―――――京都。
――とある豪邸。
――自宅の縁側でお茶を飲みながら、物思いに耽る少女がいた。
紗枝「ふぅ……」
――小早川紗枝。
――代々、妖怪退治を生業にしてきた小早川家。
――その小早川の、歴代最高の天才と名高い、次期当主。
――それが彼女、齢14の少女である。
――ある日、世界は様相を変えた。
――しかし、意外にも世界は思っていた以上にそれに寛容であった。
――何故なら、普通の人は知らずとも、以前より世界は不思議に満ちていたからである。
――即ち、世界各地にそういった不思議に対処できる用意があったということだ。
――聖地と呼ばれる場所、貴い地位にいる者、噂はあれど形の無い組織……。
――日本の古都京都もその一つである。
――妖怪、物の怪、幽霊。
――古くより、ここにはそれに対抗しうる勢力が存在していた。
――それらは永く、秘匿とされてきたが、
――『あの日』を境に陽の目を見ることも多くなってきた。
――そんな時勢、ここいらでにわかに注目を集めているのが彼女、小早川紗枝である。
――『妖怪退治屋』
――そして『過去、類を見ないほどの実力者』
――紗枝は人生の殆どを奇異の目で見られて育った。
――それは家の中でも変わらなかった。
――しかし彼女は真っ直ぐ成長した。
――辛く、厳しい修行にも耐えた。
――めげず、挫けず、曲がらずに、何処に出しても恥ずかしくない、次期当主となった。
――『なんや、つまらんなぁ……』
――まだまだ幼い女の子が、人生に対してそんな達観を抱くほど、彼女は己を捨てて頑張った。
――だが、いずれ遠くない未来、彼女は破綻する。
――賢いものは、恐らくそうなるだろうと予見していた。
――しかし、彼らはそんなことを口にするわけにはいかなかった。
――小早川という大きな家柄が、それを許さなかったのだ。
周子「やっほ!」
紗枝「あ、周子はん!」
――そんな前途に暗雲の立ち込める小早川家に現れたのが、この九尾の狐である。
周子「やー久しぶりだねぇ、紗枝ちゃん」
紗枝「ほんまやで、もううちのことなんて覚えてへんのやろうかと……」
周子「まーったくもー、そんなわけ無いじゃーん!」
――周子が、スリスリと紗枝に頬ずりをする。
紗枝「うふふっ、くすぐったいで、周子はん」
周子「冷たくて気持ちーなぁ、紗枝ちゃんは」
――塩見周子、と人の名を名乗っているが、しかし彼女は妖怪である。
――それも1000年以上は生きている大妖怪で、
――そして小早川紗枝は妖怪退治屋だ。
――本来なら相容れない存在のはずだが……。
紗枝『あんた、妖怪やろ……?』
周子『そだよー?』
紗枝『妖怪退治屋のうちに何の用事があるん?』
周子『いやぁ、噂の歴代最強の退治屋さんに興味が沸いてさ』
紗枝『見ただけでわかる……、あんた、強いなぁ』
周子『いやぁ、それ程でも』
紗枝『……うちにはあんたを退治できひん』
周子『おや、私はそうは思わないんだけどねー』
紗枝『……もう、構わんでくれまへんか』
周子『んー、あなたがそう望むのなら仕方がない……』
紗枝『それなら早いとこ……』
周子『けどね、私があなたを気に入っちゃったんだよね』
紗枝『……』
周子『あなたはどう? 私のこと気に入らないかなー?』
紗枝『……うちは』
紗枝「周子はんはもっとうちに構うべきどす!」
周子「もー、かーわいいなー紗枝ちゃんはー!」
紗枝「あぁ……、周子はんの香り、落ち着くわぁ……」
周子「相変わらず長くて綺麗な髪だねぇ、サラサラだし」
――仲良しだ。
――周りが引くくらい、この二人は仲良しなのだ。
――永年生きた大妖怪と、今更感漂う黴臭い妖怪退治屋。
――基本的に話の合う者が居ない二人が、
――種族を超えて意気投合するのにあまり時間はかからず、
――加えて、お互いの波長が妙に合うこともあり、
――紗枝と周子は友人……、若干それを超えた仲なのだった。
紗枝「娘さんの……」
周子「んー?」
紗枝「娘さんの事は、もうええんどすか……?」
周子「あー、美玲のことかな……」
――紗枝は厳しく育てられてきた。
