1スレ目>>369~>>377


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北条加蓮という少女の謎の失踪は、ほんの数日間だけ人々の関心を寄せはしたが、
次から次へと溢れていく新しいニュースが彼女の存在を押し流してしまったようだった。
 
とはいえ、末期の心臓病で余命幾許もないと診断されて、主治医はおろか両親さえ
諦めてしまったような重病人が忽然と姿を消し、しかも誰一人として目撃者のいない
不可解な状況は、一部の噂好きの興味の対象になった。
 
主のいないベッドと、内側から破られた窓ガラスだけが、第三者の想像の翼を羽ばたかせるのである。
 
無論、彼女の失踪事件の真相を知る者は、極めて少数派である。
加蓮がマイナスエネルギーの化身『カース』と一体化し、仮初めの命を得たことを知る者は……。
 
 
 
カースと一体化して異能の力を得た人間。
それは後に『カースドヒューマン』と呼ばれた。
 
 
――――――――――
 
ひとつ、またひとつ。
意識の届くいっぱいにまで広げた感知野からこぼれ落ちていく存在を認識し、
岡崎泰葉は断末魔の思惟が脳を圧迫する感覚にいら立った。
 
湧き上がった怒りのままに、脇のパイプベッドの支柱に拳を打ちつける。
16歳の少女の細腕からは想像もつかない膂力が発揮され、彼女の手首ほどの太さの鉄柱が
ぐしゃぐしゃにひしゃげて曲がった。
 
まただ。また、自分の眷属のカースが消滅した。
正義の味方づらをした連中が、自分の邪魔をする。
この胸に渦巻く怒りを晴らすのを妨げる。ムカつく。腹立たしい。イライラする。
 
沸き立つ怒りを抑えて深呼吸しながら、泰葉は思考する。
思うに、今回はカースを一箇所に集中させすぎた。次は戦力を分散配置してみようか。
 
「……これからは、もっと考えて戦わせないと……」
 
ぽつりと呟き、泰葉は隠れ家のひとつを後にした。
 
後に残ったのは、真っ二つに砕かれたテーブル、四肢をちぎられたテディベア、穴だらけの壁、
液晶の割れたテレビ、ぐしゃぐしゃに曲がりくねったベッド。
 
『憤怒』のカースドヒューマンの暴威が行き過ぎた後に残るのは、およそこのようなものである。
 
 
『クッククク……腹立たしいよなぁ、泰葉ちゃん?
 あのエロ監督を八つ裂きにするチャンスだったのになぁ。惜しい惜しい』
 
苛立ちを抱えた胸の内奥から、泰葉を挑発するように囁く猫撫で声が響いた。
 
「……うるさい」
 
『おお、怖い怖い……だが恥じるこたぁねぇ。お前はうまくやってるよ……』
 
「うるさい!」
 
不愉快な『声』が、白いシーツに広がる染みのように泰葉の心から顔を覗かせる。
 
泰葉は『憤怒』のカースと一体化したカースドヒューマンだが、その中でも特殊なケースと言えた。
 
人間がカースと一体化する経緯は様々だが、多くの場合、力を失いかけたカースの核が
あてどもなく彷徨っているうちに強い負の感情に引き寄せられ、人間がカースを受け入れることで
融合を果たしカースドヒューマンが生まれる。
 
その際、カースが元々有していた人格や感情はカースドヒューマンのそれに上書きされ、
統合されるのだが、彼女の場合、融合したカースの悪意が自我という形を保ったまま、
彼女とひとつになったのである。
 
彼女にとって不愉快なことは、この『憤怒』は時折こうして泰葉の意識に表出し、
人を小馬鹿にしたような態度で泰葉を煽ってくるということだった。
 
 
『悔しいよなぁ、腹立たしいよなぁ……? 俺はお前さんの成功を祈ってるぜぇ……』
 
「うるさい! 消えて! さっさと私の中から出て行って!」
 
『クッククク……おやおや、泰葉ちゃんはご機嫌ナナメ。それじゃあ退散しましょうかねぇ』
 
「……!」
 
『憤怒』の気配が消え、泰葉の精神の内奥へ身を潜めたことを確認する。
寒気がするような猫撫で声だけならまだしも、全身にまとわりつく汚泥のような
生理的嫌悪感を伴うのだから始末に負えない。
 
