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&bold(){アサシンクリードシリーズ年表} &bold(){&big(){&big(){&color(red){ネタバレ注意!}}}} &meta_description(アサシンクリードシリーズでの出来事の年表を掲載しています。) このページはアサシンクリードシリーズでの出来事を年表にして掲載しています。 またアサシンクリードに関係する世界史上の出来事を掲載しても構いません。 今までに発売された全作品(ゲーム本編・DLC、小説版など)の&bold(){ネタバレ}を含んでいる可能性があります。閲覧する際は注意してください。 削除する場合は、コメント欄に理由を書いてもらえると助かります。他の編集者への配慮をお願いします。 //コメントアウトプラグイン co(){} を使用すると「表示が崩れる」「コメントアウトしていない文章まで表示されなくなる」等の不具合が発生することがありますので、なるべく使わないで下さい。原因は不明です。 //ご協力、よろしくお願い致します。 &link_anchor(エツィオ・サーガ){エツィオ・サーガ} &link_anchor(ケンウェイ・サーガ){ケンウェイ・サーガ} &link_anchor(デズモンド現代編){デズモンド現代編} #contents ---- ※表記されている情報はゲーム内のものと史実の両方あります。 //|||||| |西暦|月日・経過時間|場所|概要・備考|詳細|h |6万9千年から7万7千年前|||「Assassin's Creed: Initiates タイムライン」より|アダムとイヴがエデンを脱出| |~|||[[アブスターゴファイル]]「0.018:黙示録」より|トバ火山の大噴火を境に、[[かつて来たりし者たち]]は徐々に滅んでいき、災厄を生き延びた人類は全世界へ散らばっていった| |||||| |||||| |紀元前30年|||[[ACⅡ隠された真実]]「Assassin's Creed: Initiates タイムライン」&br()「15.守護者たち」&br()ACⅡ本編、アサシンの印章より|クレオパトラがアサシンによって暗殺される| |||||| |1128or1129年|||[[アブスターゴファイル]]「0.02:起源 」より|トロア教会会議でテンプル騎士団が認可される| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):アルタイル・サーガ| |1165年|-|マシャフ/シリア|アルタイル・イブン・ラ・アハド誕生|アルタイルはムスリムの父とクリスチャンの母との間に生まれた。| |1187年|-|エルサレム||サラディンがエルサレムを無血開城させ、イスラム勢力が占領&br()この出来事がきっかけとなり、第3回十字軍が派遣される| |1189年|-|マシャフ|第3回十字軍&br()リベレーションSequence3-8&br()アルタイル24歳|アルタイル、ほぼ独力でマシャフヘ押し寄せる十字軍の部隊を一掃&br()(リベレーションデータベース「アルタイル・イブン・ラハド」より)| |1190年|-|-|アサシン クリード アルタイルクロニクルズ|| |1191年|7月12日|アッカ||イングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世らの活躍により、十字軍がアッカを攻め落とし占領| |~|7月~8月|-|[[アサシン クリードⅠ]]|| |~|~|マシャフ|リベレーションSequence4-6|アル・ムアリムを火葬する| |~|8月~9月|キプロス|アサシンクリード ブラッドライン|(時期は開始月)| |1192年|-|~||ギー・ド・リュジニャンがリチャード王からキプロス島を購入し、キプロス王国を建国| |1195年|-|~|Assassin's Creed: The Secret Crusade|アルタイルとマリア、キプロスのリマソールで結婚| |~|-|マシャフ|~|アルタイルとマリアの間に、第一子ダリム・イブン・ラ・アハドが産まれる| |1204年|-|-|~|アルタイル、コンスタンティノープルにアサシンギルドを作ろうとするが失敗| |1217年|-|マシャフ|~|アルタイル、マリア、ダリムはチンギス・カンに対抗するために、マシャフを離れる&br()第二子であるセフ・イブン・ラ・アハドは妻と2人の子供を世話するために同行しなかった&br()またマシャフにある教団の指揮は一時的にマリクに任せられた| |1227年|-|-|~|ダリムとモンゴル人アサシンのクラン・ガル、チンギス・カンを暗殺| |1228年|~|マシャフ|リベレーションSequence5-6|アルタイル、マリア、ダリム、マシャフへ帰還&br()アルタイル63歳| |1247年|~|~|リベレーションSequence6-7|自ら科した約20年の追放後、アルタイルはマシャフに戻った&br()アルタイル82歳&br()追放中にリンゴを研究して開発した仕込みピストルでアッバスを暗殺| |1256年|-|-|リベレーション データベース&br()「ポーロ兄弟」|ポーロ兄弟、コンスタンティノープルから海路でアッカへ行く| |1257年|~|~|リベレーションSequence7-7|ポーロ兄弟を村の外まで護衛する&br()アルタイル92歳| |~|-|~|アルタイル・イブン・ラ・アハド死去|| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray): | |1259年|-|-|リベレーション データベース&br()「ポーロ兄弟」|ポーロ兄弟、アルタイルから託された5つの秘宝をコンスタンティノープルに隠す| |1290年|-|-|アッカ陥落(史実)|キリスト教勢力は完全に聖地周辺の足がかりを失う| |1296年|-|-||アウディトーレ家の祖、ドメニコ誕生| |1307年|10月13日|フランス|(史実)|フランス王フィリップ4世はフランス全土においてテンプル騎士団の会員を何の前触れもなく一斉に逮捕。異端的行為など100以上の不当な罪名をかぶせたうえ、罪を「自白」するまで拷問を行った。| |1311~12年|-|ヴィエンヌ&br()フランス|(史実)|教皇クレメンス5世はフィリップ4世の意をうけて開いたヴィエンヌ公会議で正式にテンプル騎士団の禁止を決定&br()しかし、フランス以外の国においてもテンプル騎士団の禁止を通知したが効果はなく、何らかの形で各地で存続した| |1314年|3月18日|シテ島&br()パリ|(史実)|フィリップ4世の指示によって、第23代目テンプル騎士団総長にして最後の総長として知られるジャック・ド・モレーを含む4人の最高指導者たちはシテ島の刑場で生きたまま火あぶりにされる。&br()この出来事を機に「テンプル騎士団」は歴史の表舞台から消えることになる。&br()また火刑の際ジャック・ド・モレーは、フィリップ4世と教皇クレメンス5世に呪いの言葉を発したと言われている。| |~|4月20日||(史実)|教皇クレメンス5世急死| |~|11月29日||(史実)|フランス王フィリップ4世急死| |1453|5月29日||オスマン帝国のメフメト2世によって東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープル(現イスタンブル)が陥落した(史実)|コンスタンティノープル陥落前後には、多くのギリシャ人の学者・知識人が東ローマで保存・研究されてきた古代ギリシャ・ローマ時代の文献を携えて西欧へと亡命し、イタリア・ルネサンスに多大な影響を与えた| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):&aname(エツィオ・サーガ,option=nolink){アサシンクリードⅡ}| |1459年|6月24日|CENTER:フィレンツェ|[[エツィオ・アウディトーレ]]誕生|| |1476年|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「2回目のチャンス」|エツィオ、クリスティーナ・ヴェスプッチと出会う&br()クリスティーナに付きまとっているヴィエリ・デ・パッツィをボコボコにする| |~|-|~|Sequence1|エツィオはフィレンツェで幸せな人生を送っていたが、ある日突然、陰謀により父と兄弟が処刑される| |~|-|~|Sequence2-1~4|エツィオは首謀者のひとりであるウベルト・アルベルティ判事を暗殺| |~|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「家族との別れ」|父、兄、弟を埋葬| |~|-|-|Sequence2-5~3-2|エツィオは母、妹とともにモンテリジョーニに住む伯父[[マリオ・アウディトーレ]]のもとに逃れる| |1476~78年|-|モンテリジョーニ|Sequence3-3|エツィオ、伯父マリオのもとで2年間修行する| |CENTER:1478年|-|サン・ジミニャーノ|Sequence3-4|[[ヴィエリ・デ・パッツィ]]を暗殺| |~|-|モンテリジョーニ|Sequence3-5|エツィオ、伯父マリオと今後の予定について話すと共に、写本についても説明を受ける| |~|-|フィレンツェ|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「ベストマン」|エツィオのセリフに「今フィレンツェに戻ったばかりさ」とあるので、この時期と推定| |~|4月26日|~|Sequence4&br()[[パッツィ家]]の陰謀|エツィオ、[[フランシスコ・デ・パッツィ]]をシニョーリア宮で暗殺| |1478~80年|-|サン・ジミニャーノ|Sequence5|パッツィ家の陰謀の首謀者5人を暗殺| |1480~81年|-|-|Sequence6|フィレンツェからアペニン山脈を経由し、フォルリへ| |1481年|-|-|Sequence6と7の間|フォルリから船でヴェネツィアへ| |1481~85年|-|CENTER:ヴェネツィア|Sequence7|セタ宮にいる[[エミリオ・バルバリーゴ]]を暗殺するための準備を行う| |CENTER:1485年|-|~|Sequence7|セタ宮で[[エミリオ・バルバリーゴ]]を暗殺| |~|-|~|Sequence8|[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の飛行機械でドゥカーレ宮に潜入&br()ヴェネツィア総督は毒殺されてしまうが、[[カルロ・グリマルディ]]を暗殺| |CENTER:1486年|-|~|Sequence9-1|[[カルロ・グリマルディ]]を暗殺した際に手に入れた写本をもとに、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]に[[アサシンブレード]]に装着する小型のピストルを作ってもらう| |~|-|~|Sequence9-2|人殺しを始末する| |~|-|~|Sequence9-3~7|特別なパーティーに参加するためには黄金の仮面が必要だと知り、手に入れるためにゲームに参加する| |~|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「断ち切れぬ思い」|エツィオが「時間がない。