名前: ◆IRWVB8Juyg[saga] 投稿日:2013/07/13(土) 23:08:14.32 ID:+W9EwcPAo
速水奏は退屈していた。それというのも、昨今の事情に多少の『飽き』が来てしまったからだ。
普通の人間へと色欲の力を注ぎこみ分け与えると、その人間の周りの環境が徐々に崩れていく。本人に言わせてみれば『あるべきカタチにしてあげた』だけではあるがそれはなかなかに愉快だった。隠していた本音を、くだらない秘密を暴き、曝す。それを受けた相手が焦ったり、答えたり。悪魔らしくもない『いいコト』をしてあげたとすら思っていた。
たまに、弱い能力を持った人間もいた。注ぎ込んだ力と反発して気が狂ってしまった時は『これでは面白くない』と反省したものだ。相性の問題か、アスモデウスの力を注ぎ込んだ状態でまともに能力を行使できた人間はいなかった。これでは普通の人間に注ぐのと変わらない。つまらないな、とアスモデウスは溜息を吐いた。
『色欲』は自己のみでの完結ではなく、相手をもってして成すものだ。注ぎ込み、器が受ける。彼女は自らを人の身に偽装こそしていたものの何かに宿ることを良しとしなかった。それに相応しい器が見つからないから。彼女へと注がれるべき力をすべて出し切り、全力であるためには彼女は彼女自身であるしかなかったから。それゆえ、死神などの面倒な相手との接触が起きないよう十全に気を付ける必要があることも彼女を飽き飽きさせていた。
あるいは、同じ悪魔であり、友人であるベルゼブブが憑いている海老原菜帆ならば受け止められるのかもしれない。色欲の力を注いで、それをそのまま昇華させることができるなら。面白いではないか、と。友人の大切なものを、自らのものへと変質させてしまう。そんな背徳的な感情がたまらなく彼女を興奮させた。しかしどうも最近は忙しいらしく、うまい接触方法も思いつかない。深い策を練るのは苦手ではないが、退屈だった。
あるいは、力を少し多めに注いだ子供をこともなさげに浄化させてみせたあの女に力を注いだらどうなるのかも気になっていた。どのような生物であれ、生殖を必要とする以上は『色欲』と離れることは不可能だ。その流れを、繋がりを見ることができる彼女にとって、相思相愛であるなんて見せかけは三流のコメディのようなものだ。誰であれ、より優秀な相手と結ばれたがる。本能ではそういうものであるし、それが正しいのだから。しかし、その女の持つ繋がりは。『どこへも繋がっていなかった』のだ。
正確には、繋がりが光に溶けて消えていた。どこへでもつながり、どこへもつながらない。矛盾した、生き物とはかけ離れた性質。なのに、確かに鼓動を感じる。世界への、周囲への好意を感じる。無生物のような特質と、生物らしい性質。そんな生き物が『特定の誰か』への好意や悪意を持つことになったらどれほど愉快だろう?困惑するのだろうか、それとも――
しかし、その女の行方は結局知れずまま。どうやらそこそこに強力な『ヒーロー』の『チームリーダー』らしい。なんともそそられる響きだ。周囲との関係が崩れた時、どうなってしまうのだろう? 彼女の好奇心は沸き立った。しかし、かかわれば必然的に目立ってしまう。刹那の快楽に身を落とすことも嫌いではないが、面倒事を起こしてまでというほどの強欲ではない。それゆえ、こちらも保留ということになってしまっている。
彼女は色欲の悪魔、アスモデウス。新しいおもちゃを探し、街をさまよっていた。
――
とある街の小さなアロマショップ。ドアにかけられた札はCloseになっている。その中で、2人の女性と1人の男が話し合いをしていた。
「やっぱり、連絡はつかないのか?」
「……そうね、残念だけどさっぱり。こんな時代だからいろいろあるんだとは思うけど」