まったく、厄介な同居人ができてしまったものだ。
これに関する限りは、怒りよりも慨嘆が先に立つ思いである。
 
そうでなくとも、自分には手のかかる同居人が二人もいるというのに、この上あんな
可愛げのない奴と一生を共にするかもしれないと考えると、実に憂鬱で、腹立たしいのだ。
 
イライラを持て余したまま、靴底で地面を蹴りつけながら、泰葉は別の隠れ家へ向かった。
少なくともそこにいる同居人達は、例の『憤怒』よりは格段に可愛げのある連中だ。
バカな子ほど可愛いというが、手のかかる妹のようなものと思えば、精神衛生上もいいのかもしれない。
 
泰葉は隠れ家にしている郊外の小さなマンションへ入っていき、
 
「――ただいま」
 
表面上落ち着き払った声音とともに、ドアを開けた。
 
 
「あ、泰葉さん。おかえりなさい」
 
泰葉を出迎えたのは、小柄な中学生くらいの少女だった。
 
名前は輿水幸子。彼女もまた、カースと一体化したカースドヒューマンだった。
 
「相変わらず眉間に皺を寄せて、いけませんね! カワイくありませんよ!」
 
「……そう? でも、こういう性格なの」
 
「泰葉さんもカワイイんですから、気をつけた方がいいですよ!
 まあ、ボクほどではありませんけれどね」
 
「……」
 
幸子はいつも一言多い。
しかもその一言は、大抵の場合自分を飾ったり持ち上げたりする内容だ。
さすがは『傲慢』のカースドヒューマンといったところだろうか。
 
「それよりも聞いてください! 杏さんがまたお掃除当番をサボるんですよ!
 いえ、それどころか、せっかく注意してあげたボクにカースをけしかけるんです!
 まったく本当にしょうがない人ですよね! カワイくて寛容なボクでなければ怒ってるところです!」
 
「はいはい。私からも言っておくから」
 
「当然ですよ! ボクが泰葉さんみたいに怒ってばっかりいたらカワイくないですからね。
 カワイイボクがカワイくなくなるなんて、この世界にとってどれだけの損失かわかりませんよ!」
 
一事が万事この調子。徹頭徹尾に渡って自分の可愛さ愛らしさを強調するものだから、
幸子と会話をするのにはそれなりに慣れがいる。
 
 
幸子はくるりと身を翻すと、開いた五指を虚空にかざす。
すると、ビー玉くらいの大きさの黄色い核が出現し、フローリングの床の隙間から染み出した
黒い泥が核を中心に凝集し、不定形の身体を成す。
同様にして、数体のカースが次々と生み出されていく。
 
生み出された眷属のカースは、幸子の周りで尊いものを崇めるかのように跪く。
 
「さあ皆さん。世界で一番カワイイのは?」
 
『幸子! 幸子! 幸子!』
 
『幸子ガ世界一! 幸子コソ正義!』
 
『ヤッパリ幸子ガなんばーわん!』
 
小人のようなサイズのカースが、幸子を讃える言葉を惜しみなく捧げる。
傍目から見れば滑稽な光景だが、
 
「ふふーん! そうでしょうそうでしょう! やっぱりボクが一番カワイイんです!」
 
幸子は眷属に傅かれて可愛さを称賛され、満足げな表情を隠そうともしない。
可愛いものだ、と泰葉は思う。
 
こうして自分を手放しに肯定され、飽くことない虚栄心を満足させることが、彼女の『傲慢』なのだ。
 
 
「あなたが可愛いのはわかったから。杏さんはどこにいるの?」
 
「え? ああ、寝室で寝てますよ。夜遅くまでゲームしてたみたいですし」
 
「また? ……わかった。ありがとう、幸子ちゃん」
 
そそくさとその場を離れた泰葉は、リビングを通って寝室へ向かった。
もしあの場に留まっていたら、なし崩し的に幸子を讃える会(仮)をグランドフィナーレまで
見物しなければならなかったところだ。
流石に幸子に対して腹立たしさは湧いてこないにしても、疲れるのには違いない。
 
