存し続けるために人を殺し続けたロザリーの果てが、存在し続けるだけで人を殺し続けるアリスなのだと暗喩するような結末を認められない。 だからこそ、シャドームーンは自らの力の果てを怪物とは別のものへと変換していく。 即ち、地獄に。 ずっとずっとその存在を願い続けていたものに、願うだけで求めることをしなかったものにシャドームーンは自らを変えていく。 地獄がないというのならこの身を地獄と化せばいい。 地獄が既にあるのなら影を照らす月の浮かぶ新たな地獄に塗り替えればいい。 それをなせる力は手に入れた。 進化の果てに地獄の帝王にして、ダークエリアを統べる七大魔王となった。 その権限を以って、地獄の大公爵であるデカラビアの亡骸ごとロードした地獄のデータを元に自らを書き換えていく。 ロザリーに捧げる地獄へと。月が照らす地獄へと。 「ろざりー? アリスの友だちじゃなくて? だったらいらない。アリスの友だちになってくれないのならお兄さんなんていらない!」 シャドームーンの変質にアリスも気付いたのだろう。 友だちにしようとしていたこれまでと打って変わって、その顔に浮かぶのは拒絶の意思だ。 死の如き少女。死を導く天使。魔人にして怪物。 そんな彼女でも、いや、だからこそ、今のシャドームーンは誰よりも何よりもおぞましいのだと本能で理解している。 かつて少女が神に召されようとしていたのは天国であった。 今の少女なら間違いなく地獄へと堕ちるだろう。 どちらにせよ少女にとっては変わらない。天国でさえも少女には地獄だ。 死を振りまき、死を強要する少女は、それでいて誰よりも死を恐れていた。 永遠の少女は永遠が終わるのを恐れていた。 少女は怪物だ。人間という怪物だ。人間だからこそ他人に死は望んでも自らの死を恐れる。 アリスは必死に不思議の国へとしがみつき、神が敷いた運命へと抗う呪文を口にする。 ――血のディボース―― 愛を知らずに死んだ少女が転じた凶鳥の翼が血の色の涙を流す。 ――テラーフォーチューン―― 人間への幻想を捨てきることができなかった龍の翼が風を黒く染めていく。 ――闇のフォーミーラバー―― 人に作られ人に討たれた邪龍の翼が地をも揺さぶる慟哭を上げる。 ――エクリプスミラー―― 信じていたかった人間たちに裏切られた天使の翼が光を失い闇へと堕ちる。 ――ダークノヴァサイザー―― それら四対の翼であり人間だった怪物の手には真夜中の太陽が顕現していた。 少女を中心に五つの魔法が描くのは惑星直列の如し逆十字。 それは、形を得た死。死の終着にある極点。触れれば全てを無に帰す。 死の後には骸が残る。だがこれは形容すらできぬアリスの抱えた虚無そのもの。 底なしの虚無に飲まれれば死を体得した事実さえ等しく蝕まれ消滅し、死滅する。 「死の“グランドクロス”」 十二の翼を持つ天使より放たれた万魔の十字架は山を消し飛ばし、大地を闇へと沈め――影を照らす月の光の前に霧散する。 「どうして? お兄さんはわたしにいじわるするの? どうして死んでくれないの?」 シャドームーンが地獄だからだ。 もはやシャドームーンを構成するデータは等しく死の属性を帯びており死滅と遺骸で満たされている。 今更そこにどれだけ極大の死を叩き込もうとも、影の月が陰ることはない。 地獄とは死者が行き着く場所であり、死を迎え入れる器なのだ。 アリスがどれだけ駄々をこねようと死んだ少女には地獄をはねのけられるはずがない。 だからもういい、もういいのだ。 お前の終わりなき悪夢も今ここで終わらせよう。 銀翼を広げ、シャドームーンが飛翔する。 魔法で追撃してくる少女をよそに、真なる月をその銀翼で抱き遮り、影の月が天へと昇る。 眼前にはアリス。 死んで、死んでよと乞い続け、チェーンソーで斬りつけてくる少女は泣いているようで、この救われぬものにせめてとシャドームーンは手を伸ばす。 その手には武器であるはずの2丁拳銃は握られてはいないけれど。 きっと、少女を終わらせるにはこれが正しいのだと信じて、シャドームーンは、ロザリーから教わった拳を握りしめアリスを打ち抜く。 「――獣王拳」 それで終わり。 あまりにもあっけない怪物の最後。 防御に回した刃と守りに入った翼ごと砕かれた少女は自らが生み出した惨禍の大地へと堕ちる。 「またわたしだけ、死んじゃうの……?」 “地獄”であるシャドームーンの拳に貫かれた以上、不死者は死者へと還るしかない。 何度も味わった感覚で、誰よりも自分が死ぬのだと分かっているアリスは嫌だ嫌だと地を這い進む。 少女にはもう飛ぶ力も浮かぶ力も歩く力さえ遺されていなくて。 「嫌だよ。助けて、赤おじさん。黒おじさん。わたし、死にたくない。もっともっと友だちが欲しいよ」 自らの墓標に辿り着き、最後にそう口にした少女は、一人ぼっちのままこの舞台から姿を消した。 &color(red){【死天使アリス@女神転生シリーズ PARADISE LOST】} カシャ カシャ カシャ カシャ 全てが死滅した世界を一人、シャドームーンは歩く。 向かうはアリスの墓標となった地――ターミナル。 何らかの結界でも張られていたのだろう。 あれだけの破壊に晒されて尚、その機械だけは無事だった。 それほどまでにして守られていた施設である以上、何らかの意味はあるのだろうが、シャドームーンには興味なかった。 精々人間たちに邪魔をされたら面倒だと考えた位だったが……どうやら杞憂だったらしい。 あったかもしれない防衛機能も消し飛んだのか、グランドクロスに耐えることに全エネルギーを費やしたからか。 何者にも阻まれることなく、警告すらされず、その場所へと辿り着いた。 或いはターミナル以上に人間たちがかかりっきりにならねばならない何かが起きたのかもしれないが、どうでもいい。 この世界から消えるシャドームーンにはもう関係のないことだ。 ふとターミナルの周りに散らばる白い羽が目に入る。 アリスの背に生えていたものであろう。 少女は間違いなくここで消滅したのだ。 「……」 アリスを貫いた拳を握りしめる。 少女からロードしたデータは確かにシャドームーンの地獄へと誘われた。 けれどもその情報量は一人の人間の魂としては余りにも少なかった。 