男が確認するように口にすると、少し間をあけてセクシーな恰好をした女性が答える。アロマショップの制服であるエプロンをつけたままの男の姿との対比はなかなかにシュールだ。奥の部屋から、同じくエプロンをつけた女性がコーヒーを持ち出してきて置いた。
「とりあえず……消えなかった私はともかく、レナは一度は能力が消えたはずですし。他のみんなもまた力を取り戻しているかもしれないですよね」
「それよね。まぁ……私はともかく、美優みたいに大変なことになってるかも」
「………レナ?」
「ふふっ、冗談よ。ごめんね?」
運ばれてきたコーヒーをレナが口へ運ぶ。美優は頬を膨らせて不満を表した。『彼女たち』は、一度は世界を救った身。ベテランの魔法少女だ。辛い時も、苦しいときも、楽しいときも、そして全てを終わらせた時だっていっしょに戦ってきた仲間。この場にいない仲間のことを思い、店長は小さくため息をついた。ないものねだりをしても仕方がない
「レナは……これから、どうするつもりかは決めてるのか?」
「え? ……どうって、どういう意味?」
店長がレナへと質問をすると、レナは最初何を言われたのかわからないようなリアクションをした。しかしその意味を理解すると、今度は少し語気を強めて聞き返す。
「……そのままの意味だ。もう子供じゃない。戦うのにはいろいろなものを捨てなきゃいけない」
店長が目を細める。彼の店は決して流行っているわけではない。しかし大きなケガをしてしまえば店の経営に関わってしまうし、その結果として店に来てくれる人たちへ『迷惑』をかけてしまうこともある。自営業だからこそ、多少の無茶も利く。しかし、普通の職ならばそれが原因で自身の生活にも影響がでてしまうかもしれない。
「俺の店だ、お客さんには悪いけど無茶だってできるだろう、でも」
「……私にもいろいろあるでしょう、って? まぁ確かに、そこそこいいお仕事してるけど」
「なら、そっちを優先してくれてもかまわない。ヒーローは他にもいるし、無理をする必要だってない」
これは正論だ。世界にはヒーローがあふれ、守るための組織もあり、自分たちは特別でなくなっている。そんな中で、失うものがあるのに。無理に戦い続けることはない、と。正義の味方であったからといってそうあり続ける必要は、ない。そう店長はレナへと告げた。
しばらくの沈黙が流れていく。まるで突き放すような言い方に美優が店長を咎めるべきか悩んでいる。レナは一度大きく息を吐くと、にやりと不敵な笑みを浮かべて答えた。
「『1人でなんでもできるなんて思うな。思いやりは押し付けるものでも無理やりすることでもないんだ』……でしょう?」
「……!」
店長が驚き、言葉を失う。レナはまるでイタズラな子供のような笑顔を浮かべてつづけた。
「店長……いえ。『背広マスク』さん? 私の人生はとっくの昔に最高の友人たちと過ごすために、ってベットしてあるの」
「……いいのか?」
「もちろん。ほかのみんなだってきっとそう……わかってるんじゃないの?」
店長はばつが悪そうに頭をポリポリとかいた。確かにそう考えてはいたが、傲慢な考えだと感じてもいたのでズバリと言われると恥ずかしい。それに、心配しているというのも本音だ。
「だいたい、美優のことは巻き込むのに私は巻き込まないなんて水臭いわよ。いいのいいの」
「それはまぁ……美優とは、長いしな。力の扱いにも慣れてるし」
「そうですね……確かに。レナは大丈夫なんですか?」
「昔と同じぐらいには使えるつもりよ。平気……その言い方だと美優はいろいろできるようになったみたいね」
「一応……ね。その、変身は恥ずかしいですけど……」
ふぅん、とレナが相槌を打つ。当時から可愛らしいポーズに対して抵抗があった美優だ。大人になってしまえば余計に辛いのだろう。からかいがいもあるし、見ている分にはとても楽しいのだけれど。
