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太陽が高くなった昼下がり。午前中熟睡してすっきりした私は釣竿をもって友人を訪ねていった。向かった先は、村で唯一の宿屋。宿屋の主人の一人娘、ペトロブーナは私の幼なじみ。私が訪ねてきたのに気づいてとたとたと奥からかけてきた。「ブーナ、釣りいかない?」「うん、いくいく」ペトロブーナは私より少し背が低いミコッテ。銀縁メガネでそばかす、きれいと言うよりは可愛い感じ。
二人で森の南側を下っていく。30分ぐらい歩くと、渓流にさしかかる。そこからさらに上流に向かって進んでいくと小さな滝が見えてくる。ここが、私たち二人の秘密の釣り場、めったに人はこない。
今の時期はニジマスが良くつれる。二人で並び大きな岩に座って、釣り糸を垂らしながら竿にあたりがくる感触を楽しむ。ふと、ペトロブーナは口を開く。「ベル、最近忙しそうだけど、何やってるの?」「ええとね、お母さんに言われて、銃の組み立てやってるんだ」「銃?人殺しの道具じゃん。やだ」「相手が人とは限らないし、作るより使うほうの問題じゃん」
なんとなく二人の意見がかみ合わないまま、一時間が過ぎる。今日は宿に久しぶりの宿泊客がいるらしく、手伝いしなきゃならない、とペトロブーナは先に帰ってしまった。夕暮れ近くなり、私も帰路につく。
川沿いを歩いていると、二人の人影が見える。近づいてみるとそれは、リン姉さんと、フィリオさん。私はとっさに身をかくす。何故なら二人が抱き合ってるからだ。そうっと岩陰から顔を出す。なにかが起こりそうな気配。フィリオさんの右手がリン姉さんの顎にやさしく触れるリン姉さんは目を閉じたまま少し上を向く
うわ、これってやっぱりあれだよね。ひ、人前でそんなこと・・・って私が隠れてるんだから人前じゃないか。そもそも、隠れて見てるなんて絶対いけないことだ。でも、でもこの先見ないなんて、そんなもったいないことできるわけないし。うわ、耳がぴくぴくする。心臓が破裂しそうだ。我慢できず続きを覗き込む。私の予想通りの展開。二人はゆっくりと唇を重ね合わせ、さっきより強く抱きあう。もう限界。目まいがする。頭が沸騰してきた。私は脱兎の如くその場から逃げ出した。
夕暮れ、家に戻ると工房は作業が終わって静まり返っている。裏手に回って竿と、マスのバケツを置く。あとでリン姉さんに調理してもらおう。休憩室の奥から話し声が聞こえる。母とエシルターニャさんのようだ。「あの名前聞いたときは心臓が止まるかと思ったわよ。もっと慎重に行動しなさい」「事の重大さは分かっています。軽率でした。ほんとうに申し訳ありません。」エシルターニャさんが母に謝っている。昨日のこと?話の内容が分からないので、特に気にすることなく二階に上がる。
ドアの開く音、リン姉さんとフィリオさんが帰ってきた。一緒なのは当然だ。いつに無く工房が騒がしい。気になって覗きに行くとリン姉さんが左足を怪我して引きずっている。手当てをしながら母は「困ったわね、来週ウルダハ納品があるのに」と言う。私はつい口を出す。いつも一言多いのは自覚してる。「もう、リン姉さん、川ではしゃいでるからいけないんだよ。フィリオさんとキ・・・」リン姉さんは迅かった。そのスピードはエシルターニャさんを遥かに上回っていた。私の口を手で抑え「ベルちゃあん、ちょっといらっしゃい」一見にこやかだが、目に恐ろしい殺気が宿っている。私は蛇ににらまれた蛙だ。リン姉さんは私を拘束し左足を引きずりながら二階の私の部屋へむかう。
私の部屋、私は床に座り込んでいる。正面に立つリン姉さん。日差しを背中に受け、顔が良く見えない。ただ、私を見下ろす目だけがギロリと光っている。獲物を捕らえる鷹の目にも似ている。「ベル、何をみたか言いなさい」低い声、おそろしい。「たまたまみちゃっただけ。抱き合ってたところ」「他に何をみたの」「あの、お二人がキスなさっているのを」言葉使いがおかしくなってきたよ。リン姉さんの頭から蒸気が出てる、気がする「それから?」「それだけです」・・・・・え?それから?あの先まだ何かあったの?つい口に出そうになったのを必死にこらえる。そんなこと聞いたら無事に済むわけが無い。
十分のお説教の後、やっとリン姉さんの蒸気が納まってきた。そして「今日覗いた罰に、あなたの夕日をいただきます」と言って窓から身を乗り出す。
「ねえ、ベル。もし私の名前が リン・バイヨン になったら嫌?」つぶやく様に言う。バイヨンはフィリオさんの苗字だ。私も含め、この村では、苗字を持たない人が多い。結婚して初めて苗字を名乗る人がほとんどだ。「全然嫌じゃないよ、フィリオさんいい人だし、応援する」姉の幸せが私の幸せ。私の言葉にうそは無い。「ありがとう」リン姉さんの瞳がすこし光っていた。
そうだ、リン姉さんに言うことがあった。「お姉ちゃん昨日はごめんね」ちょっと考えて、ああ、とエシルターニャさんとの事と察してくれた。「気にしないで、ベルは悪くないんだから」「でも一つだけ、言っておくよ」リン姉さんは顔を近づけ静かに言った。「無知は時として大きな罪になる」「それじゃあね」リン姉さんはひらひらと手を振って階段を下りていった。
このとき私は幸せだった。それは永遠に続くと思っていた。
もしこの時、リン姉さんの言葉の意味が分かっていれば・・・言葉の真意が理解できていれば・・・
後に起こる最悪の事態は避けられたかもしれない。私のこころは崩壊しなくて済んだかもしれない。
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