※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

『End & Start』


 短い期間だったのかもしれない。
 普段なら、平和な日常の中なら取り立てて騒ぐほどでもない数日という日数。しかし、隔絶された日々は時間感覚を実際の何倍にも引き延ばしていた。
 そして全てが終わり、漸く障害は取り除かれて。
 世界格闘大会、閉会式。その主役は当然ながら優勝者である紫ノ宮緒子(しのみや・おこ)である。賞品の少年は授与式さえ終わってしまえば大して注目もされない。報道陣に取り囲まれる緒子とは対照的に役目を終えた少年は、会場の隅に引っ込んで周囲の喧騒を他人事のように眺めていた。
 拉致。監禁。脱走。保護。捕獲。奪還。
 ここ数日で自らに起こった出来事はあまりに非日常的過ぎて、未だに現実感がない。酷い目に遭った、という実感も薄い。それは賞品とされた境遇にしても同じ事だったが、幸いにして短い付き合いの間でも充分に緒子の人となりは分かったので悪い事にはならないだろう、という確信があった。
 今は、束の間の平穏を噛み締めよう。
 そう考えていた少年の視界の端に、ちらりと無視できない影が映った。
 「あれは…………?」
 ホテルの大ホールから通路へ出た少年は、それを追う為に一歩ずつ足を進める。見過ごす事の出来ないそれが控室に消えるのを見届けた少年は少し迷ったが、意を決して扉を開き──────────。
 「それっ、確保!」
 「ええっ!?」
 ぐいっ、と力強く手を引かれて部屋の中に引きずり込まれると同時に背後で扉が閉まる。だが少年にそれを気にする余裕はない。
 「この大バカものーっ!」
 床に引き倒された少年の首筋にぎりぎりぎりっ、と三角絞めを敢行しているのは、彼をここまで誘い込んだ美脚の持ち主──────────大会を騒がせた乱入者の一人、女王蜂だった。
 「こっちはOKよ」
 「周囲に人影なし。オールクリアです」
 完全犯罪の見張りを遂行した残りの二人、秩序の守り手と闇の守護者。息の合った連携で鍵を掛けて扉を封鎖すると、ふかふかの絨毯の上で寝技を掛けられている少年の元へやってくる。
 「というか、こんな古典的かつ安易な罠に引っ掛かるなんて……」
 「危機感ゼロですね。この前まで捕まっていたのをもう忘れたのですか?」
 呆れと非難の言葉と共に少年の脇腹を左右からぷすぷすと指で突いて責め苛む。
 「く、くるし……」
 答えようにも、首筋を柔らかくも張りのある太ももで圧迫されていては答えようがない。少年の顔色が紫に変わったところで一応の気は済んだのか、或いは埒が明かないと悟ったのか、女王蜂は漸く絞め技の拘束を外して彼を解放した。
 こほこほ、と軽く咳き込んでから少年は驚いたように三人の顔を見上げる。
 「えっ……なんでみんな、こんなところに?」
 「なんで? じゃないわよ! みんなあんたのことをしんぱ…………心拍数をゼロにしてやろうと思って来たのよ!」
 「暗殺!?」
 「はいはい、それじゃ話進まないから」
 秩序の守り手は後を引き継ぐと、少年にこれまでの経緯を語って聞かせる。情報源が限られていたとはいえ大会に乱入者が居る事くらいは知っていたものの、それがまさか自分の親しい少女たちであったとは夢にも思わず、今更ながらに少年は受けた衝撃を隠せなかった。
 「じゃあ、そんな危ない事を僕の為に……?」
 「そういうことです。それを踏まえた上で充分に反省して下さい」
 表情には出さないものの、闇の守護者は他の二人以上にはっきりと主張した。物静かで控えめに見えても、その内心は決して穏やかではないのだろう。そしてそれは他の二人も同じ事。
 それが分かるからこそ、少年は素直に自らの非を認めた。
 「うん…………ごめんね、心配かけて。それから、ありがとう。…………でも、もうそんな危ない事はしないで?」
 謝罪。感謝。そしてお願い。短い言葉の端々に感じられる少年の誠意に、三人の少女は再会したらたっぷりとぶつけてやろうと用意していたお説教の言葉を全て融かされてしまっていた。
 「ま、まぁ…………分かればいいのよ」
 「元々、拉致されたこと自体に責任はない訳だし……」
 「以後、重々気を付けると約束してください」
 自分の身を案じるがゆえの怒りと心配。身に余る寄せられた想いを感じると、少年は神妙に頷いた。
 「それじゃ、折角だしみんなも会場に行かない? この後は立食パーティーって聞いてるから……」
 一件落着、と笑顔を見せた少年は三人を誘う。大会が終わり、乱入者の存在も余興の一つだったという公式見解を運営側が示した事もあり、パーティーに参加しても見咎められる事もない筈だ。
 そう考えた少年の心遣いに対して、少女たちは──────────。
 「ちょっと、何か勘違いしてない? まだ話は終わってないわよ」
 「確かに、攫われて心配かけた件については水に流したけれど」
 「今回、色んな女性たちにちょっかいを掛けた件についての追及はこれからです」
 三人揃って、ずい、と身を乗り出してくる。目が怖い。
 「ええええええ!? ちょ、ちょっと待って! 確かに逃げてる時に参加選手の女の子と知り合ったり、怪我してるところを助けてあげたりはしたけど、ちょっかいだなんて…………あ」
 両手の平を前に突き出し、慌てふためく少年の動きがぴたりと止まる。
 「どうやら身に覚えがあるようね……」
 「私たちの気も知らないで……」
 「やはり、きついお仕置きが必要なようです」
 「ま、待って、これには訳が…………あの、話せばわか……」
 修羅と羅刹と夜叉が、声を揃えて。
 「「「問答無用!!!」」」
 防音に優れた高級ホテルの一室で、少年は三人の気が済むまで、精根尽き果てるまでこってりと絞られたのだった。