もしかしたら彼女は元になった人間の少女の魂が幾つにも分かれた一欠片に過ぎなかったのかもしれない。 或いは―― 脳裏をよぎった可能性を打ち消す。 アリスもまたシャドームーンにとってはどうでもいい。 どこかロザリーと合わせ鏡だったからこそ、救われぬままのアリスの永遠を終わらせようとした。 しかしシャドームーンが真に救いたいのはアリスではない、ロザリーだ。 そのためにも、最後にまだ、やらねばならないことがある。 ターミナルへと手を飾す。 使い方はロードしたデカラビアのデータから引き出しているし、デジタルワールドにも同名の類似品がある。 だからこそアリスを追い、ターミナルを目にしたシャドームーンはこれが何か気付き、ここまで歩いてきたのだ。 シャドームーンはこの地で死ぬわけにはいかなかった。 七大魔王としてダークエリアへとアクセスし、始まりの場で死したレオモンの力を引き出そうとした時、気付いたのだ。 本来ダークエリアに送られているはずのこの島で死んだキメラモンやメタルティラノモン、ブイモンの魂がないことに。 それが何故なのかは分からないが、何を意味するのかは理解できる。 この島で死ねば、シャドームーンの魂は消滅させられてしまう。 それではロザリーを救いにいけない。 せっかく、せっかくここまで来たのだ。 あと一歩のところまで来たのだ。なんとしてもこの島を抜けださねばならない。 幸いターミナルは既に起動していた。 アリスの最大火力から耐えるためにそのままエネルギーとして変換しでもしたのだろう。 世界移動にはそれでもまだエネルギーが足りていないようだが、ここにいるのは地獄と化したシャドームーンだ。 バトルレックス、クーフーリン、すえきすえぞー、メタルティラノモン、そしてアリス。 丸ごとではないものも含まれるが、多くのモンスターを喰らい、ロードしたことに変わりない。 ロザリーを救うのに不要な力を捧げさえすれば世界移動のためのエネルギーは十分に足りている。 「ようやく。ようやくだ……」 長かった。本当に長かった。 ロザリーを救うのに不要な部分――僅かに残していたデジモンとしてのシャドームーンが光に解け消えていく。 放っておいても後数秒で自らを満たした死に呑まれ、己が地獄に呑まれていた身だ、躊躇いはない。 「待たせてすまない、ロザリー。ようやく、ようやくなんだ」 デジモンでいられなくなった身体が輪郭を失い領域的なものへとシフトしていく。 設定の完了したターミナルを通じてロザリーが生きた世界に“地獄”が流出していく。 「あと少し、あと少しだけ待っていてくれ―― そして遂に、最後まで残っていたデジコアがこの世から姿を消した。 消える前のデジコアは優しい光を放つ銀色の球体で、まるで月のようだった。 ――かつて君が僕に手を伸ばしてくれたように、今度は私が君に手を伸ばすから その月の名はシャドームーン。 救われぬ君を救う、ロザリーを照らす地獄の月。 &color(blue){【シャドームーン@デジモンシリーズ 君のとなりに】} ※E-6山がターミナルだけを残して吹き飛びました。防衛用の諸々も消滅したのでターミナルは無防備です。   現在ターミナルにどれだけのエネルギーが残っているかは今後の展開にお任せします。 |No.77:[[黒く蝕み心を染めん]]|[[投下順]]|No.79:[[終焉の物語]]| |No.70:[[僕たちは世界を変えることができない。]]|ワームモン|&color(blue){君のとなりに}| |No.70:[[僕たちは世界を変えることができない。]]|魔人アリス|&color(red){PARADISE LOST}|
全てを救うなどということは夢想にしか過ぎない。 どうしても救われぬもの、取りこぼされるものは出てきてしまう。 それが人間界に来てからシャドームーンが目の当たりにした人間たちの生きる現実だった。 救われぬまま不幸の中死に絶えることなど、なんら珍しいことではない。 故に人は神に縋る。仏に縋る。 生きているうちは苦しくともせめて死んだあとは天国に、極楽に行けるよう願うのだ。 それが唯一彼らにとっての救いであり、死んだものを救う方法だ。 けれど。 人は奇跡を信じない。 誰しもが神を信じているわけではない。 あるものは神の存在を否定し、あるものは救われる価値がないと自分に見切りをつけ、あるものにいたってはそもそも救われるという考えさえ抱けない。 それでもまだ死そのものが彼らにとっての救いならばいい。 死ぬことで救われる。死んでやっと救われる。 あまりにも悲しい救いだが、それでも、死を選んだ、死を望んだ、死を受け入れた彼らにだってそれぞれの想いがある。 死を彼らが救いと思うなら、それがいかな死に方であろうとも彼らにとっては紛れも無く救いなのだ。 誰が否定しようとも社会に否定されようとも、彼らが彼らの主観で救われることに変わりはない。 救いはある。 そこにある。 彼らはまだマシなのだ。死が救いである者達は死ぬことで救われるのだからまだ幸せだ。 救われぬものではない。 真に救われぬものとは誰か。 それは救いなき人生を送り、そしてその果てでさえ救いのない者だ。 死すら救いでない者達だ。 彼らは死ぬ。 救われぬまま死に果てる。 救われぬまま死んで、そして、そのまま救われることがない。 死んだ以上何も成せない。死んだ以上何もできない。死んだ以上何も変わらない。 永久に、彼らは絶対救われない。 死人を助けたいと思う者だって同じだ。 死んでしまった人間を助ける手立てはない。 宗教は確かに人を死から救う。 ただ救われるのは宗教を信じていたその人自身をだけであり、死んでしまった誰か他人を救うことなど出来はしない。 死者たちが救われますようにと祈りを捧げ、念仏を唱えても、救われるのは死んだ人間ではなく、死者のために何かをなせたと思いたい生者だけだ。 祈りは死者を救わない。救われるのは生きた人間だけなのだ。 それでも、それでも死者を救いたいと願うなら。 人はオカルトに手を染めるしかない。 神に救ってもらうことができないのなら、悪魔の手を借り手でもこの手で救うしかない。 絶対的なものに祈り任せる宗教とは違い、オカルトは超常の力を自らの手で行使する傾向にある。 