「そのあたりは、また今度話そうかしら?」
時計を見上げたレナがそう言った。話し合いを始めてから結構な時間がたっている。
「……そうだな。送っていこうか」
「いいの?」
「今日はどちらにしろ休みにしたし、な。どうせなら職場を見せてもらおうかと思って」
「そう、ならちょっと遊んでいく?」
レナがイタズラっぽく笑う。彼女は今、ネオトーキョーのカジノでディーラーとして働いているらしい。人との話や駆け引きといったものに長けていたこともあり、割と有名なのだとか。
「誘いは嬉しいけど、俺は賭け事は弱くてなぁ……」
「うん、知ってる。カモにはしないわよ?」
「多少はむしる気なんだな……強かだよ、ほんと」
「ふふっ、私にも生活がある。でしょう?」
先ほどレナの身を心配するために投げたセリフを返され、店長は頭をかいて苦笑する。和やかな時間。あり方が変わっても昔のままだと確かめられたようで、美優は自然と笑みがこぼれた。
気まぐれな悪魔は、ギラギラと輝くネオンに照らされた街道を歩いていた。表面上は美しく、賑やかなこの街、ネオトーキョー。
なるほど豊かで理想的な街だ――――表面上は、だが。少し裏路地へと目をやれば、違法なやりとりや金や仕事を無くして絶望している人間の気配がする。アスモデウスにとってはこのわざとらしい明かりよりも、その黒い欲望が渦巻く方へと興味がわいた。
ためらうことなくそちらへ踏み込む。周りの雰囲気が明らかに変わる。人の欲望が渦巻くそこは、地獄よりも地獄らしい一面まで持ち合わせているかもしれない。魔界の法は窮屈になってしまって、まるで面白くも楽しくもなくなってしまったのだから。
――人間が悪魔に近づいているのかもしれない。そこまで考えて、アスモデウスはくすりと笑った。
それはそれで愉快だ。悪魔を縛り、人を害するななどという『オヒトヨシ』はどう思うだろう?進化して、強くなった人々は。悪魔と同等のことができるようになった人間は。本来『あるべき』悪魔と同じことをしようとすると知ったら――
――深く物事を考えるのは、面倒だ。楽しそうではあるけれど、それはその時の楽しみでいいだろう。それよりも今は目の前にあることを楽しむ。それがアスモデウスの生き方だ。
裏路地の奥へと速水奏は歩いていく。欲望にまみれた視線が浴びせられるのを感じて精神が高揚した。
さて、どう来るのだろうか。声をかけられるだろうか? ナンパ? 売春? それとも無理やり?何かしらの接触を楽しみに、奏はわざとらしく無防備な風を装って歩いて見せた。
「なぁ、姉ちゃん」
そしてすぐに反応がある。振り返ればそこに男が立っていた。浮浪者然とした薄汚れた格好は清潔感をまったく感じさせない。なにかよからぬ企みがあるということを隠そうともしない声のトーンは、普通の女性にとっては嫌悪感を抱く対象だろう。あぁ、本当に人間はやりやすい――にやける顔をおさえ、奏は答えた。
「あら、何かしら?」
「フフ、そっちは危ないぜ。最近は物騒なんだ」
「へぇ……どんなふうに?」
「それはさ……こんな、風、にぃッ!」
男の身体が不自然に盛り上がり、その背中からいくつもの機械製の足が生えて持ち上がっていく。下品な笑い声をあげながら、奏のことを見下ろした。
「………」
「へへ、驚いてるのかいお嬢ちゃん? こいつぁな、俺を見捨てやがった奴の――」
奏が思わず固まってしまったのを見て、男はさらに下卑た顔をする。それとは対照的に、奏の表情は冷たくさめきっていた。
「あなたって、死姦が趣味なの?」
「へ、へへ。そうだなぁ、無駄な抵抗はしないほうが楽に逝けるぜ?」
「そう……シてから殺すのは?」
「そっちがお望みかい? じゃあ存分にしてやるよ……ほら、お嬢ちゃん……」
