近代女子教育の失敗

近代女子教育の失敗

日本語を忘れて外国人の価値観に溺れることとなった女子教育の先駆者、津田梅子。

欧米列強に追いつけというスローガンの元、女子教育の先駆者となった津田梅子。

彼女は留学先で日本語を忘れ、キリスト教徒に改宗し、英語を教えることこそが女子教育だとの思い込みの元凶となった張本人である。

日本の文学部外国語学科に女子が多いのは、全てこの誤まりを修正できずに、同じ方向に現在も進み続けているという事を裏付けている。

言語というものは文化の基本である。

ヨーロッパでは、3,4ヶ国語を話す事が当たり前であるという人間がいるが、ヨーロッパ人の言語はラテン語がベースとなったものでもあり、言語的に兄弟に近い。

さらに、繰り返された紛争や戦争により王室は分裂し、ヨーロッパ人は人種的にも兄弟関係に近く、日本人が思っている以上に連帯感がある。

どちらかといえば、ユーロというのは同じ中国人の中でも様々な民族や方言があるというような感覚に近く、広東人が北京語を学ぶようなものである。

日本人の中で、ヨーロッパで多言語を話す人間がもてはやされるのに反して、1つの言語を古典まで勉強している人間もいることは注目されない。

戦後民主主義の中において、経済に主眼をおいた風潮から、実際に利益に結びつく人間を養成する事が重視されるのは必然ではあるが、

実際に女子が外国語を勉強したがるのは、外国人男性と恋愛の機会をもうけるためであって、国益のためではない。

世界中で最も話されているのは下手な英語であるというが、一つの言語を深くまで操れるということは権威がある事なのである。

スイス人は国防のため4つの言語を話すが、国民同士で意思の疎通が難しい。

英語圏ではいまだにイギリスの古典的な英語に尊厳を感じる人も多い。

彼らがいまでにその古典的な英語を使うのは、古くから変わっていないものがよいものだという、伝統的価値観からに他ならない。

イギリスでの大学の地位がいまもって、文系が理系より高いことは、伝統が国家や社会の基盤となるものであり、

何が伝統に反するのか、伝統を壊すものなのか、何が例外なのかを判断するためであるともいえる。

伝統は新しいものに対して、強く反発する力を持たねばならない。

植民地政策によって、領土を獲得し、植民地に自分達の言語を教えた彼らは、自分達の言語を更新する必要がない。

であるからこそ、植民地でイギリス語をしゃべる人間は、宗主国の伝統に対して権威を感じ、それが支配に繋がる。

アメリカ人が喋る英語は最近できた西の田舎者の英語で、私たちの英語が本流であるという価値観も、アメリカがイギリスを尊敬する理由の一つでもある。

日本の場合は植民地もなく、新しい価値観や概念が産まれるにつれ、日本人は自分達の言語を上書き的に更新していったため、

古典的な言語を維持することはできなかった。

しかしながら、歴史というものをさかのぼって、自分の言語に長けているということは、例えば歴史学者では必然的であるし、

憲法学者にとってもかつての法を研究する時に必要なものである。

要するに古典をあやつるということは、歴史と伝統をよく知り、保護するということに繋がる。

文化防衛論というものがあるが、古典を知らず伝統を学ぶこともなく、何の文化を防衛できるというのであろうか。

日本人の価値観は、多言語の方向に向くばかりで、自分達の文化を保護することに関しては極めて後ろ向きである。

もちろん、貿易や外国の知識を知り国力をつける事も大事であるが、私たちが本当に守らなければならないのは文化や国民や伝統であり、

日本伝統を学ぶ者がいないというのはいかがなものか。


女の腹の数だけしか、将来を担う日本国民は、産まれない。

国家を防衛するという事は、女の腹を諸外国の手から守ることと同等である。

戦争に行くのは常に男である。

なぜなら、国家の腹を守らなければならないからである。

そして、男は少なくても多数の女を相手にできるが、女の腹の数しか子は産まれない。

であるからこそ、かねてから言っているように、諸外国ではいかにして女に貞操観念を持たせるか、

どのようにして外敵から自国の女を保護するか、どのようにして外国の女に自国民の子を産ませるか、それを考えているのである。

言語を学ぶというのは、その国の文化を一つ一つ学び、外国の雑誌や映画を毎日何時間も見て、舌の動かし方まで真似る地道な作業である。

自国の女子が外国人の言語をそうやって何年もかけて、自分の専門としていくことについて疑問を抱かない日本人はいないか?

女子のその努力は、外国人の男にいかに貰われるかという争いに発展していくのである。

私は帝国主義には反対であり、日本の文化を広げて世界を救うというような事は考えてはいない。

しかしながら、日本に対する侵略には立ち向かわなくてはならない。

帝国主義の政策とは、諸外国の女を犯し子を産ませ、その子や女に自国の言語や文化を身につけさせるという事である。

日本の男が戦争や経済戦争で言語を習得して犠牲になることはまだしも、国に帰りそこで自国の女が日本の国の伝統に価値を見出していないのなら、

どこに祖国というものがあろうか?

真の女子教育とは、伝統と文化を古典を教える事である。

日本女子が外国の文化を拒絶するようになって、日本の文化や伝統を発展させる機運がやってくるのである。

日本女子には、貞操観念を持たせ、伝統芸能や古典を学ばせ、日本文化を欲しがるように躾けなければならない。

それが男子の仕事であるというのに、外国の文化で女子を誘惑する者がいるという現実に、私は将来の日本について悲観するしかない。

女子が外国の文化につられて男子と寝るという現実には怒りを覚えざるを得ない。