どうしようもない現実を変えうるには幻想に縋るしかないのだ。 だが、デジタルといえど人間にとっては幻想の側であるシャドームーンには幻想に溺れることすらできない。 進化という数多の可能性を持つデジモンであっても死んだ人間を救う力がある存在など聞いたこともなかった。 せいぜい死んだデジモンを蘇らせ下僕にする力止まり。 シャドームーンが望む力には程遠い。 ならばせめてとシャドームーンは求め続けた。 救われちゃいけないと天国を望めなかったロザリーを救うために。 影を照らす月であってほしいとシャドームーンに願った彼女を照らすために。 本当は誰かに手を伸ばしてもらいたかった彼女を、救われぬまま終わらせないために。 せめて、ロザリーが向かった地獄と呼ばれる世界が本当にありますように、と。 救われますようにでは救えない。誰かに祈っても救えない。 だったらこの手で、いつかこの手でロザリーを救いたいから。 シャドームーンは地獄を求めた。 この世にいなくなってしまったロザリーがいるあの世を、ロザリーが堕ちた地獄を求めた。 ロザリーを救いに行けるよう、デジモンにとっては当たり前な死後の世界が人間にもありますようにと求め続けた。 ▼ シャドームーンの一生は死とともにあった。 力なき幼少の頃、彼は死に追われ、死から逃げるために人間界の門を潜り、死に憑かれたパートナーと出逢った。 パートナーを失ってからは彼女のもとへと行くために死を迎えるその日まで罪を重ね続けることを選んだ。 本当は、本当は。 ロザリーを喪ったあの時にすぐにでも彼女の元へと行きたかった。 けれど、そうするわけにはいかなかった。 ロザリーに助けられた命を無碍にもしたくなかったし、自ら死ぬのは不治の病に侵されて尚必死に生き続けた彼女への冒涜だと感じた。 ほかならぬ彼女にいつかを願われた。この名に込められた祈りに背くことを躊躇したからでもある。 何よりあの時死を選んでいたとしても地獄にはいけないことがシャドームーンは分かっていた。 デジモンは寿命をまっとうして死を迎えると自らを構成するデータを卵に残して再び生まれ変わる。 しかし寿命を全うできず戦闘での死亡などで死を迎えた場合はダークエリアと呼ばれる場所に送られる。 ダークエリアはデジモンたちにとっての地獄でありそこでアヌビモンによって生前の行いを裁かれる。 悪いデータと認識されれば永遠に存在を葬られ、良いデータと認識されればまたデジタマとして生まれ変わる事ができるのだ。 ――それまでの全ての記憶を代償に。 それだけはできない。それだけは耐えられない。 君を忘れたくない。君を忘れたら、君を助けられなくなる。 救いたい、ロザリーを。いつか、この手で。 だからこそシャドームーンが地獄に、ロザリーのもとに行くには罪を犯し戦いの中で死ぬしかなかった。 その選択に未練はない。 救われるのは自分ではなくロザリーだ。 今や彼はデジモンですら無い存在へと変質しかけているがそれでもいい。 デジモンであろうとデジモンでなかろうとも、彼女がくれた名前だけは忘れるものか。 この身はただの力として、それでいてどこまでもシャドームーンとして彼女を救いにいけばいい。 そのためにも――シャドームーンはここでアリスを越えていかねばならない。 ロザリーを苦しめ、追い詰め、救いを求めさせたのは死だ。 彼女を救うというのなら死と戦って勝てなければ話にならない。 全く皮肉な話だ。 死を求めているのにその死を打ち破らねばならぬとは。 駆け抜け踏み込むこちらの足音に対して、翼を羽ばたかせるまでもなく浮遊するアリスは禍々しい刃の駆動音で答える。 穿たれる刃をスカートを揺らしてふわりふわりと避けチェーンソーを振るうアリスだが、戦闘技術ではシャドームーンの方が上だ。 「キャッ!」 カウンターの切り払いでチェーンソーをいなす。 お気に入りの玩具を取りこぼすまいとしチェーンソーに引っ張られバランスを崩しがら空きになったその胴に、スパイクを打ち付ける。 さくり、とあまりに呆気無く少女の胸を杭が穿つ。 その手応えはあまりにもあまりにも軽い……。 それはおおよそ人の姿をしたものを刺した感触ではなかった。 肉の感触はせず血の一滴も流れない。 まるで骨と皮以外はがらんどうのような、そんな、そんな……。 「……そうか。お前はからっぽなんだな」 得心が行く。 この少女は空っぽなのだ。 なにもないからこそ誰よりも貪欲に空っぽの自分を満たそうと何もかもを求め続ける。 それは宝石、それは友だち、それは生命。 飢餓たる空虚に向けて杭を打ち込んだ側のはずのシャドームーンから生命力が漏れだしていく。 エナジードレインだ。 全身を襲う虚脱感にまずいと踏んで距離を置こうとするがもう遅い。 「? おかしなことを言うのね、虫さん。アリスの街も、おもちゃ箱もいっぱいよ。  たとえばほら――虫めがね~」 略奪した生命力で傷を塞いだアリスが五指を合わせ可愛らしく円を作る。 そうして、人間の子どもたちが捕まえた虫にそうするように、無邪気にその円をシャドームーンに掲げて、アリスは。 魔人の少女は。 ――トリスアギオン 陽の光の力を借りることもなくシャドームーンを焼き払った。 ▼ 火は虫と草に強い。 それはどこの世界でも変わらない普遍の理だ。 自然の性質を持つスティングモンでは桁外れの魔力を誇る魔人による極大火炎魔法を前にして耐えられるはずがなかった。 だがここにいるのはただのスティングモンではない。 ロザリーから名をもらい彼女を救うために地獄を目指すシャドームーンだ。 地獄の業火ごときではその歩みは止まらない、止められない。 カシャ カシャ カシャ カシャ カシャ ぱちぱちと爆ぜる火花の音に混じって金属質な足音が響く。 炎に照らされた紅蓮の世界の奥に黒い影が映る。 おもちゃ箱に放り込んだはずのおもちゃが上手く入らなずこぼれ出たことに気づき、ぷくーっと頬を膨らませるアリス。 その表情が打って変わって喜色に包まれたのは炎をかき分け現れた姿が少女好みの宝石に彩られていたからだ。 「そっかー、虫さんならだっぴできてとうぜんだよね!  ねぇねぇ、虫さん。そのきれいな“ルビー”わたしにちょうだい?」 ルビー。 そうアリスが見て取ったのも無理は無い。 