――人形の様に、極力感情を表に出さにように躾けられてきた。
――彼女の両親も、才能あふれる我が娘に、どう接したらいいかわからないようだった。
周子「私に子供なんていないって」
紗枝「いっつもその子の話ばっかしてはった」
周子「今はもう独り立ちしたというか」
紗枝「やっぱり娘さんなんや」
周子「いや、永い事生きてればね? そりゃ私も女だしね? 母親の真似事とかしたくなったりね?」
紗枝「うちも周子はんの子供がええ……」
周子「えー、本当にそう思ってる?」
紗枝「……ううん、ほんまは―――」
周子「……」
――周子に出会って、紗枝は感情に芽生えたようであった。
――殊更に、紗枝は周子に母性を求めていたようだったが、
――時を経るごとに、最近はその感情に違う側面が見えるようになった。
紗枝「もうちょっと、周子はんがうちの側にいてくれはったらええのに……」
周子「……」
紗枝「ふふ……、いじわるやなぁ周子はんは、何も言うてくれへんのやね」
周子「ごめんね……」
――周子もまた、紗枝に特別な感情を抱いているようだった。
――先ほど言い訳として口にしたが、
――男と女、人間だろうと妖怪だろうと、大別すればその二つ。
――1000年以上生きた大妖怪の周子も、しかし、女性としての母性に抗えず、
――今までに色々な子の面倒を見てきた。
――美玲もそうだし、
――そして、紗枝もそう、
――だった。
――はずだ。
――美玲の事を、実の娘の様に育てきた。
――紗枝はどうだ……?
――少なくとも初めは、生意気な小娘だ、と
――その程度にしか思ってなかったはずだが……。
紗枝「……邪魔やね」
周子「そうだねぇ……」
――カース。
――周子に言わせれば、『うっすい思念体』。
――紗枝に言わせれば、『妖怪の下位互換』。
――ここ、京都では、そんなカースの出現率はかなり低かった。
――その代わり。
天狗「おのれ、退治屋ども……」
天狗「よ く も 我 が 同 胞 を」
――昔からいる者。
――最近現れた者。
――いずれにせよ割と一般的に認知度の高い……、そうはいっても超常の存在、
――妖怪。
――京都には妖怪が現れる。
侍女「現れた妖怪は、天狗との報告が入りました」
紗枝「天狗さんか、少し厄介やなぁ……」
周子「手伝ってあげよっか?」
紗枝「周子はんはお客さんなんやから、そんなことさせられまへん」
周子「気にしなくていいのになー、私が行けば速攻だよ?」
紗枝「うち一人で平気どす」
周子「ま、そこまで言うならしょうがない」
――京都の古い街並みは、
――火を着ければあっという間に燃え、
――大きな地震が起きれば崩れるし、
――津波が来れば流されるだろう。
――しかし、こと不思議の力に関してはめっぽう頑丈にできている。
――どれだけ強い妖怪が現れても、ここでは建物が崩れるということが殆ど無い。
――そしてそれは退治屋、紗枝にとっても『割と無茶がきく』ということに他ならない。
紗枝「あの辺やろうか?」
周子「んー、もうちょっとこっちじゃない?」
侍女「……」
――高位の能力者は割と感覚で喋るので、周りの者には理解できないことが多い。
紗枝「ほな、行ってきます」
周子「いってらー」
――紗枝が、とん、と足取りも軽やかに地を蹴り、宙に舞う。
――途端、目に見えない浮力が紗枝に働き、ふわっと数メートルの高さまで上昇し……、
―――――もの凄い速度で天狗の元へ飛び立った。
侍女「……相変わらず凄まじい力や」
――ぽつり、と侍女が言葉を漏らした。
――そしてちら、と隣を見る。
侍女「ほんま仲良しやなぁ、あの二人」
――そこに居たはずの客人の姿がいつのまにか何処にも見えなくなっていた。
周子「でも、ついてくるな、とは言われて無いよね」
紗枝「確かにそうやけど……、まったくもう、周子はんは」
――先刻別れたばかりの周子が、紗枝よりも先にもう目的地に到着していた。
天狗「狐? いや、それより……」
天狗「小早川の小娘か」
天狗「貴様にはだいぶ同胞をやられた」
天狗「容赦はせぬぞ!」
