タイトル:名も無き戦士第三話:閃拳
体が動かない・・・・指一本も動かす事ができない・・・・
のろのろと見上げる。ニヤニヤ笑っている女の顔が見えた。「なんだい、もう降参かい?」「少し・・・・休ませてくれ・・・・」「だらしないねぇ。アタシの若い頃はこの倍は練習したもんだよ」本当かよ・・・・もし本当なら、なんて化け物だ。「まあ、しょうがないか。無理な訓練は返って筋肉を痩せさせちゃうからね。今日はここまでにしよう」言うなりリックの母さん・・・・ライラは右手で俺の首根っ子を掴むや、軽々と持ち上げて肩に担いだ。あれだけ動いた後でもこのパワーかよ・・・・・確かに化け物だ。キャンプの真ん中の焚き火の前に、無造作に俺を放り出した。「いてて・・・・もう少し丁寧に扱ってくれ」「何言ってんだい。文句があるなら自分で歩いて戻ってきな」言うと自宅でもあるテントに潜り込み、何やらごそごそした後で。一抱えもある、巨大なアンテロープの足を2本持って来た。「昨日、たまたま手ごろなの見つけたんでね、仕留めて持って来たんだよ」俺は目を丸く見開いてその巨大な肉塊を見つめた・・・・・足がこのサイズって事は、本体はかなりでかい。ベテランの冒険者でさえ、容易には倒せないはずだ。ライラは手早く下ごしらえをすると、これも大きな鉄串を通し、器用に焚き火の上でくるくると回しだした。徐々に香ばしい香りが辺りに漂い、あちこちのテントから難民が顔を出す。「ああ、みんなやっとくれ。でもこっち側のはうちらで平らげるから、そっちのだけね」子供たちが喚声を上げて走り寄る。大人たちも久しぶりのご馳走に群がった。「ああ、まだだめだよ、十分火が通ってからにしとくれ」「ライラ、いつもすまないね」難民の老婆が丁寧に頭を下げた。「いいっていいって、行くところのなかったうちら親子を受け入れてくれたんだ。その礼さ」ライラに手渡されたナイフで肉を削っては頬張りながら、俺は、なるほど、リックたちも色々あったんだな・・・・と考えた。
たっぷり食べると、今度は睡魔が襲ってきた。「鍛えて食って寝る、これで若いうちは体ができるもんさ。さ、とっとと帰ってぐっすり寝るんだよ」半ば追い出されるように難民キャンプを出た俺は、難民キャンプに行っていたとは判りにくいようにあちこち寄り道をしてから闘技場にある部屋に向かった。「今日はいつもより激しかったな・・・・いつもこんなんじゃさすがにもたな・・・・」文句を言い終わる前に、深い眠りに落ちた・・・・・
翌朝は軽い筋肉痛で目が覚めた。あれだけ体を動かした割りには、痛みが軽い。「いくらかは・・・・強くなってるのか?」防具を引っ張り出すと、獣脂を持って外に出る。日課になっている鎧磨きだ。これをしっかり行わないと、革鎧はすぐガチガチに硬くなってひび割れをする。硬く脆くなった革鎧はもう防具の用を成さない。そうならないように、毎日の鎧磨きは欠かせない。ふと、周りが妙に騒がしい事に気がついた。通りかかった興奮気味の若い男を呼び止め、「おい、何かあったのか?」「ああ、また難民の盗人が捕まってね。闘技場で闘士と戦わされる事になったらしい」「なんだって!」俺は鎧を手早く片付けると、急いで闘技場に向かった。
「・・・・・ライラおばさん?」闘技場の真ん中に、だぶだぶのローブを着て立っているのは、間違いなくライラだ。「モールの肉を盗んだらしいぞ」嘘だ・・・・・巨大なアンテロープさえ仕留める人が、モールの肉なんか盗むわけが無い。恐らく・・・・「おばさん!」大きな声で呼びかける。こっちを向かずに軽くウィンクする。ああ、やっぱりそうか・・・・ライラの正面には・・・・・残忍な笑みを浮かべたゲールが立っていた。