炎より出でし影――新生したシャドームーンは赤い宝玉の鎧に身を包んでいたからだ。 シャドームーンにはその宝石が宝石などではなく、赤い血の涙にしか思えなかった。 病に苦しむロザリーが流していた赤い涙に。 今も彼に助けを求めて泣いている彼女の涙に。 「貴様にやるものなどない。この身は血の一滴まで全てロザリーのものだ」 「うぇーん、ひどいよひどいよー。わたしのいうこと、きいてくれないんだー」 アリスが何か喚いているが、聞く間も惜しいとシャドームーンは翼を震わせ高速で飛翔する。 進化に伴い新たに生えた白い長髪が風に靡き荒れ狂う。 シャドームーンが進化したジェルビーモンはより人間に近づいたその容姿からは想像できないほどのパワーを秘めていた。 本来なら玉虫色の装甲と宝石を銀と真紅に染め上げ影の月が天へと昇る。 本物の月を背にシャドームーンは手にしたメタルキングのヤリを光速で振るう! 「スパイクバスター!」 比喩や喩えではない、文字通りその一閃は光の速度に達していたのだ。 それだけの速度で振るわれた槍だ。槍自身の射程を無視して爆発的な衝撃波がアリスへと襲い来る。 光とは時間だ。光速での衝撃波ともなれば槍が振るわれた瞬間にそれは既にアリスへと命中している! 悲鳴をあげる間もなく魔人が吹き飛ぶ。 爆撃もかくやという衝撃波を受け原型をとどめているのは驚愕に値するがもとよりこの程度で仕留めれるとは思っていない。 シャドームーンは“右”の槍を振り切った勢いのまま宙で回転し、“左”の槍で追撃する。 元から所持していたメタルキングのヤリに加えて、進化したことで得たジェルビーモン自身の槍を併用しているのだ! 槍が二本で威力も二倍! 最も本来なら両腕を用いて放たれる斬撃を片手で撃っている以上威力が落ちるのが妥当だが、進化の秘法で得た筋力は常識をも覆す。 加えて槍の名手として名高いクーフーリンをロードした今のシャドームーンには二本の槍を扱うなど造作も無い事だった。 「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」 ロザリーから教わったカラテの掛け声で気合を入れ、空中でコマのごとく回転しながら衝撃波を撃ち続ける。 近づけば生命力を吸われ、回復し続けられる以上、あの魔人を仕留めるには距離をとって一方的に殴り続けるか或いは―― 「!?」 数秒にも満たない爆撃により抉られ、幾つものクレーターを穿たれた元森林で月に照らされ何かが光ったのをシャドームーンは見逃さなかった。 その色は、銀。 シャドームーンが右手に握る槍と同じ色。 「ダメだよ、虫さん。はなびはね、おせんこうよりうちあげるほうが素敵なんだから」 瞬時の判断で今にも放とうとしていた衝撃波をアリスではなく空中に放ち、その反動で無理やり身体を横へと飛ばす。 直後シャドームーンの白髪を紅蓮の炎がかすめる。 間一髪回避に成功したシャドームーンだが、直後今の一撃が囮だったことに気づく。 炎の眩さに目を焼かれたシャドームーンが視界を取り戻した時、彼の目に飛び込んできたのは地上より飛来する銀の弾丸だった。 少女とともに歩むことを選んだエアドラモンが少女を魔銀で包み守り抜いたのだ。 「今度は、アリスの番だね♪」 金属化した十二の翼で身体を包み込み自身を弾丸と化したアリスがシャドームーンに激突する。 秘法の力で進化を重ねた悪魔を断罪するかのように激痛を伴って銀の弾丸はシャドームーンの胴を貫き両断する。 閉じられていた翼をこじ開け、アリスは引きちぎった落ちゆくシャドームーンの下半身へと手を伸ばす。 「アハハハハハハハハハハハハハハッ! わーい、わーい、宝石だ―」 その手が宝石を掴むことはなかった。 「え?」 あと僅かで手が届くというところでアリスを追い抜いた熱光線が宝石を消し炭にしたのだ。 誰のしわざかは言うまでもない。 アリスがそうであったように、シャドームーンもまたティラノモンのデータからヌークリアレーザーを再現し触覚から放出したのだ。 「言ったはずだ。貴様にやるものなどない、と。この身は血の一滴まで、全てロザリーのものだ、と」 この身が彼女以外のものになるなど死んでもゴメンだ。 背中を晒した相手を撃てる機会を逃してまで、不要になった下半身を焼いたのはそんなくだらない想い故だった。 これ以上にない想い故だった。 半身だけで飛行していたシャドームーンの腰から下にかけてが再生していく。 ごぼりごぼりと不気味な音を立てて、一際強く、大きく、太い脚へと生え変わる。 「虫さんは手品師さん? すごいすごーい! それじゃ虫さんの宝石がなくなるまで。アリスがぜんぶとりほうだいしてあげる!」 自然に背いた進化を前にしても、自然の輪から外れた少女の様子が変わることはなかった。 自らもまた常軌を逸した蟲毒の魔物を取り込み、変異を遂げ、それでも尚、何一つ変わることのなかった少女。 それが死だというように死の先を歩む少女がここにいる。 死後を求めたシャドームーンを否定し、生きるために殺し続けたロザリーを嘲笑うかのように。 死んだままこの世に存在し続け、死んだまま殺し続ける少女がここにいる。 ▼ 暗き闇に覆われた空で、満月だけが輝いていた。 眼下で行われる戦いを見守るように、嘲笑うように。 優しく、妖しく、光を放つ。 空に舞台を移した戦いは完全にシャドームーンが押されていた。 完全体に進化した今のシャドームーンなら魔人アリスとなら接戦には持ち込めたかもしれない。 けれど今のアリスは魔人ではなく死導だ。 九の翼から生じる風と光と闇にシャドームーンは阻まれ、よしんば弾幕を潜り抜け傷つけたとしても残る三翼が少女を癒やす。 自らが一刻む間に翼と合わせて二を刻む異界の住民にシャドームーンは力も手数も圧倒的に足りなかった。 このままで足りぬというのなら『進化』するしかない。 けれども、どうやって? 多くの命を取り込んでようやく完全体へと行き着いたのだ。 ティラノモンを殺して以降、誰一匹ロードしていない今、究極体への道は閉ざされたままだ。 ならば進化の秘法の力に頼るか? 確かにそれが確実だろう。 しかし、秘宝による進化が滞っていることにシャドームーンは気付いていた。 蘇れば蘇るほど強靭な肉体へと進化していたのもさっきまでのこと。 