威圧感を与えるためにわざと大きく、おおげさに背中に生えた足を使って男が一歩近づく。どう嬲り、どう殺し、どう楽しもうか。そう下衆な考えをしながら――
その瞬間、踏み込んだ機械の足が折れてバランスを崩した。
「んなっ……!?」
「……たまにはそういうのも悪くない、ケド………アナタ、趣味じゃないわ」
とん、と軽く地面を蹴って奏が男との距離をゼロにする。何が起きたか理解できないまま、男はアスモデウスの口づけを受けた。
「だから、最後のプレゼント……♪」
「なっ……な、なんだお嬢ちゃん。能力者か。たのしみた、いっ……!?」
キスに戸惑ったがすぐに調子を取り戻し、今度こそと襲おうとした男の表情が驚愕に見開く。制御を失ったように背中に生えた脚があたりを切り裂き、苦しみを抑えられないうめき声をあげた。全身に走る痛みと、とめどなく湧いてくる欲望に自らの喉と胸を掻き毟り、呼吸は乱れて全身から汗を吹き出す。
「かっ……は、ぁっ……! ぅ……!」
「あんまり綺麗じゃないけど……まぁ、いいわ。楽しませてちょうだい?」
くすりとアスモデウスが笑う。男の目は正気を無くし、口からは涎を垂らしている。
「最近、溜まってるのよ。ほら……あっちのほうが人がいっぱいいるわよ?」
男の背中を押し、そちらへと意識を促す。何も映してはいない男の瞳が、明るい街並みの中を歩く人々の方へ向いた。
「さぁ、いってらっしゃい。私の分まで――」
「う、お、ぉぉぉぉォォオオオオオオオオ!」
既に男の叫びは人間の声ですらなくなっている。狂ったように飛び上がり、明るい街並みへと向かっていった。
「すごい街だな……都会っていうか、なんというか」
店長がビルを見上げてつぶやく。輝くネオンに巨大なビル群。経済特区ネオトーキョーは夜を知らない。
「最近は物騒なこともいろいろあるけどね。そっちはいかないほうが無難よ?」
「うん……そう……ね?」
レナがそういった直後に、細い道から黒い影が飛び出した。
「ウオオォォォォォォッ……!」
「……マジ?」
黒く染まった全身は、その像自体がブレているようでかろうじて人型を保っているような状態だ。背中からはいくつもの銀の機械の脚が生え、アンバランスなコントラストを見せている。
首の角度がありえないほうへとねじ曲がり、あたりをぐるぐると見回す。周囲を歩いていた人たちも悲鳴を上げて逃げ出した。避難を促す警報が発令され、即座に提携した組織からの能力者の派遣が指示される。
怪物と化した男が、逃げ遅れた女性へと飛びかかる。しかしその銀の脚が女性へと届くことはなく、横っ面へと店長の蹴りが入って妨害される。空中に浮いていた分、多少吹き飛ばされはしたが特にダメージはなさそうに男はすぐに体勢を取り直した。
「……早く逃げろ!」
「こっちよ、近場のシェルターはB5区の……うん、大丈夫ね? ほら、店長と美優も――」
レナが女性へと避難所の位置を教え、店長と美優にも早く逃げるように促そうとする。しかし、2人ともじっと男の方を見つめて動かない。男もまた、2人のほうを真っ黒な瞳で睨み付けていた。
「任せておいても、誰か来るんだろうけどな……」
「逃げたら追いかけてきそうだろ?」と軽めに店長が言う。確かに、隙を見せたら今にも男が襲い掛かって来そうだ。
やれやれ、とレナが肩をすくめて隣に立つ。
「変身する気はあまりないんじゃなかったの?」
「あの人……なんだか、とても嫌な感じがしますから」
止めないと、と続ける美優にレナは苦笑する。――まったく、あの頃と変わってない。
「なら、早めに済ませちゃいましょ。目立つのは嫌でしょ?」
「……えぇ!」
2人が同時に構え、空へと手をかざして叫んだ。
「ハートアップ!」
「リライザブル!」