総督のパーティーが始まる」と言っているので、この時期と推測| |~|-|~|Sequence9-8|黄金の仮面を使ってパーティーに忍び込み、[[マルコ・バルバリーゴを暗殺]]| |~|-|~|Sequence10-1~3|バルトロメオ・ダルビアーノとその部下を救出| |~|-|~|Sequence10-4・5|バルトロメオの軍団と共にアルセナーレを攻撃&br()シルヴィオ・バルバリーゴとダンテ・モロを暗殺| |CENTER:1488年|6月25日|~|Sequence11|ロドリゴ・ボルジアと対決、ボルジアは逃すもエデンのリンゴを手に入れる&br()(日時はエツィオの誕生日の翌日なので)| |~|-|CENTER:フォルリ|Sequence12&br()フォルリの戦い|フォルリを襲撃したオルシ兄弟を暗殺するも、黒衣の修道士ジローラモ・サヴォナローラにエデンのリンゴを奪われる| |1491年|-|スペイン|アサシンクリードⅡ ディスカバリー|エツィオ、スペインへ| |1492年|-|イタリア||エツィオ、スペインより帰還| |~|8月11日|ヴァティカン|(史実)|ロドリゴ・ボルジアがアレクサンデル6世として教皇に即位| |1494年|-|フィレンツェ||サヴォナローラがフィレンツェの政治顧問となり、神権政治を行うようになる| |1497年|-|~|Sequence13-1~10|サヴォナローラの支持者9人を暗殺| |1498年|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「永久に」|| |~|5月23日|~|Sequence13-11・12|集まった民衆によりサヴォナローラ刑死&br()エツィオがとどめを刺す&br()死亡日は史実より| |~|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|トマス・デ・トルケマダ(スペインの異端審問官)がアサシンによって暗殺される| |1499年|-|ヴァティカン|Sequence14&br()「来た、見た、勝った」|エツィオ、ヴァティカン地下の宝物庫を開き、ミネルヴァと会う| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):アサシン クリード ブラザーフッド| |1499年|12月|ヴァティカン|Sequence1-1|伯父マリオ・アウディトーレと共にヴァティカンから脱出| |1500年|1月|モンテリジョーニ|Sequence1-2~8|チェーザレ・ボルジアにモンテリジョーニのヴィラを攻撃される| |~|~|ローマ|Sequence2『虎達の荒野』|| |1500~03年|-|~|Sequence3・4|| |1503年|8月1日|~|Sequence5-1~4|ホアン・ボルジア(サヴィオ)を暗殺| |~|8月x日|~|Sequence5-5|| |~|~|~|Sequence6|オクタヴィアン・ド・ヴァロワ男爵を暗殺| |~|~|~|Sequence7|ミケロットを倒す| |~|8月18日|~|Sequence8-1~3|ロドリゴ・ボルジアがチェーザレ・ボルジアに毒殺される&br()エツィオはチェーザレより先にサン・ピエトロ大聖堂に到着&br()エデンのリンゴを入手し、ヴァティカンを脱出| |~|8月xx日|~|Sequence8-4|ローマのチェーザレ軍を壊滅させる| |~|9月|~|Sequence8-5|チェーザレと枢機卿の会合を壊し、援助を受けられなくする| |~|12月|~|Sequence8-6|アサシンの盟友と共にチェーザレと彼の最後の支持者達と対峙する| |1506年?|-|~|Sequence9-2|エデンのリンゴを宝物庫へ納める| |1506年|-|~|Sequence8.5&br()『ダ・ヴィンチ、失踪』|| |1507年|3月|ヴィアナ|Sequence9-1|チェーザレ・ボルジアを倒した| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray): | |1509年|9月14日|コンスタンティノープル|M 7.7、死者5,000人、倒壊家屋1,000軒以上の規模の大地震が発生|この大地震を境に、ビザンツ帝国復興を掲げるテンプル騎士団が新たな脅威に&br()(リベレーションデータベース「ユスフ・タジム」より)| |1510年|-|ローマ||エツィオ、ローマを出る(リベレーションSequence2冒頭での会話より)| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):アサシン クリード リベレーション| |1511年|3月|マシャフ|Sequence1|エツィオ、マシャフを訪れる| |~|5月|コンスタンティノープル|Sequence2|エツィオ、コンスタンティノープルに到着| |1511~12年|-|~|Sequence3~6|| |1512年|3月|カッパドキア|Sequence7|エツィオ、船でカッパドキアへ| |~|-|コンスタンティノープル|Sequence8|| |~|-|マシャフ|Sequence9|エツィオとソフィア、数週間もの旅の後、マシャフにたどり着く| |1512~13年|-|-|Assassin's Creed: Revelations (novel)|エツィオとソフィア、スレイマン皇子の計らいで一時的にコンスタンティノープルに滞在&br()ソフィアの店を現地のアサシンに託し、1つ目のマシャフへの鍵を見つけた部屋に鍵を保管する&br()その後2人はヴェネツィアで結婚| |1513年|5月|-|~|エツィオとソフィアの間に、第一子で長女のフラヴィアが産まれる| |1514年|10月|-|~|エツィオとソフィアの間に、第二子で長男のマルチェッロが産まれる| |1520年|-|コンスタンティノープル||スレイマン皇子、オスマン帝国第10代スルタンに即位| |1524年|-|-|アサシンクリード エンバース|エツィオのもとに、中国人アサシンのシャオ・ユンが訪ねてくる| |~|-|-|~|エツィオ、シャオ・ユンに箱を渡す&br()シャオ・ユンは中国へ戻る| |~|-|フィレンツェ|~|[[エツィオ・アウディトーレ]]死去| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray): | |1541年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|フランシスコ・ピサロ(インカ帝国を征服した人物)がアサシンによって暗殺される| |1558年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|メアリー1世(イングランド女王)がアサシンによって暗殺される| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):&aname(ケンウェイ・サーガ,option=nolink){ケンウェイ・サーガ}| |1693年|||[[エドワード・ケンウェイ]]誕生|ウェールズ出身で、父親がイングランド人、母親がウェールズ人| |1694年|||[[Under the Black Flag]]より|海賊の黄金時代が始まる&br()当時は海賊王"ヘンリーエイブリー"がヨーロッパからインドにかけて略奪を繰り返していた。| |1725年|12月4日|ロンドン|ヘイザム・ケンウェイ誕生|家族構成は父エドワード、母テッサ、異母姉ジェニー(12歳年上)&br()父から戦闘訓練を受けて育つ| |1733年|12月4日|~|レジナルド・バーチと会う&br()(8歳の誕生日なのでこの日付)|この後レジナルドは父の友人・ジェニーの婚約者としてケンウェイ邸を何度か訪問している| |1735年|12月3日夜|~|ケンウェイ邸が何者かに襲撃される|父エドワードが殺害され、ジェニーが拉致される。使用人や護衛、隣家の少年も犠牲となった&br()母を助けようと、ヘイザムは初めて殺人を犯す&br()10歳の誕生日を機に、アサシンとしての実践的な訓練が始まるはずだった| |~|12月6日|~||手記はこの日付から始まっている。