「もーお姉ちゃんってば、心配しすぎだよー」
「しすぎて困る心配なんてないの。それに急がなくても映画館は逃げないって」
週末。普段は家で過ごしてもらっている――心苦しくはあるが、お母さん達に相談するのも憚られたし、転入の手続きとかで面倒が起きてもアタシでは対処できないだろう――莉嘉を連れて、二人で映画館に向かっていた。
最近よくCMを見かけるアニメ映画に興味津々らしく、繋いだ手を引っ張って、早く早くと急かしてくる。
もしもまた事故にあったら、と考えてしまって、莉嘉と出歩くときはいつも手を繋いでいる。莉嘉は過保護だとちょっと不満そうだが、これだけはどうあっても譲る気はなかった。
「映画館が逃げなくても、ゆっくりしてたら映画始まっちゃうじゃーん」
「まだまだ時間あるってば。むしろ早くつきすぎてもヒマでしょ?」
しばらく前に別の映画を見に行ったとき、張り切りすぎて一時間も前に到着してしまって、近くの喫茶店で時間を潰すことになったのを忘れたとは言わせないよ?
「むー、そんなことない、も・・・ん・・・・・・ッ!?」
頬を膨らませてぶーたれていた莉嘉の表情が突然曇ったのは、そんな他愛ない会話をしていた時だった。
急に立ち止まり、不安そうな目で周りを見渡す莉嘉。
「・・・莉嘉?どうしたの?」
「・・・っ、あ・・・お、ねえちゃん・・・」
ぎゅっ、と手を強く握り、体にしがみついてくる莉嘉。その視線の先を追うと、変わった服装の――失礼な言い方だとは自分でも思う――女の子がいた。
大きなヘッドホン、左手にはギプス。アタシたちの後ろから、こっちに向かって歩いてくる。
「・・・ん?」「・・・あ」
目が合った。それはそうだろう、前を歩いていた人がいきなり立ち止まって自分のことをまじまじ見つめてきたら気にもなる。
「・・・ッ!!」「え、ちょっ、莉嘉ッ」
と、突然莉嘉が手を離すと、その女の子にむかって飛びかかった。
「うわっ、いきなり何すんだっ!?」
ひょい、とそれをかわす女の子。その拍子にヘッドホンがずり落ち、その下にあったものが見えた。
「・・・ネコ耳?・・・いや、そうじゃなくって!莉嘉ッ、いきなり何、やって・・・」
「なっ、ネコミミじゃねえ、虎だッ!・・・って、お・・・?」
一瞬あっけにとられたが、すぐに我に帰って莉嘉をたしなめる。そして、律儀に突っ込みを入れてくれたネコ耳(トラ耳?)少女と共に、莉嘉の姿を見て言葉を失った。
「・・・フーッ、フーッ・・・!!」
まるで野生の猫がするような威嚇のポーズを取る莉嘉。その手首から先が、鋭いツメを備えた猫・・・いや、こっちこそ虎か、のソレに変わっていた。いつの間に生えたのか、ご丁寧に耳まで変わっている。
「・・・ッ、うああああっ!!」
大声をあげ、トラ耳少女に再び襲いかかろうとする莉嘉。
「なッ、莉嘉っ、やめなさいっ!!」「ったく、何なんだよさっきからッ!!」
アタシの声が聞こえていないのか、静止も聞かずに飛びかかる莉嘉と、身構えるトラ耳少女。
「――――あーもう、こんな昼間っから、しかも街なかで何やってるのにゃっ!!」
その間に、いきなりもう一人、ネコ耳を生やした少女が現れた。
瞬きする間に、本当に突然現れた少女は、莉嘉の振りおろそうとしたツメをこともなげに受け止め、そのままくるりと背後に回って、莉嘉をはがいじめにしてしまった。
「っく、離せッ、んッ、ううううううっ!!」
「だーもう落ち着くにゃこのじゃじゃ馬子猫!!怖いのはわかるけど、あの子はにゃんもする気はないにゃ!!」
じたばた抵抗する莉嘉ともみくちゃになりながら、なんかにゃあにゃあ言いながらそれをなだめようとするネコ耳少女。
「・・・・・・えっと、とりあえず、妹がご迷惑を・・・」
「え、あぁ、うん・・・・・・え、何なんだコレ・・・」
短時間でいろんなことがありすぎて、呆気にとられたアタシとトラ耳少女は、うーにゃーうるさい二人をしばらく黙って眺めていた。
とりあえず落ち着いて話をしよう、と近くの公園のベンチにやってきたアタシたちは、お互いに一通り自己紹介をした。
トラ耳ギプスの女の子は、神谷奈緒。ネコ耳のにゃあにゃあ言ってた子は、前川みくと言うそうだ。
「・・・で、莉嘉チャンだったかにゃ?いくらなんでもいきなり襲いかかっちゃ駄目にゃよ?奈緒チャン、別に悪い子じゃにゃいんだから」
「・・・みくは、アタシ見ても怖がらないんだな」
「全く怖くないわけじゃないにゃ。にゃんかすっごいのが中にいるのはわかるけど、奈緒チャン自身が悪い子に見えにゃいから平気なのにゃ」