光が身体からあふれ出し、全身を包んでいく。髪が自然とまとまりリボンで結ばれ、腕は布のガントレットで保護される。そして、胸と腰に光が強く凝縮されて希望の印のエンブレムが胸へ。そこを起点に胸部を覆う可愛らしく力強いイメージのドレス。美優はヘソ出しルックにミニのスカート。レナはセクシーな胸元を強調する形へ。
「魔法少女、エンジェリックカインド! ……きゃはっ☆」
「魔法少女、エンジェリックグレイス! ……うふっ☆」
そして、キメポーズと共にセリフを。並び立った魔法少女を見て、男は戸惑うどころか聞いているだけで不快になるような笑い声をあげた。その気味の悪さに2人も思わず後ずさりしてしまう。
「悪いけど、あんまり相手してられないの……いろいろと、ねっ!」
嫌悪感と、少しの恐怖を飲み込んでグレイスが飛び上がる。腕を掲げると、光が宙を舞いその手の中へと吸い込まれ、集束していく。それは次第に形となり、剣が生み出された。
「グレイスフル、ソードッ!」
ごく一般的なカース程度なら撫でつけるようだけで倒せるほどの気力をまとわせて切りかかる。しかし、空中からの速度も合わせた神速の剣は男に当たらず、いたはずの空間を裂くにとどまった。どこへ行ったのかをグレイスが判断するよりも早くその身へと男の銀の脚が無数に迫るも、こちらはカインドが放った光の矢によって阻まれる。
「グレイス、気を付けて!」
「うん、わかってる……助かったわ」
グレイスが地面を蹴って男との距離をとった。完全にとらえたと思った必殺の剣が躱された焦りは、既にその理由を分析する方向へとシフトしている。
男は変わらず、不快感を煽るような気持ちの悪い笑い声を上げ続けていた。
「グヒッ、グヒヒヒッ! ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」
「まったく……ちょっと面倒かもしれないわね」
グレイスがそう呟くのと、男が動き出したのは同時だった。地面を抉るほど強力に地面を機械の脚で蹴り、弾丸のように飛び出す。
「――ッ!?」
その飛び込みにかろうじて合わせるようにグレイスは剣を突き出すも、ぶつかる直前で男は地面へと脚を刺し方向を急激に変える。グレイスをフォローしようと踏み出していたカインドはそれに対応できず、押し倒されるような形で倒れた。
「っ……あ……!」
「ヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! ヒグッ!」
そのまま胸元へと男の手が迫るが横からシビルマスクの蹴りが入り邪魔をする。いつの間にやら、彼も服装が変わりマスクを装着していた。
「こいつ……完全に女性狙いってことか?」
一度ならず二度までも阻止されて男が不快そうに顔を歪めた。しかしすぐにグレイスとカインドの方へと顔をやり、また不快な笑みを浮かべる。
「この速さ……やっかいね。なんか見られているだけで寒気もするし……」
「エンジェルハウリングもこのままだと当たらなそう………」
「とりあえず足止めを俺がする。2人は俺ごと――」
「却下。もう若くないんだから無理しないで」
シビルマスクが囮を買ってでるが、グレイスに止められてしまう。そもそもこの速度相手だと、食い止めることすら困難だろう……彼はあくまでもただの人間なのだから。
「……私に考えがあります」
「どうするつもり?」
「………少しだけ集中させて。うまくいけば速度を落とせるはずだから」
カインドのそのセリフにグレイスはただうなずいた。彼女がそういうのならば、大丈夫だろう。理由を聞く時間の分も集中に回してほしいと考えたからだ。カインドが目を瞑って集中しだしたのを確認して、飛びかかりかけていた男の足元へと剣を投げつけて牽制した。
「じゃあ、シビルマスクさん……時間稼ぎ、いくわよ!」
「無理はするなよ、グレイス!」
