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『“The Transfer” No.5』


 「ねぇ、ちょっと。大丈夫?」
 その声が自分に向けられたものだと気付くまでに、クェル・クスは些かの時間を要した。
 異国の言葉──────日本語だったからという訳ではない。自分が話すのはまだまだ辿々しいものの、聞き取る分には早口だったり難解な言葉遣いでなければなんとかついていける。
 クェルは『世界格闘大会』で日本を訪れる前からこの国に興味を持っていた。
 それは、数年前の話──────。

 彼女は村長である父の使いで時折、町まで買い物に出掛ける事があった。村の生活は基本的には自給自足で賄われていたが、それでもどうしても手に入りづらいものがある。薬はその代表的なものだ。
 家畜から摂れた乳製品や毛皮の加工品。素朴ではあったが品質に定評のあるそれらは町に持っていけば良い値がつく。村一番の俊足であり、棍の腕前も一番だった彼女なら野盗から身を守る事も容易だったし、大人たちでさえしばしば行う役得行為──────代価の私的利用など考えもしない真面目な性格はまさに使いにうってつけだった。
 そして町に出ればそれだけ、村では得られない経験に遭遇する機会を得る。
 近くに文化的な遺跡が皆無な事もありいわゆる観光客の数は少なかったが、それでも時には物好きな旅人(バックパッカー、とかいうやつらしい、という事をクェルは後で知った)が町の市場や通りを歩いているのを目にした事もある。
 異国からの旅人。クェルにとって世界とは、村と町と、それと草原くらいだった。
 彼らはその外からやってきて、またその外へと去ってゆく。
 年頃の少女らしい好奇心はクェルにも当然あったが、しかしあまりにもそれは遠すぎて想像すら出来なかった。
 ある日、その男と出会うまでは。

 出会った、というには一方的過ぎたかもしれない。何しろ、その男はクェルの村と町を結ぶ道の途中で行き倒れていたのだから。
 ちょうど村への帰り道であり、行きに持ち運んでいた嵩張る荷物も今はない。大人の男性一人を運ぶ程度、クェルにとっては苦役にもならず、何より放っておく事は出来なかった。
 幸いにして男は厄介な急病や野盗に襲われて重傷を負っていた訳ではなく、ただの空腹ゆえの衰弱だった。クェルが自分の家に運んで乳粥を食べさせると、数日の安静で男はすっかり元気を取り戻した。
 回復した後も男は暫くの間、村に居着いた。クェルにとっては生まれ育った村は何の変哲もない場所だったが、男にとってはそうではなかったらしい。物珍しそうな様子で羊の毛に触れようとしては逆に追い回されたり、馬を撫でようとしては蹴られそうになったり、牛に近付こうとしては糞を飛ばされたりしていた。
 男は家畜の世話役としては大して役に立たなかったが、異邦人としては驚くほどの親しみやすさですぐに村へと溶け込んだ。外部の者に対して敵対的とは言わないまでも閉鎖的だった村人とうまくやれたのは、男の人見知りしない性格と話し好きが功を奏したのだろう。
 クェルも家畜の世話や水汲みの合間、食事の際には男から色々と話を聞いたものだった。色んな国を旅しているというその男の話はどれもこれもクェルにとっては新鮮で、聞く事全てが驚きの連続だった。
 中でも、男の出身地である日本という国の話は面白く、歴史の話から現代の話まで全てが興味深かった。勉強というものにあまり縁がなかったクェルだが、男に教えてもらって日本語も少し覚えた。
 暫くの滞在の後、いよいよ男は旅立つ事になった。その頃には頑固で強面のクェルの父親ですら、生涯の親友と別れる辛さに悲痛な面持ちで残念がっていた。目の縁が少し赤くなっていたのは、昨夜の別れの宴で普段以上に馬乳酒を飲み過ぎた所為だけでは無いはずだ。
 クェルにも当然寂しい気持ちはあった。だが、出会いは別れの始まりで、別れは出会いの始まり。旅人である男を村に留めるなど、誰にも出来はしなかった。恐らく、男自身でさえ。
 ──────クェルは僕の命の恩人だし、お礼を幾ら言っても言い足りない。だけど僕はあまり物は持たない主義だし、あげられるような物もないんだ。
 別れ際に、男は申し訳なさそうに語った。
 クェルは大きく首を振る。
 男からは色々もらった。平和だが少し退屈だった日常を束の間破ってくれた出来事を。世界の広さを教えてもらったし、まだ見ぬ世界への憧れももらった。
 ぽん、とクェルの頭の上に優しく手が載せられた。
 武骨で硬い父の拳骨とは違う。水仕事で荒れた母のものでもない。少し頼りなく、しかし穏やかな男の手だった。
 ──────クェルは本当に良い子だね。そうだ、一つだけあげられるものがあったよ。
 男はふと思いつくと、少しだけ悪戯っぽい少年のような笑みを浮かべて。
 ──────僕は若く見られるんだけど、これでも息子が居てね。ちょうどクェルと同じくらいかな? クェルがもう少し大きくなったら、その子をお婿さんにあげよう。
 それはいい、それなら俺たちは家族になるわけだ! と、クェルの父は破顔大笑し、男の肩をどやした。当のクェルはきょとんとするばかりで、その時はまだ良く意味は分かっていなかったのだが。