――二人の、というよりは紗枝の姿を確認すると、
――天狗は激昂し、臨戦の構えをとった。
周子「怒ってるねー」
紗枝「そやねぇ」
――二人と天狗との間には、
――だいたい100メートルほどの距離があり、
――それは……、
天狗「ふっ……!」
―――――天狗の一足飛びによって、一瞬に詰められた。
――反応する暇など無い、
――もう既に天狗の攻撃の届く範囲だ。
――その拳は固く握られ、
――紗枝のわずか目と鼻の先に迫っていて、
――その結果、一瞬後に予想される惨劇は……
天狗「―――ぬ」
――しかし、真上からの謎の力に阻まれ、
――天狗は、抗えぬ大質量に押しつぶされてしまった。
――その力の正体は振り下ろされた拳であった。
――大きな……、人一人程もある拳だ。
――紗枝の使役する式神、
――体長10メートルをゆうに超す『赤鬼』の拳である。
赤鬼「ふ ぅ ぅ ぅ ぅ ぅ ぅ ……」
紗枝「いやぁ、ちょっと危なかったなぁ」
周子「割とやるほうだったね」
――唐突に始まったその勝負は、
――『赤鬼』の鉄拳制裁で、一瞬にして終わった。
紗枝「さて……」
――紗枝が懐からお札を取り出す。
――妖怪を封じる力の込められたお札だ。
――これは紗枝の特製であり、
――よほど強力な妖怪でも、触れれば一瞬で消滅してしまう。
―――――ちなみに周子は、これに触れてもちょっと火傷する程度で済む。
周子「終わってみれば、あっけなかったねー」
紗枝「今日はたまたま運が―――」
――その時、一陣の突風が吹いた。
――いや、突風と呼ぶには生ぬるい、
――神風とでも呼ぶべき風圧が周囲を襲った。
――それは、10メートル超、筋骨隆々の『赤鬼』の
――その見た目よりも、遥かに重たい質量を、
――上空へ吹き飛ばしてしまうほどの威力であった。
――いわんやただの少女をや、である。
――無論、これは天狗の反撃だが、
――今の風撃によって、
――紗枝と周子は、地上100メートルほどの高さにまで吹き飛ばされてしまった。
紗枝「……弱ったなぁ、今のでもぴんぴんしてはる」
周子「やっぱ手伝おうか?」
紗枝「いや、そういうわけにはいかへん」
周子「頑固なんだからー」
――既に二人は自由落下を始めている。
――どう考えても、普通の人ならこの高さから落ちれば死ぬ。
――しかし、幸い二人共普通の人では無いので、
――100メートルの高さから落ちることの脅威などどうでもよく、
――仕留め損ねた天狗に対しての思案を巡らしている。
紗枝「しゃあない、『家宝』を使おか」
周子「おぉー」
――小早川家の妖怪退治屋としての歴史は古い。
――故に、曰く付きの武器なども多数所持している。
――それらは『家宝』として大切に保管されていて、
――有事の際にのみ、扱うことを許されていた。
――本来ならば当主の許可が必要なのだが、
――次期当主の位置におり、
――そして現当主より遥かに力の強い紗枝には、
――それらを自由に使う権利があった。
紗枝「出し惜しみはせえへんよ」
――紗枝が、す……っと右手を伸ばすと、そこに一振りの太刀が現れた。
――彼女は無数の式神を使役しており、『赤鬼』もそれに含まれるが、
――そのうちの何かしらが、小早川邸にある『家宝』を彼女の元へ届けたのだろう。
周子「わお、すごいの持ってきたね、それで斬られたら私でも結構ヤバイかも」
紗枝「こんなん、周子はんの尻尾一本落とせるかどうかやろ」
周子「いやいや十分やばいじゃん」
――軽口をたたき合う二人だが、そろそろ高度が低くなってきた。
紗枝「青鬼はん!」
――紗枝がそう叫ぶと、地面に激突する直前で、ふわり、と先ほどの謎の浮力が彼女を覆った。
――攻撃に特化した式神が『赤鬼』だとすれば、
――『青鬼』は防御に特化した式神だ。
――『青鬼』は、紗枝をあらゆる脅威から守る。
――そんな『青鬼』に守られ、ゆっくりと紗枝が地上に降り立つ。
――それに引き換え、勢いを全く殺さず、
――位置エネルギーという物理法則を無視した動きで、ストン、と華麗に着地する周子。