「ヘヘヘ・・・・女を殺すのは久しぶりだぜ。できりゃもうちっと若い方が良かったがな」「おやおや、こりゃ試合じゃないのかい?アタシは試合に勝てば放免してやるって聞いたんだけど」ゲールがゲラゲラと笑い出す。「ガハハハハハ!俺に勝てる気でいやがるとはな!いいことを教えてやろう。俺様のは魔法のかかった強力な剣だ。お前に与えられたのは、今にも折れそうなガラクタだ。どうやって勝つつもりだ?え?」「その前に、ひとつ聞いていいかい?」「はぁ?なんだよ?」「あんた、難民の男の子を殺した事あるかい?」「おお、そんなの何回もあるぜ。つい一ヶ月前にも一匹殺ったとこ・・・・・」ゲールは絶句した。目の前の難民の年増女が、急に凶悪極まりないドラゴンに見えたからだ。「そーかい、そーかい、やっぱりあんたかい。その子はね、アタシの一人息子だったのさ。こりゃ、たっぷり念入りにお礼をしなきゃねぇ」言うと同時に、着ていたローブをバリバリと一気に引き裂いた。ローブの下からは、真紅のジャケットとホットパンツに包まれた、年齢を感じさせない引き締まった肉体が現れた。「さ、かかってきな」
「おい・・・あれは・・・」「ああ、間違いない・・・・生きていたのか」客席がざわめく。年配の常連客が叫ぶ。「閃拳のライラ!復帰戦か!」
「な、なんだ?」客席の異様な雰囲気にゲールがたじろぐ。
「閃拳?」俺は興奮気味の客の一人に問いかけた。「なんだあんた知らないのか?20年くらい前のスターだよ。素手の格闘術で、無敵の40連勝を成し遂げた闘士だ。羅刹衝って技知ってるか?ライラの得意技だったんだが、彼女の羅刹衝はアレンジされててな。手と両足に闘気を纏って撃つのさ。羅刹衝は特殊な歩法で間合いを一気に詰め、そのスピードを乗せた一撃を相手に叩き込む技だが、彼女の場合は移動速度が通常の数倍、さらに闘気を拳に込めて撃つんだ。 一撃で巨大なゴーレムでも粉砕すると言われたものだ。その技に、ついたあだ名が”閃拳”。まさに、一瞬で相手を葬る、当時最強の格闘士と言われたもんだ」「へえ・・・・・ライラおばさんが・・・・」
「あんた、誰かは知らないが有名人らしいな・・・・だがこのゲール様の敵じゃねえ」剣と盾を構える。剣からはかなり強い魔力の波動が流れ出す。「アタシもおしゃべりはあんまり得意じゃないんでね。とっとと終わらせるよ」ライラの姿が消える。ゲールとて腐ってもベテラン闘士。盾を構えつつ右後方に飛び退る。盾に激しい衝撃。反射的に突き出した剣は空を切り、今度は左足に激しい衝撃を受けて倒れた。な、なんだこいつ、姿も動きもさっぱり見えねえ!なんでこんな化け物が難民の中にいるんだよ!ゲールは心の中で驚くとともに焦りを覚えた。全く当らないのでは、せっかくの魔法の剣も意味が無い。「ほら、待っててやるから、早く起きな」「クソッ、馬鹿にしやがって」毒づきながらも立ち上がり、剣を構える。またもやライラの姿が消える。今度は裏をかくつもりで左後方に飛び退りながら左前面を剣で薙ぎ払う。「はい、残念でした。こっちだよ」背後から声がする。振り向くより早く即頭部に強烈な打撃。意識が頭からすっ飛んでいく。かろうじて失神は免れたが、頭がクラクラして狙いがつけられない。「弱いものいじめは趣味じゃないんだ。さて、派手に負けてもらおうか」「言って・・・・やがれ・・・・俺だってここで終わらねぇぞ!」叫ぶと同時に盾を投げ捨て、剣を両手で持って構える。「なるほど、その剣は・・・・細身だったから気がつかなかったけど、両手剣に軽くなる魔法をかけて片手で扱っていたのね。ふん。それを両手で持ったくらいでこのアタシに勝てると思ったかい?」「目にもの見せてやるぜ・・・・」ま、これでとどめだけどね・・・・と心の中でつぶやきながらライラは跳躍した。いや、跳躍しようとした。何か鋭いものが背中に刺さった感じがした。矢ではない。もっと小さなものだ。なんだ?と思った瞬間に急に足から力が抜け、がっくりと膝をついた。「?!?!??」「ヘヘヘ・・・・馬鹿め、油断しやがったな」「な・・・何を・・・・・・した・・・・」舌がうまく回らない・・・・呂律がおかしい。「俺様はな、こう見えても人気者なんだ。友達だってたくさんいるんだぜ?中には、猛毒を仕込んだ刃を自在に操る暗殺者もいるんだ」「毒・・・・・ひ、卑怯者め・・・・・」
