二章 ウルダハへ
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今日は朝から雨が降りしきっている。雨音のせいでいつもより少し早く目が覚めた私は、始業前で静まり返っている一階の工房へおりて行く。工房の隣は休憩所になっていて、部屋の中央には原木から切り出した無垢のマホガニー材で作られた大きなテーブルが置いてある。テーブルの奥にある小さな椅子に錬金職人のエシルターニャさんが腰掛け、髪をゆっくりとくしけずっている。彼女は日中、数ヶ月前に工房の隣に建設された、レンガと厚いガラスで覆われた炉にこもっていて、 そこで、聞いたことの無いもの、ええと、何だったかな、「半分なんとか」を作っている。とにかくあまり顔を合わせることが無ので、私はこの機会にいつも気になっていた疑問を投げかけてみることにした。「エシルターニャさん、おはようございます」「ああ、ベル。おはよ」「何でいつもアンベリーおばさんと喧嘩ばっかりしてるんですか?」いつも裁縫職人のおばさんと喧嘩している原因に興味があった。エシルターニャさんは僅かに笑みを浮かべる。「嫌いなわけじゃないんだけどね、一緒に仕事がし辛いのよ」「品質へのこだわりが強すぎて、効率をないがしろにするの。だから回りのクラフターに迷惑をかける」アンベリーおばさんは、昔ウルダハの裁縫ギルドで働いていたのだけど、利益至上主義のオーナーとうまくいかなくて辞めてしまったらしい。
エシルターニャさんは壁にかけてある楕円形の鏡で髪型を入念にチェックしている。テーブルの上にはかなり年季の入った錬金用具がおいてある。「このアレンピックはエシルターニャさんのですか」「そうよ。昔大事な友人が私のために作ってくれた大事なアレンピックなの」振り返らず答える。私は軽い気持ちでアレンピックを手に取る。持ち手のところに何か彫ってある。エンゲージリングに刻むような小さな手彫り。「それでこんなに使い込んでるんですね。えぇと、親愛なるラ・ピュセルさまって彫って・・・」その瞬間だった。壁際に居た彼女は一気に私に詰め寄り、手からアレンピックをはぎとり私を突き飛ばす。その場に倒れこむ私を、彼女は怒りに満ちた表情で見下ろす。「何勝手に触ってんのよ、これは私の命。あんたなんかが触っていいモンじゃないわ!」髪と尻尾を逆立てて激高している。ああ、私は大変なことをしてしまった。職人の命を軽んじてしまったのかな。目から涙が溢れる。「ごめんなさい、ごめんなさい」ほとんど声にならないけれど必死に謝罪の言葉を絞り出す。そこへ厨房で朝食の支度をしていたリン姉さんが飛び込んできた。半身を起こした私を抱きかかえ、エシルターニャさんに言う。「エシルごめん。この子に悪気は無いよ、知らなかっただけ」謝罪の言葉とは裏腹にリン姉さんは鋭い眼光でエシルターニャさんを見据えている。「悪気なきゃいいの?知らなきゃいいの?、ふざけないで!妹の教育ぐらいちゃんとしなさい!」そういって出て行ってしまった。床に打ち付けた背中より、心がいたい。リン姉さんまで叱られるなんて。
騒ぎを聞きつけて、二階からフィリオさんが降りてきた。「どうした、朝っぱらから。あれ、べるちゃん?」近づこうとするフィリオさんをリン姉さんが軽く手を挙げ制止する。泣き止まない私をリン姉さんは私の部屋まで連れて行ってくれた。涙がかれるまで10分くらいかかった。今晩は眠れそうに無いな。今日は雨、木漏れ日はささない。
次の日の朝、快晴案の定、一睡も出来なかった私は目の周りを真っ赤に腫らせ階段をおりていく。工房に褐色の肌のサンシーカー、エシルターニャさんがいる。どうしよう。ちゃんと謝りたいけど、怖い。でもちゃんと言わないと。なのに足がすくむ、たった一歩が踏み出せない。すると、その場に立ち尽くす私に気づき、彼女のほうから近寄ってきた。いわなきゃ、「あの、あの、エスリタナたん!」全く言えていない。頭の中が沸騰してひたすらうろたえる私。そんな中、「昨日はゴメン、ちょっと言い過ぎた」と呟くようにエシルターニャさんは私の頭をくしゃくしゃと撫でながら言った。すぅっと力が抜ける、私はその場に座り込んでしまった。かれた筈の涙がまたこぼれる。「ちょ、ちょっと、なかないでよ」エシルターニャさんもうろたえる。こういうシチュエーションは苦手らしい。
緊張の糸が切れたせいか私は急に眠気に襲われた。うとうとして朝食のコーンスープに顔を沈めてしまう。「ぶわ、熱い!げほ、げほっ」大騒ぎをする私を見てみんな一瞬唖然とする。しかしその直後、爆笑の渦となる。「おーいベルちゃん、そんな飲み方お行儀悪いぞ」フィリオさんがひざをパンパンたたきながら喜ぶ。リン姉さんがフィリオさんを軽く睨み付けながら、冷たいタオルを持ってきてくれた。「そんなんじゃ、仕事にならないわね」母は軽くため息をつき、しかたないと、私に今日一日の休みをくれた。
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