そのまま素早く駆け寄ると、刺さった剣を引き抜いて逆袈裟に切り上げた。男は空中へと飛び上がりその攻撃を避けてみせると、脚を数本繰り出して切りつける。致命傷にはならないが機動力を奪うことを狙っているような軌道で手足を削りにかかった。
「グヒッ、ヒヒヒヒヒ!」
「ちょっ……!? やっぱり気持ち悪いっ!」
時間を稼ぐことが目的なので激しい攻撃は仕掛けていないが、やはりグレイス側の攻撃は当たらないままだ。少しずつあちこちへと傷が刻まれ、そのたびに男が楽しげに気色の悪い笑い声をあげる。
時々カインドの方へと意識が向きそうになるのはシビルマスクが防いではいるが、金属製の脚を持つ男相手では基本の徒手空拳では分が悪い。それどころか、グレイスへの攻撃までもを無理に防ごうとしている節まであった。
「これなら、普段から持ち歩いとくべきだったか……なっ!」
何度目かの突進を、シビルマスクがすくいあげるようにして男を投げて防いだ。鋭い刃のついた脚には極力触らないようにはしているがそれでも腕にはいくつも切り傷が刻まれている。
「それってなんの話?」
「サンタクロースの相棒さんからの贈り物をね……そろそろ手が痛い」
軽口を叩いてはいるものの、そろそろ体力も厳しくなっている。偶然もらった『お守り』がかさばるとはいえ、出先に持ってこなかったのは失敗だったかと店長は笑った。もっとも、その場合はレナの店に入店拒否をされていた可能性もあるので致し方ないのではあるが。
男がまたかがんで飛びかかろうとしている。正面から受けるのは厳しいし、避けようとしても急転換して追いかけてくるこの攻撃は非常に厄介だ。なによりその嫌悪感を煽るような笑い方が、グレイスやカインドに接近させた場合によくないことがおきそうだと思わせていた。
「レナ、店長! 大丈夫です、避けてください!」
2人の後ろからカインドの声が響く。男との射線を開けるようにシビルマスクとグレイスが避けた。飛びかかろうとしていた男は一瞬戸惑ったものの、正面にカインドの姿を見つけてまた歪んだ笑顔をたたえる。
「グヒヒヒヒヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!!」
そしてそのまま、すさまじい勢いでもってカインドを浚わんと襲い掛かった。
男は、ほとんど本能でもって感じていた。
――さっきの矢ならば、もう見た。すさまじい速さだが前へと脚を突き出せば突破されることはない。
事実、数発撃ちこんだ矢はほとんどダメージを与えることができなかった。『色欲』に侵された男はだんだんと速度も火力も強く激しくなっていっている。
ほぼ人型を失いつつある身体でも、だんだんと冷静さと残酷さ、性衝動は増している。邪魔をし続けられているが、それを差し置いてもいい女だ。めちゃくちゃに犯して、壊してしまいたい。この突進で気絶させ、邪魔が入らないようにしてからたっぷりと嬲ってやろう。
そんな、どす黒い欲望との塊と化した男が迫るもカインドは冷静なままだった。
「カインディング……アロー」
ポウ、と空中に浮かんでいた玉が強く光ったかと思うと突き出した脚へと突き刺さる。勢いは全く死んでおらず、男もこの程度ならば問題ないと判断してさらに欲望を増大させる。
――さぁ、どう嬲ってやろうか。その考えが脳に伝わり、また不快な笑い声を響かせるよりも早く。男は光の奔流へと飲み込まれた。
「ふぅ……」
「……スゴっ」
思わずグレイスが驚嘆の声をあげる。カインドは疲れたようにその場に座り込んだ。
カインドの『アロー』はエネルギーを空中に生み出して、それを凝縮させて放つ技だ。本来は一発ずつ、その速度でもって撃ちぬくようにして使うのだが、今回カインドは空中にいくつものエネルギーを留めさせ同時に発射させたらしい。その量は数え切れなかったが、速度も威力も損なうことなく停止させておくなどとんだ技術だ。
