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彼女と彼女の事情


鴻畔を乗せて運ばれていく担架を見送ると、シスター・マリーはベンチに腰掛けた。
格闘大会である以上、仕方のないことである。だがライバルたちを再起不能に追い込む罪悪感に、マリーは未だ慣れることができないでいた。

「明日は我が身、か」

そう呟くと、煙草を取り出し火をつける。
紫煙の向こうに、先程まで戦場だった公園が霞んで見えた。

大会も6ターン目を迎え、続々と脱落者が出ている。
逆に言えば、賞金1兆円を手にする優勝者候補の数も絞られ始めたということだ。
このままいくと……

「この公園内は全面禁煙だぜ」

突如自分に向けられた声に振り返ると、そこにはスーツを着てよれたコートを羽織った男が立っていた。
30歳前後といったところか。一見したところ人畜無害な様子だが、油断のない面構えが彼の実力を物語っている。

「わりぃな、そいつは知らなかったよ」

マリーは煙草を揉み消すと、ポケットから取り出した携帯灰皿に突っ込んだ。

「ほう、準備がいいな」
「喫煙者のエチケットってヤツだろ。ところであんたは?」
「おっと、こいつは失礼した。俺はこういうもんだ」

男はコートの内ポケットに手を入れると、警察手帳を取り出して見せた。

「……振樹……渋流? ふれきしぶる、変わった名前だな」
「名前のことは言わんでくれ。気にしてるんだ」

ムスッとした表情を見せる振樹刑事。
渋い格好に似合わぬ子供っぽい態度に、思わずマリーの頬が緩んだ。

「ははは、悪かった。ところで刑事さんがオレに何の用だ?」

振樹は数秒マリーを品定めするように見ていたが、何かに納得したように口を開いた。

「刑事の勘(FS:5)なんだが、どうにもこの大会はきな臭いような気がしてな。個人的に動向を監視しているんだ」
「きな臭い?」
「具体的なことは言えんが、な」
「ふーん」

生返事のマリー。

「なんだ、興味なさそうだな」
「俺は賞金を稼げさえすれば文句はないからな」

負傷治療のためにした借金は、既に返済している。
優勝できるかどうかは置いておくとしても、知名度上昇による寄付金の増加が未知数な今、財政難の施設のために少しでも賞金を稼いでおかなくてはならない。

「まあ、そういうことだ。オレは何も知らないし、取り調べしたって有用な情報は出てこないぜ。おかしなヤツを見かけたら教えてやる、くらいのことはしてやるよ」
「そうだな、よろしく頼む。ただ、この話は他言無用だぞ。俺はマナーの良いお前さんを信用したんだからな」

そういって、振樹はマリーが手にしている携帯灰皿を見やった。

「ああ、これか? これは今年の俺の誕生日に、施設の子どもたちがプレゼントしてくれたんだ」
「施設……。ああ、そう言えばお前さん、聖アリマンヌ教会のシスター……いや、天使さんだったな」
「アリマンヌ教会のこと知ってるのか! これは知名度も上がってきたな!」
「いや、俺はあそこの近所に住んでいて、出勤で教会の向かいの道を通るんだよ」

露骨に落胆するマリー。だが、ランキング中位ではそんなものなのかも知れない。
と、そこで振樹は何かを思いだしたようだった。

「どうした?」
「いや、今日出勤途中に見たんだが、アリマンヌ教会に救急車が停まってたのを思い出してな。なんかあったのか?」
「救急車?」

胸騒ぎがした。
救急車が来たということは、教会か施設でかなり大きな怪我人若しくは病人が出たということだろう。

ふと、親友の顔が浮かんだ。
子供の頃から彼女はあまり身体の強い方ではなかったが、最後に会ったエルザの顔色は明らかに良くなかった。
大会に集中してもらうために、あえて自分に何も告げないのだろう。
エルザの気遣いを察し、自分から聞くことはしなかったが、まさか……

振樹に断りを入れ、ケータイでエルザの番号に電話を掛ける。
ほんの数秒でつながり、マリーは焦りを押さえて第一声を切り出した。

「もしもしエルザ、今朝教会に救急車が来てたらしいけど、なんかあったのか?」

いつものように、のんびりとした声が聞こえてきて欲しい。嫌な予感なんて打ち砕いて欲しい。
マリーの希望は、悲鳴に似た子供の声にかき消された。

『マリーねえちゃん! エルザねえちゃんが!』

息が詰まった。鼓動が早まる。

「エルザ!? エルザがどうしたんだ!?」

『今朝急に倒れて! 胸押さえて苦しそうで! 咳も全然止まらなくて、どうすればいいのか分からなくて!』
『バカっ! マリー姉ちゃんには絶対に言うなって、エルザ姉ちゃんが』
『でもっ!!』

身体の芯が冷えていく。
携帯電話から聞こえてくる大音声が、いやに遠い。

「……大丈夫、大丈夫だ。エルザはそんなに弱いやつじゃない。あいつなら大丈夫だから、な」

声が震えているな、とやけに冷静な自分をぼんやりと感じながら、マリーはエルザの状況や搬送病院を聞くと電話を切った。

「あんな大きい声で話してりゃあ、筒抜けだぞ」

いつの間にか、振樹刑事が後ろに立っていた。

「……行かなきゃ」
「パトカー貸してやる。二戦目までに戻って来ないとマズイだろ」
「すまん」
「良いってことよ」

ついてこい、と手で合図をしながら振樹は言った。

「警察はな、善良な市民の味方なんだよ」

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治療法はあるが、失敗する可能性は無視できない。
どのような処置を施すにしろ、高額の治療費が掛かる。
今は容態が安定しているが、今後どうなるかは分からない。

病室で聞いた説明は、だいたいこのようなものだった。

「よく考えてからご返答ください」
「いくら掛かっても構いません。オレの親友を、治してやってください!」

医師の言葉に、マリーは即答した。

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壁際に立って腕時計を見ていた振樹が、片羽の生えた背中に声を掛けた。

「そろそろ出発しないと、間に合わなくなるぞ」
「……そうだな」

握り続けていたエルザの冷えきった手を、そっと布団の中に入れる。
眠っている親友の黒髪を軽く撫でると、マリーは立ち上がった。

守るべきものを守るためには、戦って勝ち取らねばならない。
聖人であり天使でもある少女は今、鬼として戦場に舞い戻る。

「……じゃあ、行ってくる」