カミバナシ


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

【カミバナシ】


 時の流れも幾星霜。世界の始まりも忘却の彼方。何も無かったそこへ、新たな世界を創ったのは、女神ヒュドミッテと、その妹神クーアクヤでした。
 まず妹神が空と大地と海を創りました。一方で偉大なる女神は、世界を魔法で統治する亜人を創り、多くの動物達を創った後、文化の担い手たる人族を産みました。


「この子が、新しい子? 魔力がほとんど無いじゃない」
 木組みの寝台で寝息を立てる唇に、少女がそっと指を当てると、幼子は僅かに身を捩った。
 今までのどんな子よりも、自分達に似通ったその子は、身を守る固い鱗も、敵を切り裂く鋭い爪も持たず、華奢で、弱々しく見えた。姉は何故、こんな子を創ったのか。
「仕様なの。繁殖力に重点を置いたから、一人当たりの魔力量が極端に減ったみたい」
「ふーん、成長性重視か。道理で成長が早いと思ったよ」
「その分、寿命も短くなったけど。良い労働力となって、あの子達を支えてくれるでしょう」
 あの子達とは、先に創られ、この世界の統治を任せた亜人達だろう。世界は今が黎明期。人材はいくらあっても足りてない。なるほど、そのために、働き手となる種を姉は創ったのだ。しかし魔を行使する亜人の下に、魔法を持たぬこの子らを付ける意味を、この姉は解っているのだろうか。そうだとしたら、何て残酷なのだろう。
 使い潰すための命。そんな考えが少女の脳裏を過ぎるが、幼子の髪を愛おしげに撫でる姉の姿に、少女は思考を止めた。そして何も知らない幼子は、いつまでも眠り続けた。


 女神の最高傑作たる人族は、世界に〝技術〟という概念を生み出し、それまで個々の資質に依存していた魔法社会は、誰もが扱える技術社会と変わりました。それらは多くは失敗の上に成り立つものでしたが、人々は努力は生活を豊かにし、世界は急速に発展していきました。


「姉さん、話がある」
「あら、ちょうど良い。どう、綺麗な紫色だろう」
 石造りの宮殿の一室へ入り込んできた少女に、姉は紫の反物を広げて見せた。今まで僅かしか作れなかったその色は、今や人族が造りだした合成染料により量産が可能となった。
「工場を増設すれば、全ての民へこの色彩を配給できる。世界はもっと豊かになるのよ」
「その工場建設を、止めて欲しい」
 少女が姉の目を見据えて告げた瞬間、姉の顔から笑顔が消えて、責めるような冷たい視線が少女を射貫く。それでも少女は怯まず、告げる。
「森林の伐採速度が早過ぎるし、排水が川を汚すんだ。人に比べて木々の成長も、河川の浄化も、もっと遅い。森が無くなれば大地は枯れ、河川が汚れれば命は死ぬ」
「何も持たぬあの子らが、必死の思いで成した物を、捨てろと?」
「見直せと言っている。人々の要請に応じて、私も多くの調整を行ったが、限界だ。一時的に生活水準を下げてでも、環境を回復させたい。しかし、私や、水族の長が掛け合っても、人族は無視を決め込む状態だ。もはや止められるのは、姉さんだけだ」
「他の子らは、魔法で工夫すれば、どうとでもなる。でも技術を取り上げられた人族は、どう生きていけば良い。肉体的にも魔力的にも恵まれている亜人達は、少しの不便くらい、我慢できるわ。それこそが平等でしょう?」
 少女は唇を噛みしめた。姉が、望外の成果を出した人族を、寵愛していることは知っていた。
 魔力を持たぬ人族が、代わりに身につけた技術は賞賛に値する。だがそれも度が過ぎる。
 そして次に、姉に浮かんだ表情は、嘲笑と侮蔑。そして僅かな苛立ちだった。
「そもそも、お前が創った世界が不完全だったから起きたこと。もっと自浄作用を強める環境を創造すれば、良いだけのことよ」
「やっている。だが急激な環境変化は、生態系を狂わして種を絶滅に追いやる。今のままでは間に合わない。お願いだ、ちょっと抑えるだけで良い」
「それは、そこまで見据えられなかった貴女の責任。ほら、泣き言を言っていないで、早く何とかする術を考えなさいな」
 少女は、何も言い返せなかった。いや、言い返さなかった。
 そして恐らくは、この瞬間だったのだろう。彼女の中で、何かが切り替わったのは。
 無言のまま踵を返した少女を、姉は一瞥すらしなかった。


 人々が血潮と努力で築き上げた大成を、快く思わない存在もいました。
 魔力にばかり頼って、技術の発展を否定し続けた亜人達、そして女神の妹、クー・アクヤです。広大な心を持つ姉神とは対照的に、矮小なる妹神は、豊かな想像力を持つ姉神と、努力と精進で世界を変えた人族を妬みました。その心は徐々に邪悪な闇を産み出し、その嫉妬心が抑えきれなくなると、環境の神は深い闇の底へ身を堕とし、魂より溢れ出た醜い魔が厄災と化して、世界へ噴出し始めました。それが、後の世で魔族と呼ばれる存在の始まりです。
 闇の塊は、瞬く間に軍団を成して、世界に襲いかかってきました。


