あべ得資料
http://w.atwiki.jp/aveneta/
あべ得資料
ja
2015-01-01T20:16:45+09:00
1420111005
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服飾
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/32.html
服飾
2015-01-01T20:16:45+09:00
1420111005
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行事
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/31.html
ぎょーじ
2015-01-01T20:15:52+09:00
1420110952
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宗教
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/30.html
**スペインの宗教
&aname(B,option=nolink){}
-マラーノ(Marrano)
スペイン語で豚、もしくは汚らしい人を示す言葉。
歴史的な用語としては、かつてスペインにおいて、&link_anchor(C){コンベルソ}と呼ばれたキリスト教に改宗したユダヤ人のことを、
侮蔑的にマラーノと呼ぶことがあった。
&aname(C,option=nolink){}
-コンベルソ
スペイン語でユダヤ教からカトリックへの改宗者を指す。
&link_anchor(D){ディアスポラ}によってヨーロッパ各地に散ったユダヤ人のなかでも、最も多くのユダヤ人が向かったのが南フランスから
イベリア半島南岸にかけての一帯であり、この地域のユダヤ人たちをセファルディムと呼んだ。
イベリア半島のセファルディム政策は西ゴート王国時代から後ウマイヤ朝、レコンキスタ期の間に排撃と受容の間を揺れ
動いたが、12世紀以降、カスティーリャ王国ではセファルディムの政治力・経済力をレコンキスタに利用する政策が続いた。
しかし15世紀後半、レコンキスタの完了が近づくと、カスティーリャ女王イサベル1世とその夫のアラゴン王フェルナンド
2世はイスラム教徒に代えてセファルディムを排撃の対象に設定する。これはアラゴンとカスティーリャという異質な国家を
統合するための政策であった。一方、ユダヤ人共同体内部でも、政権中枢に入り込んでいた有力ユダヤ人たちは次々にキリスト
教に改宗してコンベルソとなっていった。この背景には、キリスト教の王権と深く結びついて利権を確保している有力ユダヤ人
たちへの、ユダヤ人共同体からの批判的な視線があった。
こうしてコンベルソとなった家からは、スペイン異端審問所(カトリック教会が設置していた伝統的な異端審問所とは異なる
組織)の初代大審問官であるトマス・デ・トルケマーダ、あるいは17世紀前半のスペイン王国宰相オリバーレス伯爵ガスパール・
デ・グスマンなども出ている。
しかし、そうした有力なユダヤ人の家を除けば、キリスト教に改宗しつつもユダヤ教の宗教規範を守り続ける者、あるいはより
積極的にユダヤ教を信奉する者(フダイサンテ)など様々であり、スペイン異端審問所の厳しい追及の対象となった。スペインは
フダイサ
2015-01-01T19:52:26+09:00
1420109546
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資料リンク集
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/29.html
***ヘタリア関連
-[[キタユメ。>>http://www.geocities.jp/himaruya/]]
言わずもがな我らがひまさんのHP。
-[[親分wiki>>http://www39.atwiki.jp/oyabinbin/]]
えすぱーにょあんじぇろ親分のwiki。大体ここ見ればキャラ情報は揃ったりする。
-[[Butler's life>>http://coluck.blog103.fc2.com/]]
ヘタリアのファンによるHP。本家の設定などをまとめて確認したいときなどに便利。
趣味でまとめたとのことだが、竹林(ひまさんのブログ)が更新される以前の情報も含まれるため実際めっちゃ助かる。
-2014年冬コミ発行のおまけ本
震えた。
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***現実的なもの
歴史とかの忠実な「スペイン」を知りたいときに便利なサイト。
-[[Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8>]]
みんなの味方 Wiki先生。
世界の歴史から今晩のおかずまでなんでもござれ。でもたまに間違ってるので過信してはならない。
-[[weblio>>http://ejje.weblio.jp/]]
web辞典。語源などを調べる際とても便利。
-[[Pichori>>http://www2.tbb.t-com.ne.jp/atc/index.html]]
渡邉 好徳氏によるHP。アメリカ、フィリピン、スペインの歴史、地理などを扱っている。
趣味と思われる銃、ナイフなどのページも面白い。
-[[スペインの国祭日と自治州祭日>>http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/hirotate/documentacion/fiestas.htm]]
どなたが作成したか存じ上げないが記念日を調べる際に大分助かったページ。
-[[スペイン歴史散歩>>http://www7a.biglobe.ne.jp/~hirotate/ensayo/ensayo-1.htm]]
立石博高氏のエッセー(行路社)。活字が苦手な人も頑張って読
2015-01-01T20:54:51+09:00
1420113291
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親分について
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/28.html
親分とは、トマト大好き褐色えすぱーにょあんじぇろである。
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正式名称:スペイン国(Estado Español)またはスペイン王国(Reino de España)
通称スペイン(Spain、España)と呼ばれ、ヨーロッパ南西部のイベリア半島に位置しており、
同半島の大部分を占める立憲君主制国家である。
西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、
飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、
大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。
首都:マドリード
人名:アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド(Antonio Fernandes Carried)
愛称はTono(トーニョまたはトーノ)。
