――――――――――
(――ここは……?)
菜々が意識を取り戻したのは、ウサミン星人の宇宙船の仮眠室に備え付けられた休眠用ベッド・チャンバーの中であった。
この2メートルそこそこの円筒型密閉式チャンバーには高い精神安定効果を持つ各種装置が備わっており、チャンバーの中に3時間横たわっているだけで、心身のリフレッシュ効果が12時間の熟睡に匹敵するとされている。ウサミン星の船舶には大抵備わっている標準的な装置だ。
実に数十年ぶりに身体を預けるベッド・チャンバーだったが、畳の上に布団を敷いて眠る生活に慣れ切った彼女からすれば、実感として、狭苦しさが懐かしさに勝っていた。それにこのチャンバー、確かに疲れは取れるのだが、どうにも休んだ気になれないのが頂けない。
チャンバーの内側の開閉スイッチに指を触れると、音もなくカバーがスライドする。
菜々は起き上がって周りを見回してみる。
ベッド・チャンバーが三つ並んでいる仮眠室には、タワー型のドリンクディスペンサーや観葉植物が置かれている。休憩室に置かれている備品は地球製の品も多く、ドリンクディスペンサーに貼られたラベルには、地球の大手メーカーのミネラルウォーターのものもあった。
『お目覚めになられましたか、ナナ様』
横合いから投げかけられた声は、ややくぐもった響きを伴っていた。菜々が振り返ると、つやつやとした白い巨体が視界の半分を埋めた。
数日前、自分にコンタクトを取ってきたウサミン星人だ。地球人とは呼吸器や発声器官の構造が異なるウサミン星人は、地球の重力や気圧の下ではマスクで口元をすっぽり覆ったような発音になることがある。地球人の身体構造を真似て変身することでこの問題は避けられるが、彼はそうしないのだろうか。
「ナンバーをどうぞ。ナナはNo-2017……」
咄嗟に『挨拶』を口にしかけ、菜々はハッとなった。意識を失う直前のことが、脳裏に浮かんでは消える。
数時間前、彼と会話をしている時に夕実が現れて、抗しがたい眠気に襲われて……いや、その前だ。彼はナンバーを提示した自分に怪訝な顔を見せたのだ。
そうだ。個人名ではなく、ウサミン中央政府が発行する管理登録ナンバーを提示し合うこのやり取りは既に過去のものだと、彼が言っていたではないか。
戸惑いに目をしぱたかせる菜々に対して、ウサミン星人は底堅い声音で言う。
『……旧政府発行のパーソナル・ナンバーの提示は、ウサミン救国軍事会議によって禁止されています。 首都ウサミンシティでその挨拶をしたら、反政府主義者の嫌疑をかけられて逮捕されるでしょうな』
「ウサミン救国軍事会議……?」
まったく聞き覚えのない単語に、菜々はさらに困惑を深くせざるを得なかった。
先程から、目の前のウサミン星人とは何かが決定的に食い違っている。今のウサミン星は、自分の知っているウサミン星ではなくなったとでもいうのだろうか?