今や腕が吹き飛ぼうが、脚が消し去られようが、単に再生するだけだ。 秘宝による進化は止まっていた。 今の進化の秘法には二つ、大事なものが欠けている不完全なものだからだ。 一つは闇の力を増幅する黄金の腕輪。 もう一つは憎しみの感情だ。 前者はシャドームーンが知る由のないことだが、後者はプチヒーローの話から薄々だが察していた。 かつてある魔王が、憎しみの果てに自分を無くしたという。 然るに憎しみさえすれば、進化の先に、さらに先に、突き進めるのではないか。 憎悪にて心身を塗り替え、身も心も全て醜悪なる化け物へと挿げ替えさえすれば……無理だ。 シャドームーンを満たしているロザリーへの感情は憎しみとは対極にあるものだ。 進化を阻害しはすれども、促すものではない。 ならばアリスはどうか。この少女を憎めばよいのではないか。 アリス。 ALICE。 死の先を行く“元人間”。 デジモンとしての本能からだろう。 エアドラモンがそうであったように、シャドームーンもまたアリスに“人間”を垣間見た。 人の姿をしているからなどというレベルではない。人の姿をしたデジモンなど何匹かは存在している。 そうではない、そうではないのだ。 アリスは人間だ。元人間だ。人間だったものだ。 そう強く断言できるのは本能によるものだけではない。冷たくなったロザリーにずっと沿い続けていたからだ。 シャドームーンは知っている。人間の死体を知っている。 ロザリーを弔ってくれる人間はいなかった。 暗殺者として生きた彼女は戸籍上とうの昔に亡くなったことにされており、国が弔ってくれることも期待できなかった。 弔うならばシャドームーンがする他なかったというのに、ワームモンには彼女を埋葬するための腕がなく死体が朽ちていくのをずっと見ているしかなかった。 いっそ燃やしてしまえばよかったのかもしれない。 埋めることはできずとも火をつけることくらいはワームモンの非力な身体でも不可能ではなかった。 だというのにシャドームーンは自らの手でロザリーの身体を燃やすことができなかった。 魂無き身体とはいえロザリーを傷つけることを躊躇してしまったというのももちろんある。 でもそれ以上に、シャドームーンは願ってしまったの。 いつものように彼女が目覚め、シャドームーンの名を呼んでくれることを。 だって、そこに身体があったから。ロザリーの身体があったから。 度し難い考えだと人間は嘲るかもしれない。それを否定するつもりはない。 ただかつてのシャドームーンがありえぬ希望に縋ってしまったのも仕方のないことではあった。 シャドームーンが死体に触れたのはその時が初めてだったから。 死はワームモンの日常だった。 Xプログラムに侵されて消えゆく生まれを同じくしたデジモンたち。 わずかに残った仲間たちもX抗体の奪い合いの犠牲になり、ロイヤルナイツに駆逐された。 Xプログラムに侵されておらず外敵も存在しない人間界に逃げ延びたあの日まで、数え切れぬ死をワームモンは目にしてきた。 だからこそかえってデジタルワールド/情報世界での死に慣れ親しんだシャドームーンには、人間世界/物質世界の死は受け入れられなかった。 デジモンは死体を遺さない。 死とはすなわち消滅であり、デジタマに戻るにせよ、ダークエリアに送られるにせよ、屍を晒すことなどない。 スカルグレイモンのような例外はいるが、彼らはあくまでもアンデッド型のれっきとしたデジモンだ。 魂の核たるデジコアが消失したわけではないのだ。 肉体が残っている以上ロザリーももしかしたら……。 全く、愚かな願いを抱いたものだ。 死んだ人間は蘇らない。蘇った時点で、人間ではない何かだ。 生じた痛みに現実に引き戻されたシャドームーンにアリスへの憎しみはなく、己を自嘲するだけだった。 かつての自分は一体何を願っていたというのか。 こんなものに、こんな怪物にロザリーがなって欲しかったというのか。 こんな、こんな、こんな、シャドームーンの身体が再生する端から満面の笑みで引きちぎりにくる怪物に。 無色のエネルギーを迸らせ、シャドームーンを痛め、弱体化させながらなぶり殺す怪物に。 纏わりつく笑顔を跳ね除けようと槍を振るうも、少女が何かするまでもなく、鋼の翼に弾かれる。 二の槍を振るうも結果は同じだ。 少女の魔翼は主が惨殺に興じる間も邪魔はさせないと健気に尽くす。 その献身も少女になんら変化をもたらさない。 己が翼に見向きもくれず、アリスは新しいおもちゃに夢中で、新しい友だちを欲し続ける。 「『ウィリアム父さんおとしをめして』とおわかい人がいいました」 血の通わぬ華奢な手が伸ばされそっとシャドームーンの胸部を撫でる。 それだけで銀の装甲は輝きを失い崩れ去りゆく。 「『かみもとっくにまっ白だ。なのにがんこにさか立ちざんまい――そんなおとしでだいじょうぶ?』」 進化の秘法がただちに再生を促すも少女に触れられ続けている限り、再生の力はそのまま片っ端から吸い取られていく。 こうなってしまえば二槍で穿とうとも即座に傷を癒され意味がない。 「ウィリアム父さん、息子にこたえ、『わかいころにはさかだちすると、のうみそはかいがこわかった。 こわれるのうなどないとわかったいまは、なんどもなんどもやらいでか!』」 距離を取ろうにも少女は既に積めるだけラスタキャンディを積んでいた。 今のアリスはジ・ハードに晒され弱体化したシャドームーンより圧倒的に強く、硬く、速い。 「『ウィリアム父さんおとしをめして』とおわかい人、『あごも弱ってあぶらみしかかめぬなのにガチョウを骨、くちばしまでペロリ、いったいどうすりゃそんなこと?』」 虐殺が始まる。 無邪気な笑みを浮かべたままアリスは朽ちたシャドームーンの装甲から宝石を無理やり抉り出していく。 データの飛沫が舞い、シャドームーンが激痛に呻き藻掻こうとも少女は止まらない。 「父さんがいうことにゃ『わかいころにはほうりつまなびすべてをにょうぼうとこうろんざんまい、それであごに筋肉ついて、それが一生たもったのよ』」 全ての宝石を抉り取っても満足せず、そのままアリスを引き剥がそうとしたシャドームーンの右手へと手を伸ばし引きちぎる。 左腕を引きちぎる。右足を引きちぎる。