 閉会式に、一九六五(にのまえ・くろこ)の姿はなかった。
 式自体の段取りは事前に整えられており、彼女が居なくても他の者の手で何の問題もなく進められている。
 彼女の本当の仕事は──────────使命は、決して誰にも認められる事はない。
 大会前には賞品の少年の、そして自らの一族でもある眼鏡の少女に協力を仰ぎ、最低限の情報提供はした。彼女の働きは予想を超えるものであり、満足はしたものの決して自分の理解者という訳ではない。
 彼女が守った未来も歴史も、この時代を生きる人々には実感が無いだろう。そしてまた、感じさせてはいけない。
 九六五の時間移動は他の仲間の能力によるものであり、彼女自身の能力ではない。それはすなわち、元の時代に帰る事は出来ないという事。それを承知の上で、彼女はこの任務に志願したのだ。
 歴史の改変を防いだ彼女の行く末は、誰も知らない。


 「サンプルデータ採取完了しました」
 白衣の研究員が畏まった様子で作業終了の報告を上司に行う。彼の背後では厳重に梱包された幾つかの金属ケースが他の研究員たちによって運ばれていた。中には彼らの目的である貴重なサンプル──────────つい先程まで”終末を背負う者”と呼ばれていた存在の肉体組織片が収められている。
 「分かった。じゃあさっさと撤退するわよ」
 応じた声は著しく年若い少女。いや、幼女と言っても良い年嵩の人間のものだった。彼女は自分のおよそ四倍以上の年齢の部下を顎で使っているように見えたが、しかし実際の年齢は定かではない。
 彼女たちは世界格闘大会の運営ではない。それらとはもっと別の、異なる組織。
 「”歴史”は正しく流れなければならない……」
 部下の運転する特殊車両に乗り込みながら、彼女は呟く。
 正しさ。それは決して一つとは限らない。そして彼女の信じる正しさとは己の属する組織、十束学園にこそ存在する。
 ”歴史”を司る教員、久我原史香(くがはら・ふみか)。その暗躍は既に始まっている。

                                                          <了>