「……教えてください。ウサミン星はどうなってしまったんですか……?」
『……やはり、何もご存じないのですね』
「ナナはもう何年もウサミン星に帰還していません。ウサミン星から何も言ってこないから……」
『新体制に移行してからも政府は貴女に接触したがっていて、毎年使者を送っていました。 超光速通信で、貴女の端末に帰還命令も出ていたはずですが…… ……いえ、何かの事故によって、地球に辿り着けなかったという可能性もありますか』
ウサミン星人は、菜々の親友である夕実がその使者達を秘密裏に始末していたことは敢えて伏せた。これから話す内容を考えれば、彼女がより大きなショックを受けることは確実だったからだ。
……やはり、真実を語る以外に方法はない。ウサミン星人は苦々しい認識を噛みしめた。ウサミン星を救うためには沙織の能力だけでは心許ない。ウサミン星人・ナナの影響力は必要になる。たとえそれが、彼女の決して望まざるものであったとしてもだ。
『ナナ様。これから私が語ることはすべて真実です。貴女にとって、とても辛い内容です。 しかし、ウサミン星を救うためには、必要なことです。どうかご理解ください』
「……」
ウサミン星人の言いように、菜々にもおおよその察しはついた。ついてしまった。現実問題、この地球にもウサミン星人の宇宙犯罪者が多数やってきているのだ。少数の悪人が地球に来ているだけだと信じ続けるには、菜々は少し大人になりすぎていたようだった。
ウサミン星人から故郷の惨状を聞いた菜々は、戦慄と驚愕に塗り込められた心身を震わせた。
「そんな……ナナが持ち帰ったデータが、そんなことを引き起こすなんて……」
思わず吐いた声がかすれて、弱々しく震える。菜々は度数の高い酒に悪酔いしたように視線が揺れて、平衡感覚が失せていくような錯覚を覚えた。
ウサミン星人は無意識に視線を逸らし、休憩室の窓から外の風景を見た。それは、先刻と何も変わるところはない。夕暮れの中に高層ビルが立ち並び、地上にはそれぞれの生活を営む地球人がいて、その中に菜々や夕実や……沙織の暮らしがある。
何も変わらないのだ。この地球は。この宇宙は。彼女にこの事実を突き付けたところで、自分も世界も何も変わるところはない。同様に、果たして自分達が本当にウサミン星を救いうるのかどうかも、確証の持てるものではない。
ウサミン星人は今更ながら、自分の罪深さに思いを致さずにはいられなかった。自分の故郷と何らの関わりもない地球人の女を巻き込んだ上、自分の最も敬愛する偉大な女性の心を傷つけたのだ。仕方のないことと片付けてしまうことはできない。故郷を救うためなどと言ったところで、この罪の大きさに比べれば、己の果たしうる救星の功などごくごく小さなものに相違あるまい。
『貴女の持ち帰ったデータは、貴女を地球に派遣した旧ウサミン中央政府にとっては、 辺境惑星の原住民に関する調査資料以上の価値を持つものではなかった。 しかし、ウサミン救国軍事会議のような者達が、それを政治的に利用したのは確かです。 地球の文化に触れた人々の受けたカルチャー・ショックが、自由への希求にもなったのですから』
この偉大なる女性は、幾度同じ絶望を味わわされたのだろうか。その小さな肩に、どれだけの重荷を負わされたのだろうか。そしてこれまで彼女に真実を突きつけた者達は、どれほど良心の痛みを感じたのだろうか。
知らなければよかったと思っているに違いない。知らなければ何の迷いもなく、一人のウサミン星人として生き続けることができたのだ。彼女に真実を突きつけた者を、大精霊が葬り去ってきた理由も理解できる。
しかし、知ってしまった以上は、行動しなければならない。してくれなければ困るのだ。積み上げられた犠牲の大きさが、菜々の呪いをさらに重くするとわかっていても。
『文化を、自由を、そして感情を取り戻したウサミン星人は、眠っていた闘争本能を呼び覚ました。 私は沙織の精神同調能力によって彼らの心を静め、戦乱を抑え込む計画を立てました。 しかし、それではまだ足りない。ウサミン星には人々を導く新たな指導者が必要なのです』
失う痛みを、背負う重さを知りながら、なお彼女を駆り立てなければならない。
『よしんば戦いを終わらせることができても、依然として混乱は続くでしょう。 ですが貴女なら、その状況を収束させうる。それだけの政治的影響力がある』
いつしか言葉は熱を帯び、湿り気を伴って、振り絞るように呟かれた。
『偉大なるウサミン星人、ナナ様。 どうか、我らがウサミン星の『グレート・マザー』になって頂きたい』
―――――――――――
