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地底世界アンダーワールドの『夜明け』は、地上時間にして午前6時きっかりに設定されている。
かつて地底に放逐された人々が、太陽の存在しない閉鎖された世界で生きていくためには、やはり太陽の光が必要だった。地上に降り注ぐ熱と光でもって、生命を育むためのエネルギーを得なければならない。そこで、、根本的解決にはなりえないにせよ、少なくとも向こう数百年の間をどうにかできる手段として考案され実行に移されたのが、人工太陽建設計画だった。
その計画は乱暴に言ってしまえば、アンダーワールドの天頂付近の岩盤に巨大な照明を取りつけようというもので、地下世界の住人達四半世紀の歳月をかけて全長6キロメートル、直径1キロにもなる巨大な円筒型の照明ユニットを最終的には10基製造し、『天蓋』へ設置した。光量も熱量も本物の太陽には遠く及ばないものの、光の届かぬ暗黒の地底に昼夜が生まれた。
だが、かつての屈辱の歴史の所産である人工太陽を見上げる大人達の胸中は穏やかならざるものだった。
自分達の親の世代が地上人との戦争に敗れたことで、自分達までもが地底へと追いやられた。地上人は光溢れる豊かな世界を独占し、我々アンダーワールドの民はこの息苦しい穴ぐらで一生を終える宿命を背負わされたのだ!
いつか地上へ帰りたい。たとえ自分達の世代にできなくとも、子や孫の世代に、あの太陽の輝きを享受させたい!
アンダーワールドの支配者達が抱く思いは、一番最初の世代から連綿と受け継がれている。地上人への復讐。そして、光溢れる世界への帰還。
それは祖父から父へ、父から子へ、ずっと受け継がれてきた地上世界への郷愁の念だった。
――――――――――
その日、後世の人が歴史的会合と称する密会が、アンダーワールドの一角にて行われていた。
「地上人と取引をする時代が来るとは、私の祖父や曾祖父は想像もせなんだろうな」
褐色の肌の偉丈夫が、朗々たるバリトンで語りかける。それを受けて、目鼻立ちの整ったスーツ姿の青年がこう応じた。
「それほどまでに状況が激変したということです。これからの時代は、地上とアンダーワールドが 互いに手を取り合っていかなくては、生き残れないでしょう」
椅子に浅く腰かけて得々と語る男の顔は、実年齢以上に若く見える。若くして巨大な財閥の当主となった男のこと、ルックスの維持も仕事のうちと承知しているのか、それとも己にのみ忠実であらんとする強欲さがこの男を若く見せるのか。
とはいえ、それだけではあるまい。アンダーワールドの支配者『オーバーロード』は、目の前の青年の本質を測りかねていた。
「対カース用新型兵器の共同研究……我がアンダーワールドのテクノロジストを2000余名動員しろとは、 最初に聞かされたときは驚いたものだ」
「ですがお互いに利益のある取引でしょう? その見返りとして、あなたは異界の技術を得るのですから」
「確かにな。魔法や魔術など、くだらんオカルトかと思っていたが」
「世界が違えば、そこには私達の知らない理がある。それだけの話です」
例えば、地上とアンダーワールドのように。そう言外に含ませ、青年――サクライの眼差しに狡猾な光が差し込む。
「それにわたくしどもにしましても、自然災害のような怪物や侵略者などは頭が痛い存在です。 ですが、ああいう連中がいてくれるからこそ、経済が回っているのもまた事実です」
「貴公は何を言いたいのだ」
「戦争根絶は確かに人類の悲願かもしれませんが、失業と貧困の抑制も為政者の務めでしょう?」
「ふん……それはまた露骨な言いようだな?」
「それにオーバーロード。貴方にとっても、市民の意向をまったく無視することは難しいのでは?」
直截な物言いに、オーバーロードは鼻白まざるを得なかった。
サクライの言う通り、一般市民や労働者階級である『シビリアン』を無碍に扱う政策は取れない。そうした政権は例外なく短命で終わっているし、私利私欲ばかりを追求するような人間はオーバーロードの座につくことはできない。貴族階級の『ジェントルマン』ばかりを優遇してシビリアンに革命など起こされれば、アンダーワールドはたちまち崩壊してしまいかねない。
それにアンダーワールド軍の大部分がシビリアンからの志願兵で構成されていることを考えれば、シビリアンの支持を失いかねない選択肢を取ることの愚かしさは自ずと知れる。
「双方にとって都合のいい敵役が現れてくれた……とでも言うつもりか?」
「国家間で戦争をやるよりはマシな選択でしょう。収支のバランスが取りづらくなりますからね」
オーバーロードは鼻息ひとつを返事にし、その件について明確な意見を述べることを避けた。
(この男……ゲーム感覚で世界を動かしているつもりか? 頭でっかちのボンボンめ)
内心で吐き捨てながらも、この人を人と思わぬ図々しさを危険視する頭も働いた。ただ傍若無人なだけの若造と断じるには時期尚早だと、彼の第六感が囁いていた。
オーバーロードとサクライの『交渉』――作り笑いを貼り付けた顔を突き合わせながらの会合は、予定調和的な妥協点を見出した上でお開きになった。
それは地上とアンダーワールドが初めて、協力を約束するものだった。
お互いの内心はどうあれ、2000年以上の時を経て、地上と地底のふたつの世界が交わったのだ。この会合それ自体は非公式なものであったものの、後世の歴史家はこの一事をひとつのターニングポイントであるとして重要視するのである。
オーバーロードは数人の護衛を伴って、地上車に乗って密会の場を後にした。
運転席についた護衛の一人は、ダッシュボードのパネルに触れてオート・ドライビング・モードに切り替える。これでハンドルもペダルもレバーも一切触らなくても、自動で目的地まで走っていくのだ。
