ダンゲロス・ホーリーランド4 プロローグ

1

 そこは、地上の光届かぬ閉ざされた地下室。
 或いは、天を衝く絶界の高塔の一室。
 そのどちらであるのか、それとも全く別の何処かなのかすら、室内の人物には知るすべはない。
 それもその筈、室内には窓一つなく、四方を囲む白で統一された壁があるばかり。厳重に施錠された扉はあるものの、当然外の様子を窺い知る事は出来ない。
 音も匂いも感じられない閉鎖された空間の周囲がどうなっているのか──────────連れて来られた時にはご丁寧に目隠しとヘッドホンまでさせられ、部屋の中に閉じ込められてから何一つ情報を与えられていない少年には、想像すらつかなかった。
 文字通りの監禁。しかしその扱いは刑務所の囚人とは雲泥の差だった。手錠や拘束服を着せられている訳でもなく、室内には本や新作ゲーム、映画のDVDなどが豊富に取り揃えられており、全てを楽しもうとすれば寝る間を惜しんでさえ優に数ヶ月は暇を潰せるかもしれない。PCがないのは恐らく外界との情報のやり取りを防ぐ意味合いがあるのだろうが、それを除けば娯楽品には事欠かない。
 食事も日に二度ほどだが、少年が眠っている間や注意を払っていない時に、いつの間にか扉の小窓を通じてトレイが床に置かれている。何度かその瞬間を見極めてやろうとずっと扉の方を注視していた事もあったのだが、相手は室内の様子を隠しカメラか何かで監視しているのか、少年の目論見を嘲笑うかのようにその隙を見せなかった。
 生活する上で最低限の衣食住は保障されている。とは言うものの、四六時中見張られていて行動の自由を制限されていては、快適というには程遠い。
 特に、相手の正体も目的も分からないまま、ただ徒に飼い殺しのような状態に置かれていては。
 ──────────この時はまだ、少年は知らなかった。外界で始まった『世界格闘大会』という華やかな祭典と、その裏に隠された企みを。

2

 「…………全くあのバカ、何処をほっつき歩いてるのかしら!」
 勝気そうな瞳の少女が不機嫌そうな表情を隠そうともせずに怒りをぶち撒けた。
 「日頃の行いはともかく、学校の出席状況自体は問題ないのが唯一の取り柄だったのに」
 対する眼鏡を掛けた少女も、冷静な口調のままで辛辣な台詞を口にする。やや苛立ちが感じられるのは今の状況に言い知れぬ不安を感じているせいもあるのだろう。
 「…………」
 そして、西洋人形のように整った面立ちの第三の少女。彼女は先に二人と異なり意見を口にする事はなかったが、胸に抱いている心情は同じだった。
 彼女たちの知る人物が消息不明となってから、既に数日が経過していた。三人は手がかりを求めて、しかしあてもなく町を探し回っていた。
 小さな子どもではない。年頃の少年がふと、あてもない旅に出る──────────良くある事ではないにしても決してあり得ない話ではない。
 だが、彼女たちは知っている。
 その少年が無用に自分たちに心配をかけてまで勝手な行動を取るような人物ではない事を。
 にも関わらず今もって連絡が取れないという事実は、何かの事件に巻き込まれてのっぴきならない事態の渦中に居るという事に他ならない。
 三人がそう確信するのをまるで見計らっていたかのように。
 全世界に伝えられたアナウンス。『世界格闘大会』の開催と、その賞品。
 街頭の巨大モニターで流されたその放送を、少女たちは呆然と立ち尽くして見上げた。
 何がどうしてそうなったのか。今、その少年がどうしているのか。何も分からなかったが──────────。
 「…………既に参加受付は締め切られているようですね」
 最も無口な少女がいち早く我に返り、事実を告げた。
 「確かに招待参加選手はリストに出ている人で全員のようね」
 続いて、眼鏡の少女も画面に流れた参加者を確認する。
 「それがどうしたって言うのよ! 招待なんかされなくても関係ないわ!」
 激情の少女の叫びは──────────他の二人が続けようとしていた言葉そのままで。
 「あのバカ、首に縄をつけてでも連れ帰ってやる……!」
 「どうせまたろくでもない事に巻き込まれているんでしょうけれど…………日頃の行いを反省させる良い機会ね」
 「私は縄よりも首輪を付けて管理すべきだと思いますが、概ね同意です」
 三者三様、それぞれの意見。
 口に出した言葉は厳しくも、行動の源泉は皆同じ。
 かくして、本来なら参加する筈のなかった少女たちさえ、美と武の祭典にその身を投じる事となる。