これ以前のものは襲撃の際の火事で焼けてしまった| |~|12月10日|~|レジナルドと会う|レジナルドは自身のテンプル騎士としてのコネで、大陸でジェニーを探すことを提案する&br()母親は(息子が目の前で人を殺したことのショックからか)ヘイザムと距離を置きたがっている節もあり、イギリスを離れることを決意する| |||||その後5年間ヨーロッパ各国を回り、最終的にフランスの拠点に落ち着く&br()レジナルドからテンプル騎士としての教育を受け、18歳で騎士団に加わる&br()暗殺者としての才能を見いだされ、リヴァプールの商人とオーストリアの皇子を暗殺している| |1747年|6月11日|アルテア/スペイン|ホアン・ヴェドミールを殺害|暗号化された手記を奪う| |~|7月2~3日|ロンドン|情報収集|襲撃事件以来行方をくらましていた従者、ディグウィードの居所を突き止める| |~|7月14日|セントペーター/ドイツ|ディグウィードを発見|ディグウィードはすでに先客の男に襲われており、レジナルドによればすでに手遅れだったという&br()襲撃者の一人と交戦、死に際にヘイザムの父親はアサシンだったと言い残す&br()襲撃者がブラドックの部隊に所属していたことを知り、追跡する| |~|7月17日|オランダ|ブラドックに会う|追跡していた襲撃者は軍で処刑され、情報を聞き出すことはかなわなかった| |1747~1753年|||ブラドックの部隊に加わり各地を転戦|ベルヘン・オプ・ゾームの包囲戦など、オーストリア継承戦争及びその後の混乱期にあたる&br()この間、ブラドックによる数々の悪行を目撃| |1753年|6月25日|コルシカ島|誘拐任務|ホアンの手記解読のため拘束したアサシン教団の解読者モニカが、「息子ルーチョと一緒でなければ解読できない」とごねたことによりヘイザムに命が下る&br()コルシカ独立戦争のさなか、ジェノヴァ軍の襲撃に乗じ、アサシンを装って教団側の拠点に潜入。ルーチョを誘拐する&br()途中、アサシン・ミコと遭遇し交戦。彼のアサシンブレードを奪う| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):[[アサシンクリードⅢ]] ヘイザムパート| |CENTER:1754年|4月18日|ロンドンのコベントガーデン|Sequence1-2「死のパフォーマンス」|王立劇場でミコを暗殺、宝物庫の鍵を奪う&br()アサシン側の資料を元に神殿の位置をアメリカと推定。任務命令を受け、明け方にロンドンからボストンへ出航| |~|出航2日目|大西洋、プロヴィデンス号船上|船員と甲板でケンカ、船長から反乱の調査依頼|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|出航28日目|大西洋、プロヴィデンス号船上|ヘイザム「おもしろい フム…大変おもしろい」|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|出航33日目|大西洋、プロヴィデンス号船上|ミルズと対決、嵐の中の索具結び|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|7月8日(出航72日目)|大西洋、プロヴィデンス号船上|ボストン到着、入港、オープニングタイトル|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|7月8日(出航72日目)|ボストン|ボストン上陸、チャールズ・リーと出会う|Sequence2開始| |~|7月8日(出航72日目)|ボストン|ベンジャミン・フランクリンと出会う|Sequence2-1「ボストンへようこそ」| |~|サウスゲート砦潜入から数週間|ボストン|モホーク族からのコンタクトを待ち続ける(ロード中の独白)|Sequence2終了~Sequence3開始| |~|11月15日|フロンティア|ジーオと出会う|| |CENTER:1755年|1月~2月|ボストン|Sequence3開始|リーからガジージオの居場所の手がかりについて聞く| |~|2月|フロンティア|Sequence3-2「行動がすべて」(Sequence3-2から5ヶ月後が3-3のため2月と判明)|サン・マチュー砦に潜入、ブラドックの居場所を探る&br()ジョージ・ワシントンが砦内を巡回| |~|7月8日|~|ブラドック襲撃の手筈が整う|| |~|7月9日|フロンティア|Sequence3-3「ブラドッグ遠征」|ガジージオが迎えに来る、ブラドックを襲撃し深手を負わせるも、止めを刺さないまま逃走&br()翌日に神殿を訪れるも、手がかりなし、二人が結ばれる| |~|7月下旬~8月4日|~|ジーオと生活|レキシントンから5マイルほど離れた場所で二人だけの時間を過ごしていた&br()そこにチャールズが訪れ、ブラドックの死を伝え手紙を手渡す&br()ヘイザムがブラドックを殺してはいなかったことを知ったジーオに「嘘つき」と非難され、二人での生活は終わった&br()手紙はヘイザムの従者、ホールデンからで、ジェニーの居場所を突き止めたことを知らせるものだった| |~|数日後|ボストン|リーが騎士団に迎え入れられる|Sequence3終了| |~|数ヶ月後|-|ガジージオの独白「お腹の赤ちゃんが順調」|Sequence3終了~Sequence4開始| |CENTER:1756年|-|-|コナー誕生(ガジージオ独白途中)|Sequence3終了~Sequence4開始&br()アニムスDB「ガネンドゴン」から彼と同い年| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):ゲーム版でのヘイザムパートとコナーパートの間に相当| |1757年|9月17日|ダマスカス|ジェニー奪還|ダマスカスのアゼム宮殿のハーレムに潜入、ホールデンを囮にジェニーを奪還する| |~|9月21日|エジプト|ホールデン救出|宦官候補の奴隷としてエジプトへ連行されたホールデンを救出し、3人でこれまでの状況を整理する&br()ケンウェイ邸襲撃の黒幕はレジナルド・バーチであり、ヘイザムを真実から遠ざけようと画策していた。神殿の情報をもたらしたアサシン側の資料とは、エドワード・ケンウェイが守ろうとし、結局レジナルドによって持ち去られたものだった| |~|10月9日|フランス|レジナルド暗殺|復讐のため、3人は騎士団の拠点を襲撃&br()レジナルドはジェニーに殺される&br()囚われていたモニカとルーチョを解放するも、ヘイザムはルーチョに腹部を刺され、その後3ヶ月ほどを寝たきりで過ごす&br()ヘイザムが回復した後、ホールデンが自殺する| |||||この後、ジェニーはロンドンへ戻る&br()ヘイザムはアメリカに戻り、ヴァージニアのホームステッドで暮らす。(1773年にはチャールズも越してくる)| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):[[アサシンクリードⅢ]] コナーパート| |CENTER:1760年|-|ガナダセトン|ガネンドゴンから遊びに誘われる|Sequence4開始| |~|-|フロンティア&br()ガナダセトン|かくれんぼする、リー達に脅される&br()村が燃えガジージオ死亡|Sequence4-1「かくれんぼ」| |CENTER:1763年|-|-|植民地においてテンプル騎士団によりアサシンが一掃される|アニムスDB「ヘイザム」や「アキレス」より| |CENTER:1769年|-|フロンティア|木の上のフリーラン、羽根集め|Sequence4-2「羽根と木」| |~|-|ガナダセトン|第一文明の遺物に触れジュノーと初対話|Sequence4-4「忘れてはならぬもの」| |~|-|フロンティア|村からの旅立ち、アキレスに師事|Sequence5開始| |CENTER:1770年|アキレス師事から6ヶ月間修行し、冬|ダベンポート・ホームステッド|屋敷を建て直すためにアキレスと共に馬車でボストンへ行く|Sequence5-1「はじめてのお使い」| |~|3月5日|ボストン|ボストン到着、ラドンハゲードン改めコナーと名付けられる|Sequence5-1「はじめてのお使い」&br()ボストンの虐殺と同日の模様| |~|3月5日|ボストン|ボストンの虐殺|Sequence5-2「ボストンへの旅」| |CENTER:1773年|水難救助から6ヶ月後、夏|ダベンポート・ホームステッド|アキーラ号でマーサズ・ヴィニヤードに向け出航|Sequence5-5「過酷な道」&br()水難救助は冬だが1772年12月か1773年1~2月か不明&br()6ヶ月間は修行| |~|-&br()3週間の航海|東海岸|大砲を調達、砲術士官を迎える&br()ニコラス・ビドルと出会う&br()はじめての海戦|Sequence5-5「過酷な道」| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|アサシンの衣装を着てアキレスにアサシン(同胞)として認めてもらう|Sequence5終了| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|ロープダートを受け取る&br()柱に斧を突き立て戦闘開始を宣言|Sequence6開始| |~|12月16日|ボストン|ボストン茶会事件|Sequence6-1「茶会事件」| |CENTER:1774年|1月12日|ボストン|再会|ブラドック襲撃後初めて植民地騎士団のメンバーが揃う&br()1760年にジーオがワシントンによって殺されていたことを知る&br()先住民の少年が騎士団メンバーの行く先々で目撃されていることを知る。ボストン茶会の時はアサシンのローブを身につけていた&br()ジーオの部族の少年であることと年齢、またつけていたネックレスの特徴がジーオのものと一致したことから、ヘイザムはその少年が自分の息子なのではないかと疑いはじめる| |~|茶会事件から6ヶ月後|ダベンポート・ホームステッド|村がジョンソンに買われそうだからと、ガネンドゴンが助けを求めに来る|Sequence6-3終了~Sequence6-4開始| |~|-|フロンティア|ジョンソン・ホールでウィリアム・ジョンソンを暗殺|Sequence6-4「敵対的交渉」| |CENTER:1775年|-|ダベンポート・ホームステッド|ポール・リヴィアからの援助依頼|Sequence7開始| |~|4月18日|フロンティア|ポール・リヴィアの騎行|Sequence7-1「真夜中の騎行」| |~|4月19日|フロンティア|レキシントンとコンコードの戦い|Sequence7-2「レキシントンとコンコード」| |~|6月16日|フィラデルフィア|第2次大陸会議でワシントンが総司令官に任命、ワシントンにあいさつする|Sequence7-2終了~Sequence7-3開始| |~|6月17日&br()日付はアニムスDBより|バンカーヒル|ブリーズヒルでパットナム准将と会う&br()チャールズタウンを横断しイギリス艦のマストを米国旗にする|Sequence7-3「戦いの予兆」| |~|6月17日|バンカーヒル|モールトンズヒルでピトケアンを暗殺|Sequence7-4「バンカーヒルの戦い」&br()ピトケアンの持っていた手紙からワシントン暗殺計画がアサシン側に漏れる| |CENTER:1776年|-|ダベンポート・ホームステッド|ベンジャミン・トールマッジと出会いNYに来てほしいと言われる|Sequence8開始| |~|6月27日|ニューヨーク|ヘイザムが監獄を訪れる|初めて先住民の少年と遭遇。