地上から数千メートルを隔てた上空に静止しているウサミン星人の宇宙船へ向かうためには、街のあちこちに仕掛けたテレポーターから瞬間移動をする必要がある。
地球上における沙織とウサミン星人の行動には制約が多い。
地球では全長60メートルクラスの宇宙船が降りられる場所は限られているし、下手に目立てばGDFのような組織とぶつかる可能性も常につきまとっている。あくまで秘密裏に行動したいからこそ、ハイパー・ステルスによってその存在を秘匿しているのだ。
沙織は5時限めの講義が終わるとすぐ、大学に程近い繁華街の路地裏に設置したテレポーターから宇宙船へ移動しようとしたが、すぐに異変に気付いた。
ウサミン星人の手によって超光速通信やテレポーターのガイド・ビーコンなどの機能を追加された携帯電話で宇宙船の位置を確認してみると、宇宙船は地上に降りているのだ。座標からすると街からかなり離れたところに着陸しているようだが、彼らしくないと疑念を禁じ得ない。
携帯を操作して、テレポーターを起動する。沙織の足元の、マンホールの蓋に偽装された装置から発した金色の光と共に、彼女の姿が瞬時に消え失せ、気がつくと宇宙船の一室へと転送されていた。
「ウサミンさん? どこさいるんですか?」
宇宙船の中はそう広くない。4~5人程度の乗員が快適に過ごすだけのスペースはあるが、逆に言えばそれだけだ。ウサミン星人を探すのもそう苦労はない。
「ウサミンさーん……?」
居住スペースの部屋をひとつひとつ見て回ると、開け放たれた休憩室の扉の向こうに白く大きな背中が見えた。ベッド・チャンバーの傍らで立ちつくしている後ろ姿は、ウサミン星人のそれに違いなかった。
休憩室に足を踏み入れると、かすかな甘い香りが鼻孔を突く。女物の香水かなにかだろうか? しかし、目の前の異邦人と香水とはイメージしがたい組み合わせだ。
『沙織か』
振り向きもせず、ウサミン星人はかすれた声を絞り出す。どこか寂寥とした声音に胸を突かれながらも、沙織はウサミン星人のそばに歩み寄る。
「どうしたんだが? 宇宙船、なんで降ろしてるんですか?」
『……客人が来ていた。つい先程帰られたところだが』
見るからに消沈した様子なのに、どうにか虚勢を張っていつも通りに見せようとしているのがわかる。
異星人の自分から見てもわかるくらいだから、きっと故郷でも嘘をつくのが下手だったんだろうと、そうでなければ、他人を路傍の石と決め込んで開き直ることができないのだろうと沙織は思った。
「喧嘩して物別れになっちまったんですか」
『結論を先送りにしただけだ。どちらにせよ、今すぐに決められることでもなかった』
「……ウサミン星の話、ですか?」
『……そうだ。今すぐには決められないが、急がなくてはならない。私達の故郷が消え去ってしまう前に』
消え去ってしまう、という言葉には比喩以上の重みがあったが、追及する必要は感じなかった。今この瞬間も、彼の同胞は相争い傷つけ合っている。破滅へと至る最後の引き金を、誰かが引かない保証はないのだ。
誰とも合わせる気のない視線を彷徨わせながら、ウサミン星人はぽつりと呟いた。
『……もしかしたら、これは私の独り善がりにすぎないのかもな』
「えっ?」
『故郷を救えると思っているのは私の勝手な思い込みで、もう何も取り返しのつくものはなくて、 ただいたずらに無関係の人々を巻き込んで傷つけているだけなのかもしれん。 もしそうなのだとしたら、私のやっていることに意味などない』
虚勢も皮肉も剥がれ落ちた、率直な声だった。悄然と呟くウサミン星人の背中は、普段よりもずっと小さく見えた。
『私は卑怯者だ、沙織。君やあの方に重荷を負わせて、私自身は一体何をしているんだ。 君達と同じ目線に立って苦悩を分かち合うこともできない。その資格さえない。 私は――』
心を裂くような痛みを吐露するウサミン星人に、沙織には応える言葉がなかった。ただ、目の前の異邦人も『人間』なのだと、改めて知った。
故郷を救いたいという善意と生真面目な性分に縛られて、自分を責めている。通そうとした我が裏目に出て、誰かを傷つけてしまったことを悔いている。姿形が違っても、生まれた星が違っても、彼も優しい心を持った『人間』にすぎないのだ。
沙織は、初めて出会ったときのことを思い出す。あのときも彼は、自分に役目を負わせることに忸怩たる思いを抱いていたのではなかったか。
確かに、彼は弱い人間かもしれない。けれどその弱さこそ、誰かを思いやる優しさなのではないか?その優しさがあるからこそ、彼は故郷を遠く離れて地球へやってきたのではないか?