泰葉は寝室のドアを開けようとドアノブに手をかけるが、
 
「……あれ?」
 
ごく一般的なはずのドアノブはしかし、ピクリとも動かない。
どうやら内側から押さえられているようで、部屋の主がなにか細工をしたのは明白だ。
 
数分の間、動かないドアノブと格闘した泰葉だったが、やがてほつれた糸がちぎれるように
『憤怒』の衝動が彼女を突き動かしていた。
 
「……ッ!」
 
業を煮やした泰葉はドアノブから手を離し、ドアそのものに拳を突き入れた。
 
厚みのある木製の防火ドアは易々と突き破られ、次いで液体の中に手を突っ込む感触があった。
泰葉はさらに深く腕を伸ばし、ソフトボール大の歪んだ球体を掴み取った。
そして、ぐっ、と力を込めると、その球はいとも容易く粉砕された。
 
その後すぐに液体が重力に沿って流れ落ちる感触を確かめると、泰葉は改めてドアノブを回す。
今度は、いとも呆気なくドアが開かれた。
 
 
「普通、ドアが開かないからってドアを突き破る? 映画じゃあるまいしさー」
 
寝室からは、気の抜けた声が泰葉を出迎えた。
 
ベッドの上で、黒い泥をクッションのように纏わりつかせている、小学生くらいに見える少女。
彼女こそ、『怠惰』のカースドヒューマン、双葉杏である。
 
「杏さん。幸子ちゃんに言われたときくらい働いたらどう?」
 
「だが断る」
 
「幸子ちゃん、カースをけしかけられたって言ってたけど?」
 
「だってうざかったんだもん。杏は働かないためだったら何だってやるよ」
 
杏が気だるげに首をもたげると、ベッドのそばに控えていた緑の核のカースが歩み寄り、
彼女の口にオレンジ味の飴を入れた。
他にも2体のカースが、まるで召使いのように慌ただしく動いている。
杏がクッションにしているのもカースの泥の身体で、身体を預けてみれば案外気持ちいいらしい。
先程泰葉が破壊したカースも、この寝室に誰も入れないために杏が差し向けたものだろう。
 
「……いくら『怠惰』だからって、そこまで徹底しなければいけないものなのかしら」
 
「せっかくカースと一体化したんだもん。そうそう簡単には死ななくなったんだし、
 しばらくだらけさせてくれたって罰は当たらないよ」
 
「そう言い始めて今日で何日めだと思う?」
 
「今の杏達に必要なのは、過去の日記帳じゃなくて未来のカレンダーだよ」
 
 
ドヤ顔で言い放つ杏に、泰葉はもう呆れて言葉もないといった風情だ。
これで自分よりも年上なんだから……と、幸子とは別の意味で怒る気にもならない。
 
実際、彼女を殺すことは容易ではない。
『怠惰』の属性ゆえか、自堕落を貫き通すための進化を遂げたのか、杏は怪我をしても
すぐに再生できるし、病気などにかかろうはずもない。それどころか風呂に入る手間を惜しむあまり
新陳代謝すら任意に停止することができる。
 
三人のカースドヒューマンが出会ったのは実際のところまったくの偶然で、
この奇妙な共同生活も単独で行動しているよりは同族同士で固まっていた方がいいだろうという
判断に基づくものなのだが、結局、自身の欲動のままに、それぞれが自分勝手に生きているわけだ。
 
それこそがカースの、そしてカースドヒューマンのあるべき姿なのかもしれないが……。
 
しかし、これも案外悪いものではない。勝手な思い込みかもしれないが、泰葉は素直にそう思う。
この手のかかる同居人達といる時は、あの不愉快な『憤怒』の声も、身を焦がす怒りも、
気にしている暇はなくなるのだから。
 
「とりあえず、今日の食事当番は私だから。何か食べたいものとか、ある?」
 
「なんでもいいよ」
 
「なんでもいいはなんでもないって言葉、知ってる?」
 
泰葉の問いには答えず、杏はベッドから這い出してこようとはしない。
風穴の開いたドアの向こうからは、幸子がカース達に向けて独演会をしているのが聞こえる。
まともに家事のできそうな者は、今のところ自分だけらしい。
 
やはり自分がしっかりしないとダメなのかと、泰葉はほんの少しだけ腹立たしく、
そして何故だか、ほんの少しだけ楽しく思うのだった。