ジーオの面影をそこに見いだし、自分の子供であると確信する&br()処刑命令を下す| |~|6月28日|ニューヨーク|Sequence8-3「公開処刑」|ヘイザムは素性を隠して処刑現場に向かう&br()コナーは絞首刑台に引かれていく&br()ヘイザムはアキレスを目撃、裏でアサシンが動いている事を知る&br()絞首縄が矢で射られた際、完全には切れなかったので、ヘイザムは短剣を投げてコナーを助け、咄嗟に逃亡&br()コナーはヒッキーを殺害、ヘイザムはそれをのちにチャールズから聞く| |~|7月4日|フィラデルフィア|独立宣言|Sequence8終了&br()ゲーム中は1775年6月16日と誤記。日付は史実を表記| |CENTER:1777年|冬(1~2月)|ダベンポート・ホームステッド|アキレスと口論、ワシントンに会うため出発|Sequence9開始| |CENTER:1778年|-|カリブ海|ベンジャミン・チャーチ殺害|Sequence9-4「苦い結末」| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|アキレスに謝罪、NYへ父に会いに行くと告げる|Sequence10開始| |~|1月~6月|-|ヘイザムがコナーとともに行動|| |~|-|フロンティア|1760年に村に攻撃命令を出したのがワシントンだと判明&br()ガネンドゴン殺害|Sequence10-2「崩れた信頼」&br()村が焼かれたのはヘイザムの発言では14年前とあるが18年前の間違え| |~|6月28日|モンマス|大砲で愛国派の撤退を援護、モンマスへ撤退|Sequence10-3「モンマスの戦い」| |CENTER:1780年|8月3日|ウェストポイント|アーノルドがウェストポイント指揮官になる|ベネディクト・アーノルドミッション&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |~|9月23日|ウェストポイント|ジョン・アンドレ少佐(偽名ジョン・アンダーソン)が捕まる|ベネディクト・アーノルドミッション&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |~|9月24日|ウェストポイント|アーノルド逃亡|ベネディクト・アーノルドミッション&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |CENTER:1781年|-|ダベンポート・ホームステッド|衰弱したアキレスと現状や今後について話し合う&br()リー暗殺についてラファイエット卿にジョージ砦潜入作戦を話す|Sequence11開始| |~|9月5日|チェサピーク湾|チェサピークの戦い|Sequence11-1「チェサピークの戦い」| |~|9月16日|ニューヨーク|ジョージ砦襲撃|コナーの接近を知り、チャールズに宝物庫の鍵を渡し逃す&br()「おそらくこれが最後の記述になる」と書いた上で、コナーに向けた言葉を残している| |~|~|ニューヨーク|コナー、ジョージ砦に潜入、ヘイザム殺害|Sequence11-2「リー、最後の抵抗」| |CENTER:1782年|-|-|コナーがモヒカン刈りに&br()リーが植民地の騎士団トップになる|Sequence11終了~Sequence12開始のロード中| |~|-|ニューヨーク|ヘイザムの葬儀でリーが演説|Sequence12-1「永遠の休息」| |~|-|ボストン&br()フロンティア|Sequence12-2「リーを追え」|リーを追いかける&br()コナーは腹に杭がささる重傷を負うが、リーに発砲する&br()フロンティアの酒場でリーを殺害、鍵を取る| |CENTER:1783年|リー殺害から6ヶ月後|ガナダセトン|ジュノーと対話、鍵を隠す|Sequence12終了&br()西暦は史実のリーの死亡日(1782年10月2日)から| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|テンプル騎士団の主要メンバの肖像画を燃やす、柱に突き立てた斧を抜く|エピローグ(EDクレジット後)| |~|11月25日|ニューヨーク|撤収の日|エピローグ&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |~|-|ガナダセトン|村や村人の様子を旅人(?)から聞く|エピローグ&br()撤収の日後のイベント、西暦は同じはず| |1865年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|ジョン・ウィルクス・ブース(リンカーンを暗殺した人物)がアサシンによって暗殺される| |1908年|||ツングースカの大爆発|| |1910年|||[[アブスターゴファイル]]「0.01:真の目的」より|アブスターゴ社創業者たちが「計画」を策定| |1916年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|ラスプーチンがアサシンによって暗殺される| |1917年|||ポルシェヴィキ革命|| |1937年|||[[アブスターゴファイル]]「0.01:真の目的」より|アブスターゴ社創業| |1953年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|ヨシフ・スターリンがアサシンによって暗殺される| |1971年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|フランソワ・デュヴァリエ(ハイチの政治家)がアサシンによって暗殺される| |2000年|||[[アブスターゴファイル]]&br()「0.04:アサシン教団 」&br()「0.011b:被検体4号」より|被検体4号ことダニエル・クロスがアサシン教団の大導師を殺害、サウスダニタ、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスをはじめ世界各地にあるアサシンの訓練キャンプの位置をアブスターゴ社に伝える。&br()その結果「大粛正」が行われ、アサシン教団は大打撃をこうむった。| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):&aname(デズモンド現代編,option=nolink){デズモンド現代編}| |CENTER:2012年|9月1日|ニューヨーク|デズモンド誘拐される|ニューヨークからローマ郊外のアブスターゴ・キャンパスに移送| |~|9月2日|CENTER:アブスターゴ・キャンパス&br()ローマ|アサシンクリードⅠ初頭|アニムスにより先祖アルタイルの記憶を追体験させられ始める| |~|9月7日|~|アサシンの部隊がデズモンドの救助を試みるも失敗|救出部隊は全員、アブスターゴ社の保安要員に射殺されたと思われる| |~|9月8日|~|アサシンクリードⅠラスト~アサシンクリードⅡ初頭|流入現象によって、アルタイルの「鷹の目」の能力を習得&br()その後ルーシーとアブスターゴ社から脱出| |~|9月9日|CENTER:アサシンの隠れ家&br()ローマ|アサシンクリードⅡ初頭|アブスターゴ社脱出後、デズモンドはルーシーにイタリアにあるアサシンの隠れ家へ連れて行かれる。| |~|9月11日|~|アサシンクリードⅡSequence6終了後|流入現象によって、エツィオのフリーラン技術を習得&br()しかし、アニムスに入っていなくてもアルタイルの記憶を追体験したり、幻覚を見るなどの深刻な副作用もあった| |~|9月15日|~|アサシンクリードⅡED|ウォーレン・ヴィディック博士自ら指揮するアブスターゴの襲撃部隊が隠れ家を急襲| |~|9月16日|モンテリジョーニ|アサシンクリードブラザーフッド 初頭|デズモンド達はモンテリジョーニに到着し、地下に新たな拠点を設営| |~|10月10日|ローマ|アサシンクリードブラザーフッド ラスト|デズモンド、エデンのリンゴを入手するが、昏睡状態に陥る&br()その直後、デズモンド一行にウィリアムが合流| |~|10月30日|トゥーリン&br()アメリカ|アサシンクリードリベレーションED|デズモンド昏睡状態から目覚める| |~|~|~|アサシンクリードⅢ OP|デズモンド一行、神殿の中へ入る| |~|11月15日|ニューヨーク|アサシンクリードⅢ 1回目の外出|デズモンド、ダニエル・クロスと格闘し、1つ目の動力源を得る| |~|12月2日|サンパウロ&br()ブラジル|アサシンクリードⅢ 2回目の外出|またもダニエル・クロスと遭遇、2つ目の動力源を奪い、地下鉄を利用し脱出| |~|12月4日|ビトリア湾&br()ブラジル|~|デズモンド一行、船でブラジルを離れる| |~|12月6日|-|~|デズモンド達が神殿に帰還する| |~|12月8日|トゥーリン&br()アメリカ|2回目の外出と3回目の外出の間|最後の動力源確保の為にウィリアムが単独でエジプトへ| |~|12月10日|フィラデルフィア&br()アメリカ|~|アブスターゴ社がウィリアムの位置を割り出し、エージェントを現地に向かわせる| |~|12月12日|カイロ&br()エジプト|~|ウィリアム、アブスターゴのエージェント達に誘拐される| |~|12月14日|アブスターゴ・キャンパス&br()ローマ|アサシンクリードⅢ 3回目の外出|デズモンド、ダニエルとヴィディック博士を倒し、ウィリアムを救出するとともに3つ目の動力源を入手| |~|12月xx日|トゥーリン&br()アメリカ|アサシンクリードⅢ ED|デズモンド、神殿の力を解放| ---- *コメント欄 #pcomment(,reply,enableurl,5)
