支倉凍砂「西田幾多郎はマイナーな哲学者」


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

支倉凍砂「西田幾多郎はマイナーな哲学者」


○もう七日なのか。
      • さて。
他大学に行こう!! 初日。
某大学哲学科に潜入。総勢8人の授業で机は円形に並べられています。潜入もろばれ。
まあ,先生に連れて来られたのであれなんですがね。テーマは「善の研究」。西田幾多郎という微妙にマイナーな哲学者の本を使って授業と言うか議論してました。
で,結果。
まー,偏差値に見合った中身だにゃー。(52くらい)
御洒落マンなラッパー風味の人が,
「内心の自由と平静がどうして禁欲の境地で、しかもそれが究極の善になるのかわかんないっすよ。禁欲と自由は矛盾してませんか? もうこの時点で一言で言えばこの考えは馬鹿らしいですよ」
馬鹿はオマエダ━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!

(中略)

それこそ「無知なる者にこそ主はその教えを授ける」ですか。マタイの福音書ですか。
無理。無知は所詮無知。
で,授業終わってから先生に以上のようなことを先生の研究室(すげえ!!ホテルの一室みたいなんだよ!!これがまた)でオブラートに包んでから奥歯にそれが挟まった様に言ったら,
「いや、あの生徒達は善が相対的に存在できると思ってるんだよ。相対と絶対については前回の授業で一応やったんだけど、思いのほか相対的に存在できると思ってる生徒が多くて,棚上げにしたんだよ(w」
ぎにゃー。
私曰く。
「善はあくまでも何らかの基準の上に存在してる筈ですよね。つーかそもそも相対化が可能ならあらゆる議論は不毛ですよね」
ご返事。
「そのとーり」
そんなわけで、そのまま研究室でいろいろと研究者の話とか,他大学の哲学科の様子とかの話をいろいろとしてました。で、院生を研究室に集めての勉強会があると言うことなので,いい機会だと言うことで参加をさせていただくことに。
「今度のは院生だから,きちんと自己の立場と話している内容の定義が出来ているし,それぞれ他人の立場に立っての理解も可能だから,楽しめると思うよ」
とは先生の御言葉。