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『”The Transfer”No.8』


 ──────────乾く──────────渇く──────────。
 意識が、存在が消滅してゆく中で、ルガーの全身を占める感情は渇望だった。吸血鬼という不浄な魂でさえ、生への執着は強い。消えてなるものか、という強い意志が現世へとしがみつく。
 だが、それも時間の問題。聖なる力に打ち倒され、己の力が拡散してゆく感覚は自ら霧化するものとは全く異なり、いくら念じても肉体は戻ってこない。牙が、爪が、力が喪われてゆく。
 灰は灰に、塵は塵に。
 抵抗虚しく散りゆく血の華はしかし、運命の奔流に巻き込まれて再び蘇る。
 僅かに聞こえた声。
 仄かに香った芳香。
 微かに映った姿に、彼女は最後の力を振り絞ってむしゃぶりついた。
 小さな悲鳴や抵抗も、彼女には何の抑止にもならなかった。獲物を押さえつけ、地に引き倒すと自らもその上に倒れ伏す。立ち上がる時間も力も惜しんで、口を開いた。
 肉を引き裂く鋭い牙は鈍り、それでも渇望を満たそうと吸いつく。
 思えばこの時既に、兆候は現れていたのかもしれない。
 慣れ親しんだ乙女の血潮ではない、別種のもの。
 生命エネルギー。精気と呼ばれるものの直接摂取だけが唯一彼女の存在を現世へと繋ぎ止める手段だった。それを無意識に悟り、己のあるべき姿を変えていた。
 吸血鬼から吸精鬼への変態。
 無我夢中で頬張った先端から滲み出る精気を求め、ルガーは乳飲み子のように舌を絡めてはより一層の分泌を促す。吸精鬼としての本能は目覚めたばかりでも過たず本人の望みに応じ、本職の高級娼婦も敵わぬ巧妙な技巧を発揮してゆく。
 やがてその努力は実を結び、彼女の口内へと精気が放出された。
 血よりも濃厚で、甘美で、そして芳醇。
 初めての事ゆえに予想以上に大量に流れ込んできた精気を、それでもルガーは懸命に啜り、飲み干してゆく。一滴も無駄にせず、その全てを力に変える為に。蘇る命の糧に。
 満たされてゆく欲望に、彼女は達した。
 吸精処女を捨て、吸精鬼へと完全変態を遂げた彼女は未だ口内に残る精気のねっとりとした残滓を自らの唾液と混ぜ合わせ、くちゅくちゅと撹拌してはその味わいを高級ワインのように楽しむ。絶頂に震える肢体に染み渡らせるように。
 初めての吸精体験は長年を生きた彼女にとっても刺激的過ぎて、精気を絞り出す行為も、精気を受け止めた衝撃も、精気を余すところ無く味わう歓喜も、全てが吸血行為を上回る快楽であり、一度味わってしまえばやめられない経験──────────いや、それは既に麻薬だった。
 そして、本能的に理解していた。全て、この相手があってこそのものだと。
 野球少年が初めてのホームランを生涯忘れないように。
 恋する乙女が初めてのキスをずっと大切な思い出とするように。
 吸精鬼として初めて賞味した精気は彼女の新しい身体を構築し、隅々まで行き渡り──────────最早、それなしではいられない精気中毒に。獲物とした筈が絡め取られ、逆に獲物の虜へと変えられていた。

 ルガーが恍惚の忘我から復帰した時には既にその相手は姿を消していたが、突然襲ったようなものなのでそれも無理からぬ話だと彼女はさして気にしなかった。
 それに。
 その眼は覚えている。自分を気遣う心配そうな表情と、精気を放出した時の切なくも恥ずかしそうな少女の顔を。
 その鼻は覚えている。爽やかに甘酸っぱい、少女の汗の匂いと生々しい精気の香りを。
 その舌は覚えている。瑞々しい少女の肌触りと、溢れ出た精気のこってりと濃厚な味わいを。
 そして、その身体は覚えている。吸精の喜悦に打ち震え、精気を受け止めた快感を。欲望を貪った自身の絶頂を。
 それゆえに、次に取る行動は既に決まっている。
 精気依存への警鐘は鳴り響かない。
 何故ならそれを除いては、彼女の渇きを潤す事は世界中のどんな美酒をもってしても不可能だと、彼女自身がどうしようもなく自覚してしまっていたからだった。

                                                       <了>