&bold(){アサシンクリードシリーズ年表} &bold(){&big(){&big(){&color(red){ネタバレ注意!}}}} &meta_description(アサシンクリードシリーズでの出来事の年表を掲載しています。) このページはアサシンクリードシリーズでの出来事を年表にして掲載しています。 またアサシンクリードに関係する世界史上の出来事を掲載しても構いません。 今までに発売された全作品(ゲーム本編・DLC、小説版など)の&bold(){ネタバレ}を含んでいる可能性があります。閲覧する際は注意してください。 削除する場合は、コメント欄に理由を書いてもらえると助かります。他の編集者への配慮をお願いします。 //コメントアウトプラグイン co(){} を使用すると「表示が崩れる」「コメントアウトしていない文章まで表示されなくなる」等の不具合が発生することがありますので、なるべく使わないで下さい。原因は不明です。 //ご協力、よろしくお願い致します。 &link_anchor(エツィオ・サーガ){エツィオ・サーガ} &link_anchor(ケンウェイ・サーガ){ケンウェイ・サーガ} &link_anchor(デズモンド現代編){デズモンド現代編} #contents ---- ※表記されている情報はゲーム内のものと史実の両方あります。 //|||||| |西暦|月日・経過時間|場所|概要・備考|詳細|h |6万9千年から7万7千年前|||「Assassin's Creed: Initiates タイムライン」より|アダムとイヴがエデンを脱出| |~|||[[アブスターゴファイル]]「0.018:黙示録」より|トバ火山の大噴火を境に、[[かつて来たりし者たち]]は徐々に滅んでいき、災厄を生き延びた人類は全世界へ散らばっていった| |||||| |||||| |紀元前30年|||[[ACⅡ隠された真実]]「Assassin's Creed: Initiates タイムライン」&br()「15.守護者たち」&br()ACⅡ本編、アサシンの印章より|クレオパトラがアサシンによって暗殺される| |||||| |1128or1129年|||[[アブスターゴファイル]]「0.02:起源 」より|トロア教会会議でテンプル騎士団が認可される| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):アルタイル・サーガ| |1165年|-|マシャフ/シリア|アルタイル・イブン・ラ・アハド誕生|アルタイルはムスリムの父とクリスチャンの母との間に生まれた。| |1187年|-|エルサレム||サラディンがエルサレムを無血開城させ、イスラム勢力が占領&br()この出来事がきっかけとなり、第3回十字軍が派遣される| |1189年|-|マシャフ|第3回十字軍&br()リベレーションSequence3-8&br()アルタイル24歳|アルタイル、ほぼ独力でマシャフヘ押し寄せる十字軍の部隊を一掃&br()(リベレーションデータベース「アルタイル・イブン・ラハド」より)| |1190年|-|-|アサシン クリード アルタイルクロニクルズ|| |1191年|7月12日|アッカ||イングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世らの活躍により、十字軍がアッカを攻め落とし占領| |~|7月~8月|-|[[アサシン クリードⅠ]]|| |~|~|マシャフ|リベレーションSequence4-6|アル・ムアリムを火葬する| |~|8月~9月|キプロス|アサシンクリード ブラッドライン|(時期は開始月)| |1192年|-|~||ギー・ド・リュジニャンがリチャード王からキプロス島を購入し、キプロス王国を建国| |1195年|-|~|Assassin's Creed: The Secret Crusade|アルタイルとマリア、キプロスのリマソールで結婚| |~|-|マシャフ|~|アルタイルとマリアの間に、第一子ダリム・イブン・ラ・アハドが産まれる| |1204年|-|-|~|アルタイル、コンスタンティノープルにアサシンギルドを作ろうとするが失敗| |1217年|-|マシャフ|~|アルタイル、マリア、ダリムはチンギス・カンに対抗するために、マシャフを離れる&br()第二子であるセフ・イブン・ラ・アハドは妻と2人の子供を世話するために同行しなかった&br()またマシャフにある教団の指揮は一時的にマリクに任せられた| |1227年|-|-|~|ダリムとモンゴル人アサシンのクラン・ガル、チンギス・カンを暗殺| |1228年|~|マシャフ|リベレーションSequence5-6|アルタイル、マリア、ダリム、マシャフへ帰還&br()アルタイル63歳| |1247年|~|~|リベレーションSequence6-7|自ら科した約20年の追放後、アルタイルはマシャフに戻った&br()アルタイル82歳&br()追放中にリンゴを研究して開発した仕込みピストルでアッバスを暗殺| |1256年|-|-|リベレーション データベース&br()「ポーロ兄弟」|ポーロ兄弟、コンスタンティノープルから海路でアッカへ行く| |1257年|~|~|リベレーションSequence7-7|ポーロ兄弟を村の外まで護衛する&br()アルタイル92歳| |~|-|~|アルタイル・イブン・ラ・アハド死去|| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray): | |1259年|-|-|リベレーション データベース&br()「ポーロ兄弟」|ポーロ兄弟、アルタイルから託された5つの秘宝をコンスタンティノープルに隠す| |1290年|-|-|アッカ陥落(史実)|キリスト教勢力は完全に聖地周辺の足がかりを失う| |1296年|-|-||アウディトーレ家の祖、ドメニコ誕生| |1307年|10月13日|フランス|(史実)|フランス王フィリップ4世はフランス全土においてテンプル騎士団の会員を何の前触れもなく一斉に逮捕。異端的行為など100以上の不当な罪名をかぶせたうえ、罪を「自白」するまで拷問を行った。| |1311~12年|-|ヴィエンヌ&br()フランス|(史実)|教皇クレメンス5世はフィリップ4世の意をうけて開いたヴィエンヌ公会議で正式にテンプル騎士団の禁止を決定&br()しかし、フランス以外の国においてもテンプル騎士団の禁止を通知したが効果はなく、何らかの形で各地で存続した| |1314年|3月18日|シテ島&br()パリ|(史実)|フィリップ4世の指示によって、第23代目テンプル騎士団総長にして最後の総長として知られるジャック・ド・モレーを含む4人の最高指導者たちはシテ島の刑場で生きたまま火あぶりにされる。&br()この出来事を機に「テンプル騎士団」は歴史の表舞台から消えることになる。&br()また火刑の際ジャック・ド・モレーは、フィリップ4世と教皇クレメンス5世に呪いの言葉を発したと言われている。| |~|4月20日||(史実)|教皇クレメンス5世急死| |~|11月29日||(史実)|フランス王フィリップ4世急死| |1453|5月29日||オスマン帝国のメフメト2世によって東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープル(現イスタンブル)が陥落した(史実)|コンスタンティノープル陥落前後には、多くのギリシャ人の学者・知識人が東ローマで保存・研究されてきた古代ギリシャ・ローマ時代の文献を携えて西欧へと亡命し、イタリア・ルネサンスに多大な影響を与えた| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):&aname(エツィオ・サーガ,option=nolink){アサシンクリードⅡ}| |1459年|6月24日|CENTER:フィレンツェ|[[エツィオ・アウディトーレ]]誕生|| |1476年|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「2回目のチャンス」|エツィオ、クリスティーナ・ヴェスプッチと出会う&br()クリスティーナに付きまとっているヴィエリ・デ・パッツィをボコボコにする| |~|-|~|Sequence1|エツィオはフィレンツェで幸せな人生を送っていたが、ある日突然、陰謀により父と兄弟が処刑される| |~|-|~|Sequence2-1~4|エツィオは首謀者のひとりであるウベルト・アルベルティ判事を暗殺| |~|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「家族との別れ」|父、兄、弟を埋葬| |~|-|-|Sequence2-5~3-2|エツィオは母、妹とともにモンテリジョーニに住む伯父[[マリオ・アウディトーレ]]のもとに逃れる| |1476~78年|-|モンテリジョーニ|Sequence3-3|エツィオ、伯父マリオのもとで2年間修行する| |CENTER:1478年|-|サン・ジミニャーノ|Sequence3-4|[[ヴィエリ・デ・パッツィ]]を暗殺| |~|-|モンテリジョーニ|Sequence3-5|エツィオ、伯父マリオと今後の予定について話すと共に、写本についても説明を受ける| |~|-|フィレンツェ|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「ベストマン」|エツィオのセリフに「今フィレンツェに戻ったばかりさ」とあるので、この時期と推定| |~|4月26日|~|Sequence4&br()[[パッツィ家]]の陰謀|エツィオ、[[フランシスコ・デ・パッツィ]]をシニョーリア宮で暗殺| |1478~80年|-|サン・ジミニャーノ|Sequence5|パッツィ家の陰謀の首謀者5人を暗殺| |1480~81年|-|-|Sequence6|フィレンツェからアペニン山脈を経由し、フォルリへ| |1481年|-|-|Sequence6と7の間|フォルリから船でヴェネツィアへ| |1481~85年|-|CENTER:ヴェネツィア|Sequence7|セタ宮にいる[[エミリオ・バルバリーゴ]]を暗殺するための準備を行う| |CENTER:1485年|-|~|Sequence7|セタ宮で[[エミリオ・バルバリーゴ]]を暗殺| |~|-|~|Sequence8|[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の飛行機械でドゥカーレ宮に潜入&br()ヴェネツィア総督は毒殺されてしまうが、[[カルロ・グリマルディ]]を暗殺| |CENTER:1486年|-|~|Sequence9-1|[[カルロ・グリマルディ]]を暗殺した際に手に入れた写本をもとに、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]に[[アサシンブレード]]に装着する小型のピストルを作ってもらう| |~|-|~|Sequence9-2|人殺しを始末する| |~|-|~|Sequence9-3~7|特別なパーティーに参加するためには黄金の仮面が必要だと知り、手に入れるためにゲームに参加する| |~|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「断ち切れぬ思い」|エツィオが「時間がない。