 それから数年の間、クェルは村の仕事をこなす傍ら今まで以上に棍の腕前を磨き、いつか訪れるその時を心待ちにしていた。大人として認められる年になり、町よりも遠くへ行ける日を。
 そして運命は、クェルの前に招待状をもたらした。『世界格闘大会』への出場切符を。

 「……ねぇ、聞こえる?」
 再び聞こえた声が、クェルを現実に引き戻した。
 目の前では、勝ち気そうな顔を少しだけ心配そうにさせた少女がしゃがみ込んでクェルと視線を合わせていた。
 知らない相手ではなかった。その少女は──────”女王蜂”。乱入行為を行い、大会参加者に対して落花狼藉を働いた、言わばクェルたちにとっては敵である存在だった。実際、クェル自身は彼女と闘いこそしなかったがその討伐に名乗りを上げた選手たちと行動を共にした事実もある。それは”女王蜂”も知らないはずはなかったが──────。
 混乱していたクェルの頭に少しずつ記憶が戻ってくる。
 そう、自分は戦いに敗れて手傷を負い、そして──────。
 砂浜から起き上がろうとしたクェルを、別の少女が押し留めた。
 「まだ動かない方が良いわ。簡単な手当は済んでるようだけど、無理は禁物」
 声の主は眼鏡を掛けた道着姿の少女。確か彼女も大会を掻き乱していた存在──────”秩序の守り手”。
 他ならぬ自分の身体である。彼女の言う通り、もう少し休んでいた方が良さそうだというのはクェルにも分かった。ただ、その理由は闘いの後遺症だけではなくて。
 「外国の子みたいだけど、言葉、分かるわよね? ちょっと聞きたいの」
 ”女王蜂”の訊ね事。それは、尋ね人だった。こくり、と頷いたクェルに畳み掛けるように問い掛ける。
 「この辺で見なかった? えーっと、見た目は女の子みたいなんだけど、バカでスケベで浮気者で、それから人の話を聞いてなくて、いっつも心配ばかり掛けさせる手の焼ける奴で……」
 なんだか悪口ばかりだ。機関銃のように続く言葉にクェルが呆気にとられていると、”秩序の守り手”が口を挟んだ。
 「それじゃわからないでしょ、もう…………概ね同意だけど。ええっと、クェルさん、だったわね。私たちが探しているのは貴女に分かりやすく言えば、”賞品の少年”なの。この辺りで見なかった?」
 見なかったも何も、ついさっきまで──────この少女二人組が来る直前まで、その少年はこの場に居てクェルと話していたのだ。しかも、親切に怪我の手当てまでしてくれて。
 その事を説明しようと、クェルは片言の日本語を口にした。
 「その子だったらさっきまでここにいて、(脱臼してた関節を)ハメてくれた。クェルは初めて(の脱臼治療)でそのときは痛かったけど、終わったら『よく我慢したね』って撫でてくれたよ」
 脱臼という日本語を知らないクェルは自分の言葉だけでは分かりづらいと思い、怪我で外れていた股関節の辺りを擦るボディランゲージも付け加える。
 うん、これなら大丈夫。きっと伝わったに違いない。
 勿論、全然大丈夫ではなかった。
 「「ハメ……!?」」
 みるみるうちに眼前の二人の少女の顔色が変わってゆく。怒りを表す表情へと。辺りに漂う空気さえ異質で不穏当なものへと変質し、浜辺に顔を出していた砂蟹が慌てて巣穴へと引っ込んだ。
 「あれ、どうかした?」
 幸いにして、その怒りの矛先は彼女に対してではない。寧ろ、二人がクェルに向ける眼差しは同情的なものだった。
 「アイツ……こんな時なのに性懲りもなくっ……!!」
 「やっぱりさっさと病院を抜け出してきて正解だったようね……」
 二人はお互いに頷き合うと、意を決したように敢然と立ち上がる。
 「ごめんなさい、私たちちょっと急ぐからこれで」
 挨拶もそこそこに、慌ただしく去ってゆく二人。その様子をきょとんとしながら見送ったクェルだったが──────。
 色恋に疎いクェルにも、本能的に彼女たちが少年と浅からぬ関係にある事を感じ取っていた。大会参加当初ではそうは行かなかっただろうが、恋を知った今の自分になら分かる。
 少年の周囲に見える複数の女性の影。それはクェルの氏族の先祖であり、世界最大級の帝国を築いた草原の覇者──────好色な英雄を彼女に思い出させ、ある種の運命を感じさせた。


 なお、余談ではあるがこの後、巨大蟹と巨大海老と巨大海亀が砂浜に上陸して一大バトルを繰り広げたのは此処で発せられた強烈な殺気に当てられたゆえのものである、という事実は余人の知らぬ事である──────────。

                                         <了>