3

 全世界同時放送──────────時差がある国には改めて再放送があるのだろうが──────────が終わって。
 「ちょ、ちょ、ちょっとどういうことよ!? しばらく姿を見ないと思ったら、何がどうなって……!?」
 居間でTVを見ていた姫カットの少女は取り乱し、隣で同じように放送を見ていた眼鏡の少女に食って掛かる。
 「ふーむ、思ったよりも大事になってきたね……」
 対照的に落ち着いた口調で答える眼鏡の少女。二人はいずれも賞品となった少年の姉である。
 「こうしちゃいられないわ! すぐにみんなで助けに……」
 「まぁ、待ち給え。この件に関して、ぼくたちは手出しをすべきじゃない」
 やんわりと、しかし有無を言わさぬ口調で彼女は妹を制する。
 「何を悠長な…………? って! ひょっとして何か知ってるの?」
 姫カットの少女も馬鹿ではない。眼鏡の少女が誰よりも家族愛に溢れている事を知ればこそ、彼女が静観の立場を取るというならそこには何か自分の知らぬ事情を察しているに違いない、と思い至ったのだ。
 「眼鏡は何でもお見通し……と言いたいところだけれど、ぼくも全てを聞いたわけじゃない。それでも、ぼくが知った範囲の事実を重ね合わせて検討した結果だ」
 性格に問題は多々あるものの、その判断力については全幅の信頼を寄せて間違いはない。彼女がそうすべきではない、と言うのなら実際それが最善なのだろう。
 渋々引き下がった姫カットの少女だったが。
 賞品となった少年には、他にも家族が居た。姫カットの少女ほど物分かりが良い訳ではない彼女は、チョコレートの甘い香りを漂わせた小さな魔女は、既に行動を開始していた。
 愛すべき兄の為に。
 彼の為ならば全てを投げ打ち、そして立ち塞がる者は全て葬る狂える覚悟を持って。

4

 人が物として扱われ、催し事の賞品となる。
 例えばそれが人権意識のない古代国家だったり未開の部族で行われていた文化というなら、眉を顰める事はあっても違和感を抱く者はいないだろう。
 例えばそれが法の正義の及ばぬ地下娯楽の一種であったなら、義憤を感じる事はあっても違和感を抱く者はいないだろう。
 だが、今回行われるのは遠い過去でも密林の奥深くでもなく、非合法の闇の中でもない。
 『世界格闘大会』は完全に合法なものとして、現代法治国家が認める公式なイベントだった。
 ──────────学園自治法という法律がある。
 建前では教育の場への国家権力の介入を良しとしない、学園自治の精神に則った信念ある立法だったが、その実情は魔人の温床となる学園への隔離政策として働き、結果として治外法権を認めるものとなっている。
 そして今回、政府が新たに制定した特別法『特定目的下治安法』。仰々しい名であるものの、要するに『世界格闘大会』についての一切の活動を、期間と範囲を定めて全て合法とするものだった。これにより選手間の戦闘行為の合法化のみならず、あらゆる便宜が運営に図られる事となる。
 人を人として扱わぬ行為すらも。
 この法案は提出から採決まで異常なスピードで行われ、『世界格闘大会』は日本政府公認の一大イベントとなった。
 人権無視とも思える悪法に、しかし野党は言うに及ばず諸外国すらも沈黙を保つ。民間の人権団体が幾つか抗議の声を上げたものの、すぐにそれは何処かからの圧力によって消え失せた。
 興行により生まれる莫大な経済効果。御用学者がTVで垂れ流す的外れな楽観論に、景気の上昇を願う衆愚はあっさりと乗せられて、誰も異論を挟まぬようになる。
 或いは、聡い者は自らの気付きを口にする事の危険を感じ取り、敢えて口を閉ざしたのかもしれない。
 日本を──────────世界全てを巻き込むような何かが、大衆の目につかぬ所で密かに進行しているのだという事実を。

 大会の主役である参加者たちも、その大部分は自らの境遇を知る事はない。
 少なくとも、今はまだ。
 ──────────その時が訪れるまでは。


                   ダンゲロス・ホーリーランド4本編に続く





最終更新:2013年09月25日 10:42