――非常識ここに極まれり、である。
天狗「今のはなかなか効いたが……」
――効いた、という割にダメージは通ってないように見える。
天狗「しかし、次で仕留める!」
――言うやいなや、天狗は再び臨戦態勢を整えた。
紗枝「それは―――」
――ぞわりとした悪寒が、天狗を襲った。
――『後手に回った』
――そう思った時にはもう遅かった。
紗枝「こっちの台詞やで」
――鞘から太刀が抜かれた。
――瞬間、
――ゆらり、と、
――粘っこい殺意が辺りを覆う。
――紗枝から発せられたものではなく、
――『家宝』の太刀から滲み出たものだ。
――それは、
――対峙する天狗に、恐怖を抱かせるのに十分であった。
―――――臆した。
――その一瞬だ。
――この勝負、何度も一瞬が明暗を分けてきた。
――しかし今回の『一瞬』は決定的だった。
――天狗と紗枝の間には100メートル程の距離があった。
――その距離を、全く詰めること無く、
―――――太刀は天狗を斬り裂いた。
天狗「―――あ?」
――間抜けな感嘆が、天狗の口から漏れた。
――それが、彼の最後の言葉だった。
――二人が小早川邸に戻ると、お茶とお菓子が用意してあった。
――紗枝に使える侍女は気がきく子なのだ。
紗枝「あんな、周子はん……」
周子「んぅ?」
――もぐもぐと、紗枝の3倍は用意されたお菓子を頬張りながら、周子が応える。
紗枝「うち、その……」
周子「うん……」
――紗枝は、周子に特別な想いを抱いている。
――それは、
――親から受けることのなかった愛情、
――年の近い子との友情、
――異性に対する健全な恋慕、
――年頃の女の子が、普通に生活していれば、得られる感情。
――それらが綯い交ぜになった、
――狂おしいほどの激情。
――14歳の少女だからこそ抱く、
――単純な愛の渇望。
――それをきっと、幼さ故に、
――恋、なのだと、
――勘違いしているのだろう。
――それに対して、
――昔から周子は色々とやってきた、
――若いころは本当に好き勝手やった、
――たくさんの男を誑かした、
――身に余る贅沢をした、
――時に人の命も、手に掛けた……、
――当然その報いも受けた、
――それによる不幸も体験した、
――頂点とどん底をそれぞれ味わった、
――年を経るにつれ、だんだん角も取れ落ち着いてきた、
――なんとなく、後進を育ててみようと思うようになった、
――人間も妖怪も、
――男も女も、
――沢山育ててきた。
――そんな中に紗枝が居た、
――彼女は一際周子の心を惹いた、
――それは何故だろうか?
――思うに、
――周子は永く生き過ぎた。
――力を持ちすぎたのだ。
――死ぬことは容易ではなく、
――まして殺してもらう事など、もっと難しかった。
――そんな時出会った最強の退治屋の少女に、こんな期待を抱いた、
――このつまらない人生に、
――この下らない一生に、
――幕を引いてくれるのは、きっと彼女なのだと、
――永遠にも思える牢獄から私を解き放ってくれるのが彼女なのだと、
―――――小早川紗枝は私にとって特別なのだ。
――そう思えばこそ愛おしく、
――贔屓したくなるのは当然で、
――その上で、特別に自身を慕ってくれるというのがまたたまらなく可愛らしく、
――それが募りに募って、
――恋人に恋焦がれるかの様な想いを抱くようになった。
――この歪んだ『恋愛ごっこ』に気づいているのは、周子だけで、
――しかし、こんな耽美な関係もまた一興と感じており、
――同時に紗枝に対する申し訳無さもあり、
――いずれ訪れる、最期の日に思いを馳せながら、
――その後も、どうか紗枝が幸いであるように、と願わずにはいられなかった。
紗枝「もう、帰ってしまうんどすか?」
周子「うん、まぁ、『プロダクション』を放っておくわけにもいかないしね」
紗枝「そう、なんや……」
周子「うん……」
――二人の想いはすれ違っている。
――いつか、通じ合う日が来るのだろうか。
――それは、神のみぞ知る。
最終更新:2013年06月26日 19:01