地上車と道路とを相互リンクさせた自動運転システムも、有害物質や排煙を出さない無公害エンジンも、アンダーワールドでは500年以上前に開発されて普遍化したものだ。
アンダーワールドは地上人が忘れ去った古代文明のテクノロジーを保全し、発展させ続けた。地底という過酷な環境下で種を保存し繁栄していくためには、技術が必要だったのだ。限られた水源を有効活用するための浄水設備、工場から排出される煤煙を吸収し清浄化する空気清浄設備など、人間が安楽に住まうための環境を整備する技術が。
しかし技術の発達と医学の進歩は、同時に人口の増加と資源の枯渇をもたらす。いみじくもサクライが言ったように、失業と貧困の抑制はまさしく為政者の義務だ。だが、ここ100年のアンダーワールドは増えすぎた人口によって逼塞しつつあるのも事実だ。
その結果が人口比におけるスカベンジャーやアウトレイジの増加であり、治安の悪化であり、地上世界への人材の流出でもあった。
暮らしに余裕のあるジェントルマンやシビリアンはまだいい。しかし貧困層の下層民である彼らは、生きるために盗み、殺し、地上へ逃げようとする。
挙句にアンダーワールドに見切りをつけた一部のテクノロジストまでも地上へ出て行ってしまう始末だ。
この状況を放置すれば、遠からずアンダーワールドは崩壊する。
(それを防ぐためには、一刻も早く地上を取り戻さなければならん)
アンダーワールド人による地上への帰還。それは表向きには2000年前の祖先の過ちを雪ぐことであり、故郷に帰るということだ。だが、資源の獲得と生息圏の拡大という意義も厳然として存在する。オーバーロードとして考えなければならないのはアンダーワールド人を幸福にするということであって、後者をこそ念頭に置かなければならない。
地上の『異変』以来、何もかもが変わりつつある。サクライの言うように状況は激変し、時代は移り変わっていく。この変わってしまった世界で生き残るために、誰もがあがき続けなければならないのだ。
(時代は変わる。確かにそうだ。 2000年もの時が流れれば、人間はこの過酷な環境に適応する。 その証拠に、我々の目は強い光に弱くなったし、呼吸器は粉塵に強くなった。 私も、私の父も、祖父も、そのまた祖父も、あの天頂に埋め込まれた人工太陽が当たり前なのだ。 アンダーワールド人は、太陽のない世界を故郷と思うようになって久しいのではなかったか。
……だが、地上奪還という2000年前の祖先達の妄執は今、実体を得ようとしている。 ならば、この時この時代に地上を取り戻すことこそ、私の為すべきことではないのか?)
彼が考えを巡らせているうちに、地上車はオーバーロードの邸宅のガレージに滑り込み、「目的地に到着しました」という定型句を再生した。
この地上車に搭載されたOSの合成音声のサンプリング元は、300年前の女性だと聞いたことがある。その時代に生きた彼女もやはり、この地底こそ故郷と感じていたのだろうか。
オーバーロードが邸宅の執務室に戻ると、小さな影が彼の胸に飛び込んできた。
「パパッ!」
彼と同じ褐色の肌と黒い瞳を持った少女――ナターリアは、人工太陽など相手にならない明るい笑顔を見せた。彼女の笑顔に匹敵しうるものがあるとするなら、それはきっと地上の太陽に他ならない。
「よしよし、ナターリア。相変わらず甘えん坊だなぁ」
大きな手で愛娘の頭を撫でると、くすぐったそうな声が漏れた。
「ンッ……エヘヘ。パパ、お仕事お疲れサマ!」
「おいおい……また地上の言葉を勉強していたのか? お前にはまだ早いぞ」
「イイノ! ナターリア、日本語勉強してスシ食べに行くンダ!」
「オーバーロードの娘が地上の料理を好き好んで食べるのか? ……まあ、ダメとは言わんが、あまりおおっぴらにそういうことは言うんじゃないぞ」
「ナンデ?」
「そりゃあ勿論、スシが地上のものだからだろう。アンダーワールドのものなら誰も文句は言わんさ」
「ム~、スシおいしいのに……ミンナ、スシ食べれば考え方変わるヨ!」
「ハハハ、そうだといいな」
下手くそな日本語で喋る娘に、オーバーロードも流暢な日本語で会話を交わした。勉強はほとんど独学でしているだろうに、精一杯日本語を披露しようとする娘に応えたのである。
「語学もいいが、他の勉強は大丈夫だろうな?」
「ウ……実はナターリア、スーガク苦手だヨ……」
「そうなのか? ああいうのはパズルみたいなものだろう。難しく考えすぎちゃダメだぞ」
「スーガクよりはスポーツの方が好きダナ! ナターリアはダンス得意だヨ!」
それはオーバーロードがわずかな間だけ、地底の最高権力者から、一人の父親に戻る瞬間だった。
オーバーロードの称号は自分という個人を縛り、自分の言葉を失わせ、時に悪を為さしめる。けれど自分がその重みを引き受けたのは、愛する娘によりよい世界を手渡してやろうという純粋な思いがあるからこそだった。
地上。光溢れる豊かな世界。追放者の末裔である自分達が、いつか帰る世界。願わくば、この愛する娘に生きて欲しい世界。
掛け値なしにそう思う感性は、オーバーロードが地底で生まれ育ったからではなく、彼がナターリアの父親だからだ。娘の幸せを願わない父親など、存在する意味があるのだろうか。
そして、人が誰かのために敢えて悪徳を為すことの理由など、それで充分ではないだろうか。
ナターリアがいるからこそ、オーバーロードは一人の男として、その名に押し潰されずにいられる。それが将来、何千何万の地上人を殺すことになるのだとしても……。
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