何だ?何かが宙を切って飛んだように見えた。そしてその瞬間、ライラががっくりと膝を突いた。「ライラおばさん?」俺は何があったのかよくわからなかったが、ライラがピンチになったのだけはわかった。
「ケッ、ゲールめ。いくら往年の名闘士とはいえ、年増ごときに負けるとは情けないヤツだ」観客席の2階から急いで駆け下りてくるのは黒ずくめで目つきの鋭い男。「処刑ショーを台無しにされちゃお歴々の不興を買うからな・・・・俺は俺の仕事をやったんだ、ゲール、てめぇもちゃんと自分の仕事しろよな」「ほっほう、おぬしの仕事とはなんじゃ?」はっ、と振り向く。いつのまにか小柄な老人が背後に立っていた。「なんだジジィ。老いぼれにゃ用はないんだよ」老人を無視して立ち去ろうとするが、老人がするりと前に立つ。ふぇっふぇっふぇっと、人をからかうように笑う。「てめぇ・・・・何もんだ」だらりと両手を下げる。一見無防備に見えるが・・・・「ワシャ、ただのご隠居さんじゃよ。ほう・・・・おぬし暗殺者じゃったか」「ジジィ、何者か知らねぇが、それ言ったらタダでは帰れなくなるのはわかってるな?」「タダで帰れないのは、はてさて、どっちじゃろうの?」「てめぇ!」一気に仕掛けようとして、足が止まる。目の前の老人が、急に巨大な竜に見えたのだ。「さて、それではワシはワシの仕事をするかのう」老人が軽く腰を落として構える。男は逃げる事も、この老人を倒す事も不可能である事を悟った。
「毒・・・・・ひ、卑怯者め・・・・・」「何言ってやがんだ。難民ごときの処刑ショーに、ルールなんざ必要ないんだよ」投げ捨てた盾を拾いつつゲールが嘲笑する。
「にしてもなんて化け物ぶりだ・・・・巨大なドレイクさえ即死する毒なんだがな」「ゆる・・・・さん・・・・・おまえ・・・・だけは・・・・・・」「もう立ってるのが精一杯の難民風情が!」「おまえ・・・・殺す・・・・これで・・・・十分・・・・」今にも倒れて息を引き取りそうな様子のライラの全身から、いきなり大量の闘気が噴出した。
老人が、はっ!と闘技場を見る。「いかん、ライラ・・・・・今それを使うのは・・・!」
「な・・・・何?」狼狽するゲール。その目の前から再びライラの姿が消えた。今度はまばゆい閃光とともに。とっさに胸前に盾と剣を構える。歴戦の戦士の勘だ。
今までとは比べ物にならない衝撃。
盾がひしゃげた。
盾を構えていた左腕が砕けた。
左腕の下で構えていた魔法の剣が折れた。
鎧の胸当てが破裂した。
肋骨が数本砕けた。
ゲールの体が宙を舞い、闘技場の壁に激突してめり込んだ。ぴくりとも動かない。
「ち・・・・くしょう・・・・あさ・・・・かった・・・・」ゲールが立っていた場所にライラが立っていた。大きく両足を踏ん張り、右拳を突き出した姿で。そのまま、ゆっくりと前のめりに倒れた。
ああ・・・・リック・・・・・アタシの大事な子・・・・・リック・・・・・アタシのたからもの・・・・・
闘技場の歴史に名を残せし閃拳のライラ。その波乱に富んだ人生は、闘技場の土の上で静かに幕を下ろした。
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