そう言って、尻尾をふりふり屈託なく笑うみく。猫の獣人らしい――聞いたことはあったが、実際会うのは初めてだ――みく曰く、悪いこと考えてる人はなんとなくわかるらしい。
猫の獣人ってみんなそうなの、と聞いてみると、これは修羅場くぐってきたみくの特技にゃ、とドヤ顔で答えられた。
「・・・なんか、そうやって受け入れてくれたヤツ、久し振りだ」
奈緒ちゃんの方は、「あんまり人に話すことじゃないから」と多くのことは教えてくれなかったが、『普通』の人間ではないらしい。
莉嘉やみくが言うには、「中に何かがいる」らしいんだけど、アタシにはさっぱり何のことやら。動物のカン、みたいなもんなのかな。
「ふふん、みくはフレンドリーな猫チャンなのにゃ♪・・・んで、問題はにゃ」
色々苦労してきたらしい奈緒ちゃんとみくのあいだに仄かな絆の芽生えを感じながら、アタシたちは一斉に莉嘉の方を見る。
「・・・莉嘉チャン、いい加減、手もとに戻すにゃ」
「・・・どうすればいいか、わかんない」
どうやら、莉嘉の居た世界は『獣人が住む世界』だったらしく、莉嘉は虎の獣人なのだという(みく調べ)。
虎と猫の違いって何なの、と聞いてみると、フィーリングだから説明しろっていわれても無理にゃ、と目を逸らされた。イマイチ頼りないなぁ。
奈緒ちゃんの中に居る『何か』から危険を感じて、本能的に爪を出してしまったみたいなのだが、そもそも自分が獣人だったことも忘れていたこともあって、なかなか戻らない。
「あー、アタシ離れてた方が良いか?本能的にビビってるっていうんなら、アタシが近くにいるとマズいんじゃ・・・」
「・・・ううん、だいじょうぶ。奈緒さんが怖い人じゃないっていうのは、アタシもわかったから」
嘘をついている風には見えないし、しばらく話しているうちに奈緒ちゃんに対する苦手意識は克服したみたいだった。
それでも元に戻らないってことは、記憶喪失の弊害は思ったより深刻らしい。
「・・・んー、だったらこう考えてみるにゃ。その手のまま、美嘉チャンと手を繋ぐ。するとどうなるにゃ?」
「えっと・・・お姉ちゃん、爪で怪我しちゃう?」
「そうにゃ。莉嘉チャン、それは嫌にゃ?」
「・・・うん」
「だったら、元の手をイメージするのにゃ。また手を繋げるように・・・」
「・・・あっ」
すっ、と、瞬きをする間に、莉嘉の手が元通りに戻った。ほっと一息、胸をなでおろすと、莉嘉が飛びついてくる。
「やった、やったよお姉ちゃん、アタシの手、元に戻ったよっ」
「わかった、わかったからはしゃがないの。ちょっ、くすぐったいってば」
ぐりぐり、と頭を押しつけて甘えてくる莉嘉。みくと奈緒ちゃんの微笑ましそうな視線が余計にくすぐったい。
「みく、ありがとうね。多分アタシだけだったら莉嘉を止められなかったし、元に戻すこともできなかった」
「にゃんのにゃんの、同じネコ科の獣人のよしみにゃ。・・・そうにゃ、良いこと考えたにゃ!」
ぴこん、と猫耳と尻尾を立てて手を叩くみく。良いこと?
「みくが莉嘉チャンの先生になってあげるにゃ!爪の出し入れの他にも色々と、覚えておいて損はないはずにゃ!」
「あー、確かに。でも良いの?みくも色々やることあるんじゃ・・・」
「まぁその辺はお互いに時間のあるときを話しあえ、ば・・・あれ、時間?」
はて、と首をかしげて腕時計を見るみく。次の瞬間、ぶわっ、と尻尾の毛が逆立った。
「に゛ゃっ!?ヤッバいにゃ、完璧に遅刻にゃぁ!!み、美嘉チャン、とりあえず連絡先だけ教えてにゃ!!」
「え、あぁうん、ちょっと待って・・・・・・ハイ」
鞄から手帳を取り出し、メモに携帯の番号を書いて千切って渡す。
「サンキューにゃ!!みくこれからお仕事だから、終わったらまた連絡するにゃぁぁぁぁぁ・・・!!」
そう言い残して、みくは猛ダッシュで去って行った。残されたアタシたちはしばらくぽかんとしていたが、
「・・・あれ、時間と言えば。あ、あー、もう上映開始時間とっくに過ぎてる・・・」
隣で時計を見た奈緒ちゃんがそう呟くと、アタシたち姉妹もはっとする。
「どーしよお姉ちゃん、アタシたちのももう始まっちゃってるよー!!」
「・・・次の時間まで、どっかでお茶してよっか。えっと・・・次、13時15分からかぁ」
スマホで上映時間を調べて呟くと、ぴく、と同じくスマホをいじっていた奈緒ちゃんが反応する。
「・・・もしかして、『キサラギ』?」
「え、奈緒さんもアレ見に行くんだったの!?」
どうやら、お目当ての映画が一緒だったみたい。
一緒に時間を潰して、隣のシートで映画を観終わるころには、二人はお互いに「奈緒ちゃん」「莉嘉」で呼びあうくらいに仲良しさんになっていた。