英語でいうところのAnthony(アンソニー)にあたる。ちなみにAnthonyの愛称はTony(トニー)。
さらにSt.Anthony(聖アントニオ)は豚飼いの神である。そりゃあ親分も豚の上乗るわ。
身長:トマト11個分(ロマーノよりはでかい)
体重:ひまさん曰く、割りといい体型してるとのことなのでそれなりに重いと思われる。
年齢:25歳(不動)
誕生日:2/12(ひまさん)、10/12(スペイン国際日)
2015-01-01T20:02:38+09:00
1420110158
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MAP
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/27.html
**カテゴリ別
|歴史|LEFT:親分誕生秘話|
|文化|LEFT:宗教、言語、行事、服飾|
|気候|LEFT:天気とか|
|民族|LEFT:住んでる人たちについて|
2013-06-22T03:22:14+09:00
1371838934
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TOP
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/26.html
あべかわ用資料。
歴史とか文化とか自分にだけ分かればいいスタンスで作り始めたため曖昧なとこが多い。
2015-01-01T18:14:38+09:00
1420103678
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民族
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/25.html
**スペインの民族
ラテン系を中核とするスペイン人が多数を占めているが、スペイン人とされる旧カスティーリャ王国圏内の住民の中でも、
前身国家の存在などにより大きな違いがあるようである。
-主な民族の一覧
|アラゴン人|カタルーニャ人|スペイン人|
|アストゥリアス人|カナリア人|バスク人|
|アンダルシア人|カンタブリア人|バレンシア人|
|カスティーリャ人|ガリシア人|レオン人|
#image(http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/Mapa_Espanha_CC_AA.png/360px-Mapa_Espanha_CC_AA.png)
※画像引用:Wikipedia
**その他の民族
-ロマ(Roma, 単数はロム)
ジプシーと呼ばれてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族。
移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。
ジプシーと呼ばれてきた集団が単一の民族であるとするステレオタイプは18世紀後半に作られたものであり、ロマでない集団との
関係は不明である。
欧州連合の行政府・欧州委員会によると、欧州に暮らすロマの人口は推定1000万~1200万人。
欧州評議会の各国別推計によると、スペインには72万5000人ものロマがいるという。
またスペインでは、マドリードの郊外ロスフォスコスがロマの集住地域となっており、38家族、約200人のロマのバラックが立ち
並んでいる。このロスフォスコスは麻薬の売人や泥棒の巣窟と目されている。このバラックは、別の地区への移転が計画されたこと
もあるが、移転先からの猛反対で計画は頓挫した。政府の発表によると、麻薬密売の70%はロマによるものである。スペイン国民の
26%がロマに悪感情を持っているとの統計もあるらしい。
1991年にはアンダルシア地方のマンチャレアルでロマによる殺人事件をきっかけにロマ追放運動が発生。
暴徒化したデモ隊がロマの家7軒を襲撃し、家財道具を通りに投げ出して家を破壊する事件が起きたようである。
このとき、マンチャレアルでは「自分の子をロマの子と一緒に勉強させない運動」「ロマの子を登校させ
2013-06-22T07:28:31+09:00
1371853711
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言語
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/24.html
**言語
まず一般的に日本の中学高校などで習う「Spanish」というのは中南米のスペイン語を差し、「スペインのスペイン語」という時は「Castilian Spanish」と言わなければならないのだという。
スペイン国内各地方によって違う言語がつかわれており、主に4言語に分けられるとされる。
-カスティーリャ語
国際連合の公用語のひとつ。スペインだけではなく、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、チリ、アルゼンチンなどで公用語として使われている。
この言語は15世紀茉以降中南米にもたらされたため、他の言語を圧倒して広がったとされる。
-カタルーニャ語
イベリア半島の北東部で話されている言語。主に、カタルーニャ地方(バルセロナ、タラゴナ、ヘローナ、レリダの4県)やピレネー山脈中のアンドラ、フランスのルション地方、地中海のバレアレス諸島などで離されている。
勘違いされがちだがスペイン語の方言ではなくロマンス諸語のひとつとされている。そのためカタルーニャ語を理解できないスペイン人が多い。
-ガリシア・ポルトガル語
スペイン北西部、ポルトガル北方のガリシア地方の言語。
ガリシアは、地理的に8世紀におけるイスラム教徒のイベリア半島選挙の影響が比較的少なかったため、カスティーリャと別行動をとることが多かった。レオン・カスティ^リャの王アルフォンソ6世が自分の娘婿にそれぞれガリシアとポルトガルを分け与えたが、ポルトガルはイスラムの脅威にさらされた後、アフォンソ1世の即位により独立を勝ち得ることができた。これによって半島北西の言語が南下し、結果ガリシア方言からポルトガル語が派生したという説がある。
-バスク語
西欧・南欧を通じてただひとつ非インド・ヨーロッパ語と言われる謎言語。
スペイン北部とフランス南西部で使われる。バスク語自体を話せるのは約61万人程度なのに更にその中で8方言があり、そのうち4方言は主にフランス側で使われている。
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この段階で意味わからな過ぎて笑ってしまう。
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**言語別の特徴
|カスティーリャ|公用語。最近は[ʎ]音と[θ]音が消えつつある。|
|カタルーニャ|アクセントのかからない音節の母音を極度に緩急させる。語茉子音(-rを除く)が多種多様
2015-01-01T20:57:21+09:00
1420113441
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文化
https://w.atwiki.jp/aveneta/pages/23.html
*文化
宗教、言語、行事、服飾を中心にまとめるつもり。
-[[宗教]]
-[[言語]]
-[[行事]]
-[[服飾]]
2015-01-01T21:25:45+09:00
1420115145