 褐色の腕が伸ばされると、宙に浮かんだ灼熱の火弾が、城壁に撃ち込まれて爆炎を上げた。
 瓦礫に交じって手足が吹き飛び、人々の悲鳴と怒号が響き渡ると、戦列を成した黒い集団は、隊列を成して次々と破壊の火の手を上げていく。戦果を上げる度に、闇の軍団を指揮する少女は拳を握りしめ、食い込んだ爪が皮膚を破って血を流す。その顔は、痛みが気にならぬほど苦渋に歪み、造物主の心情を察した、褐色の女が少女の隣から告げた。
「貴女様は、必要を成しています」
「はは、姉さんに、言われた通りだよ。私は世界を創るセンスが無い。こんな形の修正しかできないなんて。君達も、良い迷惑だろう。まるで殺すために生み出されて――」
 少女の唇に、女の褐色の人差し指が当てられる。人を屠る者として、人を基に創り出された破壊者の褐色の指は、温かかった。そして女は頭を振ると指を離し、三歩下がって跪く。
「ご無礼を、お許し下さい」
「……失言だったよ。信じて貰えるかわからないけどさ、君達はね、私が望んで産んだんだ」
「我が神、クーアクヤ様。子が、どうして母たる貴女様を疑いましょう。そのお言葉さえ頂ければ充分です。我らは世界を護るため、御身の炎となりましょう」
 伏していた女が改めて頭を垂れると、背後に控えていた魔族の大軍団も、長に合わせて跪く。
 少女は大地を埋め尽くす黒い波に振り返ると、唇を真一文字に結び、再び眼前を見据えた。
 その先に蠢く白銀の群れ。前列に火砲を並べ、槍衾と鎧で身を固めた人族の軍団だ。その規模は、魔族の十倍を悠に超える。それでも少女、後の世界で邪神と呼ばれる一柱は、一歩も引かず、ただ一言、静かな声で勅命を下す。
「――灼き払え」


 邪悪な魔族達は、瞬く間に人々を虐殺し、世界を滅ぼして行きましたが、女神の祝福が施された聖都の守りが硬いと知ると、業を煮やしたクーアクヤは姉神に陳謝し、話し合いを提案して自らの城へ招き入れました。しかしそれは、姉神の心優しさを利用した、罠でした。


 整然とした黒い軍勢が取り囲む城塞の広間で、少女は玉座に腰掛ける姉を見据えた。
 天井から吊された巨大な水晶石は、きっと人族が研磨した物だ。
 曇り一つ無い加工面は見事としか言いようが無い。あとは正しく導ければ、今後も強い力となるだろう。戦いの勝敗は既に決した。それが解っているからこそ、姉は和議を申し込んで来たのだ。予想より早いが、これ以上、無駄な血を流したくもない。だから受けた。
 そのはずなのに、眼前の女神は、今もなお不遜な眼差しを妹へ向ける。
「魔族、だったか。そなたの兵は。我の人族をベースに創ったのか。よくもあれだけの数に、高水準の魔力を練り込めたものよ」
 数年ぶりに開かれた姉の声は固く、敵意に満ちていた。苦虫を噛み潰し、姉は少女をきつく見据える。それでも少女は、一歩も引かなかった。多くの命のためにも、引けなかった。
「私の要求は二つ。人族の開発計画の管理に、私を据えること。そして環境に関する私の言うことを、徹底して貰うことだ。これを呑まないなら、私は炎を以て世界を浄化する」
 少女が命令を下せば、外で待機した軍勢が、一斉にこの城へ火を放つ。この城塞都市には、人族の知恵を溜め込んだ資料館がある。姉だってそこを失いたくは、無いはずだ。
 姉は俯いていた。しかしその口元が、急につり上がる。
「愚かなり。やはりそなたは、堕ちてしまった。我が妹クーアクヤ。そなたの魂は我が懐で一度、浄化させようぞ」
「一体、何を言って――」
 少女は言葉を切った。否、溢れて出た血塊が喉を塞がれた。見下ろした胸から剣が生えていた。背後へ振り返ろうとして、呪文が詠唱されると意識が急速に霞んでいく。
 水晶に魔方陣が展開されていたのが見えたが、そこまでだ。倒れ伏した小さな体から、赤い水たまりが広がっていく。少女の骸の前で、姉神は高らかに笑った。こんなにも簡単に行くとは、思っていなかったからだろう。そこで、少女を刺した人族の男が口を挟んだ。
「ヒュドミッテ様、まだ終わってはおりませぬ」
「おお、カイルスよ。よくぞやった。そう。もう二度と、このような暴挙を起こさぬようにせねばな。早速、妹の魂を我が懐で浄化しようぞ」
「はい、もう二度と、このような暗君に世界は任せられませぬよ」
 刃が一閃すると、振り返ろうとしたヒュドミッテの首が飛び、断面から血を噴出させた体が重力に引かれて崩れ落ちた。再び展開された水晶石の魔方陣が光の塊を吸い込むと、男は首無しの死体に恭しく頭を垂れて、嗤う。
「しかしご安心下さいませ、これからは、我々が世界を動かしてみせましょう」


 邪神の残虐非道な謀略にも屈せず、女神は世界を守るため自ら剣を取り、見事、邪神を討ち滅ぼしました。しかし女神もまた深い傷を負い、最後の力で世界の全てを人族の王に託すと永い眠りにつきました。そして最後の祝福を受けた人々は、慌てふためく魔族共を東の世界へ追いやり、世界は平和な日々を取り戻しました。
                                     めでたし。