総督のパーティーが始まる」と言っているので、この時期と推測| |~|-|~|Sequence9-8|黄金の仮面を使ってパーティーに忍び込み、[[マルコ・バルバリーゴを暗殺]]| |~|-|~|Sequence10-1~3|バルトロメオ・ダルビアーノとその部下を救出| |~|-|~|Sequence10-4・5|バルトロメオの軍団と共にアルセナーレを攻撃&br()シルヴィオ・バルバリーゴとダンテ・モロを暗殺| |CENTER:1488年|6月25日|~|Sequence11|ロドリゴ・ボルジアと対決、ボルジアは逃すもエデンのリンゴを手に入れる&br()(日時はエツィオの誕生日の翌日なので)| |~|-|CENTER:フォルリ|Sequence12&br()フォルリの戦い|フォルリを襲撃したオルシ兄弟を暗殺するも、黒衣の修道士ジローラモ・サヴォナローラにエデンのリンゴを奪われる| |1491年|-|スペイン|アサシンクリードⅡ ディスカバリー|エツィオ、スペインへ| |1492年|-|イタリア||エツィオ、スペインより帰還| |~|8月11日|ヴァティカン|(史実)|ロドリゴ・ボルジアがアレクサンデル6世として教皇に即位| |1494年|-|フィレンツェ||サヴォナローラがフィレンツェの政治顧問となり、神権政治を行うようになる| |1497年|-|~|Sequence13-1~10|サヴォナローラの支持者9人を暗殺| |1498年|-|~|アサシンクリード ブラザーフッド&br()クリスティーナミッション「永久に」|| |~|5月23日|~|Sequence13-11・12|集まった民衆によりサヴォナローラ刑死&br()エツィオがとどめを刺す&br()死亡日は史実より| |~|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|トマス・デ・トルケマダ(スペインの異端審問官)がアサシンによって暗殺される| |1499年|-|ヴァティカン|Sequence14&br()「来た、見た、勝った」|エツィオ、ヴァティカン地下の宝物庫を開き、ミネルヴァと会う| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):アサシン クリード ブラザーフッド| |1499年|12月|ヴァティカン|Sequence1-1|伯父マリオ・アウディトーレと共にヴァティカンから脱出| |1500年|1月|モンテリジョーニ|Sequence1-2~8|チェーザレ・ボルジアにモンテリジョーニのヴィラを攻撃される| |~|~|ローマ|Sequence2『虎達の荒野』|| |1500~03年|-|~|Sequence3・4|| |1503年|8月1日|~|Sequence5-1~4|ホアン・ボルジア(サヴィオ)を暗殺| |~|8月x日|~|Sequence5-5|| |~|~|~|Sequence6|オクタヴィアン・ド・ヴァロワ男爵を暗殺| |~|~|~|Sequence7|ミケロットを倒す| |~|8月18日|~|Sequence8-1~3|ロドリゴ・ボルジアがチェーザレ・ボルジアに毒殺される&br()エツィオはチェーザレより先にサン・ピエトロ大聖堂に到着&br()エデンのリンゴを入手し、ヴァティカンを脱出| |~|8月xx日|~|Sequence8-4|ローマのチェーザレ軍を壊滅させる| |~|9月|~|Sequence8-5|チェーザレと枢機卿の会合を壊し、援助を受けられなくする| |~|12月|~|Sequence8-6|アサシンの盟友と共にチェーザレと彼の最後の支持者達と対峙する| |1506年?|-|~|Sequence9-2|エデンのリンゴを宝物庫へ納める| |1506年|-|~|Sequence8.5&br()『ダ・ヴィンチ、失踪』|| |1507年|3月|ヴィアナ|Sequence9-1|チェーザレ・ボルジアを倒した| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray): | |1509年|9月14日|コンスタンティノープル|M 7.7、死者5,000人、倒壊家屋1,000軒以上の規模の大地震が発生|この大地震を境に、ビザンツ帝国復興を掲げるテンプル騎士団が新たな脅威に&br()(リベレーションデータベース「ユスフ・タジム」より)| |1510年|-|ローマ||エツィオ、ローマを出る(リベレーションSequence2冒頭での会話より)| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):アサシン クリード リベレーション| |1511年|3月|マシャフ|Sequence1|エツィオ、マシャフを訪れる| |~|5月|コンスタンティノープル|Sequence2|エツィオ、コンスタンティノープルに到着| |1511~12年|-|~|Sequence3~6|| |1512年|3月|カッパドキア|Sequence7|エツィオ、船でカッパドキアへ| |~|-|コンスタンティノープル|Sequence8|| |~|-|マシャフ|Sequence9|エツィオとソフィア、数週間もの旅の後、マシャフにたどり着く| |1512~13年|-|-|Assassin's Creed: Revelations (novel)|エツィオとソフィア、スレイマン皇子の計らいで一時的にコンスタンティノープルに滞在&br()ソフィアの店を現地のアサシンに託し、1つ目のマシャフへの鍵を見つけた部屋に鍵を保管する&br()その後2人はヴェネツィアで結婚| |1513年|5月|-|~|エツィオとソフィアの間に、第一子で長女のフラヴィアが産まれる| |1514年|10月|-|~|エツィオとソフィアの間に、第二子で長男のマルチェッロが産まれる| |1520年|-|コンスタンティノープル||スレイマン皇子、オスマン帝国第10代スルタンに即位| |1524年|-|-|アサシンクリード エンバース|エツィオのもとに、中国人アサシンのシャオ・ユンが訪ねてくる| |~|-|-|~|エツィオ、シャオ・ユンに箱を渡す&br()シャオ・ユンは中国へ戻る| |~|-|フィレンツェ|~|[[エツィオ・アウディトーレ]]死去| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray): | |1541年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|フランシスコ・ピサロ(インカ帝国を征服した人物)がアサシンによって暗殺される| |1558年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|メアリー1世(イングランド女王)がアサシンによって暗殺される| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):&aname(ケンウェイ・サーガ,option=nolink){ケンウェイ・サーガ}| |1693年|||[[エドワード・ケンウェイ]]誕生|ウェールズ出身で、父親がイングランド人、母親がウェールズ人| |1694年|||[[Under the Black Flag]]より|海賊の黄金時代が始まる&br()当時は海賊王"ヘンリーエイブリー"がヨーロッパからインドにかけて略奪を繰り返していた。| |1725年|12月4日|ロンドン|ヘイザム・ケンウェイ誕生|家族構成は父エドワード、母テッサ、異母姉ジェニー(12歳年上)&br()父から戦闘訓練を受けて育つ| |1733年|12月4日|~|レジナルド・バーチと会う&br()(8歳の誕生日なのでこの日付)|この後レジナルドは父の友人・ジェニーの婚約者としてケンウェイ邸を何度か訪問している| |1735年|12月3日夜|~|ケンウェイ邸が何者かに襲撃される|父エドワードが殺害され、ジェニーが拉致される。使用人や護衛、隣家の少年も犠牲となった&br()母を助けようと、ヘイザムは初めて殺人を犯す&br()10歳の誕生日を機に、アサシンとしての実践的な訓練が始まるはずだった| |~|12月6日|~||手記はこの日付から始まっている。