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**スペインの宗教 &link_anchor(B){マラーノ} &aname(B,option=nolink){} -マラーノ(Marrano) スペイン語で豚、もしくは汚らしい人を示す言葉。 歴史的な用語としては、かつてスペインにおいて、&link_anchor(C){コンベルソ}と呼ばれたキリスト教に改宗したユダヤ人のことを、 侮蔑的にマラーノと呼ぶことがあった。 &aname(C,option=nolink){} -コンベルソ スペイン語でユダヤ教からカトリックへの改宗者を指す。 &link_anchor(D){ディアスポラ}によってヨーロッパ各地に散ったユダヤ人のなかでも、最も多くのユダヤ人が向かったのが南フランスから イベリア半島南岸にかけての一帯であり、この地域のユダヤ人たちをセファルディムと呼んだ。 イベリア半島のセファルディム政策は西ゴート王国時代から後ウマイヤ朝、レコンキスタ期の間に排撃と受容の間を揺れ 動いたが、12世紀以降、カスティーリャ王国ではセファルディムの政治力・経済力をレコンキスタに利用する政策が続いた。 しかし15世紀後半、レコンキスタの完了が近づくと、カスティーリャ女王イサベル1世とその夫のアラゴン王フェルナンド 2世はイスラム教徒に代えてセファルディムを排撃の対象に設定する。これはアラゴンとカスティーリャという異質な国家を 統合するための政策であった。一方、ユダヤ人共同体内部でも、政権中枢に入り込んでいた有力ユダヤ人たちは次々にキリスト 教に改宗してコンベルソとなっていった。この背景には、キリスト教の王権と深く結びついて利権を確保している有力ユダヤ人 たちへの、ユダヤ人共同体からの批判的な視線があった。 こうしてコンベルソとなった家からは、スペイン異端審問所(カトリック教会が設置していた伝統的な異端審問所とは異なる 組織)の初代大審問官であるトマス・デ・トルケマーダ、あるいは17世紀前半のスペイン王国宰相オリバーレス伯爵ガスパール・ デ・グスマンなども出ている。 しかし、そうした有力なユダヤ人の家を除けば、キリスト教に改宗しつつもユダヤ教の宗教規範を守り続ける者、あるいはより 積極的にユダヤ教を信奉する者(フダイサンテ)など様々であり、スペイン異端審問所の厳しい追及の対象となった。スペインは フダイサンテ狩りにコンベルソを多く利用した。 &aname(D,option=nolink){} -ディアスポラ 「(植物の種などの)撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉。 元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。 難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆 している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単にDiasporaと書く場合は特にイスラエル・ パレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字からdiasporaと書く場合は他の国民や民族を含めた一般の 離散定住集団を意味する。 初期キリスト教は各都市のディアスポラのシナゴーグを拠点としてローマ帝国内に広まり、また初期キリスト教徒はユダヤ教の 会堂において礼拝を行うことが一般的であり、当時におけるディアスポラの存在意義は大きい。
**スペインの宗教 &aname(B,option=nolink){} -マラーノ(Marrano) スペイン語で豚、もしくは汚らしい人を示す言葉。 歴史的な用語としては、かつてスペインにおいて、&link_anchor(C){コンベルソ}と呼ばれたキリスト教に改宗したユダヤ人のことを、 侮蔑的にマラーノと呼ぶことがあった。 &aname(C,option=nolink){} -コンベルソ スペイン語でユダヤ教からカトリックへの改宗者を指す。 &link_anchor(D){ディアスポラ}によってヨーロッパ各地に散ったユダヤ人のなかでも、最も多くのユダヤ人が向かったのが南フランスから イベリア半島南岸にかけての一帯であり、この地域のユダヤ人たちをセファルディムと呼んだ。 イベリア半島のセファルディム政策は西ゴート王国時代から後ウマイヤ朝、レコンキスタ期の間に排撃と受容の間を揺れ 動いたが、12世紀以降、カスティーリャ王国ではセファルディムの政治力・経済力をレコンキスタに利用する政策が続いた。 しかし15世紀後半、レコンキスタの完了が近づくと、カスティーリャ女王イサベル1世とその夫のアラゴン王フェルナンド 2世はイスラム教徒に代えてセファルディムを排撃の対象に設定する。これはアラゴンとカスティーリャという異質な国家を 統合するための政策であった。一方、ユダヤ人共同体内部でも、政権中枢に入り込んでいた有力ユダヤ人たちは次々にキリスト 教に改宗してコンベルソとなっていった。この背景には、キリスト教の王権と深く結びついて利権を確保している有力ユダヤ人 たちへの、ユダヤ人共同体からの批判的な視線があった。 こうしてコンベルソとなった家からは、スペイン異端審問所(カトリック教会が設置していた伝統的な異端審問所とは異なる 組織)の初代大審問官であるトマス・デ・トルケマーダ、あるいは17世紀前半のスペイン王国宰相オリバーレス伯爵ガスパール・ デ・グスマンなども出ている。 しかし、そうした有力なユダヤ人の家を除けば、キリスト教に改宗しつつもユダヤ教の宗教規範を守り続ける者、あるいはより 積極的にユダヤ教を信奉する者(フダイサンテ)など様々であり、スペイン異端審問所の厳しい追及の対象となった。スペインは フダイサンテ狩りにコンベルソを多く利用した。 &aname(D,option=nolink){} -ディアスポラ 「(植物の種などの)撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉。 元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。 難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆 している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単にDiasporaと書く場合は特にイスラエル・ パレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字からdiasporaと書く場合は他の国民や民族を含めた一般の 離散定住集団を意味する。 初期キリスト教は各都市のディアスポラのシナゴーグを拠点としてローマ帝国内に広まり、また初期キリスト教徒はユダヤ教の 会堂において礼拝を行うことが一般的であり、当時におけるディアスポラの存在意義は大きい。

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