左脚を白髪を四枚羽をちぎってちぎってちぎってちぎって切り刻む。 『ウィリアム父さんおとしをめして』とおわかい人、『目だって前より弱ったはずだ。  なのに鼻のてっぺんにウナギをたてる――いったいなぜにそんなに器用?』」 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ 『しつもん三つこたえたら、もうたくさん』とお父さん。『なにをきどってやがるんだ!   日がなそんなのきいてられっか! 失せろ、さもなきゃかいだんからけり落とす!』」 過ちの歌が終わる頃にはシャドームーンは退化するまでもなく芋虫に逆戻り。 羽をもがれた虫けらは天に座すること叶わず落ちゆくのみ。 月にどれだけ手を伸ばそうとも、その手は何も、掴めない。 ▼ 超高々度から岩盤に覆われた山肌に墜落しながらもシャドームーンは生きていた。 呆れた頑丈さだ、進化の秘法のおかげだろう。 だがアリスから離れたにも関わらず、身体は再生する気配を見せなかった。 命を繋ぎ止めるので精一杯なのか、それともシャドームーンの進化はもう限界なのか。 この程度で。死に敗れるたったこの程度の力で。 悔しさに握りしめる拳すらないシャドームーンは身動ぎ一つできず、ただ空を見上げるしかなかった。 暗き闇に覆われた空で、満月だけが輝いている。 夜闇を照らしてくれる月だが、その光が届くことはない。 頭上に、影が落ちる。 十二の翼を従えた夜空を裂く少女の影が。 「ねえ虫さん、わたし、『えらい小さなハチさん』のおうたをあんしょうしようとしていつもまちがえてしまうの。  『ウィリアム父さんお歳をめして』だってうたえないわ。まちがいだらけなの。なんでかな」 きっとそれは少女の存在そのもの自体が間違いだから。 死んでもなお存在し続けようとしているのが間違いだから。 リビングデッドなどと言われようと死体は死体だ。 命なき存在。ただそこにあるだけのモノ。 どれだけ“お友達”を増やそうとも、少女の心は止まったままで。 神に全てを奪われ、幼くして一人寂しく死を迎えたあの時のまま。 屍鬼として蘇ろうと、魔人と化そうと、天使に死導に変異しようと少女がアリスである限り満たされることはない。 満たされないからこそ少女は、生者を見つけ、殺し、死者へと変えるというプロセスを永遠に繰り返し続ける。 「……哀れだな」 笑みを浮かべ続ける少女を、そして自分自身を嗤い返す。 死んだら終わり。 そんな当たり前過ぎる事実を少女の有り様はこれ程までもなく示していた。 死んでしまった者は変わらない。 死んでしまったら変えられない。 死者は救われることなく、死んでしまえば誰かを救うこともできなくなる。 分かっている、分かっていたさ。 所詮自分が抱いた願いは、叶うことのない絵空事なのだと。 ロザリーを救えたとしたらそれは生きているうちだけだった。 最後の機会があったとすれば彼女が手を伸ばしたあの時だけだった。 その機会を逃してしまった以上、今更腕を手に入れたところで何になる? どうにもならない、無意味なのだ。 全てはあの時、終わってしまっていたのだから。 ロザリーも、彼女を救いたかったシャドームーンも終わってしまっていたのだから。 結局自分もこの少女と同じ。 決して満たされない願いを抱いて永遠に飢え続ける生きた死人に過ぎなかったのだ。 「哀れって、なあに? アリスは幸せよ。黒おじさんも赤おじさんいてくれて、遊んでくれるお友達もいっぱいいっぱいつくったわ。  でもね、まだまだ足りないの。いっぱいっぱいアリスはお友達が欲しいの。だからね、そろそろ虫さんも」 だからもう、いいのではないか。 あの日願ったように、ロザリーの後を追ってもいいのではないか。 「 死 ん で く れ る ?」 呪殺の剣が世界を覆う。 未だ羽も手足も再生できていない以上、避けるすべはない。 死んでしまえば進化の秘法で蘇ることもできない。 これで終わりだ、終わればいい。 どうせあの時、既にシャドームーンの全ては終わっていたのだから。 なのに。 なのに何故、私は降り注ぐ呪いに抗うようにありもしない手を伸ばしているのか。 なのに何故、私は今も、ロザリーを救いたいと願っているのか。 ああ、そうだ、あの時もそうだった。 ワームモンの私には芋虫には彼女を握る手が無くて。 それでも、それでもと、手を伸ばそうとした。 あるかないかではなく、そうせずにはいられなかった。 今も同じだ。 そうせずにはいられないのだ。 この手を伸ばさずにはいられない。 ロザリーの手を掴まずにはいられない。 彼女を救いにいかずにはいられない。 僕は、僕は。 君と共に、いたいんだ。 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」 吠える。 死に抗うように吠える。 吠えて、吠えて、吠え猛る。 死んでしまった者は救われない? それでも、それでも救うのだ。 私が願われたのはなんだ。 私の名に込められた想いは何だ。 救われぬ人をこそ救って欲しい、そう願われたのではなかったのか。 何よりも、ロザリーが、ではない。 ほかならぬシャドームーンが願っている。 ロザリーを救いたいと願っている。 ずっとずっとずっと、シャドームーンはロザリーを救える力を求め続けてきた。 ロザリーを握りしめられる手は得た。ロザリーの元に歩いて行ける脚も得た。 ロザリーを救う力はそれだけで十分だ。 シャドームーンはロザリーに永遠など求めていないのだから。 足りないのはあと一つ。 力以前の大前提。 その存在をシャドームーンはずっとずっと渇望し続けていた。 力を手に入れてもそれがなければロザリーを救いに行けないと嘆き続けた。 けれどもそれは結局願っていただけだ。 願うだけで何もしなかった。 世界がそうあって欲しいと願うだけで、自分にはどうにでもできないとどこか諦めていた。 ならばもし、それが存在しなかったら。 シャドームーンはロザリーを救うことを諦られると? そんなわけない。諦められなどするものか。 だから、どうか ――この手に、“地獄”を          ――Xevolution―― 人間界に逃れて以来休眠していたX抗体が目を覚まし、宿主を蝕む死の呪いをデジコアへと取り込んでいく。 