これ以前のものは襲撃の際の火事で焼けてしまった| |~|12月10日|~|レジナルドと会う|レジナルドは自身のテンプル騎士としてのコネで、大陸でジェニーを探すことを提案する&br()母親は(息子が目の前で人を殺したことのショックからか)ヘイザムと距離を置きたがっている節もあり、イギリスを離れることを決意する| |1735~1743年||||その後5年間ヨーロッパ各国を回り、最終的にフランスの拠点に落ち着く| |1743~1747年||||&br()レジナルドからテンプル騎士としての教育を受け、18歳で騎士団に加わる&br()暗殺者としての才能を見いだされ、リヴァプールの商人とオーストリアの皇子を暗殺している| |1747年|6月11日|アルテア/スペイン|ホアン・ヴェドミールを殺害|暗号化された手記を奪う| |~|7月2~3日|ロンドン|情報収集|襲撃事件以来行方をくらましていた従者、ディグウィードの居所を突き止める| |~|7月14日|セントペーター/ドイツ|ディグウィードを発見|ディグウィードはすでに先客の男に襲われており、レジナルドによればすでに手遅れだったという&br()襲撃者の一人と交戦、死に際にヘイザムの父親はアサシンだったと言い残す&br()襲撃者がブラドックの部隊に所属していたことを知り、追跡する| |~|7月17日|オランダ|ブラドックに会う|追跡していた襲撃者は軍で処刑され、情報を聞き出すことはかなわなかった| |1747~1753年|||ブラドックの部隊に加わり各地を転戦|ベルヘン・オプ・ゾームの包囲戦など、オーストリア継承戦争及びその後の混乱期にあたる&br()この間、ブラドックによる数々の悪行を目撃| |1753年|6月25日|コルシカ島|誘拐任務|ホアンの手記解読のため拘束したアサシン教団の解読者モニカが、「息子ルーチョと一緒でなければ解読できない」とごねたことによりヘイザムに命が下る&br()コルシカ独立戦争のさなか、ジェノヴァ軍の襲撃に乗じ、アサシンを装って教団側の拠点に潜入。ルーチョを誘拐する&br()途中、アサシン・ミコと遭遇し交戦。彼のアサシンブレードを奪う| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):[[アサシンクリードⅢ]] ヘイザムパート| |CENTER:1754年|4月18日|ロンドンのコベントガーデン|Sequence1-2「死のパフォーマンス」|王立劇場でミコを暗殺、宝物庫の鍵を奪う&br()アサシン側の資料を元に神殿の位置をアメリカと推定。任務命令を受け、明け方にロンドンからボストンへ出航| |~|出航2日目|大西洋、プロヴィデンス号船上|船員と甲板でケンカ、船長から反乱の調査依頼|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|出航28日目|大西洋、プロヴィデンス号船上|ヘイザム「おもしろい フム…大変おもしろい」|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|出航33日目|大西洋、プロヴィデンス号船上|ミルズと対決、嵐の中の索具結び|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|7月8日(出航72日目)|大西洋、プロヴィデンス号船上|ボストン到着、入港、オープニングタイトル|Sequence1-3「神世界への旅」| |~|7月8日(出航72日目)|ボストン|ボストン上陸、チャールズ・リーと出会う|Sequence2開始| |~|7月8日(出航72日目)|ボストン|ベンジャミン・フランクリンと出会う|Sequence2-1「ボストンへようこそ」| |~|サウスゲート砦潜入から数週間|ボストン|モホーク族からのコンタクトを待ち続ける(ロード中の独白)|Sequence2終了~Sequence3開始| |~|11月15日|フロンティア|ジーオと出会う|| |CENTER:1755年|1月~2月|ボストン|Sequence3開始|リーからガジージオの居場所の手がかりについて聞く| |~|2月|フロンティア|Sequence3-2「行動がすべて」(Sequence3-2から5ヶ月後が3-3のため2月と判明)|サン・マチュー砦に潜入、ブラドックの居場所を探る&br()ジョージ・ワシントンが砦内を巡回| |~|7月8日|~|ブラドック襲撃の手筈が整う|| |~|7月9日|フロンティア|Sequence3-3「ブラドッグ遠征」|ガジージオが迎えに来る、ブラドックを襲撃し深手を負わせるも、止めを刺さないまま逃走&br()翌日に神殿を訪れるも、手がかりなし、二人が結ばれる| |~|7月下旬~8月4日|~|ジーオと生活|レキシントンから5マイルほど離れた場所で二人だけの時間を過ごしていた&br()そこにチャールズが訪れ、ブラドックの死を伝え手紙を手渡す&br()ヘイザムがブラドックを殺してはいなかったことを知ったジーオに「嘘つき」と非難され、二人での生活は終わった&br()手紙はヘイザムの従者、ホールデンからで、ジェニーの居場所を突き止めたことを知らせるものだった| |~|数日後|ボストン|リーが騎士団に迎え入れられる|Sequence3終了| |~|数ヶ月後|-|ガジージオの独白「お腹の赤ちゃんが順調」|Sequence3終了~Sequence4開始| |CENTER:1756年|-|-|コナー誕生(ガジージオ独白途中)|Sequence3終了~Sequence4開始&br()アニムスDB「ガネンドゴン」から彼と同い年| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):ゲーム版でのヘイザムパートとコナーパートの間に相当| |1757年|9月17日|ダマスカス|ジェニー奪還|ダマスカスのアゼム宮殿のハーレムに潜入、ホールデンを囮にジェニーを奪還する| |~|9月21日|エジプト|ホールデン救出|宦官候補の奴隷としてエジプトへ連行されたホールデンを救出し、3人でこれまでの状況を整理する&br()ケンウェイ邸襲撃の黒幕はレジナルド・バーチであり、ヘイザムを真実から遠ざけようと画策していた。神殿の情報をもたらしたアサシン側の資料とは、エドワード・ケンウェイが守ろうとし、結局レジナルドによって持ち去られたものだった| |~|10月9日|フランス|レジナルド暗殺|復讐のため、3人は騎士団の拠点を襲撃&br()レジナルドはジェニーに殺される&br()囚われていたモニカとルーチョを解放するも、ヘイザムはルーチョに腹部を刺され、その後3ヶ月ほどを寝たきりで過ごす&br()ヘイザムが回復した後、ホールデンが自殺する| |||||この後、ジェニーはロンドンへ戻る&br()ヘイザムはアメリカに戻り、ヴァージニアのホームステッドで暮らす。(1773年にはチャールズも越してくる)| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):[[アサシンクリードⅢ]] コナーパート| |CENTER:1760年|-|ガナダセトン|ガネンドゴンから遊びに誘われる|Sequence4開始| |~|-|フロンティア&br()ガナダセトン|かくれんぼする、リー達に脅される&br()村が燃えガジージオ死亡|Sequence4-1「かくれんぼ」| |CENTER:1763年|-|-|植民地においてテンプル騎士団によりアサシンが一掃される|アニムスDB「ヘイザム」や「アキレス」より| |CENTER:1769年|-|フロンティア|木の上のフリーラン、羽根集め|Sequence4-2「羽根と木」| |~|-|ガナダセトン|第一文明の遺物に触れジュノーと初対話|Sequence4-4「忘れてはならぬもの」| |~|-|フロンティア|村からの旅立ち、アキレスに師事|Sequence5開始| |CENTER:1770年|アキレス師事から6ヶ月間修行し、冬|ダベンポート・ホームステッド|屋敷を建て直すためにアキレスと共に馬車でボストンへ行く|Sequence5-1「はじめてのお使い」| |~|3月5日|ボストン|ボストン到着、ラドンハゲードン改めコナーと名付けられる|Sequence5-1「はじめてのお使い」&br()ボストンの虐殺と同日の模様| |~|3月5日|ボストン|ボストンの虐殺|Sequence5-2「ボストンへの旅」| |CENTER:1773年|水難救助から6ヶ月後、夏|ダベンポート・ホームステッド|アキーラ号でマーサズ・ヴィニヤードに向け出航|Sequence5-5「過酷な道」&br()水難救助は冬だが1772年12月か1773年1~2月か不明&br()6ヶ月間は修行| |~|-&br()3週間の航海|東海岸|大砲を調達、砲術士官を迎える&br()ニコラス・ビドルと出会う&br()はじめての海戦|Sequence5-5「過酷な道」| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|アサシンの衣装を着てアキレスにアサシン(同胞)として認めてもらう|Sequence5終了| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|ロープダートを受け取る&br()柱に斧を突き立て戦闘開始を宣言|Sequence6開始| |~|12月16日|ボストン|ボストン茶会事件|Sequence6-1「茶会事件」| |CENTER:1774年|1月12日|ボストン|再会|ブラドック襲撃後初めて植民地騎士団のメンバーが揃う&br()1760年にジーオがワシントンによって殺されていたことを知る&br()先住民の少年が騎士団メンバーの行く先々で目撃されていることを知る。ボストン茶会の時はアサシンのローブを身につけていた&br()ジーオの部族の少年であることと年齢、またつけていたネックレスの特徴がジーオのものと一致したことから、ヘイザムはその少年が自分の息子なのではないかと疑いはじめる| |~|茶会事件から6ヶ月後|ダベンポート・ホームステッド|村がジョンソンに買われそうだからと、ガネンドゴンが助けを求めに来る|Sequence6-3終了~Sequence6-4開始| |~|-|フロンティア|ジョンソン・ホールでウィリアム・ジョンソンを暗殺|Sequence6-4「敵対的交渉」| |CENTER:1775年|-|ダベンポート・ホームステッド|ポール・リヴィアからの援助依頼|Sequence7開始| |~|4月18日|フロンティア|ポール・リヴィアの騎行|Sequence7-1「真夜中の騎行」| |~|4月19日|フロンティア|レキシントンとコンコードの戦い|Sequence7-2「レキシントンとコンコード」| |~|6月16日|フィラデルフィア|第2次大陸会議でワシントンが総司令官に任命、ワシントンにあいさつする|Sequence7-2終了~Sequence7-3開始| |~|6月17日&br()日付はアニムスDBより|バンカーヒル|ブリーズヒルでパットナム准将と会う&br()チャールズタウンを横断しイギリス艦のマストを米国旗にする|Sequence7-3「戦いの予兆」| |~|6月17日|バンカーヒル|モールトンズヒルでピトケアンを暗殺|Sequence7-4「バンカーヒルの戦い」&br()ピトケアンの持っていた手紙からワシントン暗殺計画がアサシン側に漏れる| |CENTER:1776年|-|ダベンポート・ホームステッド|ベンジャミン・トールマッジと出会いNYに来てほしいと言われる|Sequence8開始| |~|6月27日|ニューヨーク|ヘイザムが監獄を訪れる|初めて先住民の少年と遭遇。