沙織の感性がそう思わしめたとき、彼女は自然と、ある歌を口ずさんでいた。
「When the night has come And the land is dark……♪」
目には見えないものを、言葉では伝えきれないものを届けられる力があるのなら。自分にそんな大それた力があるというなら、やるべきことはひとつだった。
「And the moon is the only light we'll see No, I won't be afraid Oh, I won't be afraid Just as long as you stand stand by me……♪」
宇宙船の設備を使わなくても、綺麗なメイクもきらびやかな衣装もなくても、目の前でうなだれている一人のウサミン星人を勇気づけることならできるはずだ。
そう信じて、沙織は歌った。
「So, darling darling Stand by me Oh stand by me Oh stand Stand by me Stand by me……♪」
やがて、沙織の周囲に虹ともオーロラともつかない光が揺らめき始める。夢幻のような輝きの海をさざめかせて、澄んだ声が虚空に波紋を広げる。
ウサミン星人の固く握り締められた拳から力が抜け、荒れる波濤のような心が凪いでいく。心身の隅々まで沁み渡るような安らぎが、彼に無意識のうちに涙を流させた。まるで虹の色彩が心身の澱を洗い流したようだった。
涙を流したのは何年ぶりだっただろうか。ふとそんなことを考え、ウサミン星人は静かに顔を上げた。
(わだす、あんまり可愛くねぇし、いつまでも訛りも抜けねぇけんど)
滑らかに流れ出る歌声とは無関係に、沙織は心の中で呟く。願わくば、この気持ちも彼に伝わるよう。
(歌だってアイドルの猿マネしてるだけで、まだまだだけんど…… ウサミンさんは、こんなわだすにも、できることがあるって教えてくれたんです)
彼の言う偉大なるウサミン星人がもたらしたのは、文化や娯楽や感情だけではない。それはきっと、可能性というべきものだった。
何世代にも渡って先人達の引いたレールの上を歩き続けてきたウサミン星人達が、自分の意志で何かを選び取り、自分の手で何かを掴み取るための自由。地球でもウサミン星でも、全宇宙のどこの惑星でだって、繰り返されてきた挑戦と失敗。雑多で非効率的で愚かで、けれど新たな進化の形をたぐり寄せる可能性。
(自分じゃ全然わがんなくて、自信もねーですけんど……ウサミンさんのおかげで見つけられたんです。 新しい自分、新しくなれるかもしれない自分の姿を)
一人のウサミン星人が沙織にもたらしたのもまた、新しい可能性の萌芽に違いなかった。
(だから、ウサミンさんも信じてくだせぇ。きっと何もかもよぐなるって。 ウサミンさんの気持ちは間違いなんかじゃねぇって……)
揺らめく虹色の光に乗って運ばれる思惟は、ハッキリとした形で伝わったかどうかは判然としなかった。けれど、二人の『人間』の内奥に共鳴の灯を宿したのは確かだった。
それは希望と呼ばれる感情だったのだろうと、沙織は後に述懐した。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。