一斉に発射された矢は、まるで大きなひとつの槍のように男の身体を飲み込み押し流し壁へと叩きつけた。正面から受けていた脚は破損し、気も失っている。完全に無力化したようだ。
「よいしょ……大丈夫ですか、2人とも?」
「うん、まぁ。腕のいいお医者さんならすぐに治してくれるんじゃないか?」
カインドは変身をといてどうにか立ち上がると2人の心配をし始めた。マスクを外した店長は切り裂かれた両腕をあげて笑って見せるが痛々しいことこの上ない。
魔法少女は、多少の傷ならば治るし身体だって一般人よりはるかに頑丈なのだ。レナも変身をとくと、あまり無茶はしてくれるな、と店長へ説教を始めた。
「いやぁ、次からは気を付けるよ……流石に入店拒否されるかな?」
「いいから病院にいって! もうっ」
「そういうなよ、なぁ美優……」
「私も同感です。集中できて助かりましたけど……そんなに、無茶をしなくても……」
「……つい、昔みたいにかっこつけたくってなぁ」
「……はぁ。美優、腕のいい医者だったらあっちの通りの病院がいいわよ」
「うん、ありがとう……今度、また改めていくから」
「オッケー。助かったけど無茶はあんまりしないようにね?」
「善処するよ、うん」
「……店長?」
「ははは、わかったわかった……」
あえてへらへらと笑ってみせつつ、店長『シビルマスク』は考えていた。あの男は女性だけを狙っていたように見えた。ただ単に女を犯すことを求めていたにしては行動が単純すぎたように見えたから。
――『女性に接触すること』自体が目的なのではなかったか?そう感じたからこそ、グレイスにも極力触れられないようフォローに回ったのだ。
一応は長く戦ってきたつもりだし、助けてきたからこそ覚えた違和感。ただの異常者だったのならば、それでいい。思い過しで結構だ。
ただ、それでも。万にひとつでも彼女たちの生活を壊してしまうのは避けたかった。
『背広マスク』は強くはなかった。彼女たちが苦しいとき、支えることしかできなかったから。敵の策に翻弄され、罠にはまり。助けを求める彼女たちを問答無用で救いあげる力などなかったから。
今度は、そうなる前に助けてやりたかった。そうなってしまってからではきっと無能力者の自分にできることなど多くないから。
「店長?」
「うん? あぁ、すまん……無理に動いたから腰がなぁ……」
「無理はしないでくださいね、肩貸しますから」
隣で微笑む美優を見て、彼は再び決心した。
――彼女たちを不幸にはしない、と。
「ふぅん……?」
どうも騒ぎが大きくならない、と覗いてみれば『注いで』あげた男が光の奔流に飲まれているところだった。光が飛んできた方へと目をやれば珍妙な恰好の男と、女が2人。
能力者へ彼女の力をただ注ぎ込めば大抵は狂ってしまう。それだけでは面白い玩具にはならず、かといってただの人間だけに注いだだけでは面白くはない。
だから、アスモデウスは方法を考えた。一旦無能力の男へ注ぎ、能力を持つ女へと精ごと力を注ぐ。うまくやれば母体へと人間として能力が吸収されて色欲の能力を能力者の女を生み出せるのではないか、と。
さらに、それで子が成れば? 能力者であり、色欲の悪魔の子が生まれるのでは?単なる思い付きにしては結構面白いのでは、と思っていたのだが失敗だ。
能力者を見つけるところまでは悪くなかったのだがどうやらあの男はろくに注ぎ込めずに終わってしまったようだ。
「まぁ、いいか」
計画を潰した3人の繋がりを見てみれば、なかなかに面白そうなことがわかったらしく。新しい玩具を買ってもらった子供のように、嬉しそうにアスモデウスが笑った。
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