強大な闇の力を得たことで進化の秘法が活動を再開する。 術者を蝕む二つの進化の力がシャドームーンを更なる位階へと押し上げていく。 手足と翼の再生などという生ぬるいものではない。 爪が伸び、尾を生やし、第三の目が見開かれ、シャドームーンの身体が丸ごと作り変えられていく。 完全を突き破りし究極の姿へと、進化の秘法とX抗体、二つの禁忌に手を染めしものに相応しい姿へとシャドームーンが変貌していく。 「あれ、赤おじさん? アリスを追ってきてくれたの?」 その姿にアリスが魔王ベリアルを重ねたのも無理は無い。 かのものもまた魔王。 叶わぬ願いをそれでもと求め続ける暴食の魔王。 這う虫の王――ベルゼブモンX抗体。 否。 果たして今のシャドームーンを赤と銀にそまったこのベルゼブモンをデジモンと言えるのだろうか? X進化からして従来のデジモンの枠を大きく逸脱したものだというのに、更にはその身に数多のイレギュラーを宿している。 本来交わることのなかった世界のデータを読み込み、進化の秘法という異界の手段で進化を果たした。 デジタルワールドに戻りでもすれば、Xデジモンだとかそれ以前の問題でイグドラシルとロイヤルナイツに裁かれることは間違いない。 シャドームーンを構成するあらゆるデータはそれほどまでにデジモンとは別のものへと変異してしまっているのだ。 「ううん、似てるけど違う。お兄さんはだーれ?」 「私か。私はシャドームーン。ロザリーのパートナー、シャドームーンだ」 ロザリーに名前をもらっていなかったら、名乗り返す自我さえも失っていただろう。 今のシャドームーンの内側には死が満ちている。 アリスの呪いは、進化の秘法は、刻一刻とX抗体を喰らい尽くしシャドームーンを死の淵へと近づけていく。 単に死ねたのならまだマシだ。 最悪、存在することへの本能が生み出したX抗体は、シャドームーンが死滅しても尚存在し続けようと進化を重ねる。 肉体が朽ち、理性が無くなろうと本能的に他者のデジコアを喰らい続け、死に続け、存在し続ける死のX進化。 死んでもなお存在し続けようとする進化――デクスリューション。 その果てがどうなるかなど今更語るまでもない。 アリスだ。 シャドームーンはアリスになる。 それだけはロザリーのパートナーとして受け入れられない。 生存し続けるために人を殺し続けたロザリーの果てが、存在し続けるだけで人を殺し続けるアリスなのだと暗喩するような結末を認められない。 だからこそ、シャドームーンは自らの力の果てを怪物とは別のものへと変換していく。 即ち、地獄に。 ずっとずっとその存在を願い続けていたものに、願うだけで求めることをしなかったものにシャドームーンは自らを変えていく。 地獄がないというのならこの身を地獄と化せばいい。 地獄が既にあるのなら影を照らす月の浮かぶ新たな地獄に塗り替えればいい。 それをなせる力は手に入れた。 進化の果てに地獄の帝王にして、ダークエリアを統べる七大魔王となった。 その権限を以って、地獄の大公爵であるデカラビアの亡骸ごとロードした地獄のデータを元に自らを書き換えていく。 ロザリーに捧げる地獄へと。月が照らす地獄へと。 「ろざりー? アリスの友だちじゃなくて? だったらいらない。アリスの友だちになってくれないのならお兄さんなんていらない!」 シャドームーンの変質にアリスも気付いたのだろう。 友だちにしようとしていたこれまでと打って変わって、その顔に浮かぶのは拒絶の意思だ。 死の如き少女。死を導く天使。魔人にして怪物。 そんな彼女でも、いや、だからこそ、今のシャドームーンは誰よりも何よりもおぞましいのだと本能で理解している。 かつて少女が神に召されようとしていたのは天国であった。 今の少女なら間違いなく地獄へと堕ちるだろう。 どちらにせよ少女にとっては変わらない。天国でさえも少女には地獄だ。 死を振りまき、死を強要する少女は、それでいて誰よりも死を恐れていた。 永遠の少女は永遠が終わるのを恐れていた。 少女は怪物だ。人間という怪物だ。人間だからこそ他人に死は望んでも自らの死を恐れる。 アリスは必死に不思議の国へとしがみつき、神が敷いた運命へと抗う呪文を口にする。 ――血のディボース―― 愛を知らずに死んだ少女が転じた凶鳥の翼が血の色の涙を流す。 ――テラーフォーチューン―― 人間への幻想を捨てきることができなかった龍の翼が風を黒く染めていく。 ――闇のフォーミーラバー―― 人に作られ人に討たれた邪龍の翼が地をも揺さぶる慟哭を上げる。 ――エクリプスミラー―― 信じていたかった人間たちに裏切られた天使の翼が光を失い闇へと堕ちる。 ――ダークノヴァサイザー―― それら四対の翼であり人間だった怪物の手には真夜中の太陽が顕現していた。 少女を中心に五つの魔法が描くのは惑星直列の如し逆十字。 それは、形を得た死。死の終着にある極点。触れれば全てを無に帰す。 死の後には骸が残る。だがこれは形容すらできぬアリスの抱えた虚無そのもの。 底なしの虚無に飲まれれば死を体得した事実さえ等しく蝕まれ消滅し、死滅する。 「死の“グランドクロス”」 十二の翼を持つ天使より放たれた万魔の十字架は山を消し飛ばし、大地を闇へと沈め――影を照らす月の光の前に霧散する。 「どうして? お兄さんはわたしにいじわるするの? どうして死んでくれないの?」 シャドームーンが地獄だからだ。 もはやシャドームーンを構成するデータは等しく死の属性を帯びており死滅と遺骸で満たされている。 今更そこにどれだけ極大の死を叩き込もうとも、影の月が陰ることはない。 地獄とは死者が行き着く場所であり、死を迎え入れる器なのだ。 アリスがどれだけ駄々をこねようと死んだ少女には地獄をはねのけられるはずがない。 だからもういい、もういいのだ。 お前の終わりなき悪夢も今ここで終わらせよう。 銀翼を広げ、シャドームーンが飛翔する。 魔法で追撃してくる少女をよそに、真なる月をその銀翼で抱き遮り、影の月が天へと昇る。 眼前にはアリス。 死んで、死んでよと乞い続け、チェーンソーで斬りつけてくる少女は泣いているようで、この救われぬものにせめてとシャドームーンは手を伸ばす。 