理系代表作家、支倉凍砂先生の確率論


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理系代表作家、支倉凍砂先生の確率論 (通称:サイコロポエム、サイポエ)


サイコロを一度しか降れなければ
一の目が出る確率は
その目がでるか出ないかの二分の一である

たくさんの回数を降れてこそ
さいころのそれぞれの出る目は六分の一なのである

だとするならば
どうして人はこれほどまでにたくさんの可能性を未来に見るのであろうか

人はある瞬間を一度しか生きられない
ある場面である判断を下せるのは人生においてただ一度である
人生は様々なサイコロをただ一度だけ降る行為を繰り返すことの積み重ねである

だとするならば
そこに可能性を見ることなど馬鹿げた事なのだ

無限の可能性などない
この世に迷う事などない
あなたはただ
出来る事を力の限りにすれば良いのである



Q.目が出るか出ないかの二つだとしたら2分の1。これは詭弁である。これはものの見方の問題であって、「確率・統計」という学問の視点ではない。

A.サイコロを振るという行為にたいし純粋物理学的に厳密に言えば,『全く同じようにサイコロを2度振る事は出来ない』というのは明白な事。
物質と言うモノが常に周りの物からの影響を受けている事から,物質の配置状況が変わればある物質の受ける影響も変わるわけで,純粋に完璧に全く同じ状況でサイコロと言う物は2度ふれません(人の記憶も物質の配置によることをお忘れなく)。
逆に純粋に完璧に全く同じ状況でサイコロを振りつづける事が出きれば,物理法則に従いそのさいころは常に同じ目を出すはずです。
よって,『その』サイコロは現実に1度しか振れない訳で,1度しかできない事の統計を作る事は不可能なので,サイコロと言う物の一の目が出る確率は出るかでないかの二分の一なのです。



支倉凍砂先生、サイコロポエムについて自分が書いた文章とうっかり語る。



『たまたま』て本にあった話を使ったんですけどね。ただ、双子ではなく、二人の子供と記述しないといけなかったみたい。
兄弟じゃだめだし、姉妹じゃダメだし、、、と悩んで、双子にしたのだけど。RT @aNmiNreNtaN:
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:01:06

私が、下の話をここにRTしたのは、リアル知人だから。記事に正直傷ついたから。記事のしたのほうにある引用は、私が高校一年生の時の文章なんです。
数学的な言葉の用法としては間違っているのだろうけど、今もあまり認識は変わっていないし、言いたいことは伝わるんじゃないのかなと今でも思う。
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:04:05

悲しいのは、当時でも、数学的な話としては間違ってました、と認めたのに(まあ端的に私がバカで迂闊なので紆余曲折はあったけど)、
多分この人はこの時のことから、私に対して偏見を持っていたのだと知らされたこと。
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:07:40

書いた本人はすごく頭の回る人なので(嫌味ではなく)、あの記事に対して私がこのように思っていることや、
私のような立場の人間がこのようなことを書くことに対して、すごく説得力をもって批判をするだろうし、私の勝手な思い込みだと論を展開するだろう
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:11:54

互いにしか知り得ない前提の元での揶揄や皮肉なら、相手は公の場で反論なり、批判なりをしてこないという計算があったとしか思えない。
ネットは文字だけの世界なので、基本的には論の勝るほうが正しいし、多くの場合には黙っている方が正しいことも多い。ツイッターは特に馬鹿発見機だ。
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:17:36

でもあえて書いたのは、それらがとても理不尽なことだと思ったから。もちろん、すごく傷ついたのもある。
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:35:43

このツイートが愚痴や馬鹿発言以外のなにものでもないと理解しているけど、いくら世間体を考えなければならない立場の人間でも、
なりふり構わず反撃するラインは存在するというのを忘れないで欲しい。私の場合は、こういう事例だということ。
i_hasekura/支倉凍砂 2012-09-16 02:39:16