ジーオの面影をそこに見いだし、自分の子供であると確信する&br()処刑命令を下す| |~|6月28日|ニューヨーク|Sequence8-3「公開処刑」|ヘイザムは素性を隠して処刑現場に向かう&br()コナーは絞首刑台に引かれていく&br()ヘイザムはアキレスを目撃、裏でアサシンが動いている事を知る&br()絞首縄が矢で射られた際、完全には切れなかったので、ヘイザムは短剣を投げてコナーを助け、咄嗟に逃亡&br()コナーはヒッキーを殺害、ヘイザムはそれをのちにチャールズから聞く| |~|7月4日|フィラデルフィア|独立宣言|Sequence8終了&br()ゲーム中は1775年6月16日と誤記。日付は史実を表記| |CENTER:1777年|冬(1~2月)|ダベンポート・ホームステッド|アキレスと口論、ワシントンに会うため出発|Sequence9開始| |CENTER:1778年|-|カリブ海|ベンジャミン・チャーチ殺害|Sequence9-4「苦い結末」| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|アキレスに謝罪、NYへ父に会いに行くと告げる|Sequence10開始| |~|1月~6月|-|ヘイザムがコナーとともに行動|| |~|-|フロンティア|1760年に村に攻撃命令を出したのがワシントンだと判明&br()ガネンドゴン殺害|Sequence10-2「崩れた信頼」&br()村が焼かれたのはヘイザムの発言では14年前とあるが18年前の間違え| |~|6月28日|モンマス|大砲で愛国派の撤退を援護、モンマスへ撤退|Sequence10-3「モンマスの戦い」| |CENTER:1780年|8月3日|ウェストポイント|アーノルドがウェストポイント指揮官になる|ベネディクト・アーノルドミッション&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |~|9月23日|ウェストポイント|ジョン・アンドレ少佐(偽名ジョン・アンダーソン)が捕まる|ベネディクト・アーノルドミッション&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |~|9月24日|ウェストポイント|アーノルド逃亡|ベネディクト・アーノルドミッション&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |CENTER:1781年|-|ダベンポート・ホームステッド|衰弱したアキレスと現状や今後について話し合う&br()リー暗殺についてラファイエット卿にジョージ砦潜入作戦を話す|Sequence11開始| |~|9月5日|チェサピーク湾|チェサピークの戦い|Sequence11-1「チェサピークの戦い」| |~|9月16日|ニューヨーク|ジョージ砦襲撃|コナーの接近を知り、チャールズに宝物庫の鍵を渡し逃す&br()「おそらくこれが最後の記述になる」と書いた上で、コナーに向けた言葉を残している| |~|~|ニューヨーク|コナー、ジョージ砦に潜入、ヘイザム殺害|Sequence11-2「リー、最後の抵抗」| |CENTER:1782年|-|-|コナーがモヒカン刈りに&br()リーが植民地の騎士団トップになる|Sequence11終了~Sequence12開始のロード中| |~|-|ニューヨーク|ヘイザムの葬儀でリーが演説|Sequence12-1「永遠の休息」| |~|-|ボストン&br()フロンティア|Sequence12-2「リーを追え」|リーを追いかける&br()コナーは腹に杭がささる重傷を負うが、リーに発砲する&br()フロンティアの酒場でリーを殺害、鍵を取る| |CENTER:1783年|リー殺害から6ヶ月後|ガナダセトン|ジュノーと対話、鍵を隠す|Sequence12終了&br()西暦は史実のリーの死亡日(1782年10月2日)から| |~|-|ダベンポート・ホームステッド|テンプル騎士団の主要メンバの肖像画を燃やす、柱に突き立てた斧を抜く|エピローグ(EDクレジット後)| |~|11月25日|ニューヨーク|撤収の日|エピローグ&br()ゲーム中の表記がないため史実の日付を表記| |~|-|ガナダセトン|村や村人の様子を旅人(?)から聞く|エピローグ&br()撤収の日後のイベント、西暦は同じはず| |1865年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|ジョン・ウィルクス・ブース(リンカーンを暗殺した人物)がアサシンによって暗殺される| |1908年|||ツングースカの大爆発|| |1910年|||[[アブスターゴファイル]]「0.01:真の目的」より|アブスターゴ社創業者たちが「計画」を策定| |1916年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|ラスプーチンがアサシンによって暗殺される| |1917年|||ポルシェヴィキ革命|| |1937年|||[[アブスターゴファイル]]「0.01:真の目的」より|アブスターゴ社創業| |1953年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|ヨシフ・スターリンがアサシンによって暗殺される| |1971年|||[[ACⅡ隠された真実]]「15.守護者たち」より|フランソワ・デュヴァリエ(ハイチの政治家)がアサシンによって暗殺される| |2000年|||[[アブスターゴファイル]]&br()「0.04:アサシン教団 」&br()「0.011b:被検体4号」より|被検体4号ことダニエル・クロスがアサシン教団の大導師を殺害、サウスダニタ、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスをはじめ世界各地にあるアサシンの訓練キャンプの位置をアブスターゴ社に伝える。&br()その結果「大粛正」が行われ、アサシン教団は大打撃をこうむった。| |>|>|>|>|CENTER:BGCOLOR(gray):&aname(デズモンド現代編,option=nolink){デズモンド現代編}| |CENTER:2012年|9月1日|ニューヨーク|デズモンド誘拐される|ニューヨークからローマ郊外のアブスターゴ・キャンパスに移送| |~|9月2日|CENTER:アブスターゴ・キャンパス&br()ローマ|アサシンクリードⅠ初頭|アニムスにより先祖アルタイルの記憶を追体験させられ始める| |~|9月7日|~|アサシンの部隊がデズモンドの救助を試みるも失敗|救出部隊は全員、アブスターゴ社の保安要員に射殺されたと思われる| |~|9月8日|~|アサシンクリードⅠラスト~アサシンクリードⅡ初頭|流入現象によって、アルタイルの「鷹の目」の能力を習得&br()その後ルーシーとアブスターゴ社から脱出| |~|9月9日|CENTER:アサシンの隠れ家&br()ローマ|アサシンクリードⅡ初頭|アブスターゴ社脱出後、デズモンドはルーシーにイタリアにあるアサシンの隠れ家へ連れて行かれる。| |~|9月11日|~|アサシンクリードⅡSequence6終了後|流入現象によって、エツィオのフリーラン技術を習得&br()しかし、アニムスに入っていなくてもアルタイルの記憶を追体験したり、幻覚を見るなどの深刻な副作用もあった| |~|9月15日|~|アサシンクリードⅡED|ウォーレン・ヴィディック博士自ら指揮するアブスターゴの襲撃部隊が隠れ家を急襲| |~|9月16日|モンテリジョーニ|アサシンクリードブラザーフッド 初頭|デズモンド達はモンテリジョーニに到着し、地下に新たな拠点を設営| |~|10月10日|ローマ|アサシンクリードブラザーフッド ラスト|デズモンド、エデンのリンゴを入手するが、昏睡状態に陥る&br()その直後、デズモンド一行にウィリアムが合流| |~|10月30日|トゥーリン&br()アメリカ|アサシンクリードリベレーションED|デズモンド昏睡状態から目覚める| |~|~|~|アサシンクリードⅢ OP|デズモンド一行、神殿の中へ入る| |~|11月15日|ニューヨーク|アサシンクリードⅢ 1回目の外出|デズモンド、ダニエル・クロスと格闘し、1つ目の動力源を得る| |~|12月2日|サンパウロ&br()ブラジル|アサシンクリードⅢ 2回目の外出|またもダニエル・クロスと遭遇、2つ目の動力源を奪い、地下鉄を利用し脱出| |~|12月4日|ビトリア湾&br()ブラジル|~|デズモンド一行、船でブラジルを離れる| |~|12月6日|-|~|デズモンド達が神殿に帰還する| |~|12月8日|トゥーリン&br()アメリカ|2回目の外出と3回目の外出の間|最後の動力源確保の為にウィリアムが単独でエジプトへ| |~|12月10日|フィラデルフィア&br()アメリカ|~|アブスターゴ社がウィリアムの位置を割り出し、エージェントを現地に向かわせる| |~|12月12日|カイロ&br()エジプト|~|ウィリアム、アブスターゴのエージェント達に誘拐される| |~|12月14日|アブスターゴ・キャンパス&br()ローマ|アサシンクリードⅢ 3回目の外出|デズモンド、ダニエルとヴィディック博士を倒し、ウィリアムを救出するとともに3つ目の動力源を入手| |~|12月xx日|トゥーリン&br()アメリカ|アサシンクリードⅢ ED|デズモンド、神殿の力を解放| ---- *コメント欄 #pcomment(,reply,enableurl,5)

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