その手には武器であるはずの2丁拳銃は握られてはいないけれど。 きっと、少女を終わらせるにはこれが正しいのだと信じて、シャドームーンは、ロザリーから教わった拳を握りしめアリスを打ち抜く。 「――獣王拳」 それで終わり。 あまりにもあっけない怪物の最後。 防御に回した刃と守りに入った翼ごと砕かれた少女は自らが生み出した惨禍の大地へと堕ちる。 「またわたしだけ、死んじゃうの……?」 “地獄”であるシャドームーンの拳に貫かれた以上、不死者は死者へと還るしかない。 何度も味わった感覚で、誰よりも自分が死ぬのだと分かっているアリスは嫌だ嫌だと地を這い進む。 少女にはもう飛ぶ力も浮かぶ力も歩く力さえ遺されていなくて。 「嫌だよ。助けて、赤おじさん。黒おじさん。わたし、死にたくない。もっともっと友だちが欲しいよ」 自らの墓標に辿り着き、最後にそう口にした少女は、一人ぼっちのままこの舞台から姿を消した。 &color(red){【死天使アリス@女神転生シリーズ PARADISE LOST】} カシャ カシャ カシャ カシャ 全てが死滅した世界を一人、シャドームーンは歩く。 向かうはアリスの墓標となった地――ターミナル。 何らかの結界でも張られていたのだろう。 あれだけの破壊に晒されて尚、その機械だけは無事だった。 それほどまでにして守られていた施設である以上、何らかの意味はあるのだろうが、シャドームーンには興味なかった。 精々人間たちに邪魔をされたら面倒だと考えた位だったが……どうやら杞憂だったらしい。 あったかもしれない防衛機能も消し飛んだのか、グランドクロスに耐えることに全エネルギーを費やしたからか。 何者にも阻まれることなく、警告すらされず、その場所へと辿り着いた。 或いはターミナル以上に人間たちがかかりっきりにならねばならない何かが起きたのかもしれないが、どうでもいい。 この世界から消えるシャドームーンにはもう関係のないことだ。 ふとターミナルの周りに散らばる白い羽が目に入る。 アリスの背に生えていたものであろう。 少女は間違いなくここで消滅したのだ。 「……」 アリスを貫いた拳を握りしめる。 少女からロードしたデータは確かにシャドームーンの地獄へと誘われた。 けれどもその情報量は一人の人間の魂としては余りにも少なかった。 もしかしたら彼女は元になった人間の少女の魂が幾つにも分かれた一欠片に過ぎなかったのかもしれない。 或いは―― 脳裏をよぎった可能性を打ち消す。 アリスもまたシャドームーンにとってはどうでもいい。 どこかロザリーと合わせ鏡だったからこそ、救われぬままのアリスの永遠を終わらせようとした。 しかしシャドームーンが真に救いたいのはアリスではない、ロザリーだ。 そのためにも、最後にまだ、やらねばならないことがある。 ターミナルへと手を飾す。 使い方はロードしたデカラビアのデータから引き出しているし、デジタルワールドにも同名の類似品がある。 だからこそアリスを追い、ターミナルを目にしたシャドームーンはこれが何か気付き、ここまで歩いてきたのだ。 シャドームーンはこの地で死ぬわけにはいかなかった。 七大魔王としてダークエリアへとアクセスし、始まりの場で死したレオモンの力を引き出そうとした時、気付いたのだ。 本来ダークエリアに送られているはずのこの島で死んだキメラモンやメタルティラノモン、ブイモンの魂がないことに。 それが何故なのかは分からないが、何を意味するのかは理解できる。 この島で死ねば、シャドームーンの魂は消滅させられてしまう。 それではロザリーを救いにいけない。 せっかく、せっかくここまで来たのだ。 あと一歩のところまで来たのだ。なんとしてもこの島を抜けださねばならない。 幸いターミナルは既に起動していた。 アリスの最大火力から耐えるためにそのままエネルギーとして変換しでもしたのだろう。 世界移動にはそれでもまだエネルギーが足りていないようだが、ここにいるのは地獄と化したシャドームーンだ。 バトルレックス、クーフーリン、すえきすえぞー、メタルティラノモン、そしてアリス。 丸ごとではないものも含まれるが、多くのモンスターを喰らい、ロードしたことに変わりない。 ロザリーを救うのに不要な力を捧げさえすれば世界移動のためのエネルギーは十分に足りている。 「ようやく。ようやくだ……」 長かった。本当に長かった。 ロザリーを救うのに不要な部分――僅かに残していたデジモンとしてのシャドームーンが光に解け消えていく。 放っておいても後数秒で自らを満たした死に呑まれ、己が地獄に呑まれていた身だ、躊躇いはない。 「待たせてすまない、ロザリー。ようやく、ようやくなんだ」 デジモンでいられなくなった身体が輪郭を失い領域的なものへとシフトしていく。 設定の完了したターミナルを通じてロザリーが生きた世界に“地獄”が流出していく。 「あと少し、あと少しだけ待っていてくれ―― そして遂に、最後まで残っていたデジコアがこの世から姿を消した。 消える前のデジコアは優しい光を放つ銀色の球体で、まるで月のようだった。 ――かつて君が僕に手を伸ばしてくれたように、今度は私が君に手を伸ばすから その月の名はシャドームーン。 救われぬ君を救う、ロザリーを照らす地獄の月。 &color(blue){【シャドームーン@デジモンシリーズ 君のとなりに】} ※E-6山がターミナルだけを残して吹き飛びました。防衛用の諸々も消滅したのでターミナルは無防備です。   現在ターミナルにどれだけのエネルギーが残っているかは今後の展開にお任せします。 |No.77:[[僕たちは世界を変えることができない。]]|[[時系列順]]|No.80:[[心重なる距離にある]]| |No.77:[[黒く蝕み心を染めん]]|[[投下順]]|No.79:[[終焉の物語]]| |No.70:[[僕たちは世界を変えることができない。]]|ワームモン|&color(blue){君のとなりに}| |No.70:[[僕たちは世界を変えることができない。]]|魔人アリス|&color(red){PARADISE LOST}|

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